2018年01月23日

風の中の散歩

風の中の散歩
少し暖かくなっていた天気がまた冬に戻りました。
寒いので部屋の中で動きまわるのも億劫になっていましたが
去年の末から決めた集まりがあり渋々出掛けました。

帽子をかぶり、首にはしっかりとマフラをしました。
しかし、冷たい風が体のそこまで届くような天気です。
2回めの訪問ですが前とは違う路線の電車を利用することになりました。
20分に1台のローカル電車の中は客もまばらでがらがらです。

乗替に遅れて電車に乗り遅れそうになりましたが無事に搭乗できました。
最寄りの駅について電話をしようと思ったとき
携帯電話の連絡先に名前が登録されてないことを知り慌てました。

少し前に調子の悪いスマホを初期化したとき電話番号が綺麗に削除されたのです。
ネットに保存していた連絡先しか残されていません。
それで一人、二人結局3人の人に連絡をしてやっと
電話番号を知ることができました。

やっと連絡が取れると安心したのもつかの間、
駅からの道順を知るためにかけた電話機の中から聞こえる案内放送は
”現在使われておりません。”の繰り返しです。

1時間近く時間をかけ、また交通費まで使ったのにそのまま帰るのも忍びなく
始めてきたときの記憶を頼りに目的地を探す羽目になりました。
方向音痴の私が40分近く風の中を彷徨った末ついに
目当ての建物を探し当てました。
けれども、入り口の2つの門はしっかり鍵がかかっていて留守でした。

風が吹き、小雨の中を探せると信じ頑張って歩いた該もなく
いつ戻るか、また連絡が取れるかわからない相手を待つのもアホらしくなり
伝言のメモ用紙を残して結局帰ってきました。

帰りの電車は30分に1台の電車が少し前に出てばかりでした。
待つ時間が退屈で駅の中を探索したりしました。
やっと電車が到着して次の乗替の電車に乗るために駅に急ぎました。
改札口に急いでいるとき私が乗る電車がちょうど出発するところでした。
また20分を待ったなければなりません。

それで、駅に向かう時通り過ぎたパン屋に戻りパンをいくつか買いました。
あまりにも強い風は軽くない私の体が飛ばされるのではないかと
心配になるほど強かったです。

パンを買い、当分出発を待ったなければならない電車の中に座っていると
いつの間にか鼻水が出てきました。
なんだかんだ散々な半日でしたがなぜか心の中は平安でした。
不思議と怒りは出なかったのです。

正月、ずっと部屋にこもりテレビばかり見ていたので体の調子が悪くなり
右足の痛みが出て整形外科のリハビリにずっと行っています。
腰から来る痛みらしく知り合いからは出来る限り歩くように言われました。

寒いのでほとんど外出しないでいる私に神様は無理やりでも
歩かせるためにこんな事になったのかもしれません。
本当にありがた迷惑はこんなことでしょうか?
それは冗談で、その深い愛に感謝しています。

  

Posted by 青い鳥 at 13:42Comments(0)

2017年12月16日

緑の闘士ーワンガリ・マータイ

緑の闘士ーワンガリ・マータイ
試験勉強で無理をしたのか鼻がただれて痛いし、鼻の下には
真っ赤なできものが二つもできて恥ずかしい思いをしています。
緊張と実力不足の中で臨んだ試験の結果は散々なものだと思いますが
とにかく試験が終わってホッとしています。

試験勉強のために時間を取られる事もなくなり
外出しないときは借りてきた本を読んだりテレビを見ています。
年末が近づき図書館の貸し出しの本が増えました。
2つの図書館で借りてきた26冊の本を横において幸せな気持ちです。

本を読んで目が疲れるとどんどんだまっていく録画番組を見て削除しています。
見ては削除していく番組の中で削除するのが忍びなく2回も見た番組があります。
NHKザープロファイラの”ワンガリ・マータイ”を取り上げた内容です。
極東地域で暮らし日本と中国以外は旅行したことのない私にとって
アフリカのケニアという国は想像すらできない国です。
そこで生まれ育ち、アフリカの女性としてまた環境分野で初めて
ノーベル平和賞を受賞した彼女の話はとても感動的でした。

テレビのニュースで接したアフリカに対する知識は
民族紛争や飢饉とエイズ以外はほとんど知りません。
まだ迷信深く女性に対する差別などが根深く残っているとの事は
聞いていたのですがそんなアフリカの女性の意識を変えた
一人の女性の生きざまを見て目頭が熱くなりました。

現代は情報格差や貧富の格差など社会のイッシュになっています。
しかし、アフリカでは女性で生まれたことで教育を受ける機会すら
ない現状を初めて知りました。
けれども、それはアフリカのことだけではありません。
数十年前まで韓国でも同じような事が起きていました。

韓国の朝鮮時代を背景にしたドラマの中では社会活動をしたくて
また勉強がしたくて男子の格好をする女の話が時々出てきます。
普段自由に外の出入りさえできない生活を女性たちは強いられていたのです。
父方の叔母も一人娘だったのですが大学生たちがボランティア活動として
運営する夜間学校に通うことさえ許されず、読み書きを学ぶ機会を奪われています。

義務教育で女の子も学校に行って学び実力によっては留学をしたり
今まで男の仕事だと思っていた世界まで進入できるようになったのは
つい最近の事です。
いくら頭がよくて勉強したくても女だという理由で
勉強する機会を得ることができず挑戦する事さえあきらめた人が多いのです。

似たような時代のアフリカの女性のワンガリの人生のターニングポイントに
なった事は教育を受ける機会を得たことです。
彼女が生まれ育った当時のケニアの地域で女の子はただ生活のために
家事を分担し、ただ働くだけの選択しかありませんでした。
男の子だけが学校に行って勉強できる時代に
”なぜ女の子は学校に行かないの”と問いかけた兄と
その兄の説得を受け入れた母によってワンガリは教育を受ける
素晴らしい可能性を手に入れることができたのです。

学校で目にした新しい世界と勉強への興味と努力で
アメリカの留学の機会を得、それで彼女はケニアでは
絶対に得られない民主主義や男女平等などの概念を学んだと思います。
そして、新しい世代への期待を背負って到着したアメリカでの留学生活で
長年ヨーロッパの植民地支配にあった母国への再建への思いも
深まって行ったことでしょう。

一人の女性がいろいろな偏見と差別で満ちていた自分の国を出て
アメリカという国で目にした新しい思想と文化によって
アフリカでとどまっていたら絶対にわかるはずのない生き方を学び
そして、後々ケニアの女性の意識を変えついに、国と男性たちを動かした
生涯はとても素晴らしいものでした。

教育を受ける機会を得たことで、また新しい生き方を見て学んだことで
一つの国を超えアフリカの女性たちに自分たちの可能性を悟らせた
彼女の人生に深く感動しています。

今、自分が当たり前のように思える多くのものや生活が
昔、いいえ、現代のどこかの国の女性には夢のようなものなのかもしれません。
自分が持っているもの、与えられた環境や機会に感謝します。
そして、まだ差別や偏見、貧困などで苦しんでいる
恵まれてない人々のために何かできることがあったら実践していきたいですね。
  

Posted by 青い鳥 at 19:02Comments(0)

2017年12月02日

本ーケータイ犯罪からわが子を守る

本ーケータイ犯罪からわが子を守る
電車の中の光景が数年前から大人から中高生までスマホを初め
携帯電話を覗く人々に埋め尽くされるようになりました。
日に日に増え続けているスマホ利用者、携帯電話が普及する中で
一人1台の時代になりつづあります。
そして、今は子供までが色々な理由でスマホの世界に入り込んでいます。

最初、仕事で必要して使っていた携帯が今は大人から子供まで
連絡手段として欠かせないものとして使う世の中になりました。

それで、確実に連絡を取るためには連絡先に固定電話より

携帯番号を書いてくれることを好むようになりました。


和田秀樹さんが書いた本”ケータイ犯罪からわが子を守る”を読みました。
子どもにスマホを持たせないように決心して実践している
親たちへの励ましから子供にスマホを持たせる前の親への
注意事項や情報を載せています。

ケータイという新しツールを持つことは
新たなコミュニケーションの可能性が開かれると言います。
メールはもちろん、インターネットではブログ、sns、ツイッターなどの
サービスによって様々な人とコミュニケーションを取ることができます。
それは全く知らない人々と国内だけではなく全世界の人々までも
出会えることのできる素晴らしいツールです。

しかし、その出会いには常に二つの可能性を秘めています。
良い出会いもあれば悪い出会いもあるからです。

それで、子供をケータイの負の側面から守りたければ
ケータイの負の側面とは具体的に何なのかを考え
その対策を練っておく必要があると助言しています。
大人さえ様々な手法で騙されるネットの世界です。
まして、まだ判断力が未熟で純粋な子どもたちは知らぬ間に
いじめやいろんな犯罪の負の世界のカッコの餌食になる可能性があります。

また、スマホを手にして利用を続ける中でスマホに蓄積されていく
個人情報の保護にも気を配らなければなりません。
スマホをなくした時にあり得る色々な負の側面は思うだけで
気が沈みます。
ケータイを紛失している間に登録してあった個人情報が売られる恐れ、
拾ったケータイで有料サイトを閲覧したり、インターネットショッピングに
利用されたり最悪の場合は犯罪に利用されるかもしれません。
ケータイを紛失したらすぐに電話会社に連絡をして
利用停止しなければならないと著者は忠告しています。

本を読みながらスマホを利用している中高生のメールのルールを
知り驚きました。
相手の状況が見えない分、常に気をつけなければならない電話より
いつでも相手が自分の都合に合わせて読めるようにとメールを使います。

しかし、中高生のメールのルールは5分以内に返信しなければならない
”即レス”というルールがあると本には書かれています。
メールしたら相手も即レスしないといけないと思ってしまい
単に相手に反応するだけのメールを返すやり取りが永遠に続くようです。
どちらが打ち切らなければ延々と続く彼らの世界で
”長文のメールはうざい”と思われ、短い文字を打って
絵文字をつけて返信するようになるそうです。
それが結局深く考えずにただただだ反応するだけの
レスポンス人間を作っていくのではないかと著者は心配しています。

実際に単語程度しか文字を書かず表現を絵文字に頼ってしまえば
普段の生活の中でも自分の感情や思いを言葉で表現できなくなる
可能性も出てきます。

そして、いちばん大事な問題はケータイで確実に奪われるものは
時間だと言います。
ケータイでメールをする、ゲームをする、ネットサーフィンすること
そこの没頭することによって勉強やスポーツをする時間が奪われていきます。
韓国ではゲームに嵌り健康まで損ない、死に至る若者が出ました。

必要だと思って子どもに与えたスマホがどれほどの危険性を
含んでいるのか怖くなります。
しかし、現実はそのスマホから自由になれないように進んでいきます。
避けられないなら賢く使うように前もって対策を考えて
行動しなければなりません。

どうか、神様、愛する子どもたちを見守ってください!!!
  

Posted by 青い鳥 at 20:16Comments(0)

2017年11月15日

絵本から始まる英語学習法

絵本から始まる英語学習法
なぜか、不眠の日が続いています。
睡眠不足か数日前から急に寒くなった気温のせいか、風邪気味です。
頭が痛く鼻水まで出ています。
そんな状態で勉強会に出かけたのですが、風が強く暖房のないお寺の中に
1時間以上座っていたので膝が寒く早めに帰ってきました。

夕食を済ませ、やっと読み終えた本を図書館に返す前に
自分の感想を記録に残したくて文を書いています。

中学校に入り、始めて接した英語はとても新鮮な経験でした。
ローマ字を覚え、辞書を片手に英語で書かれた文章を訳しながら
物語を読む楽しさも覚えました。
しかし、英語で書かれた恋愛小説を読む目標にはまだ到達していません。

生活の中で実際に英語を使う必要は殆どなく
出世や進級のために英語の点数を挙げる必要もありません。
時々、英語の必要性を感じるのは、あまりにもひどい字幕が嫌で
英語を英語のままで理解できたらいいなと思う時だけです。

ピアノが上手になる本や英語学習法に関する本を数多く読みました。
そんな本を読むより実際にピアノを練習しなさいと妹は言います。
水泳がうまくなるために本をいくら読んでも水の中で
練習をしなければ泳げるようにはなりません。
いくら英語がうまくなる学習法を読んでもそれを実践しなければ
英語はうまくなりません。

英語ができるようにするために莫大なお金を使っている国が韓国や日本です。
しかし、英語とはあまりにも離れた言語が韓国語や日本語です。
外国との貿易が盛んではなかく自給自足で生活していた昔は
それほど外国語を学ぶ必要はありませんでした。
一部の学者や通訳のための人々が学ぶだけでよかったのです。

また、幸いにも韓国や日本は自分の独自の文字や言葉を持っているので
英語など外国語の助けがなくても十分に文化生活ができ、
思想を広げることができました。

けれども、交通手段の発達と24時間インターネットで繋がれた世界で生きる現代は
英語という言葉ができる人とできない人は得る情報量から機会まで
極端的に変わります。
選択の幅と情報の量の格差も驚くほど広がります。

そんな情報の格差などによる影響など肌で感じることの出来ないわたしが
英語の必要性を切実に感じるときがあります。
それは、パソコンを使うとき急に出てくる
英語のエラーメッセージの内容を知りたいときです。

そして、いまだに英語への憧れや未練を払いきれずにいます。
そんな私が見つけた数日前に見つけた本が絵本から始まる英語学習法でした。
日本図書館協会で出版した”図書館多読への招待”です。
辞書や文法を忘れてただひたすら英語の絵本を読む方法です。

辞書は引かない、
わからないところは飛ばす、
自分に会わないと思ったらやめて次の本に移るの3原則が面白いです。
今までの英語学習とはまったく反対の学習法は本当に効果があるかな
疑問がわきますが実際の成功事例が沢山載っていました。

この学習法はレベルによって沢山の面白い絵本や本が必要です。
それだから個人よりは図書館で取り込んでいくのが効果があるでしょう。
今も、英語ができる子供に育てるために励んでいる親がいます。
大人になっても様々な必要で英会話教室に通ったり
留学する人が相変わらず増えています。
英語を習得するために費やした努力、時間やお金は莫大でしょう。
そして、それは効果があるでしょうか?

電車の中で必死に英語の単語を覚えている学生を見かけます。
勉強のためにひたすら英語を覚える姿はいじらしいのですが
自分の好きな絵本や本を楽しんで読み続けていく間に
いつの間にか英語が上達できたらどれほど幸せでしょう。

苦痛を感じながらも必要に迫られ英語を学ぶよりは
好きな本を読みながら英語までうまくなるなら
これほどいい学習法はないと思います。

楽にうまくなる秘訣を常に捜し求めているので
早々と試してみようと思っています。
さて、面白い英語の絵本はどこの図書館にあるだろうか?  

Posted by 青い鳥 at 20:17Comments(0)

2017年11月14日

本ー発信力の育て方


本ー発信力の育て方
なかなか自分の主張を発表する場も環境も与えられなかった時代から見れば
今、私たちが生きている世界はある意味、天国のようです。
ネットさえ繋がっていればパソコン,スマホや携帯端末などを使って
いつでも自由に自分の意見や主張などを発信することができるからです。

普段行かない図書館の書架のヤングアダルトコーナーで
14歳の世渡り術シリーズの1冊を借りてきました。
”発信力の育て方”です。
副題はジャーナリストが教える伝えるレッスンです。
ジャーナリストの外岡秀俊さんが書いた本です。

本を読みながら彼が語る様々な主張に大いに共感しました。
”検索エンジンがどれほど優れていてもないものを引き出すことは
できない。仮想空間にある情報から取り出すしかない”という
著者の話はまさにそのとおりだと思いました。

事件、事故を始め色々な事について知りたい時
今はすぐスマホで検索します。
ドラマ”過保護のかほこ”にも何か疑問を持ったら
女主人公のかほこがすぐにノートパソコンを開いて
検索サイトで検索するのを見ました。

利用する側は何気なく使っているのですが、すぐに、また無料で手に入る
ネット上の莫大な情報は誰かが苦労してアップロードしたから利用できるのです。
パソコンが使え、ネットが使え、またその情報を知らせたいと思い、
時間をかけた誰かの労苦があるのです。
しかし、その情報はネット上に載せてない全体から見れば
あまりにも少ない情報かもしれません。

ネットに載っている情報は単純に自分の知識を広めたい、
誰かの役に立ちたい純粋な目的から何かの意図や目的を持った人まで
様々な人の作業の結果です。
しかし、その内容の信憑性について誰かの検証もありません。
その中には信頼できる内容もあればまったくの偽りまであります。
思惑があってわざと流すデマもあれば間違って流す内容まで本当に様々です。
それだからこそ、必ず確認作業が必要になります。

それで特にジャーナリストになる人はネットの検索で安住するよりは
常に現場に出かけ自分の目で確認したり直接人々の話を聞くことが大事だと
著者はいいます。

大いにうなづきながら読みました。
そして、ジャーナリストという職業の役割に就いて語った著者の言葉が
本当に心に響きました。
情報を発信しない、発信できない人々に代わってその人々が言いたいことを
伝えることがジャーナリストの役目だと著者は主張しています。

ネット上にある莫大な主張や情報の裏に隠れて見えない
もっと沢山の情報弱者がいることを思いました。
パソコンが使えない年寄りを始め、閉鎖された政治や宗教の下で
助けを求める方法も力も持ってない、自分の声を出すこともできない
国の人々に代わり彼らの声を届けることができれば
どれほどすばらしいことになるでしょうか。

一人のネット利用者として彼らに対する借りを感じているこのごろです。  

Posted by 青い鳥 at 20:03Comments(0)

2017年10月31日

本ーセンス・オフ・ワンダ

本ーセンス・オフ・ワンダ
説教の原稿がまったく進まないまま時間だけが過ぎています。
20冊も借りてきた本の返却日も近づき、貸し出しの延長をしたのですが
延長できない数冊の本はまだ読み終えてないけれど返さなければなりません。

時々ふっと説教を書かなければとの思いが頭をよぎるのですが
なぜか全然思いが定まらないのです。
説教への負担が重くのしかがり精神的にも追い込まれているので
ついついインターネットやテレビドラマを見て現実から逃げています。

返却日が近づき返す本を整理しながら一気に読んだ1冊の本があります。
レイチぇルーカーソンの作品”センス・オブ・ワンダ”です。
数年前までレイチぇルーカーソンという人の事はまったく知りませんでした。

聖書の学びにいって初めて彼女が書いた”沈黙の春”という本のことを知りました。
早速、図書館で借りてきて読みました。
環境問題をいち早く世界に知らせた一人の海洋生物学者の著書は
とても情緒豊かで生き生きしていました。
最初の所を読み進めていく中、沈黙の春を迎えた自然界の様子が目に浮かび
ぞっとした思いがあります。
しかし、数百ページに上る”沈黙の春”は途中で止まったまま
いまだに読み終えていません。

今回、電車の時間を気にしながら読んだ”センス・オブ・ワンダ”という本は
63ページの薄く、美しい自然の写真もあり読みやすかったのです。
著者であるレイチぇルーカーソンと甥ロジャが過ごした海辺の別荘で
出会った自然との出会いを描いています。

夜空の空を眺めたり、嵐の夜に海辺に出かけ吹き荒れる波の音を聞いたり
山の植物を鑑賞したり、季節の中で虫たちが奏でる音楽を聴いたり
虫眼鏡で広がる小さい世界の住民たちを観察したり、
自然の中で味わうにおいに関する話などとても心を打たれました。

私たちが生きる毎日はすべて驚きの連続です。
しかし、いつでも見られることで私たちは何の感動もなく過ごしています。
それを悲しみ、失ってしまった自然への感動する気持ちを
取り戻してほしいと願って書いたような本でした。

年をとり殆ど自然に対する畏敬や感受性を無くしてしまった大人へ
またまだその世界を知らない子供たちへ
自分が甥と過ごした自然とのかかわりを通して
もう一度すばらしい世界を感じることができるようになることを
望んでいる著者の気持ちが伝わってきます。

花や虫、鳥の名前などを知識として頭の中に入れ込むのではなく
自然の中の美しいものを見て美しいと感じ、新しいものや未知なものに
触れたときの感激、思いやり、憐れみ、驚嘆や愛情などの様々な感情が
いつの間にかその対象となるものについてよく知りたいと思うようになるという
著者の主張に大いに賛成できます。

しかし、いつでも見られるということでついつい日々の中の
きれいな風景や景色、自然の変わり行くさまを疎かにしている
人間の佐賀に悲しみを覚えます。

見ようと思えば毎晩見ることができるために
おそらく一度も見ることのない岬で仰いで見た夜空の話には
私も心からうなづきました。

数日前のことです。
用事があり電車に乗って出かけました。
県境を越えた電車の中で隣に座っていた女子高生の一人が
驚いた声で”美しい”と叫びました。
思わず読んでいた本から目を上げ向かい側の窓を見ました。
そこには赤々と染まっているたそがれが空一面に広がっていました。

体を動かしながら乗客の隙間から見えるその美しい色彩の空に見とれていました。
しかし、その電車の中の殆どの人は何の反応もなく
スマホヤ携帯端末を覗いているだけでした。

夕方になるといつでも現れる何度も見かけた空模様に
誰も関心を向ける事はなくただ女子高生といつまでも成熟しない
大人になりきってない私の二人の観客がいるだけでした。


朝早く太陽が昇る前に見える露の輝き、草花についている水玉
黄昏に染まった空、宝石のように光る海の輝き
空に広がる白い雪のような雲の絨毯
雪の結晶の幻想的な美しさ、、、、
神様が創った数え切れない創造の世界は
人間が作ったどんな高価な宝石よりも美しいのです。

しかし、私たちはいつでも見られる、何回も見た、忙しいなど
いろいろな理由をつけて日々の生活の中で出会う
すばらしい瞬間を見逃しています。

けれども、小さいうちからそんな自然に親しんできた人や
また年をとっていてもその感受性や好奇心を失わずに生きている
人はどれほど豊かな人生を送ることができるでしょう。

私たちが見て、感じたすべては記憶の中に消えることなく
思い出として蓄積されていきます。
そして、時を経てある日、ある場所で鮮明に蘇る瞬間
私たちは忘れていた時間と場所、それをともにした人に
ふただび会うことができるのです。

”センス・オフ・ワンダ”はとてもすばらしい本です。
機会があったらぜひ、一読を!


  

Posted by 青い鳥 at 22:46Comments(0)

2017年10月18日

本ーあなたがピアノを続けるべき11の理由

本ーあなたがピアノを続けるべき11の理由
神学校に入学してから本格的に学んだことの一つがピアノです。
教会の賛美歌の伴奏者を育てるためのレッスンでした。
レッスンを受けるために申し込みに行ったのですが
いろいろな理由をつけてなかなか承諾の返事が降りませんでした。
しかし、熱意を持って頼み、やっとレッスンを受けることができました。

毎週月曜日にレッスンを受け、次のレッスンのときは緊張した気持ちで
ピアノの前に座ったものです。
教室と2箇所の礼拝堂や食堂に合計4台のピアノがありました。
けれども、レッスンが近づくと同級生たちとピアノを奪い合う事もありました。
未来の伴奏者を育てることに情熱を注いでいたピアノ教師の指導は厳しく
熱心に練習したのに先生の前には何故か緊張して思った通りの
演奏ができないもどかしさも味わいました。

実際に実力を試すために朝の礼拝の伴奏が決まったときは
前日まで必死になって練習しました。
しかし、本場に弱く、いつも伴奏は途中で止まったりしました。
その度、落ち込みました。
今でも思い出すと情けないです。

あんなに練習してたピアノも、神学校の卒業と共に一緒に卒業しました。
神学校の先輩の教会に行く事になり、ピアノ伴奏のために
もう一度レッスンを受ける話になりましたがそれもうまく行かず
今はたまにキーボードで好きな曲をひいています。

一生懸命に覚えたコードもほとんど思い出せません。
あ、、、、あの日々の努力はどこに?

一日が終わり横になりその1日を反省するたび、
ピアノの練習をしてないことがいつも気になります。
そんな日々の中、図書館の書架でこの本を見つけました。
”あなたがピアノを続けるべき11の理由”です。

ピアニスト、落語家、哲学者や数学教師など様々な分野で活躍している
人々が職業としてまた趣味として弾いているピアノとの出会いや
それにまつわる思いを語ったのがこの本です。

言葉が通じない外国でもピアノを通して人々とつながる、
ピアノを触れることで広がる人生の豊かさ、
自分の心の奥の感情を発散できることなど
各自が感じたピアノを続けて得た自分なりの感想が励ましになります。

最初なかなか弾けなかった曲がいつの間にか
滑らかに弾けるようになった時の喜びは感じた人しかわかりません。
ある人は好きな曲をピアノで弾きたくてピアノを続けているのかもしれません。
心の安らぎを得るためにピアノに向かう人がいるかもしれません。

ピアノを続ける理由はそれぞれ違うけれど
一度出会った音楽、その中でもピアノを続けることで
素晴らしい世界を体験できると経験者たちは語っているのです。

さあ、私も踏ん張って接続の悪いキーボードをまた取り出して
ピアノの練習に励んでみよう!!!
しかし、ピアノに託した私の夢はいつ開くのだろう!!!
  

Posted by 青い鳥 at 20:23Comments(0)

2017年10月16日

なりすましの被害

なりすましの被害
久しぶりにパソコンを立ち上げてネットに接続しました。
スマホを使ってからはますますパソコンから離れるようになって来ました。
電源を入れてから好きなサイトにたどり着くまでの手順が
ぐんと減るのでついついスマホで済ませているからです。

スマホで一番よく利用するのはユーチューブです。
しかし、ほとんど画面は見ないで音だけ聞いています。
小さい画面から動画を見たり文字をずっと読んでいくのは目がつかれからです。
今でもメールを確認したり、調べたいことを検索して読むのは
ノートパソコンです。

パソコンを使ってからの癖でまずめーるを確認しました。
最近はメールを使っている人も減っていき個人的なメールは一通もなく
味気ない案内メールが幾つか届いていました。
その中の一通がメールサイトからのものでした。
送られた内容を読んで大変な事になっているのを知りました。

誰かが私のIDとパスワードを使って迷惑な行為をしたので
早くパスワードを変更するようにとの警告でした。
慌てて自分が会員登録していたサイトを一つ一つ確認しました。

一箇所では私になりすました誰かが私のIDで
カジノサイトの宣伝リンクを貼っていました。
もう一つのサイトではアクセス自体ができないようになっていました。
あまりにも迷惑な行為が続いたのか運営者が活動停止にしたのです。

インタネットを利用する中で必要に応じて様々なサイトに会員登録しました。
その度、IDやパスワードを作りました。
どれほど会員登録したでしょう?
その殆どのサイトを今はあまり利用していません。
会員登録したことさえ忘れてしまったところも沢山あります。

もっと大変なことはたまにアクセスする時、IDやパスワードなどを
きれいに忘れログインできないことです。
サイトによるとパスワードの作り方さえ色々うるさく
頭を悩ませながら作ったパスワードが全く思い出せないんです。

それでついついパスワードを使いまわしたり、
定期的にパスワードを変更するようにとの警告を無視したのが
こんな状態を招いたようです。

今回のなりすましの事件で思い出したことがあります。
フェイスブックを始めたときです。
私の名前でフェイスブックを使うよう誘うメールや知らせが
私のメール友に送られたことを知って時ゾッとしました。
私の知らないところで私の名前で行われることが不気味でした。

普段親しくしていた人から送られたメールやメッセージ、コメントが
なりすましのものだと見抜くことはなかなかできないと思います。
今も誰かが私になりすましてどのような悪業をしているでしょうか。
それを想像するだけでも気が沈みます。
どうか、神様のみまもりを祈っているだけです。

  

Posted by 青い鳥 at 19:37Comments(0)

2017年09月29日

やさしさに触れる瞬間

やさしさに触れる瞬間
追悼礼拝が終わり帰り道の時のことです。
午後にも予定が入っていたので急いで教会を後にしました。
駅でトイレに行くつもりでしたが電車の出発時間が迫り
やっと乗り換えの駅に着いたので急いでトイレに駆け込みました。

しかし、トイレにはすでに大勢の人々が列を作っていました。
数年前にトイレをきれいに改装しました。
おかげで設備はきれいになりましたがトイレの数が減り
いつも人々の列が出来ています。

10人近くの人々が順番を待つ中一番後ろに立ちました。
待つ人が7人ぐらいに減り順番を待っていた時です。

一番前は高校生のように見える女の子でした。
その後ろには30代前半に見えるお母さんと4,5歳ぐらいの男の子でした。
少ないトイレの中で親子が一緒に入れるところが空きました。
すると自分の順番になっていた女の子が後ろの親子に順番を譲ったのです。

ありがとうと何度も挨拶をして親子はトイレの中に入っていきました。
一番後ろでその様子を見ていた私は思わず笑みを浮かべました。
その思いやりとやさしさに私の心が温かくなりました。

自分がその親切の対象になってなくても、ただその瞬間を見ているだけでも
幸せな気持ちになるのですね。
ちょっとした思いやりの言葉と行動で、とてもうれしい気分になる時があります。
やさしさに触れる瞬間、人々は生きることへの意欲さえ湧き上がったりします。

学校でひどいいじめに会い自殺をしようと思っていた高校生がいました。
休みに入る学期の最終日、つらかった日々に終わりをつげるつもりで
彼はその日、自殺を決心しました。
ロッカーに入っていた自分の用品を取り出して廊下を曲がるとき、
彼は手に持っていた物を床に落としてしまいました。
その時、通りかかった一人の学生が、床にばらばらに落ちたものを
一緒に拾ってあげながら彼に声をかけたのです。

それから二人の会話は進み、二人は仲良しになり
彼は新しい出発をすることになったのです。
一人の命を助けることになったのは小さな親切でした。

トイレの中で順番を譲ることはそこまでの大袈裟な話には発展しないかもしれません。
しかし、そのような小さな親切や思いやりがその社会を幸せなところに変えると思います。

思いやりのない社会、人に無関心な社会はどれほど住みにくい世界でしょう。
そこで暮らす人々は心に余裕のない日々を過ごすことになります。
小さな親切、それを見ただけでも幸せな一日でした。
  

Posted by 青い鳥 at 21:12Comments(0)

2017年09月26日

追悼礼拝

追悼礼拝
毎週日曜日、電車を乗り換えて1時間以上かかる教会に行きます。
教会の牧師が神学校の先輩で少しでも力になりたいだめです。
9月の最後の日曜日には天国礼拝として死者への追悼礼拝が行われました。
亡くなった家族や友人を偲ぶ礼拝です。

家族が持ってきた6人の写真が講壇の前のテーブルに置かれました。
映し出されている人々はみんなとても幸せそうな笑顔です。
写真の中の人々は時が止まったまま残された人々を眺めています。
しかし、残念ながらその素敵な笑顔にまた会うことはできません。

狭い礼拝室に19人もの人々が集まり礼拝を捧げました。
信者さん以外の関係者は全部未信者です。
教会に始めてきた人もいました。

説教の内容は先に天国に行った人々との再会への希望に関するものでした。

礼拝が終わってから信者一人一品として持ってきた食べ物を囲んで
軽い食事を取りました。
子どもたちのためのお菓子や飲み物をはじめ、海苔巻き、唐揚げ、デザート、
ナシやブドウなどの果物までありました。

食事が一段落してからは紅茶を飲みながら参加者全員が自己紹介を兼ねて
亡くなった方との思い出話をしました。
故人の家族の中に高校3年生になる男の子もいました。
愛するお母さんを2年生の時、胃癌で亡くしています。

日々、私たちはだれかとの別れを経験しています。
毎朝、学校や職場に出かける時の家族との別れ、
一日の仕事が終わり職場での同僚や上司、部下との別れ、
学校の帰りの友達との別れ、
寝る前の自分との別れ、
そのすべての別れには常に明日への見えない不安が
潜んでいることを私たちは忘れています。
”また、明日”といつものように別れたのに二度と会えなかった
人々もいるのです。

中には長い病院生活で心の中で別れを準備できた人もいるでしょう。
しかし、たいていの死は予告なしに訪れるものです。

愛する人の死をまだ認められず今でもなかなか受け入れられない人もいました。
牧師は、どきどき耳元で親友の声を聴いたりしていると言いました。
中には耐えられなかった寂しさが時の流れとともに徐々に癒された人もいました。

命をもってこの世に生まれた者はいつかこの世を去る時が来ます。
そして、その別れにはいつも残された人々の悲しみが伴います。
二度と彼らに会えない寂しさが、残された人々を苦しめるのです。
声を聴くことも、笑顔を見ることも、話をすることもできない日々の中で
徐々にその別れを受け入れるように努めるのですが、容易いなことではありません。

この世の命は長くて100年です。
その人生の中で、私たちは誰かと出会い関係を結び、また別れたりします。
親子、恋人、夫婦あるいは親友などといった関係で
幸せな時間を共にした人との別れはいくつになっても悲しいものです。

しかし、イエス様を信じ天国への望みを持っているクリスチャンには
この世の別れはただ悲しみだけで終わるものではありません。
死も涙も病気や苦しみ、別れさえない喜びだけの永遠の国、
天国での再会が待っているからです。
この世では二度と会うことのできなかった
先に召された愛する人々とともに、永遠に生きることができるのです。
喜びの再会が私たちを待っているのです。

イエス様は、私たち一人一人を天国への道へと招かれています。
肉体の死の後で行く天国、しかし、イエス様を信じた瞬間から
私たちはもうイエス様の国、天国で生きることが許されるのです。
どうか、イエス様の愛を受け入れその招待に応える私たちでありますように。
  

Posted by 青い鳥 at 14:24Comments(0)