2018年06月18日

地震の朝

地震の朝
癌検診の日であり出かける用意をして本を読んでいました。
そして、午前7時58分ごろ地震が起きました。
あまりにも大きい揺れに驚いているとスマホから”地震がりました。”と声がしました。
普段ライブではほとんど見ないテレビを急いでつけました。
すべてのテレビ局で地震のニュースが流れていました。
大阪市北区で震度6弱の地震が発生したとアナウンサーは伝えていました。

日本に来てW市で住んでいた時、とても大きな地震を初めて経験しました。
部屋が揺れ、マンション全体が大きく揺れてびっくりした記憶があります。
日本人は地震、雷、親父を恐れると聞いていたけどほとんど知らなかった
地震の怖さを実感できた忘れられない思い出です。

また、保育園の近くに住んでいた時、定期的に小さい園児たちが先生の誘導で
頭に頭巾をかぶって避難訓練を受けている光景を見たことがあります。
見慣れてない光景で興味しんしんで眺めていましたが大きな地震を2回も
体験してみると絶対に必要だなど思いました。

怖い思いがしましたが炊飯器の上においていた
しゃもじが落ちただけで何も被害はありませんでした。
食事もまだだったので火をつけるのも怖いと思いましたが
少しは地震も落ち着いたようだしお腹が空いてきたので
食事を取ってから病院にでかけました。

最寄りの駅に近づくとあまりにも人の行列が多くてびっくりしました。
改札口の前を人々が並んでいて通るのも大辺で商店街まで人々で溢れていました。
引っ越ししてから数年、よく利用している駅ですがこんなにも人が多かったのは初めてです。
電車が運行を中止したので再開を待っている人々でした。

ちょうど出勤時間台で学校に行くために駅に向かっていた学生たちもたくさんいました。
みんな片手にスマホを見て時間を費やしていました。
タクシーに乗るために急いでいる人々もいました。

横断歩道の信号が変わるのを待っているとある男子高校生二人の会話が聞こえてきました。
電車を待ちきれずに歩いていく決心をしたようです。
スマホの画面を覗きながら”3キロだから1時間弱でつく”と言っていました。

癌検診が終わり、腰の痛みで訪れた整形外科のリハビリ室にも普段より職員が少なく
2人しかいませんでした。リハビリが終わり待合室に出ると12時頃になって
やっと出勤できた看護師が息を切らしながら入ってきました。

当たり前のように迎えた朝起きた大きな地震で人々は完全に調子を狂わしていました。
癌検診や、リハビリも終わり家に向かいながら日曜日の牧師の話を
思い出していました。

83歳の信者が交通事故に会い、長い間病院で治療を受けています。
いまは寝たきりになりチューブで命をつないでいる状態です。
時々、そんな彼を見舞いに行く牧師が食事の席で言いました。
”元気な時、Iさんは毎日教会に来て一緒にお茶を飲みながら楽しく過ごしていました。
その時はそれが当たり前のように思いました。
しかし、いま振り返ってみるとそんな日々が感謝だったなと思います。”

地震の朝、人々は普段と変わらないように自分の家を後にしたでしょう。
しかし、この地震でもう3人の死者が出て、負傷した人も出て
また火事や水道管の破損等色々な被害が発生しています。
直接的な被害は受けなかった人も地震に対する恐怖はこころの中に
見えない傷をつけたでしょう。

9歳の女の子がこの地震で亡くなったと聞いて心が痛かったのです。
彼女の朝はどんな朝だったでしょうか?
普段と変わらない生活の中で見送った愛する人の突然の死を考えるだけで
胸が締め付けられる気がします。

当たり前のように過ごす日々はいつまでも当たり前のように続きはしません。
それは、神様の守りと許しがあってこそ味わうことができる奇跡です。
そのまもりと許しがなければそれはもろともに崩れ落ちるものです。
そして、私達に許された時間を後悔のないように過ごし、人々に愛を持って接し、
感謝して生きるだけがわたしたちに与えられた生き方なのです。

神様、どうかこの地震で慰めが必要な人には慰めを
励ましが必要な人には励ましを
心の平安が必要な人には平安を与えてください。
当たり前のように思って過ごす日々の大切さを悟らせてください。
そんな私達でありますように。 アーメン!
  

Posted by 青い鳥 at 21:02Comments(0)

2018年06月14日

健康診断と断捨離

健康診断と断捨離
毎年欠かさず熱心にがん検査を受けたり定期検診を受けていたのですが
最近は病院に行くことが嫌であまり受けなくなりました。

体の調子が悪いとすぐ薬を進める医者のせいで薬漬けになっていた時期がありました。
毎日、食事の後に飲む薬が10数個になって飲むのも大変な日々でした。
数カ月後ますます悪くなる体の異変に気が付き重い薬袋をゴミ箱に捨ててからは
病院に行くことを止めていました。
それが今年はがん検査や定期検診を受けるために久しぶりに病院に行きました。

健康のために定期的に病院に通い検査を受け、薬を飲んでいた時、
私は冗談のように聞く質問があります。
”苦しまずに楽に死ねる方法は無いですか”
”そんなに楽に死ぬる方法はない”といつも担当の医者は笑顔で答えます。

不規則な生活や忙しい日々の中で人間関係や仕事で無理をして
過労死や急死で命を落とした人のニュースを聞いたりします。
そして、そんな死に方を”突然死”と呼んでいます。

ある日突然、愛する人を失った家族はどんな気持ちでしょうか?
死ぬ本人はもしかして楽かもしれませんがそんな別れ方は
残された人々には深い傷を残すと聞いています。
別れに対する心の準備が出来てないのである意味、大変だと本で読みました。

実際に愛する人との急な別れはとてもつらいものです。
30年近く前に私も愛する兄とそんな別れをしました。
”日本の港についたら連絡する”と電話口で話した兄の声が
最後の電話になるとは夢にも思いませんでした。
今も時々無性に兄に会いたくなるときがあります。

親しくなればなるほど、愛すれば愛するほどその別れは耐え難いものになります。
ともに過ごす思い出が多くなればなるほど心の空洞は深いものになるでしょう。
優しくされた記憶が多いければ多いほど別れを受け入れることに時間が必要です。

がん検査や定期検査を受ける気持ちになり楽に死ねるそんな死に方を考えた瞬間、
私は残された人々の気持ちを心配するよりもまずごちゃごちゃになっている
部屋の様子が気になりました。
もし私が死んだら誰かが私の部屋を片付けなければなりません。
あまりにもものが多く、整理されてない部屋を見せるのも嫌だなと思いました。
本当に、そんな事を防ぐためにも断捨離に取り込まなければなりません。

健康検査からいつの間にか断捨離の必要性を悟っています。
部屋の片付けをどのように進めるべきか????
ある意味死よりも怖い問題になっています。
  

Posted by 青い鳥 at 20:53Comments(0)

2018年06月13日

坂道の親子

坂道の親子
毎年、市役所から定期検診の知らせが届きます。
がん検査の案内状も届いたので数年ぶりに(?)検査を受けることにしました。
健康を維持するために前もって調べるのはいいのですが
ちょっとした問題があるとすぐ薬を飲むように進められ薬付けになってしまうので
案内状が届いても検査を受けなかったのです。

しかし、胃の調子などますます気になる事があり今年は検査を受けることにしました。
数日前に検査の予約をしていたので定期検査を受けるために病院にでかけました。
大通りに出る住宅街の坂道を歩いていくと前を歩いている一組の親子が見えました。
片手には子供用のリュックサックを持って片手は2歳ぐらいの男の子の手を
持ったお母さんでした。

その横を通り過ぎる私にその男の子が挨拶をしました。
”こんばんは。”
検査を受けるために朝食も抜いて9時の診察に合わせて家を出ているので
まだ8時台の時間です。
返事に困っている私に2,3回また”こんばんは”は続きました。

男の子の挨拶を聞いていたお母さんが私に向かって”すみません”と謝ってから
”お日様が出てるでしょう、お早うございますなのよ。”と教えてくれました。
舌が回らない声で”おはよおございます”で挨拶をする幼い男の子に
”おはよう”と返事をして病院に向かいました。
久しぶりに私の顔には笑顔が咲いていました。

向こうに見える山の緑が前日降った雨でホコリが消えとても爽やかな朝でした。
生きている幸せ、かわいい男の子の無邪気で親しい挨拶、
まだ元気に日々を過ごす喜び、まだまだ人生は希望と愛に満ちているような朝の出来事です。
  

Posted by 青い鳥 at 11:32Comments(0)

2018年06月10日

説教ーそれぞれの使命

説教ーそれぞれの使命
先週の土曜日、久しぶりに演劇を見に行きました。
浦島太郎伝説を下敷にし手書き上げた”竜宮小太郎”という作品です。
友人の誘いででかけました。
友人の知り合いが活動しているNPOの結成20週年の記念公演でした。

20年前、自分の子供達に演劇の楽しさを伝えるために結成されたと
NPOの代表は言っていました。
一番最初の公演の時には子どもたちや友人たちで数十人の観客だったそうです。
しかし、20週年を迎えた記念公演には数百人の人々が公演を楽しみました。

プロの人々の力を借りたとしてもアマチュアの人々がここまでできるとは、と驚きました。
公演が終わり舞台の上で挨拶する出演者たちに手が熱くなるほど拍手を送りました。
それぞれ家庭や職場で仕事をしながら練習をしたと聞きました。
小道具まで自分たちの手で作っていると友人は言いました。

一時間以上の公演を無事に仕上げるまでどれほど練習したでしょう?
一人芝居ではないのでそれぞれが自分のセリフや役目をちゃんと果たさなければなりません。
セリフと演技、音楽、踊りの振り付けまですべての要素が一つになり、一つの舞台が完成します。

そこには主人公のように出番もセリフも多い人もありますが、あまり存在感もない役柄もあります。
しかし、それぞれが自分に与えられた役目、使命をちゃんと果たしたとき
素晴らしい作品になるのです。
一人でも詩文の役目を疎かにしたり、役柄から逃げたりしたらその公演は台無しになります。

私達もそれぞれ人生という舞台の主人公です。
そして、各自に与えられた役目があります。
時には辛い選択を迫られることもありましょう。
しかし、自分に任された役目であれば、忠実にこなさなければなりません。

それでは今日の聖書箇所に移ります。
ルカの福音書22章の39節から46節までです。
”それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。
いつもの場所に着いたとき、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と言われた。
そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。
しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
すると、御使いが天からイエスに現われて、イエスを力づけた。

イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
イエスは祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに来て見ると、
彼らは悲しみの果てに、眠り込んでしまっていた。
それで、彼らに言われた。「なぜ、眠っているのか。
起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい。」”

ルカの福音書22章の39節はイエス様が弟子たちと最後の晩餐を終えたところから始まります。
この世での弟子たちとともに過ごす最後の食事をしてからイエス様はいつものように
オリーブ山に行かれました。
39節にも、40節にも使われている単語は”いつものように”です。
”いつものようにオリーブ山に行かれ、いつもの場所に着いた”と書かれています。

イエス様はカナの婚宴のときに水をぶどう酒に変える奇跡を行いました。
それから十字架の上で死なれるまで数知れないほどの働きをしました。
病人たちを癒やし、死人を生き返らせ、悪霊を追い出し、飢えた人々のために食べ物を与え、
湖の上を歩き、風や荒波を沈めました。
イエス様に助けを求めるために、イエス様の教えを聞くために、
人々はいつもイエス様の周りを囲みついてきました。

ゆっくり休息を取る時間もない忙しい日々の中で一つだけ
イエス様が欠かさなかったことがあります。それは祈りでした。
聖書の所々ではイエス様が群衆や弟子たちから離れて一人で祈りを捧げたと書いています。
そんな習慣は自分が十字架にかかることを知り、愛する人々と過ごす最後の夜にも
欠かすことはありませんでした。

自分の死を覚悟したときに捧げたイエス様の祈りはどんなものだったでしょう?
それは一緒に行った弟子たちに”誘惑に陥らないように祈っていなさい。”と頼むほど
大変なものでした。
44節には”イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。
汗が血のしずくのように地に落ちた。”と書かれています。

汗が血のしずくのようになることは実際にありうると聞きました。
お母さんが赤ちゃんを生むとき、死ぬほどの痛みと苦しみの中で流す
汗の成分が本当に血液の成分に似ていると聞きました。
出産ということはそんな苦しみを乗り越えてこの世に新しい命を送り出すことです。

しかし、男の人はそのような苦しい体験はなかなかできないと思います。
けれども男であったイエス様は女の人が出産のときに流す血のしずくのような汗を流しました。
そして、それほど大変な祈りは何だったでしょうか?
それは自分が果たさなければならない使命、自分が飲まなければならない
苦い盃から逃れるためのものでした。

イエス様の時代、イスラエルはローマの支配下にありました。
この世の快楽に明け暮れていたローマの人々はいろんな競技を作り楽しみました。
人を殺す格闘技を好んでみていたローマの人々も顔を背け見たがらない刑罰が十字架刑でした。
そして、その十字架にかかり、死ぬことがイエスさまに与えられた使命だったのです。

42節でイエス様は”「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。」と
頼んでいます。
しかし、イエス様は続いてこのように祈っています。
「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
イエス様の願いはその盃を飲みたくありませんでした。
しかし、最後には自分の思い出はなく神様んの思い通りになることを望んだのです。

イエス様のあまりにも苦しい祈りに御使いが天から現れてイエスさまを力づけたと
43節には書き記されています。
神の御子でありながらイエス様は人間の体でこの世に生まれました。
そして、イエス様が背負うべき使命はあまりにも苦しいものでした。
その決心をするだけでも御使いの励ましや弟子たちの祈りを頼む程の辛いものでした。

イエス様があんなにも逃れたがった苦い盃、耐えられないほど苦しい十字架の死、
その氏名をイエスさまは拒むことができませんでした。
神様のみ心だったからです。

人生の中で命をかけてまでしなければならない仕事や使命はそんなに多くはないと思います。
しかし、聖書の中にはイエス様のように死を覚悟して使命を果たすために
立ち上がった人々がいます。
モーセとエステルです。

モーセはエジプト人を殺し荒野に逃げて生活していました。
そのモーセに神様はエジプトの戻ってイスラエル人を救うことを命じます。
戻れば殺されるかも知らないエジプトに年老いた体でで向かうことはなかなか従えないことでした。
それでモーセは何度もいろいろな理由をつけてその使命から逃れようとします。


しかし、モーセが神様の命令に従ったところ、イスラエル民族を救い
今もイスラエル人の歴史や生活の中で偉大なる人物として崇められているようです。
モーセと同じく自分の命をかけてイスラエル民族を救った女性がいます。
エステルです。

はマンという人物がペルシャに住んでいたイスラエル人を皆殺しにしようと企んでいたとき
エステルはペルシャの王妃でした。
ユダヤ人だありながら自分のす賞を隠してペルシャの王妃になっていたのです。
イスラエル人の絶滅の機器の前で人々は嘆き、悲しみの果てにいました。
その時、エステル王妃は育ての親から重い仕事を頼まれます。
自分の民族のために王の所に出向いて哀れみを求めるように命じられたのです。

エステルは”誰でも召されないで王のところに行くものは死刑になります。”と
その使命から逃れようとします。
そんなエステルに育ての親であったモルデカイはこのように返事をします。
”「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、
助けと救いがユダヤ人のために起ころう。
しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。
あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」

それでエステルは結局自分の命を捧げる覚悟を決めます。
”たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。
私は、死ななければならないのでしたら、死にます。”
これがエステルの告白です。

友人と一緒に見に行った公演”竜宮小太郎”にも自分の使命を悟り
従っている主人公の姿があります。
小太郎は人間の子でありながら竜宮で王子のように育てられました。
若者に成長して自分の運命が竜宮の危機を救うために導かれたことに気づきます。
それで竜宮を救うために立ち上がり自分の使命を果たすのです。

イエス様、モーセやエステル、劇の中の小太郎など
自分の民族や愛する人々のために時には死を覚悟して
立ち向かった人々がいます。
時には迷いと逃れたい心でなかなか従えないこともありました。
しかし、彼らは自分の使命から逃げませんでした。

エジプトの奴隷であったイスラエル民族を救いカナンの地に導いたモーセ、
絶滅の危機からイスラエル人を救ったエステルがいます。
罪の中で死んでいく人類を救うために十字架を背負ったイエス様がいます。
それぞれに任された役目や使命は違ったけれど彼らはその使命を果たしました。
そして、私達にはどんな使命が与えられているのでしょうか?

肌色、言葉や文化などみんな違う人々がこの地球には住んでいます。
しかし、すべての人類に与えられている使命はただ一つだけ
イエス様を知り信じることです。

私達は罪の中で死ぬべき運命でした。
そんな私達を救うためにイエス様は苦しい盃、十字架の死にも服従したのです。
そのイエス様の愛に応えることが私達に与えられた使命です。
そして、イエス様を知り救われた人々はまだイエスさまを知らず罪の中で
死んでいく人々に十字架の愛を伝える使命があります。

時には罵られたり、迫害されたり、苦しみにあったり、食べるものがなく飢えることや
牢屋に閉じ込められることもあるでしょう。
ある人は命を奪われるかもしれません。
実際に今も地球の何処かではイエスさまを信じることで殺されたり
イエスさまを伝えたことで殺される人々がいます。

時には逃げたくなることもあるでしょう。
時には他の人に委ねたくなることもあるでしょう。
しかし、自分に与えられた使命、自分が果たさなければならない使命に
命を捧げる人々もいるのです。

あなたはイエスさまを信じていますか?
それならそのイエスさまを人々に伝えてください。
十字架で流されたイエスさまの血の意味をない人々に伝える使命があります。

あなたはまだイエスさまを知らないですか?
それではイエスさまを信じてください。
あなたを救うためいにイエス様は十字架の上で死なれました。
それはあなたの罪の故です。
あなたが絶対に払うことのできない罪の代価をイエス様は自分の命で払ったのです。
どうか、そのイエス様の愛を受け取ってください。


  

Posted by 青い鳥 at 20:35Comments(0)説教

2018年05月31日

スマホより私を見てと泣く赤ちゃん

スマホより私を見てと泣く赤ちゃん
図書館で見つけたチラシを見て参加した講演会があります。
講師は柳田邦男で主題は絵本をもっと子供に聞かせましょうとの事です。
講演の中で実際に絵本を通して得た貴重な体験話しがとても感動的で楽しかったのです。

スマホが普及する前と比べて本当に活字離れや読書をする人々が減っていく気がします。
数年前までは電車の中で文庫本や本などを熱心に読んでいた人々が結構いました。
しかし、今は電車の中だけでなく駅のホームや道を歩きながらスマホを覗いでいる
人がますます増えています。
時には階段を歩きながらスマホを見ている若者がいて見ている私がヒヤヒヤします。

そんな状況の中で子供や大人を読書の世界に招き、また図書館をもっと
利用してもらうために図書館では様々な企画や行事などを行っています。
その中の一つが絵本の読み聞かせです。

絵本を読み聞かせることは聞いている子どもたちだけでなく
読む大人まで絵本の世界を通して感性を磨ける事ができるという講師の話に共感しました。
絵本は感性だけでなく時には生きる力も与えるのです。
小学校1年になり新しい世界に対する興味が深まらないうちに
苦手な体育で自信をなくし登校拒否にまでになった女の子の話は感動的でした。
うつ病で人生を諦めることにも及ぶことになりかねない状況で
1冊の絵本を通して生きる力を得たのです。

鉄棒をしてもかけっこをしてもいつもビリで自信をなくし
学校に行くのが嫌になっていた小学校1年生の女の子がいました。
他の子供達と比べて何もできない、ためな自分が嫌になり
家に引きこもるようになった少女を救ってくれたのは1冊の絵本でした。
お母さんが図書館から借りてきた読んであげた”大切な君”という絵本です。

1冊の絵本が生きる力を与えたという話は3年生になり
1年生のときの辛い経験を乗り越えた少女の便りによって知った事でした。
けれども、残念ながらそんなに大事な出会いをもたらす絵本に接することなく
大きくなった大人も多いことでしょう。

子供のときに読み聞かせの経験を持ったずに大きくなって
教育学部に入った学生がクラスに4割もいたという話も聞きました。
小さいときから絵本や童話など本を読む環境や機会を得ることのできなかった
人が大人になって急に本を読むようになることはありません。
今の読書離れを阻止できるのは今からでも幼い子どもたちに
絵本の楽しみを知るようにすることではないかと思います。

しかし、現代人の必需品になっているスマホは手怖いのです。
赤ちゃん検診に来ているお母さんたちの代わり模様を長いこと医者をしていた
友達から聞いたと紹介してくれました。
小児科の医者だけではなく聞いていた私も怖いものを感じました。

スマホのない時代、赤ちゃんを連れてきたお母さん同士は赤ちゃんをあやしながら
お互いに育児など色々な話をしていたそうです。
しかし、今の待合室ではお母さんたちが黙々とスマホの画面を覗いているだけだと聞きました。

”スマホより私を見てと泣く赤ちゃん”はある川柳をもじった文句です。
今、私達が住んでいる時代にはスマホを手にしている人々に向かって赤ちゃんだけでなく
子供から大人までスマホから目を話して自分を見てと叫んでいます。
現代人に撮っていちばん大事な優先順位は多分スマホになっているでしょう。

最後に1ヶ月の赤ちゃんに読み聞かせを試みた一人のお母さんの話で終わります。
お母さんがいくら絵本を持ってきて読んでも1ヶ月の赤ちゃんは反応を示さなかったのです。
ある時、その赤ちゃんの周りを見たときお母さんは悟りました。
テレビとパソコンが、スマホがつけられていたのです。
そして、そのすべてを消しました。
驚くことに赤ちゃんは絵本の読み聞かせに反応した来たのです。

1日に2,3冊に増えていた絵本は6ヶ月になっている今は
1日に5冊を読まないと赤ちゃんが泣くようになっているという話です。
お母さんと赤ちゃんの様子を見ていたお父さんまで加わり
楽しい絵本の読み聞かせの時間を持つようになったある家庭の話は
とても興味深く、希望を与える話でした。

絵本、色々な話と絵を同時に楽しめる素晴らしい出会いの場、
それを通して素晴らしい世界を楽しむことができますように!!!
  

Posted by 青い鳥 at 19:07Comments(0)

2018年05月22日

テレビ絵本ージロがなく

テレビ絵本ージロがなく
神学校に在学中はテレビがなくドラマに時間を取られることもなかったので
自分の生活を振り返る時間がありほぼ毎日のようにメールを書いて
知り合いに送ったりブログに載せたりしました。
女子寮にはインターネットの電波が弱くいつもノートパソコンを持って
教室まで行ってネットに接続していました。
しかし、一人暮らしが始まりテレビが手に入りインターネットを契約してからは
そんな苦労もいらないのですがいつからかメールやブログ更新も疎かになっています。

ネット環境や生活条件は便利になってきましたが自分の頭で
思いを整理したり文章にするのが億劫になっています。
いっときユーチューブにはまりずっとユーチューブを見ていた時期もありましたが
最近は英語サイトに接続してドラマを見ています。
韓国、日本、中国大陸や台湾のドラマ、時にはタイドラマまで
次から次へと新しいドラマは作られ見たくなるドラマも後を絶たないのです。
ドラマを楽しむ代わりに静かに考える時間がなく文章を書く生活から
ますます遠くなっています。

私達に許された時間は誰にも同じく24時間です。
昔、娯楽を楽しむ機器やメデイアがあまりなかった時代には
退屈になるほど時間を持って余しましたがネットに繋がれている世界に
退屈は死語になっている気がします。

一日に学習するために計画していた勉強も忘れて夢中になって
ドラマを見ているうちにいつの間にか数時間が過ぎています。
節制できない自分に嫌気が差しています。

ライブでテレビを見たことがいつなのかわかりません。
テレビを見るのは気に入りのTV番組の録画したものだけです。
連続録画しているいくつかの番組の中には”テレビ絵本”という番組もあります。
録画用のハドデイスクの残量が少なくなると慌ててみて削除していきます。
番組を見ては削除していく中で”ジロがなく”はこころを打つものがあり
気持ちを整理するために2回をも見ました。

カラスに育てられた犬のちょっと寂しい物語です。
主人公である”ジロは”カラスの鳴き声で吠えるので他の犬にいじめられました。
それで生き残るためにどんな時にも泣かないようになりました。
しかし、仲間であるマダラを救うためにいままで自分が隠した弱さを見せて
群れを去っていくのです。
驚くことに自分が救った”まだら”もまた”ジロ”と同じく違う鳴き声を隠していた犬でした。

今はだいぶなくなっていると思いますが欧米では肌色が違う事で
あまりにもひどく残酷な人種差別が行われた歴史を持っています。
肌色だけではなく国や民族または宗教や思想など様々な理由で
人々は同じ人間を差別したりいじめたり殺したりします。

黒い肌を砥石で血が出るほどこすっていた黒人の子供の話を聞いたことがあります。
生まれてみると黒い肌を持っていました。
それでいじめられたり差別されたり時には殺されたりしなければならないとは!!!
黒い肌はジロのように泣かないだけですむものではありません。
もしかして、私達の周りにも人々からのけものにされないために白い目に見られないために
いじめられないために、自分を隠して暮らしている人がいるかも知れません。

日本宣教に来たある韓国人宣教師がにんにくの臭いを嫌う日本人のために
生涯キムチを食べないように決心して実践しているという話を聞きました。
彼は宣教という立派な理由があったけれど慣れ親しみにしていた
アイデンティティのいち部分でも言える一つの部分を諦めたのです。

全世界の人の顔や体、指紋がみんな違い、数えることのできない雪の結晶さえ
みんな違う形である驚きの世界を私達は住んでいます。
同じものは工場で作られる製品であり神様の作品は目で見ることのできない
雪の結晶さえ、一つ一つ違う形をしているのです。

私達は神様の作品であり、みんなそれぞれ一つの傑作品です。
地球村の中の一人である私達が色々な人の違いや個性を受けいれ
お互いを理解し、もっと仲良く生活できるよう心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 21:17Comments(0)

2018年04月17日

説教ーイエスの弟子

説教ーイエスの弟子
去年の暮に図書館で1冊の本を借りました。
”モリー先生との火曜日”です。
203ページの本を読みながら何度も涙しました。
モリー先生とはアメリカのブランダイス大学の社会学教授だったモリー・シュワルツのことです。
この本を書いた人はミッチ・アルボムで、昔モリー・シュワルツ教授の教え子でした。
彼が大学を卒業してから16年ぶりにモリー・シュワルツ先生に再会します。
モリー先生は難病ALSにかかっていました。
この事をテレビで知り16年ぶりにモリー・シュワルツ先生に会いに行きます。
それから、毎週火曜日、モリー・シュワルツの自宅を訪ねました。
それは、だった一人だけの学生のために開かれた”最後の授業”でした。

その授業はモリー・シュワルツが死ぬまで14回に至りました。
人生について、死やまた様々なことについてモリー・シュワルツは語りました。
それを弟子である著者が本として出版したのが”モリー先生との火曜日”です。

一人、二人と私の周りの人がこの世を去っています。
そして、私も死について真剣に考えるようになっています。
死は私達が必ず迎える問題です。
死で人生は終わります。 しかし、モリー先生は本の中でこう言っています。
”死で人生は終わる、しかし、つながりは終わらない。
人間はお互いに愛し合える限りまたその愛し合った気持ちを覚えている限り
死んでも本当に行ってしまうことはない。
作り出した愛はすべてそのまま残っている。
思い出はすべてそのまま残っている。
死んでも生き続けるんだ。
この世にいる間に触れた人、育てたすべての心の中に。”

それでは、今日の聖書箇所に移ります。
ヨハネの福音書の13章の34,35節です。
”あなたがたに新しい戒を与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが
わたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。”

ヨハネの福音書はイエス様の働きを記録した4つの福音書の中の一つです。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネはそれぞれ違う目線でイエスさまを書いています。
ユダヤ人を対象にしたマタイの福音書、人の子であるイエスを描いたルカの福音書、
そして、神の子であるキリストを強調したヨハネの福音書です。

ヨハネは”イエスが愛された弟子”として表現するほどイエス様と親しい弟子でした。
ガリラヤのかなり裕福な漁師の家の息子でもあります。
イエス様の12弟子の中で唯一自分の寿命を全うした人でもあります。
ヨハネはイエス様から”雷の子”と呼ばれるほど気性の激しい人物でした。
しかし、彼は後に”愛の使徒”として呼ばれるようになります。

ヨハネの福音書13章にはイエス様が十字架に掛かる前に示された愛の模範を伝えています。
それではヨハネの福音書13章の1節から17節を読みます。
さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
”夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、
イエスを売ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、
ご自分が父から来て父に行くことを知られ、
夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、
ふき始められた。

こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。
「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。
イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが
、あとでわかるようになります。

ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。
イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。
シモン・ペテロは言った。「主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。
イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。
全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。
イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。
と言われたのである。

イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。
「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。
わたしはそのような者だからです。
それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、
あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、
わたしはあなたがたに模範を示したのです。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、
遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。
あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、
あなたがたは祝福されるのです。”

この世を去って父の身元に行くべき時が来たことをイエス様は知りました。
それは、十字架の死を意味します。
そしてイエス様は自分が愛した弟子たちにその愛を残ることろなく示されたと
聖書は記録しています。

イエス様と弟子たちとの最後の夕食が終わってからでした。
イエス様は夕食の席から立ち上がりました。上着を脱ぎ、手ぬぐいを撮って腰にまといました。
そして、たらいに水を入れ、一人ずつ弟子たちの足を洗いました。
それから、腰にまとっていた手ぬぐいで拭きました。
シモン・ペテロは自分の足を洗おうとするイエス様にあまりにも申し訳ないので
断ろうとします。

イエス様が弟子たちの足を洗ったことをまねして時々キリスト教の集会や
クリスチャン家庭でもこの儀式を行うことがあります。
その時、いつも人々はこみ上げる涙と感動を覚えると聞きます。

イエス様の時代、お客様や主人の足を洗うのは奴隷の仕事だと聞いています。
しかし、イエス様は先生だったのに弟子たちの足を洗ってのです。
人の足を洗うとき私達はどのような姿勢を取るのでしょうか?
必ず身を低くしなければなりません。
また、足は常に汚れているとことです。
その足を洗うことは謙遜な気持ちと心がなければできないことです。
そんな事をイエス様は自ら行いました。
そして、”主であり師である私があなた方の足を洗ったのですから
あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。”と弟子たちに言いました。

イエス様が初めての奇跡を行ったのはガリラヤのガナでした。
結婚式がありイエス様と弟子たちやイエス様の母であるマリヤも参加しました。
結婚式に来た人々に出すぶどう酒がなくなったとき、イエス様は水をぶどうに変えたのです。

砂ホコリが多くて暑いイスラエルでは足はいつもホコリで汚れます。
そして、各家庭ではその足を洗うために水瓶がありました。
お客様が来たらその足を洗うのは奴隷の仕事でした。
ガナでの結婚式にぶどう酒がになった水こそその清めのしきたりに使うための水だったのです。

汚くなった足をきれいに洗うために私達はその相手の汚れを触らなければなりません。
そして、その汚れがなくなるまで丁寧に洗わなければなりません。
濡れた足をタオルで拭いてきれいになるまでへりくだった姿勢のままいなければなりません。
そのようなことをイエス様は自らしました。誰かに頼まれても命令されてもいません。
イエス様はただ、自分が愛した人々に自分の愛を示し、
弟子たちもそのように生きるためにしたのです。

イエス様が選び、ともに神様の働きをし、使徒として任命したのが12人の弟子でした。
その12人の弟子の足を一人ずつ洗いました。
その中には自分を裏切った弟子、イスカリオテのユダもいました。
残り11人の弟子さえもイエス様が人々に囚われていったときすべて逃げたのでした。
しかし、イエス様がそんな弟子たちの弱さや裏切りをただ、愛を持って仕えました。

”愛の章”と呼ばれる第一コリント13章には愛についてこのように語っています。
”愛は 寬容であり, 愛は 親切です. また 人をねたみません. 愛は 自慢せず, 高慢になりません.
礼儀に 反することをせず, 自分の 利益を 求めず, 怒らず, 人のした 惡を 思わず,
不正を 喜ばずに 眞理を 喜びます.
すべてをがまんし, すべてを 信じ, すべてを 期待し, すべてを 耐え 忍びます.”

相手の足を洗うことは人の咎や弱さなど受け入れることのできない様々な事を許すことです。
それが愛することでありイエスの弟子と呼ばれることです。互いの間に愛があるとき、
それによってすべての人がイエスの弟子として認めるようになるとイエス様は言っています。
また、愛することを新しい戒めとして私達に与えているのです。

でも私達は今それを実践しているでしょうか?
家族さえもなかなか愛せずにいるのです。
傷つけた言葉をいつまでも覚えて許そうとしないのです。
相手の過ちや弱さを受け入れようとしません。
ときには深まった溝で二度ともとの関係に戻れなくなった人々もいます。

しかし、イエス様はこの世を去るその瞬間まで人々を愛し続けました。
”十字架だ、十字架につけろ”と自分を死に追いやった人々にさえもイエス様は愛しました。
十字架につけられ死にゆく時にもイエス様はこう祈っています。
”父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。”

自分を迫害し苦しめた人々を恨むより彼らの咎や過ちを許すように神様に祈っているのです。
これこそ、愛の完成ではないでしょうか?
命を捨ててまで積み荷とである私達を愛したイエス様の十字架n死こそ
永遠の命を与えるための犠牲であり究極的な愛だったのです。

最後の”モリー先生との火曜日”に載っていた一つのエピソードをご紹介します。
弟子であったミッチ・アルボムはモリー先生が死ぬまで毎週火曜日
モリー先生の自宅を訪問しました。
そして、人生について、行き方について様々な話を聞きました。
そんなある日、ミッチ・アルボムは部屋の橋のある高い棚の上に飾ってあった
胸像について聞きました。
40代のモリーの姿を刻んだブロンズ像でした。
それは、モリー先生の友達だったノーマンという人が作ったものでした。
30年前に友達ノーマンが自分の家にモリー先生をまねいて何週間もかけて
その胸像を作ってくれたのです。
しかし、あることを栄に二人の友情は終わりました。

モリーの妻が大変な手術を受けるようになったとき、友達だったノーマンは
電話一本くれず見舞いにも来ませんでした。
それから、2,3回ノーマンと顔を合わせる機会がありました。
ノーマンはその度仲直りしようとしましたがモリー先生は許しませんでした。
その弁解に満足できなかったのです。
許すにはあまりにもプライドが高かったのです。

モリー先生は難病にかかる数年前に友達だったノーマンは癌になりました。
しかし、モーリは最後までノーマンのことが許されず見舞いにも行かず
仲直りすることなくノーマンはなくなりました。

モリーはそのことがどれほど辛く後悔しているかと涙を流しながら
ミッチ・アルボムにこう言ったのです。
”死ぬ前に人を許せ、自分を許せ、やらなかった全てについて、
やるべきなのにやらなかったことすべてについて自分もゆるせ”

過ぎたことをいつまでくよくよ悔やんでも始まりません。
仲直りすること、自分とそれから周囲の全てと仲直りしなければなりません。
人は生きている間に色々な過ちを犯します。
自分が犯した過ちも他人から受けた過ちも許さなければなりません。
人生はあまりにも短かく、いつまでも時間は待ってはくれません。

約2千年前にイスラエルの小さい町で生まれ育ったイエスさまは33年の短い人生を生きました。
イエス様の人生は十字架の死で終わりました。
しかし、今もその愛は人類に繋がれています。
罪人である私達を救うために流した血は今も私達にその愛を伝えています。

そして、罪赦されたイエス様の弟子として私達はその愛を実行して生きるものになりましょう。
イエス様が弟子たちの汚れた足を洗い、仕えたようにお互いの弱さを許すものになりましょう。
そして、私達の愛によって人々からイエスの弟子であると認められる存在になりましょう。

愛することができる今、許すことができる今、お互いを愛し、許しましょう。
自分を許し、他人を許しましょう。
お互い愛することでイエス様の弟子になりましょう。




  

Posted by 青い鳥 at 13:28Comments(0)説教

2018年03月28日

やくざになる人

やくざになる人
インターネットの調子が悪く、3日連続インターネット会社の職員が家を訪問しました。
マンションに設置した機器の不具合らしく思いもよらなかった訪問客のせいで大慌てしました。
部屋中にチラがっていたものを移動したり隠したりとパニック状態でした。

機器の取り外しと設置など根本的な処置が必要なのでマンションの管理会社に連絡したり
入居者への案内など時間がかかりそうです。
インターネット速度が早くなると言って数年前から利用しているインターネット会社です。
最近動画を見ていると急にぐるぐる回る円が出てきてイライラしていたのですが
全くネットが使えない状態になり本当にネットにどっぷりハマっていた自分に気づきました。

何度もスマホを覗いたりインターネット電話を確認したりして自分が情けなくなりました。
それでネットを使うのは諦めて久しぶりにテレビの録画番組を見ました。
NHKテレビの”アナザーストーリーズ運命の分岐点”です。
神戸のヤクザ組織山口組の闘争劇を扱った内容です。

個人的にヤクザから牧師になった人を3人知っています。
ヤクザについての知識はヤクザを辞めるときには小指を落とされるとか
入れ墨のことぐらいしか知りません。
口が汚い人もいましたが穏やかで紳士的な態度など
全くヤクザに見えない人もいて驚きました。

山口組の4代組長まで登り上がった竹中という人の射殺事件や
2つの組に別れたヤクザ組織の暴力事件に関わることになった
人々の話と内容は興味深かったのです。
そして、山口組の顧問弁護士になってヤクザを身近で見て接していた
山ノ内弁護士の話は考えさせられるものがありました。

6法を知り尽くしながらも最後まで暴力という手段で生きた人、
男の仕事の中で命がかかってしまうのはヤクザしかないと
それが面白いと言ってヤクザの日々を生き結局殺された人、
人生のかけっぷちで極端な選択をしてしまった人々や
覚醒剤にハマり年を取ってやっと平凡な日々を生きる人など
ヤクザという道を選んだ人々の話は心を重苦しくしました。

言われなげれば絶対ヤクザだったとわからなかった人々、
彼らはどうしてやくざになったでしょうか?

番組の中では”ヤクザと日本人という本の””ヤクザ集団の構成層は
いつの時代においても社会から疎外された被差別階層であった”という文が紹介されています。
やくざになって犯罪に手を染め、時には薬物に手を出す組員たちは
国籍や土地のことで差別を受けたり貧乏人の子で学校に給食を持っていくことのできない子供で
みんなわけがあってワケありの人間がやくざになってくる、
ヤクザにならざるを得なかった生い立ちにある意味同情すると山ノ内弁護士は言います。

彼もやくざになった人々に似た生い立ちの中でただ一つだけ違うことがありました。
苦労しながらも息子を信じ応援し続けた母親がいたのです。

生涯警察官として生き退職した伯父は生涯忘れられない言葉を残しました。
”問題児はいない、問題家庭があるだけだ。”
現役時代、様々な犯罪者たちに出会い取り調べていく中で悟ったことだと思います。

そして、山ノ内弁護士も似たような言葉を語ります。
親がそもそも子供に愛情が全然ない、うまんといたら良かったいうような
生んで迷惑してる親の愛情の欠落、親の愛情がなかった子供がやくざになっていくと。

最初からヤクザになりたくてなった人はいないでしょう。
それそれなにか自分なりの理由や言い訳があるでしょう。
望まれてない親のもとに生まれた事や様々な理由で受けた差別や
傷などが一人の少年を光の世界から暗闇の世界に導く原因になっていくのかもしれません。
もし、一人でも彼を愛し、支え、信じる人がいたらそんな道への誘惑から勝てたかもしれません。
どうか、私達一人ひとりが誰かの道を光の世界に導く存在でありますように!!!!

  

Posted by 青い鳥 at 22:51Comments(0)

2018年03月20日

本ー7つのステップでスマホを手放す(退屈すれば脳はひらめく)

本ー7つのステップでスマホを手放す(退屈すれば脳はひらめく)
4年前に初めてスマホを手にしました。あっという間にスマホの魔力に陥りました。
次から次へとアプリをインストールして試す日々が始まりました。
毎日ユーチューブにはまり、寝る時間まで惜しんで動画を見たり聞いたりしました。
フェィスブックの”いいね”を確認し、写真をアップロードするために
きれいな風景や外食の度、習慣のようにスマホで写真を取りました。

そんな毎日が続き、酷使されたせいか寿命になったせいかとうとうスマホの調子が悪くなりました。
買い替えを真剣に考えましたが膨らんできたバッテリーを交換して、まだかろうじて
動くスマホを今は電話機能だけに留めて大事に使っています。
調子が悪くなり仕方なくスマホから離れるようになっていますが
いっときスマホの虜になっていた私が心から頷きながら読んだ本があります。
”7つのステップでスマホを手放す(退屈すれば脳はひらめく)”です。

「本の中からの引用」
2015年2月、ニューヨークのラジオ局が配信するポッドキャスト番組が
1週間に続く7つのプロジェクトを企画し、2万人以上のリスナーが参加しました。
毎日ひとつずつレッスンをこなしてスマホを手放し、創造性を取り戻そうという取り組みは
大きな反響を呼び、大勢の参加者がありました。
インターネット、 ゲーム、スマホやソーシャルメディアへの依存や中毒に薄々気づきながらも
自分を制御できない人々がそんな状況から脱出するために参加し、自分を顧みる経験をしました。

ニューヨークのラジオ局のディレクターでホストを務める著者マヌーシュ・ゾロモディ
が出産後子育てに入り気ままにスマホやネット端末装置にアクセスできない
退屈な日々の中で前よりもっと創造力豊かに動く自分の脳を発見しました。
そして、スマホから離れてもっと創造的な時間を過ごすために
企画したラジオ局のポッドキャスト番組からこの本が生まれました。

まず、退屈な時間がマインドワンダリングへの入り口であると言います。
マインドワンダリングは私達が退屈するときや何もしてないときに脳が行う活動で
そのおかげでシナプスとシナプスがつながりだし、夕食の献立や地球温暖化への革新的な対策や
その他あらゆる難問を解決できるようになるようです。

私達はインターネットによって様々な人や場所、考え方にかつてないほど
自由にアクセスできるようになりました。
距離や文化、言葉の障壁を取りはらうインターネットの威力は大いに賞賛されてきました。
インターネットは視野を広げたいと願う人々の要望に答えます。
しかし、一方で大多数の人々の視野を狭める原因にもなっています。

テクノロジーのおかげでいつでもどこでも仕事ができるようになったけれど
同時にそのせいで集中力が絶えず途切れる羽目になりました。
インスタントメッセージやメールの着信通知でしょっちゅう仕事が中断されるのです。
情報は国際規模で飛び交っていますが、実のところ我々の関心は
極めて局所的で仲間内に限られたものになっています。

また、注意力の低下、記憶力の低下等が挙げられています。
スマホで写真ばかり撮っていると脳は記憶することを怠けてしまうと言います。
そして、文章の読み方そのものが変わっています。
リンクやスクロールに慣れると長い文章や難しい文章をじっくり考えながら読み通す力が衰えます。
それは、結局テクノロジー産業の食い物にされることにつながると警告しています。

著者が指摘するテクノロジーの問題点は人と人のつながりが希薄になり、
スマホが見えるところにあるだけで、目の前にいる相手に共感しにくくなるので
そんな人々が作り上げている社会は真剣な交流のない人間関係を作ってしまうのです。

2014年に発表された”iphonenの影響、そしてスマホが存在する状況での対面による社会的交流”
という研究の中でヴァージニア工科大学の研究者たちはスマホがあるだけで
二人の間に共感が生まれにくくなると報告しています。
フィールド実験で100組のペアが10分間会話をしているのを離れたところで観察しました。
年齢、性別、人種、民族、その場の雰囲気にかかわらず、スマホがない時の会話は、
あるときに比べて遥かに上質だったと発表しています。
スマホがあるだけで会話の質が下がるし、誰かといるのにスマホに気を取られてしまう
今の現状を伝えています。

実際に著者は自分の弟との会話の様子を書いています。
弟がスタップとメールしながらでもちゃんと会話をしていると言われると
頭にくると著者は言います。
“ああそうだね、もちろん”といい加減に相槌をうつ弟がやっとスマホを置き、
“待って、なんだって、聞きそびれちゃった”聞くとき著者は
“何度も言わせないでよ、私も忙しいんだから”とつぶやくのです。

大人同士でもスマホをいじりながらの会話は人々を傷つけますが
子供にはもっと大きな影響を残します。

1970年代、エドワード・トロニックという発達心理学者が幼児と母親を向き合わせて
観察した”無表情実験”はとても気になります。
実験は普段通りの接し型をしていた幼児と母親が無表情の時間帯になると
母親は3分間淡々とした表情で赤ちゃんに反応せずその後
またいつもどおりの母と子の関係に戻ります。

ある母親が無表情を保った3分間に赤ちゃんはどんな様子を見せたでしょうか?
赤ちゃんはたちまち真顔になりそれから用心するような表情になりました。
そして、いつもの双方向のやり取りをしようと母親に何度も働きかけました。
それでもどうにもならないと、今度は諦め、絶望的な表情になって内にこもり、
母親から体ごと顔を背けたのです。

赤ちゃんのこの反応は類似する実験で80回以上も再現され
幼児期に接する大人が無表情だとその子の将来の行動や愛情の深さなどに
影響があると警告しています。

MIT教授の社会学者で臨床心理学者のシェーリー・タークルは本”つながっていても孤独”、”
一緒にいてもスマホ”で直接あって話すより、バーチャルな心理カウンセリングやメールが
好まれるのは人間的な感受性や会話をあまり大切にしない社会の流れのせいだと言っています。
会話というのは前の会話を覚えている相手とするもの、過去の流れと共感があるからこそ
会話が成り立つと言います。

そして、タークルはこのように警告しています。
”他人と顔を突き合わせながら無視されるのが子どもたちにとって有害なのは
大人にとっても同じです。関わろうとしている相手がほとんど共感を示さず、、
まるで関わりたくないとでもいうように文字通り顔を背け、何か他のことに
気を取られているとしたら耐えられないでしょう。
実際、私達は、今互いにずっとそうしているんです。
それが社会の新たな風潮になっています。
私達はこうした人間関係についてよく考え、デバイスではなく、
絆を結びたいと願う相手へと再び心を向けるべきです。”

テクノロジーは注意散漫をひき起こす史上最大の原因になりました。
それをどう使うか意識を高め、ふさわしい選択をする能力を養わなければならない、
優先順位をつけて、自分にとって何が大切かを探す時間とゆとりを自分に与えること
それぞれの目標に向かって着実に前進しているかどうか、きちんとチェックすることを
著者は助言します。

よほど気をつけていないとユーザーの時間をできる限り奪おうとする
優秀な頭脳集団の思う壺になり、そして、一日のスキマ時間をすべて奪われ、
退屈する時間がなくなり、独創性もなくなると言います。
ネットにダラダラと時間を費やすことはジャンクフード並の情報を貪り続けることで
大切なのは意志を持ってテクノロジーを利用すること、
テクノロジーを優秀な召し使いにしなければならないと著者は主張します。

さらに、一番大きな代償は忍耐を失ったことだと著者は書いています。
相手の話を最後まで聞く忍耐、難しい文章の複雑な論点を理解するために
一、二度ではなく三度読む忍耐を失いつつあります。

24時間繋がっていてどこでも人々が夢中になっているインターネットは
結局薬物とギャンブル、ショッピング、ポルノを一つにしたようなものと厳しく表現した人がいます。
しかし、人々はそのネットに繋がっているスマホを手放すことができません。

そして、この本の中には実際に生活で支障をきたしている人々を面白く掲げています。
ゲームにハマりすぎてちょっと情けない著者,せっかく娘の遠足に参加したのに
フェイスブックをアップするのに夢中で1時間も口を利かなかったお父さん、
何年も夜な夜なゲームをし続けてゾンビのようになってしまったハーバード大出身のお父さん、
そして、ネットの世界に繋がれているスマホから離れられない自分にもどかしさを感じて
ラジオ局の企画に参加した2万人もの人々や中毒予備軍の私達がいるのです。

人々の人生をますます占領してくるスマホを制御するために著者は幾つかの助言をしています。
頭痛の種、使いすぎてるアプリ、逃避のために使っている,
大切な何かを犠牲にしているなにか、後ろめたさを感じている何か
例のアプリやアカウントを削除せよと言います。
ゲームだけではなくソーシャルメディア、天気予報、ウィキペディアなどなど
それぞれが問題だと思っている何かを思いっきり削除するように著者は言います。

これからの世代は黙読と流し読みの両方の能力を身につけるべきであり
情報の記録には手書きのメモが勧めでビデオゲームをするときはタイマーをセットするように
時間をきっちり区切ってプレイすればゲームのしすぎや現実逃避を防げるし、
脳に良い影響を与えると著者は助言します。

ゲームは20分がベストでゲームをするにも適度な時間を知らなければならないので
タイマーかなにかを使ってゲームの時間を自分でコントロールできないと、
やがて依存症になり解決しようとしていていた問題をむしろ悪化させてしまうと言います。
そして、望ましくない行動を取ってしまうものへのアクセスを少しだけ面倒にするなど
スマホから離れるように環境を変えバランスの取れたテクノロジーの使い方をして
本当に大切なものとデジタル機器が折り合うようにできるだけ工夫することを言っています。

グレッグ・マキューンという人が顧客に教える時間の使い方はとても参考になります。
自分にとって何が一番大切かを見極め、それを中心に人生を設計することを目指す。
第一段階本当に重要なことが何かを見極める時間を作る
第二段階大事ではないことをすべて削除する
第三段階自由になった資源を再分配し、もっと重要と判断したことを追求することにそれを用いる。

墓石に”メールをチェックしていた男”として書かれる人生、
”リンクをクリックして、あとで読もうとたくさんの記事を保存した女”
だが実際に読むことはなかった人生にならないために
今、私達はスマホとの付き合い方を本当に真剣に振り返る必要があるのかもしれません。
  

Posted by 青い鳥 at 17:15Comments(0)

2018年03月07日

本ーもリー先生との火曜日

本ーモリー先生との火曜日
英語で書かれた”モリー先生との火曜日”を古本屋で見つけて買ってきたのは数年前のことです。
しかし、その本はいまだに読まれず本棚にあるままです。
中国語とヘブライ語、古代ギリシア語の勉強で過ぎていくこの年末、
そんな毎日にも少し飽きて借りてきたのがこの本です。

著者はスポーツコラムニストとして活躍しているミッチ・アルボムです。
彼が難病ALSに侵されているかつての大学の恩師、モリー先生と16年ぶりに再会し、
病で徐々に弱っていく老教授と人生の様々な主題について語りあった内容をまとめたのがこの本です。

毎週火曜日に行った一人の学生に向けての老教授の最後の授業、
二人だけの講義録を最後の論文と呼んでいました。
徐々に体の機能を失っていく中でそんな自分の状態に苛立ち、不平や不満を言って
過ごすよりは、人々に愛を注ぎ自分の死にも真剣に向き合った先生の姿と生き方に
何度も涙しました。

一人、二人と周りの人がこの世を去っていく中で私も死について真剣に
考えるようになっています。
そんな日々の中でこの本は死と人生についてとても参考になりました。
いずれは死ぬということを認めていつ死んでもいいように準備すること。
そうすればより真実に人生に取り込むことができる、
今日がその日か?用意はいいか?するべきことをすべてやっているか
なりたい人になっているかを毎日自分に問うことによって死ぬ準備をしていると
答えたモリーの話は心に響きます。

搾取することなく人に貢献できる場として選んだ道が研究の世界だという
彼の選択も何だか悲しいものがあります。
50年代はじめテェスナットーロッチー精神病院で精神病患者を観察し、
記録する仕事を通して知り、悟った人間に対する愛と深い洞察力は
彼の人柄をよく表しています。

テェスナットーロッチー精神病院には一日中金切り声を上げる患者、一晩中泣き叫ぶ患者、
下着を汚す患者、頑として食べようとしない患者などがいました。
そして、毎日自分の部屋から出て通路のタイルの床にうつ伏せて
何時間も寝ている中年の女性患者もいました。
医者も看護師もその患者に気づきながら、避けて通っていました。
夕方までそのままの格好で誰にも話しかけず、みんなからも無視されている
彼女のことがあまりにも不憫でモリーは彼女が寝ている床に座り、寄り添って
なんとか惨めな状態から引き出そうとこころみました。
そして、彼女を座らせ、部屋に戻らせることができたのです。

研究を続けた5年の間に彼は患者と仲良くなりました。
この病院にいられて幸せだといった女性患者もいました。
誰かれ構わず唾を吐けかける人が彼を”私の友達”とまで呼んでくれました。
二人は毎日話し合っていました。
しかし、ある時、その女性患者が脱走して近所の店の奥に隠れたので
病院の職員から彼女を連れ戻すのに手を貸してくれと頼まれました。

駆けつけた彼を見た時、彼女はモリーにこう言い放ったのです。
”やっぱりあんたも仲間なのか?”
”仲間って誰の?”
”看守たち”

テェスナットーロッチー精神病院にいる患者の多くは裕福な家庭に生まれ経済的に恵まれていました。
しかし、ほとんどみな毎日の生活で拒否され、無視され、存在しない者同然の気持ちを味わい、
周囲の思いやりも欠けていました。
そして、モリーは金では幸福や満足は買えないという教訓を得たのです。

毎週火曜日にモリーを尋ねる著者に対しても他の誰かと一緒にいるときも
モリーはまっすぐ相手の目を見て、その相手がこの世で
ただ一人の人間であるかのように耳を傾けました。
恐ろしい話をするとモリーの目はうるみ、馬鹿なダジャレには面白そうに目元にシワを寄せて
いつも感情を素直に表しました。
そして、モリーは言います。
”誰かと一緒にいるときはまさにいっしょでなければならない、
二人の間に進行していることだけに気持ちを集中している、
君に向かって話をし、君のことだけを考えている”

スマホに夢中になり生半可な答えや返事をしている人々が増えてる
今の世の中で、モリーの言葉には考えさせられます。

モリーの生き方を決めた父の死の話にも悲しいものがあります。
小言をいい、育ててくれた人、働くことを教わった人、話をしてほしかったのに黙っていた人、
母の思い出をみんなと分かち合いたいのに黙っていろといった人が彼の父でした。
その父は強盗に襲われ心臓麻痺で死にました。
身元確認のために駆けつけた死体保管所の硝子窓越しにお父さんの亡骸を見ながら
自分は父とは違う人生をいきたい、違う死を迎えようと彼は心に決めたのです。
”たくさん抱いて、キスして、喋って、笑って、みんなにサヨナラを全部忘れずに言うと。”
そして、モリーはまさにその約束を実践していきました。

毎日が忙しく過ぎていく中で人々はますます急ぐようになっています。
そして、心の余裕をなくしていきます。
車の運転にまつわるモリーの話はそんな人々に笑顔を与えています。
誰かが追い越そうとするとモリーは手を上げていかにもだめのゼスチャーをします。
指を立ててばかにするような仕草をして手を振って先にいかせてニッコリ笑うのです。
すると向こうからも笑いが帰ってくるといいます。
”私は車に乗っている時、そんなに急ぐ必要を感じない、エネルギーは人間同士で使いたい”
とモリーは言います。

そんなモリーの人生でも一つ悲しい思い出がありました。
モリーの部屋の端にある高い棚の上に載せた胸像は40代のモリーのブロンズの像でした。
30年前に友達ノーマンがケンブリッジの家に招待され地下室で何週間もかけて作ってくれたのです。
しかし、親しくしていた二人の友情は壊れました。
モリーの妻のシャーロットが大変な手術をしたのに、
親友のノーマンも奥さんも連絡してこなかったのです。
手術のことは知っていたのに電話で経過がとうなったかも聞いてこなかった事で縁が切れました

それから、2,3回ノーマンと顔を合わせる機会がありました。
ノーマンはそのたびに仲直りしようとしましたが結局モリーは許しませんでした。
その弁解に満足できなかったのです。許すにはあまりにもプライドが高かったのです。
モリーは自分が死の病にかかりノーマンがガンで死んだときも会いに行かず
許さなかった事を悔やみ、それががどんなに辛いかを語ります。

そして、死ぬ前に人を許せ、自分を許せと著者に言います。
他人と自分を許すことを語ります。
”やらなかった全てについて、やるべきなのにやらなかったこと
すべてについて自分もゆるさなければならないといいます。
過ぎたことをいつまでくよくよ悔やんでも始まらない。
仲直りすること、自分とそれから周囲の全てと仲直りしなければいけない
自分を許せ、人を許せ、待ってはいられない。”

人は生きている間に色々な過ちを犯します。
自分が犯した過ちも他人から受けた過ちも許さなければなりません。
人生はあまりにも短かく、いつまでも時間は待ってはくれないので。

結びの言葉でミッチが書き残したものがあります。
”もっと心を開くこと、マスメディアなどを通して流される価値観にとらわれないこと、
愛する人が話をしているときにはこれが最後のつもりで注意を払うこと
いずれではなくすぐにでも飛行機に乗ってマサチューセッツ州ウエスト
老紳士モリー・シュワルツ教授が病気にかかって踊れなくなる前に会いに行くこと”

人生はもっと大事にしなければならないことがどれほどあるでしょうか。
私達がそれに気づくのはあまりにも遅いのです。
けれどもモリーは私たちに生き方を振りがえる機会を与えています。
彼は人生に手遅れというものはないと、最後のサヨナラを言うまで変わり続けたのです。

死は私達が必ず迎える問題です。
死で人生は終わります。
しかし、モリーは言います。
”死で人生は終わる、しかし、つながりは終わらない。
人間はお互いに愛し合える限り、またその愛し合った気持ちを覚えている限り、
死んでも本当に行ってしまうことはない、またその愛し合った気持ちを覚えている限り、
死んでも本当にいってしまうことはない、作り出した愛は全てそのまま残っている、
思い出は全てそのまま残っている、死んでも生きつづけるんだ、
この世にいる間に触れた人、育てたすべての心のなかに。”

週に一度火曜日にモリーの自宅で行われた最後の授業
人生の意味と経験を元に綴られた講義はモリーが死んだ今も
彼の生き方と彼が残した言葉は人々の生き方に影響を与えているのです。
  

Posted by 青い鳥 at 23:07Comments(0)