2018年08月13日

映画ーラサへの歩き方〜祈りの歩き方2400km


映画ーラサへの歩き方〜祈りの歩き方2400km
暑い中、出かけるべきか家でのんびりするべきか迷った挙句
出かけることにしました。
図書館で見つけたチラシを見て映画を見に行ったのです。

今は映画はほとんどテレビ画面かパソコンで済ましています。
大型スクリーンの大音響で聞くと本当に迫力あるのですが
なかなか一人で行く勇気はありませんので
小さい画面で我慢しています。

しかし、チラシの中身にも興味があり知らないところで
上映するので冒険も兼ねで出かけました。

狭い国で生まれ海外旅行をする機会がほとんどなかったので
アジアにある国の中でも国名は知っていても行ったこともなく
その国について知っていることもあまりありません。

チベットという国についてもエベレストという
山の名前ぐらいしか思い浮かばない状態です。
そんなチベットを舞台にした映画を見ました。

チャン・ヤンという中国人映画監督がドキュメンタリー風に
撮影した”ラサへの歩き方〜祈りの歩き方2400km”です。
脚本も具体的に用意されず監督の頭の中の大まかな構想に沿って
素人の役者でもないチベットのカム地方マルカム県プラ村人
11人が出演しています。

キリスト教やイスラム教の人々が聖地巡礼を望み
お金や時間を費やして聖地に向かうように
チベットの人々もラサという聖地に巡礼するのを
夢見ているようです。

幸いにも聖地巡礼をすることができた人もいれば
その夢を果たせずにこの世を去る人々もいます。

今はイスラエルの治安や様々な状況が悪くなり
イエス様の故郷イスラエルに行く人々が
減っているようですが(?)
聖書を読み、もっと聖書の世界を知りたくて
いつかイスラエルに行ってみたいと私も望んでいます。

しかし、同じ聖地巡礼と言ってもこのチベットの人々が
行う聖地巡礼の儀式には驚きました。
“五体投地ごたいとうち”という聞きなれてない言葉を初めて知りました。
五体投地とは、両手・両膝・額(五体)を地面に投げ伏して祈る、
仏教でもっとも丁寧な礼拝の方法だそうです。

自分の住んでいる村からまずラサへそれからカイラス山までの
2,400㎞の距離を11人の村びとが五体投地という儀式で
進んでいく様子が映画には描かれています。

雨が降り川のようになった道上、石が転げ落ちたり、
交通事故にあったりと色々な事が起こります。
そして、ゆっくり進んでいく巡礼の様子が
変わっていく周りの風景と季節感を伴った景色を
カメラが捕らえて画面に美しく照らしています。

貧しい村の人々がほぼ1年かけて歩いたという
チベット聖地巡礼の旅は私には苦行としか見えませんでした。
そして、そこまでして彼らが祈る祈りは何か知りたくなりました。
しかし、映画を見てからこの映画について検索して、
五体投地のルールを見てもっと驚きました。
彼らの祈りは他者のために祈ることだったんです。

生きている中で私たちは様々な問題や選択の瞬間を迎えます。
そして、どうしても自分の手に負えないときクリスチャンは
ほかの人々にお祈りを頼みます。
また、クリスチャンたちは挨拶のように祈ってますと言います。
しかし、真剣に他人のためにどれほど祈っているでしょうか。

日本に比べれば映画の中のチベットの人々はとても質素に見えました。
しかし、そんな彼らが生きているだけでも
大事な時間とお金を費やして目指した巡礼の旅が
自分たちのためではなく他者のための祈りであるという
ことだと知り本当に感動しました。

今も世界のいろいろな国や地域では自分の信仰のために
時には苦行にも見える儀式をよろこびをもってしています。
それは人間の心には神様を求める信仰心があるからです。

他人の幸せを祈りながら進む聖地巡礼、
どうか、彼らのその祈りと信仰が届きますように。

しかし、もっと切に思うことはこの世を造り
私たちの祈りを聞いてくださる本当の神様に
彼らが出会うことができますように心から祈ります。  

Posted by 青い鳥 at 18:57Comments(0)

2018年08月09日

ちいさなプリンセス ソフィア

ちいさなプリンセス ソフィア
毎日のように30度が超える暑い天気が続いています。
日照りのなかを少し歩くだけでも体がだるくなります。
朝、洗濯物を干すだけで肌に感じる太陽の熱気が
火のそばにいるような気がします。

野菜がまた高くなり買い物に出かけるたびに憂鬱になります。
夏の猛暑、作物の凶作、地震と自然災害、
聖書が警告している終わりの時代への前兆はもうすでに
始まっているのかもしれません。

世の中はもっともっと自己中心的な人々が増えていき、
愛が冷め、食料や水問題で戦争が起こり記録を更新する
自然災害や想像もできない病気がニュースで報道され
地球の人々を震え上がらせる時代になっていくでしょう。
2千年の前にイエス様が予言した時代を
まさに今の私たちが生きているようです。

毎日起きて一日を始めるたび今日一日を生きることに感謝しています。
食べるものがまだあることを、元気な体で生活できていることを
感謝しています。
当たり前のように過ごす日々がどれほど感謝すべきことかを
人々は知っているでしょうか?

世の中がますます悪くなっていても
どんな環境でも感謝できる私であるよう祈っています。


最近”Dlife”で放送しているデズニーアニメ
”ちいさなプリンセス ソフィア”楽しんでいます。
宣伝がうっとうしくてNHK以外はほとんど見てないのですが
偶然見だしてから毎回録画して宣伝を早送りしながら見ています。

どうやって村の平凡な女の子がプリンセスになったのか知らなかったのですが
王様とお母さんの再婚でプリンセスになったことをウキペディアで知りました。
立派なプリンセスになるためにいつも熱心に取り組んでいる姿がかわいいです。
優しくて明るく前向きに生きている主人公のソフィアの姿に感心しています。

ここ数年、デズニーで作られる映画やアニメを見た後味が
あまりにもよくなくて精神的にも悪影響があるようでほとんどみていません。
しかし、久しぶりに幼児向けのアニメを楽しんでいます。

主人公”ソフィア”の性格はいくら羨ましがっても私にはまねできません。
生まれつき極端なほど内気で憂鬱な気質で自己中心的な性格なので、、、
テレビドラマやアニメの主人公たちの人柄を見て
愛される人は訳があることを知っています。
自分はまねできないので代理満足で自分を慰めています。

この頃、朝や夕方少しは涼しくなっているようです。
秋はもうすぐ近くまで来ているのかもしれません。
今年の夏を無事に乗り越えられたことに感謝しています。
来年はもっと暑い夏が来るのでしょうか?
それでも感謝を忘れず前向きに生きられる私でありますように。



  

Posted by 青い鳥 at 17:43Comments(0)

2018年07月26日

祝福された人

祝福された人
毎日セミの鳴き声が耳をつんざくようにうるさい季節になりました。
梅雨が明けてもセミの声がなく心配していた人が言いました。
”もしかして、あまりにも熱く地熱でみんな蒸されてしまったのかな”
あまりにも真剣な顔で言ったのでみんな大笑いました。
幸い、セミたちは無事で自分たちの役目を果たしています。

連日30度を超える暑い日が続いています。
熱中症で死者が続出しています。
40代の男性の死のニュースを聞き、残された家族がいるなら
どれほど悲しんでいるか心が痛くなりました。

年々夏の暑さが厳しくなっています。
それでなくても年を取っていく体は日に日に弱っていくのに
地球を取り巻く環境が悪くなると
生きていくのがますます大変になるでしょう。

猛暑の夏を過ごす中で健康の問題から地球の温暖化まで
身近な問題から話は大きく広がっています。
この夏はあとどれほどの辛抱が必要なんだろう!!!

今月思ってもなかった出費があり憂鬱な気持ちになっていた時
一通のメールを受け取りました。
知り合いから”祝福された人”という記事が送られてきました。
行を追って読んでいく中で自分はどれほど祝福された人かを悟り
ふさぎこんでいた気が晴れ感謝しました。

韓国語を日本語に訳しました。
お読みください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『祝福された人

冷蔵庫に食べ物があり、
着る服があり、
天井に屋根があり、
寝る場所があれば
あなたは地球上の人口の75%の
人々より裕福されたものです。

銀行や財布にお金があり、
家のどこかに小銭があれば
あなたはこの世界で
8%の富裕層に属します。

今朝起きた時
痛いところがなければ、
今週を過ごすことができず
死を迎える無数の人々に比べて
あなたは祝福されたものです。

戦争の危険や、
投獄の孤独や、
拷問の苦痛や、
空腹の憂き目を
経験していなかったら
あなたはこの世界の5億の
人々より祝福されたものです。

逮捕、脅迫、虐待、拷問、
または死の恐れがなく
信仰の自由があれば
あなたはこの世界の30億の
人々より祝福されたものです。

心から感謝することを知っていれば
あなたは祝福されたものです。
なぜならほとんどは感謝しないからです。

あなたがこの記事を読むことができることは、
2倍の祝福です。

第一は、
この記事を見ることのできなかった人に
比べられない祝福であり。

第二は、
この世界の20億を超える文盲より
より祝福を受けたからです。

あなたが受け取った
祝福を数えてください。

私たちがどれほど多くの祝福を受けているかを...
本当に感謝することが多いですね。

今日もよろしく伝えることができて感謝し、幸せです、
いつも元気で笑顔と幸せが
豊かに溢れますように。』
  

Posted by 青い鳥 at 21:00Comments(0)

2018年06月25日

本ー大人の少女マンガ手帳

本ー大人の少女マンガ手帳
最近、全5巻の漫画”ガラスの城”をやっと読み終えました。
ほぼ1年前に図書館の本棚にあった漫画を4冊まで読みました。
しかし、最後の5巻がなかなか戻って来ませんでした。
図書館に行くたびその5巻を探しに漫画コーナを確認して廻りました。

1年以上待ってから本棚にあるのを見つけてついに結末を知ることが出来ました。
日本語を学ぶ切っ掛けになったのが少女漫画でした。
かわいい絵で書かれて少女漫画の内容を知りたい一心で苦にならなかった日本語の勉強です。
しかし、時は流れ日本語に不自由しなくなった今は視力のせいで
思う存分漫画を楽しめない現実が悲しいのです。

胸をときめかして借りてきた漫画でしたが、小文字で書かれている漫画を読むのに苦労しました。
内容を必死に追いながら我慢できずついには虫眼鏡の力を借りる始末です。

ガラスの城を読んでから他の漫画も気になり図書館のホームページから
検索してこの本を借りました。
”あの頃、私達をときめかせた300冊以上の漫画を徹底ガイド”と本の表紙には書かれています。
”ベルサイユのばら”のオスカルの絵が表紙を飾っています。

本の中に紹介されている300冊の漫画のリストを虫眼鏡で一々読んでいきました。
なかにはベルサイユのばら、生徒諸君、王家の紋章、ポーの一族、キャンディ キャンディ、
ガラスの城、砂の城などすでに全巻を読んだ漫画もありました。

漫画の主題は歴史上の人物を扱ったものから運動、音楽、踊りなど様々です。
こんなにも数多い漫画で現れている漫画家の想像力に脱帽します。
数十ページで終わる内容から未だに続いている漫画まであります。
”ガラスの仮面”をずっと読んでいた妹はまだ終わってないとつぶやいていました。
一つの作品を何十年も続けてかける内容があるとは驚きです。

一つ、一つ思い出深い漫画の絵や内容を吟味しているうちに
この漫画を楽しみにしていたときの思い出が浮かんできました。
テレビの子供番組で”キャンティ、キャンティ”が放送されていたときは
放送時間帯に間に合うために家まで必死に走っていきました。
ベルサイユのばらの人物の絵で出来たブロマイド写真を買って大事に持っていたし、
”砂の城”の悲しい女主人公の愛に心が痛かったのです。
漫画の絵を真似て書いたり着せ替え人形を書いて色々な服を書いて着せたりもしました。

平凡ではない人生を生きているうちに忘れていた様々な思い出を
この本を読みながら少しずつ思い出しています。
純粋で無邪気で人生が単純だったあの時代、貧しくても愛する家族が
みんな生きていて一緒に暮らし毎日が楽しかったんですね。

今は戻ることのできない、懐かしい瞬間を昔親しみにしていた
漫画が読み帰らせてくれました。
過ぎ去っていく日々は思い出の中ではいつも美しく変わっていくのですね!!!
  

Posted by 青い鳥 at 20:41Comments(0)

2018年06月18日

地震の朝

地震の朝
癌検診の日であり出かける用意をして本を読んでいました。
そして、午前7時58分ごろ地震が起きました。
あまりにも大きい揺れに驚いているとスマホから”地震がりました。”と声がしました。
普段ライブではほとんど見ないテレビを急いでつけました。
すべてのテレビ局で地震のニュースが流れていました。
大阪市北区で震度6弱の地震が発生したとアナウンサーは伝えていました。

日本に来てW市で住んでいた時、とても大きな地震を初めて経験しました。
部屋が揺れ、マンション全体が大きく揺れてびっくりした記憶があります。
日本人は地震、雷、親父を恐れると聞いていたけどほとんど知らなかった
地震の怖さを実感できた忘れられない思い出です。

また、保育園の近くに住んでいた時、定期的に小さい園児たちが先生の誘導で
頭に頭巾をかぶって避難訓練を受けている光景を見たことがあります。
見慣れてない光景で興味しんしんで眺めていましたが大きな地震を2回も
体験してみると絶対に必要だなど思いました。

怖い思いがしましたが炊飯器の上においていた
しゃもじが落ちただけで何も被害はありませんでした。
食事もまだだったので火をつけるのも怖いと思いましたが
少しは地震も落ち着いたようだしお腹が空いてきたので
食事を取ってから病院にでかけました。

最寄りの駅に近づくとあまりにも人の行列が多くてびっくりしました。
改札口の前を人々が並んでいて通るのも大辺で商店街まで人々で溢れていました。
引っ越ししてから数年、よく利用している駅ですがこんなにも人が多かったのは初めてです。
電車が運行を中止したので再開を待っている人々でした。

ちょうど出勤時間台で学校に行くために駅に向かっていた学生たちもたくさんいました。
みんな片手にスマホを見て時間を費やしていました。
タクシーに乗るために急いでいる人々もいました。

横断歩道の信号が変わるのを待っているとある男子高校生二人の会話が聞こえてきました。
電車を待ちきれずに歩いていく決心をしたようです。
スマホの画面を覗きながら”3キロだから1時間弱でつく”と言っていました。

癌検診が終わり、腰の痛みで訪れた整形外科のリハビリ室にも普段より職員が少なく
2人しかいませんでした。リハビリが終わり待合室に出ると12時頃になって
やっと出勤できた看護師が息を切らしながら入ってきました。

当たり前のように迎えた朝起きた大きな地震で人々は完全に調子を狂わしていました。
癌検診や、リハビリも終わり家に向かいながら日曜日の牧師の話を
思い出していました。

83歳の信者が交通事故に会い、長い間病院で治療を受けています。
いまは寝たきりになりチューブで命をつないでいる状態です。
時々、そんな彼を見舞いに行く牧師が食事の席で言いました。
”元気な時、Iさんは毎日教会に来て一緒にお茶を飲みながら楽しく過ごしていました。
その時はそれが当たり前のように思いました。
しかし、いま振り返ってみるとそんな日々が感謝だったなと思います。”

地震の朝、人々は普段と変わらないように自分の家を後にしたでしょう。
しかし、この地震でもう3人の死者が出て、負傷した人も出て
また火事や水道管の破損等色々な被害が発生しています。
直接的な被害は受けなかった人も地震に対する恐怖はこころの中に
見えない傷をつけたでしょう。

9歳の女の子がこの地震で亡くなったと聞いて心が痛かったのです。
彼女の朝はどんな朝だったでしょうか?
普段と変わらない生活の中で見送った愛する人の突然の死を考えるだけで
胸が締め付けられる気がします。

当たり前のように過ごす日々はいつまでも当たり前のように続きはしません。
それは、神様の守りと許しがあってこそ味わうことができる奇跡です。
そのまもりと許しがなければそれはもろともに崩れ落ちるものです。
そして、私達に許された時間を後悔のないように過ごし、人々に愛を持って接し、
感謝して生きるだけがわたしたちに与えられた生き方なのです。

神様、どうかこの地震で慰めが必要な人には慰めを
励ましが必要な人には励ましを
心の平安が必要な人には平安を与えてください。
当たり前のように思って過ごす日々の大切さを悟らせてください。
そんな私達でありますように。 アーメン!
  

Posted by 青い鳥 at 21:02Comments(0)

2018年06月14日

健康診断と断捨離

健康診断と断捨離
毎年欠かさず熱心にがん検査を受けたり定期検診を受けていたのですが
最近は病院に行くことが嫌であまり受けなくなりました。

体の調子が悪いとすぐ薬を進める医者のせいで薬漬けになっていた時期がありました。
毎日、食事の後に飲む薬が10数個になって飲むのも大変な日々でした。
数カ月後ますます悪くなる体の異変に気が付き重い薬袋をゴミ箱に捨ててからは
病院に行くことを止めていました。
それが今年はがん検査や定期検診を受けるために久しぶりに病院に行きました。

健康のために定期的に病院に通い検査を受け、薬を飲んでいた時、
私は冗談のように聞く質問があります。
”苦しまずに楽に死ねる方法は無いですか”
”そんなに楽に死ぬる方法はない”といつも担当の医者は笑顔で答えます。

不規則な生活や忙しい日々の中で人間関係や仕事で無理をして
過労死や急死で命を落とした人のニュースを聞いたりします。
そして、そんな死に方を”突然死”と呼んでいます。

ある日突然、愛する人を失った家族はどんな気持ちでしょうか?
死ぬ本人はもしかして楽かもしれませんがそんな別れ方は
残された人々には深い傷を残すと聞いています。
別れに対する心の準備が出来てないのである意味、大変だと本で読みました。

実際に愛する人との急な別れはとてもつらいものです。
30年近く前に私も愛する兄とそんな別れをしました。
”日本の港についたら連絡する”と電話口で話した兄の声が
最後の電話になるとは夢にも思いませんでした。
今も時々無性に兄に会いたくなるときがあります。

親しくなればなるほど、愛すれば愛するほどその別れは耐え難いものになります。
ともに過ごす思い出が多くなればなるほど心の空洞は深いものになるでしょう。
優しくされた記憶が多いければ多いほど別れを受け入れることに時間が必要です。

がん検査や定期検査を受ける気持ちになり楽に死ねるそんな死に方を考えた瞬間、
私は残された人々の気持ちを心配するよりもまずごちゃごちゃになっている
部屋の様子が気になりました。
もし私が死んだら誰かが私の部屋を片付けなければなりません。
あまりにもものが多く、整理されてない部屋を見せるのも嫌だなと思いました。
本当に、そんな事を防ぐためにも断捨離に取り込まなければなりません。

健康検査からいつの間にか断捨離の必要性を悟っています。
部屋の片付けをどのように進めるべきか????
ある意味死よりも怖い問題になっています。
  

Posted by 青い鳥 at 20:53Comments(0)

2018年06月13日

坂道の親子

坂道の親子
毎年、市役所から定期検診の知らせが届きます。
がん検査の案内状も届いたので数年ぶりに(?)検査を受けることにしました。
健康を維持するために前もって調べるのはいいのですが
ちょっとした問題があるとすぐ薬を飲むように進められ薬付けになってしまうので
案内状が届いても検査を受けなかったのです。

しかし、胃の調子などますます気になる事があり今年は検査を受けることにしました。
数日前に検査の予約をしていたので定期検査を受けるために病院にでかけました。
大通りに出る住宅街の坂道を歩いていくと前を歩いている一組の親子が見えました。
片手には子供用のリュックサックを持って片手は2歳ぐらいの男の子の手を
持ったお母さんでした。

その横を通り過ぎる私にその男の子が挨拶をしました。
”こんばんは。”
検査を受けるために朝食も抜いて9時の診察に合わせて家を出ているので
まだ8時台の時間です。
返事に困っている私に2,3回また”こんばんは”は続きました。

男の子の挨拶を聞いていたお母さんが私に向かって”すみません”と謝ってから
”お日様が出てるでしょう、お早うございますなのよ。”と教えてくれました。
舌が回らない声で”おはよおございます”で挨拶をする幼い男の子に
”おはよう”と返事をして病院に向かいました。
久しぶりに私の顔には笑顔が咲いていました。

向こうに見える山の緑が前日降った雨でホコリが消えとても爽やかな朝でした。
生きている幸せ、かわいい男の子の無邪気で親しい挨拶、
まだ元気に日々を過ごす喜び、まだまだ人生は希望と愛に満ちているような朝の出来事です。
  

Posted by 青い鳥 at 11:32Comments(0)

2018年06月10日

説教ーそれぞれの使命

説教ーそれぞれの使命
先週の土曜日、久しぶりに演劇を見に行きました。
浦島太郎伝説を下敷にし手書き上げた”竜宮小太郎”という作品です。
友人の誘いででかけました。
友人の知り合いが活動しているNPOの結成20週年の記念公演でした。

20年前、自分の子供達に演劇の楽しさを伝えるために結成されたと
NPOの代表は言っていました。
一番最初の公演の時には子どもたちや友人たちで数十人の観客だったそうです。
しかし、20週年を迎えた記念公演には数百人の人々が公演を楽しみました。

プロの人々の力を借りたとしてもアマチュアの人々がここまでできるとは、と驚きました。
公演が終わり舞台の上で挨拶する出演者たちに手が熱くなるほど拍手を送りました。
それぞれ家庭や職場で仕事をしながら練習をしたと聞きました。
小道具まで自分たちの手で作っていると友人は言いました。

一時間以上の公演を無事に仕上げるまでどれほど練習したでしょう?
一人芝居ではないのでそれぞれが自分のセリフや役目をちゃんと果たさなければなりません。
セリフと演技、音楽、踊りの振り付けまですべての要素が一つになり、一つの舞台が完成します。

そこには主人公のように出番もセリフも多い人もありますが、あまり存在感もない役柄もあります。
しかし、それぞれが自分に与えられた役目、使命をちゃんと果たしたとき
素晴らしい作品になるのです。
一人でも詩文の役目を疎かにしたり、役柄から逃げたりしたらその公演は台無しになります。

私達もそれぞれ人生という舞台の主人公です。
そして、各自に与えられた役目があります。
時には辛い選択を迫られることもありましょう。
しかし、自分に任された役目であれば、忠実にこなさなければなりません。

それでは今日の聖書箇所に移ります。
ルカの福音書22章の39節から46節までです。
”それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。
そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、
彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。
起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」”

ルカの福音書22章の39節はイエス様が弟子たちと最後の晩餐を終えたところから始まります。
この世での弟子たちとともに過ごす最後の食事をしてからイエス様はいつものように
オリーブ山に行かれました。
39節にも、40節にも使われている単語は”いつものように”です。
”いつものようにオリーブ山に行かれ、いつもの場所に着いた”と書かれています。

イエス様はカナの婚宴のときに水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。
それから十字架の上で死なれるまで数知れないほどの働きをしました。
病人たちを癒やし、死人を生き返らせ、悪霊を追い出し、飢えた人々のために食べ物を与え、
湖の上を歩き、風や荒波を沈めました。
イエス様に助けを求めるために、イエス様の教えを聞くために、
人々はいつもイエス様の周りを囲みついてきました。

ゆっくり休息を取る時間もない忙しい日々の中で一つだけ
イエス様が欠かさなかったことがあります。それは祈りでした。
聖書の所々ではイエス様が群衆や弟子たちから離れて一人で祈りを捧げたと書いています。
そんな習慣は自分が十字架にかかることを知り、愛する人々と過ごす最後の夜にも
欠かすことはありませんでした。

自分の死を覚悟したときに捧げたイエス様の祈りはどんなものだったでしょう?
それは一緒に行った弟子たちに”誘惑に陥らないように祈っていなさい。”と頼むほど
大変なものでした。
44節には”イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。
汗が血のしずくのように地に落ちた。”と書かれています。

汗が血のしずくのようになることは実際にありうると聞きました。
お母さんが赤ちゃんを生むとき、死ぬほどの痛みと苦しみの中で流す
汗の成分が本当に血液の成分に似ていると聞きました。
出産ということはそんな苦しみを乗り越えてこの世に新しい命を送り出すことです。

しかし、男の人はそのような苦しい体験はなかなかできないと思います。
けれども男であったイエス様は女の人が出産のときに流す血のしずくのような汗を流しました。
そして、それほど大変な祈りは何だったでしょうか?
それは自分が果たさなければならない使命、自分が飲まなければならない
苦い盃から逃れるためのものでした。

イエス様の時代、イスラエルはローマの支配下にありました。
この世の快楽に明け暮れていたローマの人々はいろんな競技を作り楽しみました。
人を殺す格闘技を好んでみていたローマの人々も顔を背け見たがらない刑罰が十字架刑でした。
そして、その十字架にかかり、死ぬことがイエスさまに与えられた使命だったのです。

42節でイエス様は”「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」と
頼んでいます。
しかし、イエス様は続いてこのように祈っています。
「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
イエス様の願いはその盃を飲みたくありませんでした。
しかし、最後には自分の思い出はなく神様んの思い通りになることを望んだのです。

イエス様のあまりにも苦しい祈りに御使いが天から現れてイエスさまを力づけたと
43節には書き記されています。
神の御子でありながらイエス様は人間の体でこの世に生まれました。
そして、イエス様が背負うべき使命はあまりにも苦しいものでした。
その決心をするだけでも御使いの励ましや弟子たちの祈りを頼む程の辛いものでした。

イエス様があんなにも逃れたがった苦い盃、耐えられないほど苦しい十字架の死、
その氏名をイエスさまは拒むことができませんでした。
神様のみ心だったからです。

人生の中で命をかけてまでしなければならない仕事や使命はそんなに多くはないと思います。
しかし、聖書の中にはイエス様のように死を覚悟して使命を果たすために
立ち上がった人々がいます。
モーセとエステルです。

モーセはエジプト人を殺し荒野に逃げて生活していました。
そのモーセに神様はエジプトの戻ってイスラエル人を救うことを命じます。
戻れば殺されるかも知らないエジプトに年老いた体でで向かうことはなかなか従えないことでした。
それでモーセは何度もいろいろな理由をつけてその使命から逃れようとします。


しかし、モーセが神様の命令に従ったところ、イスラエル民族を救い
今もイスラエル人の歴史や生活の中で偉大なる人物として崇められているようです。
モーセと同じく自分の命をかけてイスラエル民族を救った女性がいます。
エステルです。

はマンという人物がペルシャに住んでいたイスラエル人を皆殺しにしようと企んでいたとき
エステルはペルシャの王妃でした。
ユダヤ人だありながら自分のす賞を隠してペルシャの王妃になっていたのです。
イスラエル人の絶滅の機器の前で人々は嘆き、悲しみの果てにいました。
その時、エステル王妃は育ての親から重い仕事を頼まれます。
自分の民族のために王の所に出向いて哀れみを求めるように命じられたのです。

エステルは”誰でも召されないで王のところに行くものは死刑になります。”と
その使命から逃れようとします。
そんなエステルに育ての親であったモルデカイはこのように返事をします。
”「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、
助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。
あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

それでエステルは結局自分の命を捧げる覚悟を決めます。
”たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。
私は、死ななければならないのでしたら、死にます。”
これがエステルの告白です。

友人と一緒に見に行った公演”竜宮小太郎”にも自分の使命を悟り
従っている主人公の姿があります。
小太郎は人間の子でありながら竜宮で王子のように育てられました。
若者に成長して自分の運命が竜宮の危機を救うために導かれたことに気づきます。
それで竜宮を救うために立ち上がり自分の使命を果たすのです。

イエス様、モーセやエステル、劇の中の小太郎など
自分の民族や愛する人々のために時には死を覚悟して
立ち向かった人々がいます。
時には迷いと逃れたい心でなかなか従えないこともありました。
しかし、彼らは自分の使命から逃げませんでした。

エジプトの奴隷であったイスラエル民族を救いカナンの地に導いたモーセ、
絶滅の危機からイスラエル人を救ったエステルがいます。
罪の中で死んでいく人類を救うために十字架を背負ったイエス様がいます。
それぞれに任された役目や使命は違ったけれど彼らはその使命を果たしました。
そして、私達にはどんな使命が与えられているのでしょうか?

肌色、言葉や文化などみんな違う人々がこの地球には住んでいます。
しかし、すべての人類に与えられている使命はただ一つだけ
イエス様を知り信じることです。

私達は罪の中で死ぬべき運命でした。
そんな私達を救うためにイエス様は苦しい盃、十字架の死にも服従したのです。
そのイエス様の愛に応えることが私達に与えられた使命です。
そして、イエス様を知り救われた人々はまだイエスさまを知らず罪の中で
死んでいく人々に十字架の愛を伝える使命があります。

時には罵られたり、迫害されたり、苦しみにあったり、食べるものがなく飢えることや
牢屋に閉じ込められることもあるでしょう。
ある人は命を奪われるかもしれません。
実際に今も地球の何処かではイエスさまを信じることで殺されたり
イエスさまを伝えたことで殺される人々がいます。

時には逃げたくなることもあるでしょう。
時には他の人に委ねたくなることもあるでしょう。
しかし、自分に与えられた使命、自分が果たさなければならない使命に
命を捧げる人々もいるのです。

あなたはイエスさまを信じていますか?
それならそのイエスさまを人々に伝えてください。
十字架で流されたイエスさまの血の意味をない人々に伝える使命があります。

あなたはまだイエスさまを知らないですか?
それではイエスさまを信じてください。
あなたを救うためいにイエス様は十字架の上で死なれました。
それはあなたの罪の故です。
あなたが絶対に払うことのできない罪の代価をイエス様は自分の命で払ったのです。
どうか、そのイエス様の愛を受け取ってください。


  

Posted by 青い鳥 at 20:35Comments(0)説教

2018年05月31日

スマホより私を見てと泣く赤ちゃん

スマホより私を見てと泣く赤ちゃん
図書館で見つけたチラシを見て参加した講演会があります。
講師は柳田邦男で主題は絵本をもっと子供に聞かせましょうとの事です。
講演の中で実際に絵本を通して得た貴重な体験話しがとても感動的で楽しかったのです。

スマホが普及する前と比べて本当に活字離れや読書をする人々が減っていく気がします。
数年前までは電車の中で文庫本や本などを熱心に読んでいた人々が結構いました。
しかし、今は電車の中だけでなく駅のホームや道を歩きながらスマホを覗いでいる
人がますます増えています。
時には階段を歩きながらスマホを見ている若者がいて見ている私がヒヤヒヤします。

そんな状況の中で子供や大人を読書の世界に招き、また図書館をもっと
利用してもらうために図書館では様々な企画や行事などを行っています。
その中の一つが絵本の読み聞かせです。

絵本を読み聞かせることは聞いている子どもたちだけでなく
読む大人まで絵本の世界を通して感性を磨ける事ができるという講師の話に共感しました。
絵本は感性だけでなく時には生きる力も与えるのです。
小学校1年になり新しい世界に対する興味が深まらないうちに
苦手な体育で自信をなくし登校拒否にまでになった女の子の話は感動的でした。
うつ病で人生を諦めることにも及ぶことになりかねない状況で
1冊の絵本を通して生きる力を得たのです。

鉄棒をしてもかけっこをしてもいつもビリで自信をなくし
学校に行くのが嫌になっていた小学校1年生の女の子がいました。
他の子供達と比べて何もできない、ためな自分が嫌になり
家に引きこもるようになった少女を救ってくれたのは1冊の絵本でした。
お母さんが図書館から借りてきた読んであげた”大切な君”という絵本です。

1冊の絵本が生きる力を与えたという話は3年生になり
1年生のときの辛い経験を乗り越えた少女の便りによって知った事でした。
けれども、残念ながらそんなに大事な出会いをもたらす絵本に接することなく
大きくなった大人も多いことでしょう。

子供のときに読み聞かせの経験を持ったずに大きくなって
教育学部に入った学生がクラスに4割もいたという話も聞きました。
小さいときから絵本や童話など本を読む環境や機会を得ることのできなかった
人が大人になって急に本を読むようになることはありません。
今の読書離れを阻止できるのは今からでも幼い子どもたちに
絵本の楽しみを知るようにすることではないかと思います。

しかし、現代人の必需品になっているスマホは手怖いのです。
赤ちゃん検診に来ているお母さんたちの代わり模様を長いこと医者をしていた
友達から聞いたと紹介してくれました。
小児科の医者だけではなく聞いていた私も怖いものを感じました。

スマホのない時代、赤ちゃんを連れてきたお母さん同士は赤ちゃんをあやしながら
お互いに育児など色々な話をしていたそうです。
しかし、今の待合室ではお母さんたちが黙々とスマホの画面を覗いているだけだと聞きました。

”スマホより私を見てと泣く赤ちゃん”はある川柳をもじった文句です。
今、私達が住んでいる時代にはスマホを手にしている人々に向かって赤ちゃんだけでなく
子供から大人までスマホから目を話して自分を見てと叫んでいます。
現代人に撮っていちばん大事な優先順位は多分スマホになっているでしょう。

最後に1ヶ月の赤ちゃんに読み聞かせを試みた一人のお母さんの話で終わります。
お母さんがいくら絵本を持ってきて読んでも1ヶ月の赤ちゃんは反応を示さなかったのです。
ある時、その赤ちゃんの周りを見たときお母さんは悟りました。
テレビとパソコンが、スマホがつけられていたのです。
そして、そのすべてを消しました。
驚くことに赤ちゃんは絵本の読み聞かせに反応した来たのです。

1日に2,3冊に増えていた絵本は6ヶ月になっている今は
1日に5冊を読まないと赤ちゃんが泣くようになっているという話です。
お母さんと赤ちゃんの様子を見ていたお父さんまで加わり
楽しい絵本の読み聞かせの時間を持つようになったある家庭の話は
とても興味深く、希望を与える話でした。

絵本、色々な話と絵を同時に楽しめる素晴らしい出会いの場、
それを通して素晴らしい世界を楽しむことができますように!!!
  

Posted by 青い鳥 at 19:07Comments(0)

2018年05月22日

テレビ絵本ージロがなく

テレビ絵本ージロがなく
神学校に在学中はテレビがなくドラマに時間を取られることもなかったので
自分の生活を振り返る時間がありほぼ毎日のようにメールを書いて
知り合いに送ったりブログに載せたりしました。
女子寮にはインターネットの電波が弱くいつもノートパソコンを持って
教室まで行ってネットに接続していました。
しかし、一人暮らしが始まりテレビが手に入りインターネットを契約してからは
そんな苦労もいらないのですがいつからかメールやブログ更新も疎かになっています。

ネット環境や生活条件は便利になってきましたが自分の頭で
思いを整理したり文章にするのが億劫になっています。
いっときユーチューブにはまりずっとユーチューブを見ていた時期もありましたが
最近は英語サイトに接続してドラマを見ています。
韓国、日本、中国大陸や台湾のドラマ、時にはタイドラマまで
次から次へと新しいドラマは作られ見たくなるドラマも後を絶たないのです。
ドラマを楽しむ代わりに静かに考える時間がなく文章を書く生活から
ますます遠くなっています。

私達に許された時間は誰にも同じく24時間です。
昔、娯楽を楽しむ機器やメデイアがあまりなかった時代には
退屈になるほど時間を持って余しましたがネットに繋がれている世界に
退屈は死語になっている気がします。

一日に学習するために計画していた勉強も忘れて夢中になって
ドラマを見ているうちにいつの間にか数時間が過ぎています。
節制できない自分に嫌気が差しています。

ライブでテレビを見たことがいつなのかわかりません。
テレビを見るのは気に入りのTV番組の録画したものだけです。
連続録画しているいくつかの番組の中には”テレビ絵本”という番組もあります。
録画用のハドデイスクの残量が少なくなると慌ててみて削除していきます。
番組を見ては削除していく中で”ジロがなく”はこころを打つものがあり
気持ちを整理するために2回をも見ました。

カラスに育てられた犬のちょっと寂しい物語です。
主人公である”ジロは”カラスの鳴き声で吠えるので他の犬にいじめられました。
それで生き残るためにどんな時にも泣かないようになりました。
しかし、仲間であるマダラを救うためにいままで自分が隠した弱さを見せて
群れを去っていくのです。
驚くことに自分が救った”まだら”もまた”ジロ”と同じく違う鳴き声を隠していた犬でした。

今はだいぶなくなっていると思いますが欧米では肌色が違う事で
あまりにもひどく残酷な人種差別が行われた歴史を持っています。
肌色だけではなく国や民族または宗教や思想など様々な理由で
人々は同じ人間を差別したりいじめたり殺したりします。

黒い肌を砥石で血が出るほどこすっていた黒人の子供の話を聞いたことがあります。
生まれてみると黒い肌を持っていました。
それでいじめられたり差別されたり時には殺されたりしなければならないとは!!!
黒い肌はジロのように泣かないだけですむものではありません。
もしかして、私達の周りにも人々からのけものにされないために白い目に見られないために
いじめられないために、自分を隠して暮らしている人がいるかも知れません。

日本宣教に来たある韓国人宣教師がにんにくの臭いを嫌う日本人のために
生涯キムチを食べないように決心して実践しているという話を聞きました。
彼は宣教という立派な理由があったけれど慣れ親しみにしていた
アイデンティティのいち部分でも言える一つの部分を諦めたのです。

全世界の人の顔や体、指紋がみんな違い、数えることのできない雪の結晶さえ
みんな違う形である驚きの世界を私達は住んでいます。
同じものは工場で作られる製品であり神様の作品は目で見ることのできない
雪の結晶さえ、一つ一つ違う形をしているのです。

私達は神様の作品であり、みんなそれぞれ一つの傑作品です。
地球村の中の一人である私達が色々な人の違いや個性を受けいれ
お互いを理解し、もっと仲良く生活できるよう心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 21:17Comments(0)