2011年02月28日

いつ学校行けるの?

いつ学校行けるの?

神学生として母教会で行う最後の教会学校の司会をしました。
教会学校の先生と子供たち全員が参加する合同学級の司会です。

前半の30分間の間賛美をし、ゲームをする時間があります。
いつもゲームの時迷っているのですが今回は
この前牧師先生が新しく仕入れたゲームをしました。

朝起きて学校へ行くまでの日課をふりをつけて
じゃんけんをして勝ちを決めるゲームです。

4段階があり4段階を勝った人の勝ちです。
1段階は背伸びです。
2段階は歯磨きです。
3段階は食事です。
4段階は自転車を漕ぎます。

それぞれの振りがあって同じ段階の人2人がじゃんけんをして
勝った人が次の段階に進むことが出来ます。
負けた人はたとえ3段階にすすんでいても
初めての段階に戻らなければなりません。

早速ゲームが始まり続々とゲームに勝った人々が
前に集まりました。
しかし、じゃんけんに弱い人々はいつまでも終わりません。

牧師先生の長女が『私はいつ学校に行けるの、いつまでも学校に行けない。』『全然食事を食べられない』と呟いていました。
その姿に思わず笑ってしまった私です。

結局勝負が決まらなかった5人の子供たちには罰則として
お尻で自分の名前を書くことにしました。
みんな楽しかったのかしら。

時間が7分位あまっていたので「祈りは答えられる」という
2つの話をして終わりました。

中学校に入ると部活や色々な学校の行事で子供たちが
なかなか教会学校に来られなくなります。

そのような子供たちが教会学校で過ごした楽しい思い出や
教会学校の先生に教えられたイエス様のことを忘れず
イエス様を信じて素晴らしい人生を歩めるように願っています。

箴言10:1『知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみである。』






  

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2011年02月27日

最後の一周

最後の一周

卒業式の日まで荷物を全部もって寮を出なければなりません。
3学期に入り引っ越しで頭が痛い日々を過ごしました。
一人暮らしの時の荷物をもってきているので半端な量ではありません。

住まいも決まらないまま日々が過ぎて行きました。
結局荷物は当分の間母教会に預けることになり
牧師先生がワゴンで運ぶことになっています。

錆が付いている自転車を久しぶりに乗りました。
寒い日が続いていたので数ヵ月ぶりです。

1年の時から始まった学院敷地内の一周もこれで最後です。

最近ピアノで一生懸命に練習している讃美歌を歌いながら
敷地内を回りました。

春を知らせる梅の花びらが風に吹かれて舞いおりている中
さわやかな春風が吹いてとてもいい気持ちです。

主よ我が魂はすべてあなたの物。
主の喜びに私はなりたい。

この讃美歌を思いっきり歌いながら自転車を漕ぎました。
学院での最後の鬱憤晴らしです。

ちょうど男子寮に差し掛かったところ2年生のK兄弟に出会いました。
記念に写真でも撮ると言って携帯を取り出して
写真を取っています。

何の記念になるのだろう。

男子寮の大きな3本の木は今も元気な姿で風に揺れています。
その木を見上げるたびなぜか私は「アルプスの少女ハイジ」を思い出します。

頑固なおじいさんと暮らす明るく元気な少女ハイジ、
彼女が愛したお爺さんの家を囲む木が浮かぶのです。

沢山の出会いがあり色々な事があった学院生活も
後1週間余りで別れを告げます。

過ぎゆく季節のように人々の記憶も薄れていきますが
みんなそれぞれ使わされた場所で元気で幸せな日々を
過ごすことを願っています。

『私のうちで、思い煩いが増す時にあなたの慰めが

わたしのたましいを喜ばしてくださいますように。』詩篇94:19



  

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2011年02月25日

説教ー愛する人よ共に行こう

説教ー愛する人よ共に行こう
2009年6月2日火曜日

わたしは今、学院で聖書を学び神様を知らない人々に
イエス様を知らせる為の訓練を受けています。

わたしは韓国で生まれ韓国で育ちました。
結婚して初めて日本に来ました。
日本語を早く覚える為に毎日テレビを見て
知らない言葉は辞典で調べました。

日本に来て一番早く覚えた言葉は「新発売」と言う言葉です。
毎日、毎日テレビで流れたから自然に覚えてしまったのです。

今でも思い出すと笑ってしまうことは引っ越し屋の宣伝で使われた
『べんきょうしまっせ、引っ越しのさかい』です。
どうして引っ越し屋で勉強するのだろうとずっと疑問に思いました。

そんな私が今、講壇にたち日本の人々の前でメッセージを語る
日が来るとは想像すらしませんでした。

今日私は「愛する人よ、共に行こう」と言う題でお話しします。
わたしたちは生活する中で人はどこから来てどこに行くのだろうと
一度ぐらいは疑問に思ったことがあると思います。
生きている意味は何だろうと思ったこともあるでしょう。

わたしは小学校5年の秋、そんな疑問をもちました。
満月の月を見ながら空の月や星は誰が造ったのでろう。
人はどこから来て死んでどこへ行くのだろうと真剣に思いました。

鉛筆1本でも作った人がいます。
わたしがすんでいる世界もきっと想像もできない
大いなる存在が造ったじゃないかと思いました。
それから聖書の本を読んで創造主なる神様の存在を知りました。

聖書はこの世のすべてがだれによって造られ
人はどのように生きるべきかが書かれた本です。
聖書は聖なる書物、聖なる本と言う意味です。

聖書は66刊の本が集まったもので約1,500年にわたり
40人の人が神の霊感を受けて書きました。

第2テモテ3章の16節にはこう書かれています。
「聖書はすべて神の霊感によるもので
教えと戒めと矯正と訓練とのために有益です。」

聖書は古い契約と言う旧約聖書と新しい契約という新約聖書でできています。
旧約聖書は最初イスラエルの文字のへブル語で書かれていて
新約聖書はギリシャ語で書かれていました。

しかし、今は多くの国の言葉で翻訳され全世界で最も多く売られています。

創世記と言う本から始まり、黙示録で終わる聖書は
この世の始まりからこの世の終わりのことが書かれています。

それではこの世は誰によって造られたでしょう。
創世記1章1節にはこう書かれています。
『初めに神が天と地を創造した。』

わたしたちが住んでいる地球、空の太陽、月、数えきれない星まで
すべての物は神様の作品です。
今も神様は私たちが住んでいるこの世界、そして宇宙を治めています。

自然を研究すればするほど計り知れない神様の存在を感じます。
皆さんは山の動物が豊作の時は多くの子をうみ、
そうではない時は子を少なく産むことを聞いたことがありますか?

まだ実りの量を分からない時、動物は神様によって守られ養われているのです。
ヨブ記の38章41節にはこう書かれています。
『烏の子が神に向かって泣きさけび
食物がなくてさまよう時、烏にえさを備えるのはだれか。』
その方こそ神様です。

それでは人はどこから来たのでしょうか。
創世記1章26節にはこう書かれています。
『神は仰せられた。さあ人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて
彼らが海の魚、空の鳥、家畜、地のすべての物、
地を這うすべての物を支配するように。』

ここに、わたしたち人間の歴史が書かれています。
この世のものは私たち人間を含めすべて神様によって造られました。

創世記2章7節にはこう書かれています。
『神である主は土地のちりで人をかたちづくり
その鼻に命の息を吹き込まれた。そこで人は生き物となった。』

私たち人間はちりで造られ、神様の息で生き物になりました。
神のかたちに似せてつくられた私たち人間は
神様と交わりのできる祝福の存在でした。
そして、神様によって造られた世界を治める仕事が任せられました。

しかし、神様の命令に背いた罪により
私たち人間は神様との交わりが出来なくなりました。
人間は神様から離れ、そして神様を知らない存在になりました。
また、人間が犯した罪によりこの土地は呪われ、
人は病気や死で苦しむようになりました。

神様が私たちを造った時、わたしたちは永遠の命をもっていました。
しかし、罪を犯してからこの世に死が始まったのです。
死後、わたしたちはどうなるでしょう。
ある人は土に帰るだけやと言うかもしれません。

しかし、聖書は言っています。
死んでから私たちには神様の裁きが待っています。
罪人とは永遠の滅びの世界に、そうでない人は天国に入ります。

人間は生きているうちに色んな罪を犯します。
罪をもったまま人は天国に入ることはできません。
私たちが思う罪とは物を盗んだり、人を殺したりすることを
思い浮かぶかもしれません。
しかし、一番の罪はこの世を造った神様を知らずに生きることなのです。

ローマ書3章10節から18節にはこう書かれています。
『それは次のように書いてあるとおりです。
義人はいない。一人もいない。悟りのある人はいない。
神を求める人はいない。すべての人が迷い出て
みな、ともに無益なものとなった。

善をおこなう人はいない。ひとりもいない。
彼らののどは開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。

彼らの唇の下には蝮の毒があり、彼らの口は呪いと苦さで満ちている。
彼らの足は血を流すのに速く彼らの道に破壊と悲惨がある。

また彼らは平和の道を知らない。
彼らの目の前には神に対する恐れがない。』

神様の前で義人は一人もいません。
すべての人は罪人なのです。

今、日本であまり問題になっていないのですが
自殺者の数が年に3万人を超えたと聞きました。
私の知り合いの中でも4人の人が自殺をしました。

経済の問題やいじめ、孤独と色々な問題で人々は自分の命を絶ちます。
しかし、その一番の原因は神様を知らず神様から離れているので
生きる意味を知らないからです。

神様は人間をすべてのものより偉大な存在として作りました。
どんなに多くの財産があって、名誉があり、権力があっても
その人の心に神様がいない時その人は虚しさを感じるのです。

私たち人間は元々神様と交わるように造られたので
その交わりがない生活はどんなものでも埋めることが出来ないのです。

そのように、わたしたちは罪によって滅びていく存在でした。
しかし、そんな私たちを憐れみ、救うために
神様はこの世に自分の一人子を送って下さいました。

罪によって離れ離れになった人間と神様の和解をさせる為でした。

ローマ書3章の23節から24節にはこう書かれています。
『すべての人は罪を犯したので神からも栄誉を受けることが出来ず
ただ、神の恵みによりキリストイエスによる贖いのゆえに
価なしに義と認められるのです。』

2千年前にイスラエルのベツレヘムで生まれたイエスキリストがその方です。
毎年、多くの国々でクリスマスを祝います。
日本では11月頃から街角にクリスマスのキャロルが流れ、
商店街や駅、デパートではきらびやかなクリスマスツリーが飾られ、
人々はケーキを買って家族と食べたりします。

日本でクリスマスはサンタクロスがプレゼントをくれる日だと
思われているようですが、しかし、クリスマスは人間をすくうために
来られた神様イエスキリストの誕生を祝う日なのです。

イエスキリストは2千年前に大工の息子として生まれ
33年の短い生涯を生きました。
日本では昭和とか、平成という天皇の年号を使いますが
西暦はイエスキリストが生まれた年から数えた年号です。

イエスキリストは罪を犯し神様を知らず滅びの道に歩む
私たちのために来られました。
神様と私たちを和解させるため、わたしたちの罪を背負い、
十字架で死にました。
そのイエス様を信じる時、わたしたちの罪は綺麗になり
私たちは永遠の命を得ることが出来ます。

ヨハネの福音書3章16節にはこう書かれています。
『神は実にその一人子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が一人として滅びることなく
永遠の命をもつためである。』

ヨハネの福音世14章の6節にはこう書かれています。
『イエスは言われた。私が道であり、真理であり命なのです。
私を通してなければ誰ひとり父のみもとに来ることはありません。』

イエス様は神様であり神様の一人子です。
神様は罪を犯してひろ美て行く私たちのために
自分の一人子を死なせるほど私たちを愛したのです。

聖書はそれほど私たちを愛した神様からの切なる手紙なのです。
私の一人子イエスがあなたのために十字架で死んだ。
あなたの罪を全部きれいにするためにイエスを信じるだけで
あなたは永遠の命を得る。
それだから信じてほしい。一人も滅びないで助かってほしい。
それが聖書の訴えであり神様の願いなのです。

しかし、いま日本でイエスキリストを信じる人々は
1パーセントも満たないと聞きました。
イエス様を知らない人、イエス様を信じない人に永遠の命は与えられません。

愛する人の幸せを願うのが普通の人のころ個です。
愛すれば愛するほどその人の幸せを願います。

皆さんはイエス様を信じていますか。
皆さんの愛する人々は家族や友達はイエス様を信じていますか。
皆さんの愛する人々が一人残らずイエス様を信じ
永遠の命を得るよう祈ります。

それではどのようにしたらイエス様を信じることになるでしょうか。
それはイエス様が私の罪のために十字架にかかり
3日後に生き返ったことを心から信じ口で告白することです。

イエス様、わたしの罪のために死なれたことに感謝します。
あなたを信じます。私の心に来て下さい。
アーメンでいいのです。

その告白で私たちは新しい人生を送ることが出来ます。
この世に生きる間、わたしたちはいつも神様と交わりが出来
この世を去る時、わたしたちには永遠の命が約束されます。

ヨハネの福音書6章47節にはこう書かれています。
『まことに誠にあなたがたに告げます。信じる者は永遠の命をもちます。』

私は日本に来て20年近くなります。
個人的にとてもつらい時期もありましたが
本当に色んな人々に助けられ、今に至っています。

今、心から私が願っている事は私の愛する日本の人々が
一人でも多くイエス様を信じ永遠の命を得ることです。

いつか、わたしたちは愛する人々と別れを告げます。
しかし、イエス様を信じる人々は永遠の世界、
天国の再会が待っています。

私の愛する人々と一人残らず喜びの再会が出来るよう切に祈ります。
愛する人よ、共に行こう。











  

Posted by 青い鳥 at 13:17Comments(0)説教

2011年02月23日

素晴らしい偶然

素晴らしい偶然

火曜伝道集会の司会の当番が終わりました。
これで学院のすべての奉仕が終わりました。
ヨベルの年、解放の年です。

まだ試験が残っていますが3年間の色々な奉仕が
すべて無事に終わりました。

伝道集会の時は特にその日の司会者と説教者が
前もって讃美の選曲の打ち合わせをしなければなりません。

説教の流れに沿う選曲を心懸けるように
前から伝道部から注意されています。

せっかちの私が司会の時は早くて2週間前から
曲を選んで歌詞を覚えています。

それだから説教の内容と合わせるのはほとんど不可能です。
殆どの人がまだ説教が出来上がる前に選曲が終わっているからです。

今まで私が司会の時は自分の歌える曲を選び
説教の人に了解を得る感じで進めてきました。

今回もピアノ伴奏者に樂譜を1週間前に渡すように
前から言われていたので早速曲を選び楽譜を渡しました。

説教者にも見せた所たまたま2週続き同じ曲が入っているからと
言われましたのでその曲を他の曲に変えました。

そして、ついに緊張の伝道集会の司会が始まりました。
始まる前からお腹が痛くなる感じです。

何回も曲の流れに着いて行けず遅れましたが
とにかく無事に賛美リードを終えました。
証しが終わり、説教が始まりました。

説教が進む中で本当にびっくりしました。
私がたまたま変えた賛美の内容にピッタリの説教でした。

引用された聖句まで同じだったのでとても不思議な感じでした。
『誰でもキリストのうちに』と言う賛美です。

伝道集会に来られたNさんという方のイエス様を信じてからの
素晴らしい変化を話しました。

誰でもイエス様に出会うと新しく変えられるという
感動的な説教でした。

前も説教と賛美がぴったりだった時があってびっくりしましたが
本当に素晴らしい偶然で神様の働きに驚いています。

詩篇19:1
『天は神の栄光を語りつげ、大空は御手の業を告げ知らせる。』









  

Posted by 青い鳥 at 13:38Comments(0)

2011年02月21日

声、声の時期

声、声の時期

毎年3月の卒業式が近つくと色々な行事があります。
その中でこえ、コエ、声という企画部の仕事があります。

1年間学院で起きた学院生たちの楽しいエピソードを
募集して編集したものです。

毎年面白いエピソードが次から次へと書かれます。
色々な個性豊かな人々が集まっているので
事件、事故が後を絶ちません。

本当に神様はこんなにも色々な面白い人々を造ったと感心します。

企画部から言われ学院生全員が提出しなければなりません。
わたしが出したエピソードをご紹介します。

ペンテコステ大会に行く車の中です。
不思議と去年のメンバーが揃いました。
楽しいゲームもあり車の中は和気あいあいです。

長旅もそろそろ終わりに近づき遠くに富士山が見えました。
みんな感激の瞬間です。
そしてもっと感激したY姉妹の一言

「日本一高い富士山なのにどうしてあんなに小さいの?」
車の中は爆笑の嵐です。
いつも私たちを最高に楽しませてくれるかわいいY姉妹です。

箴言15:13 『心に喜びがあれば顔色を良くする。
心に憂いがあれば気はふさぐ。』






  

Posted by 青い鳥 at 19:16Comments(0)

2011年02月20日

祈りは聞かれる

祈りは聞かれる

学院で二つの翼の学びが始まりました。
オープンセルの学びの訓練では3年生がメインになって
進行、ゲーム、賛美などを導いています。

わたしは4課の[祈りについて]の進行をしました。
イエスの名によってする祈りを神様は聞いてくださるという
内容を伝えなければなりません。

なかなかスムーズに進みません。
中にはくっすり眠っている学生もいます。

どんな祈りも聞かれるかという質問には子供が包丁を欲しがる時
渡す親がいるかということで話しました。

どんなに欲しがってもそれが危なかったり必要ではない時は
神様はその祈りに答えて下さらないのです。
神様の目にもっといい時期にもっといいものを与えてくださるためです。

すぐ聞かれる祈り、なかなか聞かれない祈り、叶えられなかった祈りなどがあります。
しかし、その答えはすべてを知っている神様が私たちに最高の物を
与えてくださるためになさっていることです。

ある一人のクリスチャンの証しを紹介します。
毎日早天の祈りに出て献金と共に祈りの課題を出した一人の婦人がいました。
それは自分の子供たちがイエス様を信じるように願う祈りでした。

毎日毎日それが繰り返されました。
しかし、その婦人の祈りは聞かれませんでした。
30年後彼女は亡くなりました。

その葬式の時です。教会で行われた葬式の礼拝の時、
牧師はとても悲しい気持ちでした。
30年の間願い続けた祈りは叶えられず彼女はこの世を去ったのです。

そして、牧師はそのことをみんなの前で話したのです。
それから次の日曜日、驚くことにその婦人の子供と孫たち38人の人が
全員イエス様を信じますという決心をして教会に出席したのです。

祈りは必ず叶えられます。

『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、
感謝をもって捧げる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさ。』ピりピ4:6





  

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2011年02月18日

説教ー平安の主なるイエスキリスト


説教ー平安の主なるイエスキリスト
2009年6月4日木曜日

今日私は平安の主なるイエスキリストという題でお話しします。
学院では土曜日を除いて毎日礼拝がおこなわれます。

平日の15分の説教は1年間聖書を1回通読するように
振り分けられた聖書箇所担わせて語られます。

主に学院の先生と学院生が順番通りにして行きますが
時々、外部から来られる先生の説教も入ります。
今までは3年生になってからやっていた説教を
今年は2年生からやることになりました。

2年の初め、朝の礼拝の当番表を貰ってから
どのように説教を語るべきかとても悩みました。
夜中、目が覚めると眠れないほどでした。

ついに運命の日が来ました。とても緊張しています。

今日私に与えられた聖書箇所は詩篇1篇から5編までです。
詩篇は150篇の詩をもって神様をほめたたえた本です。
 
詩篇のためにい詩篇を読んでいるうちに詩篇4編の7節と8節が
心に響きました。
詩篇4編の7節と8節をお読みいたします。
『あなたは私の心に喜びをくださいました。
それは穀物と新しい葡萄酒が豊かにある時にも勝っています。

平安のうちに私は身を横たえすぐ眠りに着きます。
主よ、あなただけが私を安らかに住まわせてくださいます。』

5月23日のニュースを見てとてもビックリしました。
韓国で大統領だった人の自殺の知れせでした。
個人的に大統領の中で一番好きだったので信じられない気持ちでした。

私の周りでも今まで親戚の人を含め
知り合いの人が4人自殺をしています。

職場の上司だった人が近所に住んでいた人が自ら命を絶ちました。
事業の失敗で、家庭の問題で、旦那の浮気で
みんなそれぞれ違う悩みで苦しんだ末この世を去りましたが、
根本的な理由は彼らが平安の主なるイエス様に出会えなかったからです。

皆さんはカーネルサンダースと言う人を知っていますか。
大抵のケンタッキフライドチキンの店の前にはこの人の像が立っています。
眼鏡をかけて髭を生やした白いスーツのおじさんを覚えていると思います。

彼は6歳でお父さんを亡くしお母さんに育てられました。
家族のために高場で働くお母さんの代わりに2人の兄弟を世話するうちに
7歳の頃には殆どの料理が出来るまでになりました。

小学校を卒業してからは保険のセールズや
タイヤの販売などをして働きました。

ガソリンスタンドをやりながら始めたレストランが評判を呼び
彼は成功の道を走りました。
しかし高速道路が出来車の流れが変わり商売はうまく行かず
65歳の時全てを失いました。

事業に失敗し、体まで病気になりかれは病院のベットで
絶望の日々を送っていました。
そんなある日のことです。

どこかでとても美しい歌声が聞こえてきました。
彼はその歌声にひかれ病室を出ました。

「主はあなたを見守る。
どんな時もどこでも主はあなたを見守る。
いつも守ってくださる」という内容の讃美歌でした。

驚くことにその喜びに満ちた讃美歌は
松葉つえをしている掃除婦の歌声でした。
その人は片足しかなかったのです。

カーネルサンダースは掃除婦にどうしたらそんなに
喜ぶ人生になれるのかと聞きました。
その掃除婦は天国の望みをもっている人の喜びを伝えながら
イエス様を信じれば自分のように幸せになると言いました。

病院と退院してからカーネルサンダースはイエス様を信じ
教会にも行くようになりました。
自分のこれからの人生をどう生きるべきかを真剣に祈っていた
サンダースはある日、祈りの中で鶏が飛んでいる光景を見ました。

それを祈りの答えとして受け止めたカーネルサンダースは特技の料理だった
フライドチキンを作りいろんな店を車で回りながら売り込みを始めました。
それがケンタッキフライドチキンの始まりです。

彼が作ったフライドチキンは今は全世界80か所以上の国で
1万以上のチェーン店が出来多くの人々に愛されています。

カーネルサンダースは90歳でこの世を去るまで福音を伝える為に
多くの教会を建てたと聞きました。

最高の権力者の座に上り詰め、多くの人に尊敬されながら
63歳で自殺を選んだ人と全てを失って65歳で
新しい人生を歩んだ人の違いは何だったでしょうか。
それはイエス様との出会いです。

カーネルサンダースや片足の掃除婦はイエス様に出会い
生きる意味を見つけたのです。
どんなに名誉、権力、富があってもその人の心にイエス様がいなければ
その人の心は平安を得ることができません。
いきる意味を見つけることができません。

いまでも自殺をした親戚を思い出す時があります。
一緒に遊んだ幼い時の記憶がよみ返ります。

その時、いつもどうしてあの子がそんな選択をしてしまったのか?
防ぐ方法はなかったのか?
心の中でいつも悲しみと痛みを感じるのです。

この痛みと悲しみは自分の家族や知り合いの中に
自殺をした人がいる人はみんな持っていると思います。
しかし、一番悲しんでいる方がいます。
私たちの神様イエスキリストがその方です。

イエスキリストは2千年前に私たち、人間を
苦しみから死から解放するために十字架で死にました。

マタイの福音書11章28節にはこう書かれています。
すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのの所に来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます。

イエスキリストを信じる時、私たちは平安を得ます。
重荷を下ろすことが出来ます。
素晴らしい人生を始めることが出来ます。

どんな環境でも喜びの賛美を捧げることが出来ます。

今、あなたは幸せですか?
心に平安がありますか?
生きる意味をもっていますか?

どうぞ、イエスキリストを信じてください。
イエスキリストはあなたのために命を捧げるほど
あなたを愛しているのです。

イザヤ43章4節にはこう書かれています。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。

あなたのありのままの姿でいいのです。
どうぞ神様の名を呼んでください。

絶望に落ちいている時、生きる意味が見つからない時
だれにも愛されてないと感じる時、
どうぞ、イエス様の名を呼んでください。
必ず、神様はあなたの声に答えてくださいます。

イエス様は私たちに言っています。
どうぞ、あなたの命を無駄にしないで。
わたしのために歩んでほしい。生き抜いてほしい。

わたしたちは、わたしたちのために死なれた
イエス様のために生きる責任があるのです。

最後に第2コリント5章15節をお読みいたします。
また、キリストが全ての人のために死なれたのは
生きている人々がもはや自分のためにではなく
自分のために死んでよみ返った方のために生きるためなのです。


















  

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2011年02月17日

ローズのバイブル

ローズのバイブル

毎週帰る母教会の本棚には信仰に関するとても有益な本が沢山あります。
CDやテープもあり自由に借りることもできます。
土曜日の夕飯が終わってからは大体読書の時間です。

特に興味を注がれる本はドイツによる大量虐殺
ホロコストに会った人々の話です。

コリーテンブームやローズウォーマーの本を読みました。

ローズウォーマーはハンガリ生まれのユダヤ人です。
彼女は30歳のときアメリカ人の宣教師によってイエス様を信じました。
それからは自分の民族であるユダヤ人に
イエス様が救い主であることを伝える為に宣教師になりました。

彼女はユダヤ人にイエス様を伝える為に新約聖書を配り続けました。
その時、ヒットラによるユダヤ人への迫害が始まりました。
毎日のようにユダヤ人だという理由で
男女老若の人々が収容所に連れて行かれました。

彼女は宣教師だったので自分でユダヤ人だと名乗らない限り
収容所に入らなく済む立場でした。
しかし、収容所の中で希望もなく死んでいく自分の民族に
イエス様を伝える為に彼女は収容所に入りました。

そんな彼女を待っていたのはドイツ人と
ユダヤ人両方からの酷い虐めだけでした。

ドイツ人からは「汚いユダヤ人だ」と虐待されユダヤ人からは
『私たちを迫害して虐殺するクリスチャンはナチスの一味だ』と言われ
嫌われ虐めに会っていたのです。

それでも彼女は人々に福音を伝え続けました。
いつも身に持っていた聖書を収容所に入る時取られたので
手作りの聖書を造りそれでイエス様の話を伝えました。

12か月の収容所の生活のすえドイツの敗戦と共に
彼女は奇跡的に生き残り解放されました。

ローズの家族、親類や知り合いの中でホロコーストに生き残ったのは
アメリカに行っていたお兄さんと、他にお姉さん家族だけでした。
ローズのお母さんを始め270人の人々が亡くなりました。

彼女のお姉さんの家族が助かったことは奇跡のような話です。
彼女のお姉さんのフェリスは結婚してクリスチャンになりました。
そして二人の幼い息子たちと旦那さんは熱心なクリスチャンでした。

その地域の人々はみんな彼女がユダヤ人でクリスチャンになり
教会に行っている事を知っていました。

ある日、お姉さんが住んでいる地域にも
ドイツ人のユダヤ人探しが始まりました。

その地域の人々を全部集めて早速兵隊による尋問が始まりました。
お姉さんの幼い二人の息子の番になりました。

兵隊は二人の息子にこう尋ねたのです。
「おまえはクリスチャンか、ユダヤ人か。」
すると幼い男の子たちは『僕たちはクリスチャンです。』と
はっきりと答えたのです。

そしてお姉さんの家族は戦争が終わるまで
収容所に送られることもなかったのです。

ヒットラの時代ガス室で死んだユダヤ人たちは600万人も及ぶと言われています。
その生と死を決める言葉を考えながら私は心から恐れを感じました。
『僕たちはクリスチャンです。』この告白によって彼らは
死を免れることが出来たのです。

そして全く似たような質問を私たちはすべて
この世を離れる時受けるのです。
『あなたはイエスを信じていますか?』の質問に
『はい、わたしはイエスを信じています。』の一言で
永遠の世界が決まってしまうのです。

永遠の命か、永遠の死!!!

イエスキリストを信じ心に受け入れる時私たちは
死から命へと運命が変わるのです。

『二人は「主イエスを信じなさい。
そうすればあなたもあなたの家族と救われます」と言った。』使徒の働き16:31
















  

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2011年02月16日

私の助けはどこから来るのか?

私の助けはどこから来るのか?

3月4日の卒業まで後わずか3週間の期間が残りました。

住まいや働き場、経済的な事や健康問題など
色々な悩みの中で人間関係の問題まであり
気持ちの優れない日々を送っていました。

火曜日の伝道集会の日も相変わらず気持ちは沈み憂鬱でした。
トラクト配りの番だったのでいつもとは違う場所で
トラクトを配りながら最後の朝チャペのために賛美の練習をしました。

3学期から新しくピアノ伴奏に加わることになった1年生の姉妹から
Aコードの曲にしてくださいと頼まれたのでAコードの曲を3曲選びました。

2番目の曲があまり歌えないので一生懸命に練習しました。
歌っているうちになぜか自分のことのように書かれている歌詞で
だんだん元気が出てきました。

一様日本に残りますと約束はしたものの何も見えない、
どこを向いて進むべきかもわからない状態で
不安と悩みでもんもんしていたからです。

作詞、作曲をした人のように「私の助けはどこから来るのか?」と
山を見上げたい気持ちです。

「私は奇跡を信じる」という題名のこの曲の歌詞は次のようです。
私は奇跡を信じるー小坂忠:作詞、作曲

私は目を挙げ山を見上げる。
私の助けはどこから来るのか?
山よりはるかに偉大な神の奇跡を期待し賛美を捧げる。

私は信じる。奇跡は今でもあると。
私は信じる主イエスを奇跡の神を。

賛美の中におられるお方に栄光と誉れ賛美捧げる。

小坂忠さんはどんな苦難の中にこのような歌を作ったのでしょう。

絶望の中でも偉大な神の奇跡を信じ賛美を捧げると
小坂忠さんは書いています。
奇跡は今でもあると宣言しているのです。

奇跡を求めるほど大変な困難の中でも
奇跡の神を信じ賛美し続けた素晴らしい信仰に感動しています。

私は信じる。奇跡は今でもあると。

『万軍の主よ。
何と幸いな事でしょう。
あなたに信頼するその人は。』詩篇84:12










  

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2011年02月15日

二人の散歩

二人の散歩

午後1時半から行って始めた分科会の案内奉仕は4時5分前に終わりました。
販売ブースを回ってから泊りのホテルに向かいました。
ちょうどホテルの2階のロビーに着いた時M姉妹にばったり会いました。

一人で散歩に行くと言ったので私も行くことにしました。
長いスカートを入ったまま足の向くまま歩いて行きました。

行きついた所は乗馬クラブでした。
了解を得て中を見物しました。
乗馬のための色々なものが置いてあり販売もしていました。

外では一人の人が悠々と馬に乗っていました。
くるっと一回りしてから違う散歩道を探して乗馬クラブを出ました。

歩いているうちに山に向かう散歩道を見つけたので
印について山を上りました。
急な坂道を登り終えるとホテルの周りの景色が
きれいに広がっていました。

M姉妹が早速叫びました。
「神様、この山地を私に下さい。」
そのうちM姉妹は静岡の人と結婚するかもしれません。^ 0 ^

山のてっぺんには神社があり、時間があったので上ることにしました。
偶像崇拝だと嫌がるM姉妹を私が誘ったのです。

偶像崇拝だと避けるのではなく何かに頼る存在を求めている
人々の弱さを覚えて間違った対象から正しい神様に導く責任が
クリスチャンにあると私は主張しました。

帰りの道は綺麗なチャペルの前を通ってホテルに戻りました。
広く広がる芝生の上を歩きながらロマンチックな恋人たちの
姿を思い浮かべながら語りました。

「この道は恋人と腕を組んで歩かなければならないのに」と
呟きながら私が「M兄弟」と呼びながら腕を組みました。

M姉妹が『いやだ』と言って素早く逃げましたので爆笑しました。
いつも前向きで明るく元気ななんでも一生懸命なM姉妹は
きっと素敵な牧師夫人になると思います。

M姉妹と2人で過ごしたとても楽しい午後の一時でした。

静岡で牧師または牧師を目指している素敵な男性方
是非、ごれんらくを!!
素敵なM牧師夫人が待っています。

『麗しさはいつわり、美しさはむなしい。
しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。』箴言31:30











  

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