2012年02月15日

 最後の伝道


堺エリム教会で2月12日礼拝のメッセージをしました。
学院の1年の時に伝道集会のために初めて行った教会です。

久しぶりに教会も訪問でき人々の前で話す緊張の時間でした。
30分のメッセージがどうしても書けず20分のメッセージになりました。

卒業したら伝道やメッセージからは永遠に解放されるだろう
と思っていたのですがどうしてこうなるのと不思議に思っています。

5泊6日の日本滞在でお世話になった方々に心からありがとうございます。
今日も幸せで元気にお過ごしください。

メッセージを一緒に送ります。
お読みになり気づきの所があったら遠慮なくお話し下さい。

説教 最後の伝道( 2012/02/06日曜日)
こんにちは。
久しぶりに堺エリムキリスト教会に来ています。
私が始めてこの教会に来たのは5年前のことです。
5年前、私は奈良県生駒市にある生駒聖書学園に入学しました。

生駒聖書学院は本当に神様であるイエスキリストについて学び
そしてイエスキリストを知らない人々に
イエスキリストを伝えるための勉強と訓練を受ける学校です。

学歴や性別、年齢や国籍を超えて日本全国または外国から来た人々が
机を共にして勉強をしています。
朝5時におき、夜の10時半には部屋の電気を消す寮生活です。

授業の一つとして毎週火曜日の午後には実際に教会に行って
学生たちによる伝道集会が開かれます。
午後7時の集会の前には人々を教会に招くためのトラックと配りや
ポスヂンクをします。
集会の司会や賛美そしてメッセージまですべてを学生たちが
企画して行う実践の場です。

入学生の一人として初めて参加したのが堺エリムキリスト教会です。
学生たちは生駒から堺エリムまで2台のワゴンに乗って教会に来ました。
きれいに飾られた教会はとても温かく上品な感じでした。

教会でお祈りをしてからトラックとを配りに出かけました。
二つのチームに分かれて市役所の前と堺東駅の前でトラックとを配りました。
その日、私は市役所チームの一人でした。

みなそれぞれはなれてとらくっとを配り始めました。
しかし、その日私は一枚のトラックとも配ることができませんでした。
あまりにも恥ずかしかったからです。

生まれてからその時まで私は人々に物やチラシなどを渡したことや
声をかけることすらしたことがありませんでした。
内気な性格でひとの前に出て話したりするのがとても苦手です。

今もそれはあまり変わってないのですが3年間の超エリート教育と訓練のお陰で
少しはましになりました。
しかし、今もときどきしています。

今日、思い出深い懐かしい場所で皆さんに神様のお話ができる恵に
心から感謝しています。
それでは聖書箇所に移ります。
ヨハネによる福音書3章16節です。
“神はその一人子を賜ったほどにこの世を愛してくださった。
それは御子を信じるものが一人でも滅びないで永遠の命を得るためである。“

今日私は“最後の伝道”という題名でお話します。
去年3月4日生駒聖書学院を卒業してから
私は実家のある韓国のソウルで生活しています。

就職のために職業安定所を訪れたり、パソコン教室にも通いました。
資格にも挑戦しましたが残念ながら資格を取ることができず新年を迎えました。
新しい年を迎えテレビの中ではチョゴリを着た人々が
華やかに写っているのですがニュースに流れている内容は相変わらず暗いです。

失業問題や低出産による少子化、高齢化していく人口対策など
日本とあまり変わらない内容です。
経済的な格差で貧富の差も広がりつつあります。

あまり明るくないニュースの中で特に心を痛めたニュースがあります。
其れは、バレー教室で起きた6歳の女の子の急死事件です。
音声の入ってない映像に流れる死の瞬間を目撃したとき
母親の一人として我が子のように思われ本当に胸の痛い思いでした。

元気よく出かけた娘が冷たい体になって帰ってきたとき、
残された家族はどれほど悲しんだでしょうか。
朝、会社に出かけるお父さんに“行っていらっしゃい”と
笑顔で見送っていたかわいい娘の姿がこの世で見た
生きた我が子の最後の姿でした。

今も全世界では一日も欠かさず事故や事件に巻き込まれ
多くの人々が亡くなっています。
1月13日にもイタリヤのトスカナ諸島の島の近くで
船の事故がありました。

歴史の中で人類の悲劇として記録されたタイタニック号の事故から
100年ぶりに起きたとても似た事故だと聞きました。
1912年4月13日金曜日の午後タイタニック号は冷たい海の
底に沈みました。
イギリスの港を出てから4日後のことです。
平和の瞬間を一瞬に返ってしまったその事故で船に乗っていた
2,223人の中から1,517人が亡くなりました。

その日、その海の上では命と死の間で彷徨い苦しんでいた多くの人々がいました。
死の恐怖からひたすら生きる望みを持って冷たい海の上で彷徨っていた多くの人々
そして、奇跡的に死の危機から逃れた人々はそれからどんな人生を送ったのでしょうか。
ある人はその自己をきっかけに完全に違う生き方を選んだかもしれません。

タイタニック号の事故から4年後のことです。
一人の若者が教会の集会でタイタニック号の事故の話をしていました。
タイタニック号の乗客の一人だった彼は冷たい海の上で漂流していました。

漂流していた彼を発見したジョンハッポという牧師が波に飲まれながら
こう質問しました。
“イエスキリストを信じていますか。”
彼は“いいえ”と答えました。
するとジョンハッポ牧師は喘ぎながらまた言いました。
“イエスキリストを信じなさい。そしたら救われます。”
そして波に飲まれ見えなくなりました。
しばらくして海の上に浮かび上がったジョンハッポ牧師は
もう一度彼に質問しました。
“今はイエスキリストを信じますか。”
しかし、彼は相変わらず“いいえ”と答えました。
それがジョンハッポ牧師の最後の姿でした。

しかし4年後、3度もイエスキリストを否認していた彼は
“私はジョンハッポ牧師が伝道した最後の人です。”と告白し
イエスキリストを伝える人になっていたのです。

死の直前にも自分の身の安全を省みず一人の若者にイエスキリストを信じるように
ひたすら訴えていた一人の牧師、そこまでジョンハッポ牧師を駆り立てた
切なる思いは何だったでしょうか。
それこそ神様の愛を知らず、滅びていく一人の若者への愛でした。

この世で命を得て生きるすべての生き物は必ず死を迎えます。
しかし、私たち人間はもともと永遠の命を持っていました。
死や病、苦しみのない生活をしていました。

そんな天国のような生活に死という逃げられない悲劇が訪れたのは
人々の罪のせいです。
クリスチャンたちがいつも読んでいる聖書の中には
私たち人間を初めこの世のすべてが誰によって
どの様に造られたかがよく書かれています。

創世記からヨハネの黙示録にいたる古い契約という意味の旧約と
新しい契約という新約聖書の66巻の中で私たちは
この世の始まりと終わりの歴史を見ることができます。

土のちりで神の形として造られた私たち人間は神様がもっとも愛した存在でした。
しかし、そのように愛した人間がサタンの誘惑に陥り死ぬ運命になった時
神様は一つの大いなる犠牲をしたのです。

この世でも罪を犯した人が必ず裁かれ罰を受けることになっています。
それはこの世を造りこの世を収める神様の世界でも同じです。
サタンの誘惑で罪を犯した人々を待っていたのは永遠の死でした。

私たちは長くて100年余りの命を持っています。
しかし、この世を離れる肉体の死の後、私たちを待っているのが神様の裁きです。
罪人のままでは絶対入れない永遠の命への道つまり天国への道と
罪人が行く永遠の死への道つまり地獄への道です。

そして、罪を持った祖先から生まれた私たちは
誰一人永遠の命を得ることができませんでした。
しかし、ヨハネによる福音書3章16節ではこう書かれています。
“神はその一人子を賜ったほどにこの世を愛してくださった。
それは御子を信じるものが一人でも滅びないで永遠の命を得るためである。“

あまりにも私たち人間を愛してくださった神様は罪人の私たちを助けるために
イエスキリストをこの世に送ってくださったのです。
イエスキリすとは約2千年前に私たち人間を罪から解放するために
この世に人間の姿で生まれました。
そして、私たちの代わりに私たちの罪を背負って十字架にかかって死にました。
そして3日後に蘇りました。その事実を信じたとき、私たちの罪は許され
滅びる罪人の身分から神様の子供の身分に代わります。
そして、永遠の命を得ることができます。

ヨハネによる福音書3章16節にはっきりと書かれている言葉です。
しかし、今でもそのうれしい知らせを知らない多くの人々がいます。
タイタニック号の事故のとき、海の上で漂流していた若者もその中の一人でした。
神様を知らない、十字架の愛を知らない無神論者でした。
彼はジョンハッポ牧師が死の間際まで問いかけた“イエスキリストを信じているか”という
切なる訴えに最後まで“いいえ”と答えました。
しかし、彼がその死の現場から助けられたとき、
彼はジョンハッポ牧師の愛を受け入れたのです。
イエスキリすとの十字架の愛を信じたのです。

今も日本でまた他の場所で人々は誰かと永遠の別れを告げます。
愛すれば愛するほどその別れは人々を悲しませます。
けれども、私たちは天国での再会の望みがあります。
しかし、神様を知らない罪人のままに永遠の死の世界に落ちていく人々もいます。

愛したのからこそ自分の命を賭けて救ってくださった人々がその愛を知らないまま
またそのことを信じないままこの世を離れているのです。

皆さんの愛する人々はイエスキリストの愛を知っていますか。
私たちの罪を償うために十字架に掛かれたイエスキリストの愛を伝えていますか。

私は韓国生まれの韓国人です。
私の知らぬ神様の計画により日本で聖書学院を卒業しました。
今は日本宣教のために色々探りながら進んでいます。

韓国では日本の人々にイエスキリストを伝えるために涙を持って
祈っている多くの人々がいます。
そして、言葉の壁や文化また経済的な苦しい状況の中でも
ただ神様だけを信じて日本宣教にはげんでいる宣教師たちがいます。
彼らは言葉も文化も違う他民族のためにただイエスキリストを知らず
滅びていく人々への哀れみでそんなにも熱心になれるのです。

私たちはクリスチャンは死の海から救われました。
誰かのロープによって今はもう安全な場所に来ています。
しかし、私たちの近くに私たちが持っているロープで助けられる人々がいます。
今でも波の中に飲まれそうになっている漂流している人々がいます。

ただ、私たちの持っているロープを投げる勇気さえあれば
その人々を救うことができるのです。
“イエスキリストを信じなさい。そしたら救われます。”
一枚のチラシであなたの一言で助けられる人々がいるのです。

しかし、遠く離れている所で死に行く日本の人々を助けたくても
届かないロープを持ったまま悲しんでいる人々がいます。
滅びていく日本の人々のために今も切なる思いを持っている韓国の人々がいます。

皆さんの家族を皆さんの隣人を皆さんの職場の仲間たちを思い出してください。
皆さんの近くで助けを求めている人々を省みてください。

愛したからイエス様は自分の命をも惜しみませんでした。
愛したからイエス様は十字架の苦しみを耐えることができました。
愛したからイエス様は自分を十字架に掛ける罪人を許すことができました。
その深い愛を無駄にしないでください。

皆さんが戸惑っている間波が飲まれて見えなくなる人がいます。
救いのロープを投げたとき、すでに遅いことにならないように
どうか皆さんの愛する人々に届く救いのロープが間に合いますように心から祈ります。

最後に使途の働き16章の31節を共に読みます。
“二人が言った。主イエスを信じなさい。
そうしたらあなたもあなたの家族も救われます。”

  

Posted by 青い鳥 at 10:28Comments(0)

2012年02月08日

牛乳2杯の善行


韓国の国民日報に“からしの種”という題名で連載されたコラムが
二冊の本になりました。“美しい明日を開く213の話”と“幸せの扉を開く193の話という本です。
図書館で偶然目にはいり借りてきました。
やることは沢山残っているにもかかわらず目をつぶり
手にとってから一気に読み終えました。

寒くなり鼻水と涙で机の上はチッシュが山のようになりながら
2冊を全部読みました。

殆どの例話が実話を基にしたのでもっと胸を打ちました。
2杯の牛乳にまつわる内容がとても感動的だったのでご紹介します。

大分前アメリカのメリランド地方のある田舎であった話です。
厳しい暑さの中で空腹と疲れで倒れそうになって
田舎の家を訪れた一人の若いセールスマンがいました。

しかし、その家もとても貧しく本を買うことができませんでした。
迎えに出た乙女は家の事情を話しながら悪そうに断りました。.
あまりにもおなかがすいていた若者は代わりに冷たい牛乳を一杯頼みました。

それで乙女は2杯の冷たい牛乳でもてなしました。
あまりにも嬉しかった若者はその乙女の名前を聴いて
自分の手帳に記録しておきました。

それから20年の時が流れました。

ある日、その地域の大きな病院に重病の女の患者が運ばれてきました。
病院長はその女の患者に最高の医療陣を使い治療しました。

退院の日が近づき診療費の請求書を手に取った患者は一万ドルという
莫大な数字を見てため息を吐きました。
しかし、その請求書の裏に張られていた紙には
このような文句が書かれていました。
“20年前に私にくれた牛乳2杯が治療費です。”

水に溺れて死に掛けていた自分の主人の息子を助けた庭師の息子がいました。
息子を助けてくれた庭師の息子があまりにも有難かったので
その貴族はその庭師の息子に学問の機会を与えました。

しかし、数十年後病気で死に掛けていたその貴族の息子をまた
死の危機から生き返らせたのは庭師の息子が研究して発見した新薬でした。
イギリスのチャーチル首相とペニシリンにまつわる話です。

何気なく施した善行が思いもよらぬ形で自分に帰ってくる
人生の秘密を悟るとき生きている間私たちが出会う人々に
自分ができる最善の愛と関心、そして親切を与えたいと心に刻んでいます。
  

Posted by 青い鳥 at 12:33Comments(1)

2012年02月04日

ある伝道法

ある伝道法
神学校に入学して色々な人に出会いました。
入学式で出会った15人の入学生から先生や先輩、後輩まで
多くのすばらしい出会いがありました。

一緒に入学した15人の入学生は3年後、卒業の時は10人でした。
卒業してからそれぞれの道に進んでからはなかなか会う機会もなくなりました。

メールでまたはペースブックの便りをみるだけです。
日本宣教の集まりに参加するため日本に行くときだけ
電話で声を聞くときがあります。

反面、神学生の1年の2学期の伝道集会に出会えた
信者さん夫婦と韓国で数回会う機会がありました。
神学校の学期があるとき一週間に一度
伝道集会に参加していた教会の信者の一人です。

車に乗っていき決まった時間伝道活動をして集会が終わり
学院まで帰るので伝道集会はいつも時間に追われていたので
教会の信者さんたちとは挨拶を交わすだけの仲でした。

それが、卒業してから韓国にいる間通訳を頼まれて
ゆっくり話をする機械がありました。
色々な話をする中でいままで知りたかった
イエス様に出会った経緯を聞いて不思議な神様の導きを知りました。


在日韓国人夫婦で奥さんの母方のお祖母さんは真実なクリスチャンでした。.
たまに日本に遊びに来るお祖母さんが聖書を読んで賛美歌を歌っていた姿を
孫だった奥さんは覚えています。

しかし、日本に住んでいる母も信仰がなく教会に行ったことはありません。
中学生のとき“赤毛のアン”と“小さい娘たち”という本を読み漠然と
教会というところに憧れを抱きました。-この表現は合っているのかしら。

それで勇気をもって近所の教会に友達と遊びに行きました。
初めて訪れた教会の礼拝堂には同じ年頃の学生たちが
数人集まり話をしていました。

しかし、その学生たちの中で誰一人彼女たちを
親切に迎えてくれた人はありませんでした。
それで教会はあまりいい場所ではないという結論を出して出てきました。

もしもそのときその中の一人でも親切に相手をしてくれたら
たぶん教会に通っていたかもしれないと奥さんは悲しげにいいました。

それが教会に始めて興味をもち、また興味を失った瞬間でした。
結婚してからは平凡な日々が過ぎました。

そんなある日、奥さんは人間関係の悩みで心の平安を求めて
色々な宗教を彷徨いました。
しかし、どんな宗教でも心の平安を得ることができませんでした。

悶々としていたある日、やくざ物が好きだった旦那さんが
深夜、ある放送局で金沢牧師のドキュメンタリを見ました。
やくざたった若者が改心して牧師になったという内容でした。

興味を持った旦那さんはミッションバラバーという映画のビデオまで
借りてみて本まで注文し奥さんにも話しました。
しかし、奥さんは何気なく過ごしました。

数日後、悩みの中に祈っていた奥さんがちょっとした
眠りの中に入ったときです。

夢の中で天から光が自分のほうに射してきて
光の中から“教会に行きなさい”という声がしました。.

それで何日前に聞いた旦那さんの話を思い出しました。
そして、金沢牧師の教会に電話をかけました。

あいにく連絡が取れずミッションバラバーで一緒だった牧師に連絡が取れて
ある教会を紹介してもらいました。
紹介された教会を熱心に通っていた時、偶像礼拝に対する葛藤があり
また新しい教会を捜し歩く日々が始まりました。

そんなある日、今の学院の院長先生が開拓して働いている
教会に辿り着きました。
今は、夫婦が洗礼も受け司会者として奉仕者として
熱心に教会活動をしています。
毎月一回学院で行われる木曜早祷会にも朝1時間車を走って参加しています。.
今まで一度も宗教に関心のなかった義理の息子の変化振りを見ていた
義理の母は生涯熱心に通っていた他の宗教まで捨て今の教会に移りました。

最初、義理の母が教会に行ってみたいと言いだした時
正直、義理の息子は反対していたと言いました。
しかし、ぜひ行ってみたいと言い出した義理の母を初め、
今は義理の父と義理の妹の家族まで教会に加わるようになりました。

暗く沈んでいたお姉さんが明るく変わり普段、短期だった義理の兄が
びっくりするほど柔和に変化した姿を見て義理の妹夫婦も
教会に通うようになりました。

娘さんは大きく膨らんだ妊婦の姿で 学院で洗礼を受けました。
洗礼を受けた次の日かわいい女の子を出産しました。

家族や親戚の誰一人にも教会に来るように伝導をしたこともないけれど
自分たちの変化した姿を見て“来ないでください”とまで
言われたにもかかわらず教会に来ているとだんなさんは嬉しく語りました。

“伝道をしない”あえで “教会に来ないでください。”と頼んでも
教会に行きイエス様に出会い変化した人の生き方を見て
教会に興味を持ちイエス様を知るために
教会を訪れるこのような 伝道法こそすばらしい伝道法だと思います。
さて、人のすばらしい話を書いているわたしはまだまだなのだろう。
  

Posted by 青い鳥 at 11:12Comments(0)