2012年07月31日

人生の一番暑い夏


教会に移ってから毎日が暑さとの闘いです。
東向きの教会には朝から日照りが入り一日暑いです。
夕方36度の温度が朝5時には34度になっています。
暑さも暑さけれど蒸し暑い湿気には我慢できないぐらいです。
寝ている間に湿度が40パーセントから50パーセントまで上がります。

扇風機を3台回しても熱風が吹くだけです。
あまりにも熱く何度も起きたりするので熟睡できない日々です。

派遣から連絡もなく暑さを凌ぎながら今まで怠けていた翻訳をやっています。
もともと英語で書かれた本を誰かが韓国語で訳しました。
それを日本語に翻訳する作業はなかなか大変な作業です。

翻訳とは外国語の実力ではなく母国語の実力が問われると聞きました。
まさにその通りだと思います。
とても変な韓国語で訳された本を日本語に訳す度、
翻訳という幅の広い実力の世界を感じます。
日本に来てから1か月が過ぎました。
毎日のように事件と冒険の連続でしたが何も仕事らしいことはできず
ただ一つ140ページ近くの翻訳が完成されるとそれだけが自慢になると思われます。
それさえも自動翻訳された本の内容を原文と比べながら直しただけです。

2012年を振り返る時たぶん私の人生で一番暑い夏として覚えられると思います。
サウナ室のような教会のテーブルの上で寝泊まりした2週間の日々は
永遠に忘れられない思い出です。
節電の日本で望んではなかったけれど私も一人の貢献者になっています。

初めての教会での宿泊、サウナ室のような暑さの日々、終電バス乗り、
一番短い雇用まで思ってもみなかった初体験が続いています。
まだまだ体験してないことは沢山あるけれど本当に平凡な人生に戻りたいと
心から切に望んでいるこの頃の私です。
  

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2012年07月31日

幸せな私の人生


平凡ではない私の人生を表現するときいつも波乱万丈という言葉を好んで使っていました。
しかし、この世にはもっと大変な人生を歩んできた人々がいることを悟りました。
彼らに比べれば私の人生は波乱万丈ところか本当に幸せな人生だとわかり感謝しました。
これからは私の人生は幸せな人生だと告白して生きると宣言しました。

水曜日の午後礼拝が終わってから教会でお握りを食べながら
楽しい一時を過ごしました。
殆ど二人の女性が体験した話を語り宣教師と私は頷きながら聞きました。

2週間前から教会に来ているHさんという女の人がいます。
その人が送った人生で出会った色々な話は信じられないくらい大変な道のりでした。

泥棒に入られ財布を取られたことはあるけれど信じていた友人に金を取られ
馬鹿にされ厭味まで言われる人生は送っていません。

私には金を盗んだり取ったりする友人はいませんでした。
むしろ私を励まし助けてくれた友人たちが多くいます。
小学校3年の時実家が引っ越しすることになったので学校を移りました。
そのとき一緒に座ることになった女の子と今も友達として連絡を取っています。
和歌山で思わず一人暮らしをすることになった時、なかなか就職が決まらず
大変な時期を過ごしました。

ネットカフェで送る私のメールを見てその友人が大金を送金してくれました。
500万ウォンのお金を生活のために使うように送ってくれたのです。

言葉の違う外国で知り合いもなく毎日が大変だけれど日本での生活はいつも
私を励まし助けてくれた多くの人々によって守られたと思います。

電話で励まし食事をおごる人がいます。
交通費を気にして車で近くまで送る人がいます。
就職のために知り合いに電話をかけて情報を知らせてくれる人がいます。
祈りで神様に助けを求めてくれる人がいます。
一緒に行った旅行のために励ましの葉書と交通費を渡してくれた同級生がいます。

短くない人生の中で私は本当に私を愛してくれた多くの友人、
よい知り合いに出会いました。
いまも迷惑を掛けている和歌山の牧師先生や牧師夫人、信者さんに出会いました。
神学校では愛すべき同級生や先輩や後輩そして先生たちにも会いました。
手料理を造り食事をしながら色々な人生の教訓を教えてくださり
いつも気にかけてくれる宣教師がいます。
いつまでも自立できない母を心配している精神的に母より成熟した子供に至るまで
私の人生は素晴らしい出会いがたくさんありました。

愛するよりはもっと多くの愛を受けた私の人生です。
振り返ってみると私は本当に神様に愛され、人々に愛されていたのですね。
しかし、感謝するよりは文句と不平の人生でした。
これからは2度と私の人生を波乱万丈とは言わないようにするつもりです。
まことに私の人生は幸せいっぱいの人生だとやっとわかったので、、、。
  

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2012年07月31日

命をかけた祈り

日本での生活のために仕事を探さなければなりません。
派遣の仕事を2度断ってからは仕事の依頼もなく今現在一番求人の需要のある
ヘルパの教育について調べるために出かけました。
そして、駅についてからK兄弟の家に電話を掛けました。
弟子教会でK兄弟夫婦に会ったのですがあまり話ができなかったし
奥さんから自宅への訪問の誘いを受けていたからです。
二日間ずっと自宅に電話をかけてもつながらないので携帯に掛けました。

今日近くに用事があるので遊びに行ってもいいかと予定を聞きました。
乗り換えの度何度も電話をしてから駅まで迎えにきたK兄弟の車で
家まで行きました。

暑さをしのぎに行ったのですがエアコンを全然つけてなかったので
ただ色々な話をきき美味しい御馳走でお腹が幸せでした。

電話が全然つながらないと文句を言ったところ
びっくりする話を聞かせてくれました。
祈りのために家を留守にしているので自宅の電話ではほとんどつながらないようです。

信仰熱心な奥さんは韓国人で家の教会の宣教師です。
聖霊に満たされるためには祈りは欠かさないと言って
夫婦で毎日朝食が終わると川に出かけます。
そして川沿いに車を止めて車の中で大声をだしでお祈りをしていると言いました。

朝、川沿いを走る人々や犬の散歩に来る人々が変な眼で見るから
車の窓や戸を全部閉めてエンジンを切ってから祈り始めるそうです。
ある時は炎天下で車の中の温度が40度まで上がり脱水症状まで起こして
危なかったらしいのです。命をかけた祈りです。

学院を卒業したら神様から啓示を受けた所で教会を本格的に始めると言いました。
今は家の礼拝だからあまり熱心に伝道ができないので
祈りに力を入れている感じです。

一人働いて3人の学生の学費をだしでいるので
毎日神様の恵みと奇跡を体験していると言いました。
そして、私にも日本宣教には祈りが欠かせないからせっかく教会で
寝泊まりすることになっているならお祈りしたらどうと言われました。

ある人は命を掛けてお祈りに専念し、ある人は教会で住んでいるので
祈りの絶好のチャンスなのに文句ばかり言っています。
十字架を仰ぎながら24時間祈れます。
しかし、祈りではなく自分の人生について文句と悩みで時間を無駄にしています。
ああ、あの二人の情熱がうらやましい。

神さま、どうか命をかけた宣教師夫婦の祈りを覚えてください。
そして、祈りはできないけれど私にもどうか憐れみを。
  

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2012年07月24日

教会での避難生活


ひやひやしながら暮らしていた生活にまた大きな変化が現れました。
宣教師が世話になっている家の家主が帰りました。
思いついたら夜中でも部屋の片付けを始める性格らしく急な連絡で慌てました。
部屋の掃除、そして個人の物を全部片付けてから何度も元通りになっているか
確認してから教会に向かいました。

これからは教会での避難生活が始まります。
元喫茶店をそのまま教会として使用している教会はとても狭いです。
東向きの教会は朝から日照りで熱くなり夜までその熱気が残っているので
扇風機を1日中使っても耐えられない暑さです。

日本宣教に来られた宣教師を助けるとても素晴らしい名目で日本に来たのですが
日本宣教ところか暑さに負けて天国行きが先になるのか心配しています。

建物の両壁は全部ガラス窓で開けられない状態です。
唯一開けられる窓は網戸もないので完全にサウナ室にいるような感じです。
街灯の明かりと暑さでほとんど不眠の一晩が過ぎ
朝食をとってから避難場所を求めて電話をかけました。

海の日で休みのせいか誰にも電話が繋がりません。
やっと一人連絡が取れたので支度をして出かけました。
エアコンのついた部屋で今までに有ったいろいろな話題で一日を過ごし
夕飯まで御馳走して帰りました。

派遣で登録と面接をしたのに約束があり二度断ってからは電話がかかってきません。
やっぱりやる気がない人だと見切りをつけたのかしら。=0=
韓国語の先生をしたり翻訳や通訳で仕事を探すのが良いと言われ
時間と時給ではヘルパの資格をとって働いた方がいいじゃないかの意見があり
早速教育を受けるために出かける予定です。

松山千春という歌手の歌の中に‘幸せとは平凡なものですか‘という歌詞があります。
いままでの人生も平凡とは程遠い人生を送ってきたのですが
日本に来てから本当にスリルと冒険に満ちた日々です。
どうか、暑さに負けて天国行きにならないようにお祈りしてください。
  

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2012年07月24日

ITミッションの会合とほかほかの天の虫けら

韓国での母との二人暮らしはいつも変わりようもない平凡な日々でした。
しかし、日本についてからは少ない人数の集まる教会で
もっと濃い人間関係がうまれるせいか毎日が事件の連続です。

絶えず何か事件を起こす一人の信者さんのお陰で本当に
面白くまたこれは何だろうとのはてなの世界です。
数日前にその人が日本を離れ韓国に渡りました。
今はたぶん韓国で色々と面白い事件を起こしているのではないでしょうか。

私が日本にいると知られITミッションのO兄弟から連絡が入り
パソコン画像での会合が神学校の学院室で開かれることになりました。
生駒駅についてバス停の方に歩いていると電話が鳴りました。
O兄弟からです。そして、わざわざ車で迎えに来てくれたのでとても助かりました。

夏休みこれは失礼、夏の伝道期間になり学院生のいない学校は
人の気配がなく静かでした。
何だか広くなったような院長室でO兄弟とY先生と3人で
早速インターネットをつないで会合が始まりました。
しかし、声は途切れるし画面が固まるのでなかなか話が進みません。
それで2階の礼拝堂に移動することになりました。

院長室のソファーにたくさん積まれていた封筒が気になっていたところ
Y先生が2冊の本を出して院長先生のプレゼントだと1冊ずつ配りました。
天の虫けらという本です。 つぎの日付けで発行されたほかほかの本でした。
院長先生、本ありがとうございます。

改訂版には写真が入り前より2倍ぐらい厚くなっていました。
1年生の時のS姉妹やN姉妹T兄弟の写真も入っていて懐かしかったです。
ぱらぱらとめくってみると誤字が見つかりY先生に知らせました。
多くの人が目を通したはずなのにそのまま出版されて残念です。

2階の礼拝堂に移動してからは本格的に日本宣教の話が続きました。
話は大げさになっているようですが私は単に通訳をしただけです。
1時間が過ぎ昼近くになるとY先生の奥さんがピザとサラダを用意してくださり
食事をしました。
ITミッションの話が一段と終わりそれからは韓国の先生に
私の日本での生活の大変さを訴える時間に変わりました。
傍で美味しく食事をしている二人にはわけのわからない言語の世界です。

食事も終わり私のまだまだ解決方法の見えない人生相談も終わり
ITミッションの会合も終わりました。
約束があり少し早めにO兄弟は帰り駅までY先生が乗せてくださいました。
毎日のように牧師先生を運転手として使っているので
なんだかとても申し訳ない気持ちです。

6年目に入ったITミッションは新たにメンバも加わりゆっくりでも
確実に進んでいる気がします。とても嬉しいです。
まだまだ小さいこの集まりが近いうちに「あなたの始めは小さくても
その終わりははなはだ大きくなる」とのヨブ記のようになると大いに期待しています。

日本宣教のために動き始めたこの小さい集りのためにお祈りください。
まことに神様に「よくやった忠実な僕よ」と言われる働きになりますように。
  

Posted by 青い鳥 at 15:44Comments(0)

2012年07月24日

恵みを忘れない人生


6月23日に日本に来てすでにもう3週間が過ぎようとしています。
宣教師に留められなければたぶん1週間で帰るつもりでいたのに
今は仕事を探し日本での生活をどのようにするべきか悩んでいます。

私の事情を聴いて周りの人々までも一緒になって色々と力になってくれています。
仕事の面接や住まいの事で助言をしたり電話料金を心配して
わざわざ相手が電話をかけ直したりもしています。

そんな人々の関心と愛にいつも胸がいっぱいになります。
水曜日の説教では私と似た人の話が出たので聞きながら思わず涙を流しました。

夢を持ってアメリカに渡ったあるイタリヤ人の話です。
アメリカでもキリスト教の影響のせいか当時貧しい人が拾っていくように
畑に収穫の一部を残す風習があったようです。

ある日のことです。
畑に落ちていた収穫後の残りの豆を一生懸命にひろっていました。
そこに大柄の黒人が現れました。

黒人の男は素速く豆を拾い始めました。
見る見るうちに彼のかごは豆でいっぱいになりました。
そして黒人男性は見ているイタリヤ人の前に近づき自分で拾い上げた
豆を渡したのです。

びっくりして感謝すると彼はこのように話しました。
“いつか困った人を見かけたら今日私があなたにしたことを思い出してください。”
この言葉を残して彼は去っていきました。

月曜日には家主が帰るようでまた宿探しを始めなければなりません。
旅行カバンを持ってあっちこっちを回る生活はまた初めての経験です。
さて、月曜日からはどこで暮らすことになるだろう。
波乱万丈の人生にまだまだ経験することが残っているのかしら。#0#

延期また延期でのばしていた日本行き、日本に到着してからの思わぬ
転々とした生活はとても疲れます。
気は沈みますが、私を励まし勇気を与えてくださった人々の愛により
感謝を持って日々の生活を送っています。

さて、私が通っているこの道はいつか困っている誰かを
助けるための訓練でしょうか?
  

Posted by 青い鳥 at 15:43Comments(0)

2012年07月08日

輝くクリスチャン

大阪の弟子教会の礼拝に参加することになり久しぶりに弟子教会を訪問しました。
教団の総会長に赴任することになった金沢先生のお祝いと
伝道師の牧師按手式がありました。

学院にも来て教えている有賀先生がメッセンジャとして招かれました。
いつものように元気な先生です。
午前の礼拝と午後の記念式(?)でも楽しく感動的な話を聞くことができました。

神戸大震災の時の一人の大工の話は魅力的なクリスチャンの姿が
どれ程宣教や伝道に必要かを痛感させました。
大震災で家や職を失っていた一人の大工の話です。
彼は震災の後日本の再建を助けにきたアメリカ人のクリスチャン大工たちと
一緒に仕事をすることになりました。
仕事をしながら一緒に昼と食べながら接するアメリカ人の大工たちの姿を見ながら
クリスチャンは違うと感心しました。
弁当を開くなりおかずに文句を言う、家庭の事や奥さんの事で愚痴を言っていた
前の仲間たちとは違い、アメリカから来たクリスチャン達は
いつも感謝と喜びの生活でした。

そんな人々を見ながら彼はクリスチャンに対して、そして教会のことに
興味を持っていたのですが一つだけ止められないものがありました。
それは晩酌のお酒でした。

俺は酒がやめられないから教会に行けないと言っていたところそれを聞いていた
アメリカ人の大工たちが心を合わせて酒がやめられるようにと祈り始めたのです。
一瞬間が過ぎた晩のことです。
いつものようにお酒を飲み始めました。
しかし、まずい。
違う酒を持ってきて飲んでもまずい。
驚くことにお酒を飲めなくなっていたのです。
彼はそれから教会に通うようになりました。

仮設住宅が出来上がり入ってすむようになってからは薄い壁のせいもあり
夫婦喧嘩もしなくなりました。
それからのことです。
いつも笑顔と感謝の生活が続く夫婦の姿を見た周りの仮設住宅の人々も
一組二組教会に行くようになりました。

永遠の命を得て神様の子供になっていながら感謝できず
喜びの人生を送れないクリスチャンが多くいます。
いつもぶつぶつ、
いつもぐずぐず言っているクリスチャン
もしかしてそんな姿が伝道の道を防いているのかもしれません。
日本に来た初日から常にいつもぶつぶつ言っていたので心の痛い話でした。
輝くクリスチャン、魅力的なクリスチャンになりたい。
そのような人々はもしかしていま天国の日々を過ごしているのかもしれません。
  

Posted by 青い鳥 at 20:22Comments(0)

2012年07月08日

緊張のバス乗り

2年で修了する後輩の修了式に参加してから今度は先輩の教会に行きました。
たまたま爆発伝道の教えのために毎週来ている同級生のE兄弟にも久しぶりに
会うことができました。
2児のお父さんになったけれど相変わらず明るい笑顔で若い姿です。

N先生が最近知り合いになった接骨院で爆発伝道の実習もしました。
E兄弟が伝道師として働いている教会は最近は爆発伝道の働きが実を結び
とても活気溢れる教会に変わっているそうです。

王将で美味しい夕食を食べてから世話になっている宣教師のところに帰るのが
大変な道のりでした。
前2,3回大阪に遊びに来たことはあるけれど大阪は全然知らない街です。
知っているとしたら3年か火曜伝道集会で回った通天閣の周りぐらいです。
市内から大分離れた住まいに帰る時電車を降りてからバス停を探すのに
人々に何回も道を尋ねやっとバスに乗りました。
降りるバス停が呼ばれるか耳を澄ませて聞きました。
やっとついたので出口の方に進み財布から小銭を取り出し投入口に入れたのですが
違うところだったらしくまた入れなおしました。
料金を出す時は緊張のせいか小銭を落としたり、待っている乗客は気になるし
大変な時間でした。
言葉も違う、地理も分らない暮らしの情報も分らない所での生活は
毎日が新しい冒険であり緊張の時間でもあります。
脳のためには新しい挑戦や体験が良いらしいけどやっぱり慣れない環境はとても疲れます。
痴呆の予防にもなるらしいからよしとするか。
韓国ではのんきに暮らしていたのに久しぶりにスリルの満ちた生活です。
  

Posted by 青い鳥 at 20:21Comments(0)

2012年07月06日

日本宣教のために来たけれど

去年3月に神学校を卒業して1年3カ月が過ぎています。
卒業したら韓国へ帰るので神学校を訪れるのはなかなか難しいと思っていました。
しかし、なぜか思ったより結構生駒の地を訪れています。

6年前に日本福音宣教会という宣教団体で知り合った宣教師に声を掛けられ
また日本の地を踏んでいます。

開拓して1年目になる教会はスターフがなく宣教師一人で大変な毎日です。
宣教師の住まいでお世話になりながら仕事を探し住まいを捜しています。
知り合いに声をかけたり電話をして就職探しや御祈りを頼んでいます。

日本に来る前に聞いていた内容と全然違う形で物事が進んでいるので
とても複雑な気持ちです。

1日目、二日目、過ぎてゆく日を数えながらどうするべきか悩んでいます。
1週間ぐらいで物事が決まらなければもう帰るしかないかなと思っているうちに
もう1週間が過ぎています。

宣教献金でやっと一人暮らしをしている宣教師に私が来て重荷になっているので
肩の狭い想いです。(この表現はあっているのかしら?)

思ってもみなかった神学校での学び、大変だった3年間の日々を終えたのに
未だに迷っている私です。
日本宣教のためにと重い腰を上げたのにどうしたらいいのか、、、お祈りしてください。
  

Posted by 青い鳥 at 22:50Comments(0)

2012年07月06日

言葉の断食


神学校に入り沢山の人々に会いました。
今は1日アクセス数千人を超えたと聞いたブログ持ち主、
今日も天国の一日ですという言葉を流行らせている院長先生もその中の一人です。

ゆとりの一万歩や1日も欠かせつ書き続けていると自慢のブログまで
聞いているだけでもすごいと驚嘆はするけれど真似できないことばかりの先生です。
本人が努力する分いい加減な行動があれば結構厳しく言われました。

後輩であり同じ韓国人の姉妹が2年で神学校を終了することになっていたので
4か月ぶりに学院の修了式に参加しました。

1学期の終業式のなかの修了式だったので3年間見てきた
決意表明の様子を見ることができました。

聖書箇所を忘れたり、決意した内容を忘れたりドキドキ、はらはらの緊張と笑いの連続でした。
久し振りに聞く院長先生のメッセージは私に語っているような厳しい内容でした。

入学してから卒業までそして、後輩の修了式まで私が受け取った神様の声は
否定的な言葉使いに気をつけるように一歩進んで言葉の断食でした。

前向きな言葉でなければ敢えて口を閉じる、言葉の断食をしなさいと言われ
日本での数日間の自分の不満と嘆きと絶望的な言葉使いを思い出しました。

5月初め頃来るはずだった予定の日本への出発が遅れて6月下旬に日本に着きました。
ある程度まとまっていた話の内容と全然違う形になっている現状で私は
その次の日でも帰りたいと思う気持ちでした。

しかし、宣教師からせっかく日本に来たから神様を信じて道が開かれるようにお祈りしながら
住まいや仕事を探すよう言われました。

カバン一つ持ってこの家、あの家を転々としている今の状況がいやになり
部屋に横になって私の人生はどうしてこうなっているんだろうと暗く沈んでいた
3日間を思いだしました。

生まれつきの性格に加え置かれた環境のせいもあり、私の話を聞いている人々まで
暗く沈んでしまうので周りに黒い墨をばら撒いているような私です。
やはり言葉の断食を心掛けるべきですね。

これからは口を閉じて果たして神様は私をどのような道に導くつもりなのか
お楽しみに待っています。
  

Posted by 青い鳥 at 22:48Comments(0)