2012年11月26日

天国聖会の帰り

天国聖会の帰り
毎年神学校で開かれる天国聖会が今年は少し遅れました。
学院の院長が倒れて入院したからです。

11月23日祝日に学院で開かれた集会にはA姉妹と二人で参加しました。
院長先生の元気な姿も拝見したいとわざわざ名古屋からこられました。

ぱらぱら雨の降る天気でしたが思ったより大勢の人が参加しました。
ぎりぎりの時間に到着して案内された席に座りました。

集会が始まりエリムの皆さんの合唱の時は素敵な歌声を
披露してくれました。

堺エリム教会での歌の練習の風景を見ていたので出来上がった
すばらしい合唱には心から拍手を送りました。
エリムの皆さん、合唱とてもよかったです。

特別講演では安楽死や尊厳死の問題や老いに対するまた死に対する
とても参考になる話を聞くことができました。
講師は82歳にはとても思えない元気な姿でした。

集会が終わってからのバザーもお楽しみでした。
販売に熱心な人々の中には顔なじみの人もいて
とても嬉しかったです。

集会の後片付けで忙しいM先生にどうしてそんなにスリムでいられますかと
聞いたところいつも学院の周りを自転車で回っているからよと
笑顔いっぱいで答えてくれました。

相変わらず学院のことで献身的に携わっている姿をみて感心しました。

家に帰りながら講演を聴いたこともよかったけれど
やはり会いたい人や親しい人々に会う喜びを
超えるものはないと感じました。

3年間寮で住み勉強した神学校の風景は変わらないけれど
親しい顔がいない学校はやはり寂しいものです。

3年生が卒業したら本当に学院の先生たちや教会の
数人の知り合いしか残りません。
それでは神学校を訪問する機会はもっと減ると思われます。

これからも学院を支えていく院長先生やM先生、Y先生のご健康と
すばらしい活躍を祈ります。
  
タグ :天国聖会


Posted by 青い鳥 at 06:25Comments(0)

2012年11月22日

言葉の壁


ピーターフランクルの本日本人のための英語術を興味深く読みました。
ハンガリー生まれのユダヤ人の彼の話は日本人がどのように
英語を習得すれば言いかと面白い方法が沢山載っています。

人々の出会いから始まる人間関係で特に外国語である英語を用いて
友達になるためにはどのように自分を表現し、普段からどのように
勉強したらいいかと楽しく書いています。

自己紹介や自分の国や町についてまたは文化や趣味など話をどんどん
広げていく中で親しくなっていくので積極的に話しかけることを
進めています。

思いやりの心を持って接していくときどこでも友達は作れると
彼は自分の経験を交えて話しています。

そして、言葉や文化などを知らず起きている問題や誤解にも触れています。
駐車場だと思って預けたところ廃車にされてしまった友達の話を読みながら
アフリカの原住民に殺されることも知らずニコニコ接していた
韓国人の宣教師のことも思い出しました。

いくら身体言語でお互い自分の言いたいことを表現しても限界があります。
やはり通じる言葉を持って話しするのが自分の気持ちがちゃんと通じます。

今は国際語だと言われている英語ができたらもっともっと
世界が広がると思いますので私も何とか楽しい方法を見つけて
続けるように
努力しなければなりません。

果たして私はいつ字幕の力を借りずに英語の映画を見たり
英語で書かれた好きなロマンス小説を読める日が来るのだろう。

  

Posted by 青い鳥 at 19:00Comments(0)

2012年11月21日

マニュアル人間の悲しさ


日本語の漫画を読みたくて始めた日本語で今は自分の好きな本は
大体読めるようになりました。

古文や難しい表現の本、またはまったく知らない分野の本は
相変わらず難しく理解できません。
しかし、自分の好きな映画や本を楽しむことができたので
やはり日本語を学びよかったと思っています。

日本語の次に習得したい言語が英語です。
インターネットを使いまたパソコンのエラーメッセージが
英語で出るたび怯えてしまう自分がいやです。

将来は韓国語や日本語のブログと一緒に英語のブログを
作りたいと思っています。

神学校3年のときから始めると言っていたのにと
同級生のA姉妹に突っ込まれました。
私の記憶にはきれいに忘れられている内容ですが。。。

図書館で借りて読んでいる本の中では英語が上手くなる本が結構あります。
いくら英語が上手くなる方法論を読んでいても実際に
英語の勉強をしなければ身につきません。
しかし,分かっているけど実践は難しいので。。。

ピーターフランクルの本「日本人のための英語術」を読み
同感した内容があり紹介します。
英語習得とは全然関係ないマニュアル好きな日本人のことを書いた話です。
彼が実際にあるコンビニで実験した内容が書かれていて
読んでから私も悲しくなりました。

前からコンビニの従業員のあまりにも機械的な対応に興味があり
あるひ彼は実験を兼ねて夜中の2時ごろコンビニに買い物に行きました。
おにぎりを一個買ってお金を払いました。

それから彼はチューインガムを一つ買ってお金を払い、
また飲み物を一つ買ってその従業員の態度を観察しました。

何度カウンタに買い物の一つを持って行っても
従業員の態度はまったく同じ内容の
決まりせりふと接客態度を最後まで遣り通しました。

彼はその時の気持ちをこのように表現しています。
本当にバカ丁寧というか、礼儀正しいというか、
それとも相手をバカにしているのか、どう表現していいか
わからないぐらいでした。

髪の毛をカットしに行った町の商店街の美容室で
感じた感想とまた同じことを彼はまた書いています。
お客が入るなりスタッフたちが同じ賭け声を掛ける
不思議な風景です。

まったく感情のこもってないそのわざとらしい大声は
客だった私の気分を喜ばせるものではありませんでした。

マニュアルである程度の従業員のお客に対する
接し方は身につくと思いますがあまりにも機械的な
マニュアル人間は見ていてあまりいい気分を与えません。

感情のこもってないうわべだけの親切は人を傷つき
さびしくしてしまうものです。
仕事のために無理して作る笑顔ではなく本当に
気持ちよく幸せな日々を送ることができるよう
接客の仕事に携わっている人々の幸せを心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 18:54Comments(0)

2012年11月18日

説教偶然ではない出会い

説教偶然ではない出会い
こんにちは。
いつも思うのですがやっぱり人の前で話することは緊張してしまいます。
今日は用事があり韓国へ帰国した宣教師の代わりに礼拝を導いています。
私がこの教会の宣教師である李先生に出会ったのは7年前です。

東京で行われた1週間の宣教旅行がきっかけでした。
遠くからはカナダやアメリカ、トルコから近くでは日本から来られた
11人のメンバーが参加しました。

新宿や上野公園など色々な場所に出かけて宣教のために
伝道チラシを配ったりしました。
クリスチャンが人口の1%も満たないと言われている日本に
イエス様を伝えるために色々な国から集まった人々でした。

初日の日程が終わりその日の夜全員が集まり祈りの時間を設けました。
一人ひとり順番で挨拶やその日の感想などを述べました。
ある年配の女性参加者がこのように言いました。

‘私たちの出会いは偶然ではありません。
私たちの出会いに感謝し、今日の宣教旅行まで導いてくださった神様に感謝します。‘
私はその時、その言葉を聞きながらお金と時間さえあれば行けるのに大げさだなと
心の中で思いました。

1週間の宣教旅行を無事に終え私たちは各自自分の置かれた場所へ戻りました。
そして、その出会いから7年後宣教旅行で知り合った宣教師と
日本で教会を開拓することになるとは夢にも思いませんでした。

その出会いが本当に偶然ではなくこの日のために
神様の計画の中に組み込まれていたのですね。

日々、私たちは何気なく出向いた場所で出会った人々と
後々大事な人間関係を結ぶことがあります。

皆さんにもそのような素晴らしい出会いがあると思います。
それでは今日の聖書箇所に移ります。
ローマ書10章9節から10節をお読みいたします。
「なぜならもしあなたの口でイエスを主と告白し
あなたの心で神はイエスを死者の中から蘇らせてくださったと信じるなら
あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ口で告白して救われるのです。」

今日の説教題は「偶然ではない出会い」です。
私たちは生まれえから死ぬ日まで多くの出会いを経験します。
お母さんを始め親、兄弟、学校の友達や会社の同僚や一生のパートナである夫婦に至るまで
多くの出会いがあります。

そしてその一つ一つは全て偶然ではない神様の素晴らしい計画があるのです。
今日私はその沢山の出会いの中でも一番大切な神様との出会いを経験した
一人の宣教師のお話をします。

今その宣教師は中国の奥知で癩病患者を世話しながらイエス様を伝えています。
私がとても尊敬している宣教師の一人です。

その宣教師がドイツで留学した時から話は始まります。
神様について学ぶためにその宣教師はドイツで神学の勉強をしていました。
ある有名な神学教授の講義の時間でした。

1、500人以上の聴衆の前で教授は新約聖書のマルコによる福音書を教えていました。
講義の最中その教授が聖書を片手に持ち上げたまま突然立ち止まりました。
そして、人々に向かってこのように質問しました。
「みなさんはこの聖書を神の言葉として信じていますか?」
その質問に誰ひとりはいと答える人はいませんでした。

人々はだだじっと沈黙を守っていました。
その質問と人々の反応にびっくりしていた宣教師が恐る恐る手を挙げました。
肌色の違う外国人を見つけたその教授があなたはどこから来ましたかと聞きました。
韓国からですと答えるとその教授は「多分韓国はシャマニズムと原始宗教に
はまっているのでいまでも聖書を神の言葉として信じているでしょう。
ここでよく学んだら聖書はなにもない悟るでしょう、
聖書は表紙の革二枚以外は信じるものは何もありません」と言ったのです。

その当時ドイツでは自由神学や解放神学という神学がはやっていた時期でした。
神の言葉である聖書をもっと深く勉強するためにドイツまで来たのに
その宣教師はとても悩みました。
そして次のセミナでまたその教授と意見がぶつかりました。

その時、教授からこのように言われました。
「あなたがそんなにも神の存在を信じるなら証拠を見せてください。
あなたは神にあったことがありますか。神は白人ですか、黒人ですか、あなたのような黄色人ですか。
神とあったなら握手でもしたでしょう。神の手は暖かったですか、つめたかったですか。

しつこく迫ってくる言葉に彼は何も言えませんでした。
彼の反応を見て教授は「見てみよう。あなたはただ意地で信じているだけでしょう。」
そうこうするうちに話は終わりました。

ドイツの留学が終わり彼は韓国に帰りました。
ある神学校で特別講義に呼ばれ牧師たちや神学校の教授たちの前で
自分の学びを発表しました。

講義が進むと聴衆の中から騒ぎが起きました。
ドイツではあんなにも神様を信じ福音主義者としてほかのドイツ人から疎外されていたのに
韓国では自由主義者、新神学者だと批判されたのです。
嫌悪な雰囲気のなかとにかく無事に講義が終わりました。
そして講演の後に一人の年配の牧師がかれに近づいて言ったのです。
あなたの理論や学問は素晴らしいです。しかし、あなたには神様に対する体験がありません。
一回体験してみたらいかがですか。
そしてある教会を紹介してくれました。

それで1年予定で訪れた教会が癩病患者のむらにある教会でした。
初めての礼拝のことを忘れることができませんと宣教師は証しています。

日曜日、説教を語るために彼は講壇に立ちました。
そして彼は目の前に座っている
一人の老人の顔を見た瞬間言葉を忘れました。
その老人の顔には何もありませんでした。
目も鼻も口もなにもなかったのです。
その顔に残っていたのはただ5つの穴だけでした。

あまりにも驚いていたのでその日、語った説教の内容を未だに思い出すことができませんと
彼は言っています。

とにかく礼拝が終わり彼は教会に集まった人々に知らせました。
せっかくですので終わってから挨拶も兼ねて皆さんと握手しましょう。
しかし、終わってみると誰ひとり残っていませんでした。
よかった、みんなそのまま帰ったんだな。と半分安心した気持ちで教会を出ました。
すると教会の門の前に礼拝に来ていた人全員が一列に並んでいました。

牧師と握手するために待っていたのです。
また、顔に五つの穴しか残ってないその老人が一番前に立っていました。
握手をしようと違う方向に手を差し出す彼をとなりの人が牧師の方に向けさせました。
しかし、その老人には手首しか残されていませんでした。
握手をしようとしてもどこを握ればいいかわかりません。

そして、握手するためにその手首を見下ろすとその手首の先には黄色い
膿の塊がいくつもついていました。
今にも破れ膿が流れ落ちるように見えました。
どうしようと思いながらとにかく手首をもって握手を済ましました。


次は年配の女性でした。彼女は幸いにもての半分が残されていました。
その手を握切った瞬間その人が自分の左の手を宣教師の手の上に乗せました。
そして宣教師の手をずっとさするのです。

見ているとその左の手から黄色い膿の塊が今にも破れそうです。
気分が悪かったのでおばあさん、どうしたんですかと自分の手を引っ張ろうとしました。
その時、そのおばあさんがこう言ったのです。
先生、私が18歳の時この病気になりました。この病気になって60年です。
今私は78歳です。いままで一度も健康な人の手を触ったことがありません。
今日先生の手を触ることができたのであまりにも嬉しいからです。

その言葉を聞いた瞬間、宣教師の胸が熱くなりました。
あ、もしかしてこの手がイエス様の手かもしれない。
イエス様がわたしたちの汚い罪のせいで十字架に掛かり苦しみにあったとき
もしかして指が折れたかもしれない、傷口から膿が出来ている悲惨な手だったかもしれない。
私がイエス様の手を握っているのにどうしてこんなに怯えているんだろう。

その時です。彼の頭の中にドイツの教授の言葉が蘇りました。
あなたは神と握手したことがありますか。
神の顔を見たことがありますか。
まさにこれが答えだったんだ。今やっと神様の手を握ることが出きたと悟りました。
10年間勉強しても見つけることができなかった神様を一人の癩病患者のおばあさんを通して
出会うことができたのです。

人生には3つの大事な選択があると聞きました。
一つ目は自分に与えられた仕事、二つ目は生涯を共にする配偶者
そして三つ目は人生を歩む道しるべになる価値観です。
しかし、私たち人間にもっとも大事な選択は神であるイエス様との出会いです。

11月に入り教会の前にはクリスマスツーリが飾られました。
もうすぐ街の商店街にはクリスマスキャロルが流れると思います。

恋人たちはクリスマスイブを過ごすためにレストランやホテルを予約したりするでしょう。
クリスマスケーキやプレゼントを用意する人々もいると思います。
日本では毎年のひとつの行事として恋人のためのイベントの日として定着されている
クリスマスにはとても深い意味が含まれています。

それは罪のせいで永遠の滅びの道に落ちいていく私たち人間を救うために
来られたイエス様の誕生を祝う特別な日なのです。

この世に生まれ息をしているすべての生き物はいつか必ず死にます。
そして私たち人間がこの世をさる時魂が肉体を離れる瞬間
私たちは永遠の世界に入ります。

一つは永遠の命として表現される天国ともう一つは永遠の滅びとして表現される地獄です。
そして、私たちにはその選択が委ねられています。
イエス様を信じ自分の罪が許され神様の子供として天国に入る道と
もう一つはイエス様を知らず、イエス様を信じないで自分の罪を背負ったまま
悪魔の奴隷として永遠に苦しめられる地獄への道です。

そしてその選択ができるときは私たちが肉体をもってこの世で生きている間だけなのです。
私たちがこの世を離なれる瞬間私たちには罪を悔い改めることもイエス様を信じることもできません。
私たちが生きているこの瞬間だけがイエス様に出会う大事な時間なのです。

イエス様は約2千年前にイスラエルのベツレヘムという小さな町で生まれました。
ひとびとにもそれぞれ神様から与えられた使命があるように
イエス様にもとても大事な使命がありました。
それは神様を知らず罪の中で死んでいく人々を救うためでした。


人々は生きている中でいろいろな罪を犯します。
しかも,神の法律の中ではこの世の法律では裁かれない心の中の罪まで含まれています。
そして、一番重い罪はこの世を作り今この瞬間にも私たちを愛し導いている
神様を知らない罪です。

そして、その罪の問題を解決できなければ私たちは絶対に神様がおられる世界、
天国に入ることができません。
この世に罪のない完全な人はいません。
それだから罪の問題から逃れられる人は一人もいません。
全ての人が罪人だからです。

私たちは罪人で永遠の炎の中で苦しめられる哀れな存在でした。
しかし、憐れみ深い神様が私たちを救ってくださったのです。

この世の法律でも罪を犯した人はその罪に値するほどの罰を受けます。
それは神様の法律も同じです。
そして、公平なる神様の裁きの判断基準はもっと厳しいものです。
誰ひとりその裁きから逃れることはできません。

そして、どうしても解決できないその罪の代価を支払うために
イエス様は私たち一人ひとりの罪を背負い十字架に掛かり尊い血を流しました。

あの日、ゴルゴタの丘で私たち一人ひとりはイエス様とともに
罪の代価を払うため死にました。
そして、私たちはイエス様とともに三日目に蘇りました。
まったく罪のない新しい人として生まれ変わったのです。

そのことは今も変わらない真実です。
しかし、ここにはひとつの条件があります。
それはその神の愛を信じ受け取り告白する者だけが救われるという条件です。
イエス様が死なれたのは私の罪を贖うためだということを心で信じ
口で告白する必要があります。

ローマ書10章9節に書かれているようにあなたの口でイエスを主と告白し
あなたの心で神はイエスを死者の中から蘇らせてくださったと信じるなら
あなたはすくわれるからです。

人々は愛する人のために自分の命を惜しまない時があります。
それと同じく愛である神様が罪の故に滅びていく罪人のために
自分の命を捧げて私たちを救ったのです。

イエス様は2千年前に私たちの罪を背負って十字架にかかりました。
そして死人の中から三日目に蘇りました。
イエス様は私たちの罪を償ってくださいました。
私たちの罪は雪より白くなったのです。

しかし、そのことを心で信じ口で告白しなければなりません。
罪を犯しているとき私たちは罪の奴隷です。
しかし、イエス様を信じ罪から解放されたいま
私たちはイエス様の下僕であり神の子どもです。

今も日本全国の多くの教会で神様に礼拝を捧げています。
人々にイエス様の愛を伝えています。
イエス様のその愛を受け取ってください。

罪から解放され永遠の命を得てくださいと切なる気持ちでイエス様を伝えています。
しかし、多くの人々はまだそのイエス様を知らずまた信じようとはしません。
それでもその神の愛は真実であり事実です。
どうか、その大事なイエス様に是非出会ってください。
あなたの人生に二度とない素晴らしい出会いを体験してください。











  

Posted by 青い鳥 at 22:44Comments(0)説教

2012年11月17日

ある医者の遺言


あまり好きではないのですが体の都合で仕方なく
病院に通い薬を飲んでいます。
薬の袋がどんどん増えるのが気になります。

年老いた母が家を留守にするたびたくさんの薬の袋を数えている
姿を見ていたのですが知らぬ間に同じ行動をしています。

モーセのように天に召されるその日まで元気な姿で
過ごしたいと願っているのです#0#

韓国のサイトで見つけた話を訳してみました。
実践したらすばらしい人生が始まるのではないかと期待しています。

引用文
ある町に有名な医者が住んでいました。
町の人々は体の調子が悪くなるといつも彼のところに行って治療を受けました。
彼は患者の顔色や歩き方だけでどこが悪いかをわかり処方する名医でした。

そんな彼が年老いてこの世を去ることになりました。
町の人たちや教会の牧師は死に際の医者を訪ねてその死を見届けました。

死の前で彼が人々に言いました。
わたしよりもっと優れた三人の医者をご紹介します。
その名は食事、睡眠、そして運動です。
食事は胃の75パーセントだけにして絶対に食べ過ぎてはいけません。
12時以前に眠り日が昇ると起きてください。
そして熱心に歩いたら大体の病気は治ります。

話をしていた医者が疲れたのかしばらくあいだ言葉が途切れました。
それからまた声が続きました。

しかも食事や睡眠と運動は次の二つの薬と共に使うともっと効果があります。
人々は前よりもっと真剣に耳をすましました。

"肉体と共に魂の健康のために必ず必要なものは笑いと愛です。
肉体だけ健康なのは半分だけの健康です。
魂と肉体すべてが健康な人になってください。

笑いは一生涯ずっと使うべきです。
笑いという薬は副作用のない万病統治薬です。
よくない事があるときはたくさん使ってもいいです。

愛の薬は非常薬す。
この薬は常に飲んでくださくぃ。
一番大事な薬です。"

医者は自分が生きていく中で悟った一番大事なことを告げたのち
平安な様子で静かに目を閉じました。
わたしたちはお金のかからないこの薬をどれほど摂取していますか。  

Posted by 青い鳥 at 07:19Comments(0)

2012年11月13日

映画アメイジンーググレイス

映画アメイジンーググレイス
賛美歌の中でも特に世界的に知られている曲がジョンニュートンが
作詞したアメイジンーググレイスです。

奴隷船の船長でアフリカの人々を奴隷として運んでいた人が
イエス様に出会い牧師になりました。
そしてあまりにも重い自分の罪が許されたと悟ったとき 
彼はその言い尽くせない感謝の気持ちを詩で書き綴りました。

その詩には曲がつけられ今では世界の人々が愛唱する
すばらしい歌になったのです。

映画はそのジョンニュートン牧師の歌とともに
彼の影響を受けた一人の人物を描いています。

奴隷廃止のために一生涯をささげた一人の政治家の話です。
イギリス人が好んで飲む紅茶を作るため
そして紅茶に入れる砂糖の栽培のため
人々はアフリカの人々を誘拐して奴隷として売りさばきました。

鉄の塊で造られた首枷、手かせ、足かせに縛られたまま
アフリカの人々は短くは3週間、長くてはそれ以上を
身動きもできない状態で立ったまま運ばれていきました。
それはもっと多くの奴隷を乗せるための措置でした。

600人の人が港についたときは200人あまりしか残ってなかったと
映画では言っています。
そして、生き残った人々を待っていたのは焼印が押され
家畜より酷い奴隷生活でした。

そんな奴隷船の奴隷貿易や奴隷制度を廃止するために戦った
一人の人物を映画は知らせています。

奴隷廃止から200年の年を記念するためにこの映画は作られたと
ネットの検索で知りました。

加害者の国で奴隷廃止という記念すべきことを自慢するために
この映画を作ったのです。
しかし、加害者である彼らは果たして被害者であるアフリカの
人々に対して正式に謝罪したのだろうかいう疑問が起きました。

嘆きと悲しみ、絶望の中で死んでいった多くの死に対して
彼らはジョンニュートンのように心から悔い改めたのでしょうか。

顔も知らない多くのアフリカの黒人たちの死と犠牲に
心から黙祷をお捧げします。
  

Posted by 青い鳥 at 20:21Comments(0)

2012年11月13日

ドラマ順と愛

ドラマ順と愛
毎週日曜日の夜に放送される韓国ドラマが楽しくて
日曜日を待っているという人がいます。

1回でも何かの都合で放送が休みになると
すごく損した気分になるといいました。
歴史も言葉も知らない外国のドラマにそこまではまるって
すごいことですね。

礼拝も終わり、ほっとした気持ちで眺めるテレビの中の世界は
日曜日の幸せのひと時のようです。

冬のソナタという韓国ドラマには待ったとき毎週の放送時間を
待ちきれず初めて韓国のビデオショップにいって
ビデオを借りてきて前編を一気にみました。

それでドラマにはまってその時間帯を待っている
人々の気持ちがよくわかります。

最近、はまっているドラマはNHKテレビの順と愛です。
人の目を見るとその人の本性が見えるという不思議な力を持つ
男主人公と裏表のない女主人公の恋物語です。

ホテルで働いている女主人公を取り巻く人間関係や
二人の主人公の家族まで毎日のように次から次へと
事件が起きています。

日本のドラマや映画を見るときいつも思うのですが
本音と建前の生活をしている社会に疲れている人々を感じます。

サトラレというドラマの時もそれを感じました。
物事を敏感に鋭く感じる人は特に日本での二重的な生活に
適応できず病んでしまう可能性があります。

自分を素直に表現できずそのギャップが続くと
人々の心と体は反乱を起こしてしまうのではないかと思います。

あまりにも和という文化を重んじられたせいで本音で語り
お互いの意見にもっと近づく試みや努力さえ
できなくなってしまったのでしょうか。

もうちょっと自分の感情や気持ちを素直に
表現できたらいいのにと思います。
話はここまで、とにかく順と愛を楽しんでいます。
  

Posted by 青い鳥 at 20:20Comments(0)

2012年11月13日

感謝する生活

感謝する生活
月曜日、開拓教会での始めての祈祷会がありました。
食事の用意で忙しい宣教師の手伝いをしていると
携帯がなりました。
K兄弟からでした。

私のブログの中で一日中全然ならない携帯のことを読んで
気になり哀れみの(?)電話をしてくれたのです。

久しぶりの大事な休みの時間を私の愚痴と悩み相談に
忍耐強く付き合ってくれました。

長い長い私の相談のあとの助言として感謝する生活を勧められました。
愚痴を言いたいことがあっても不平不満を言いたいときがあっても
あえて感謝する生活を始めてみてはいかがですかと
何度も強く言われました。

そして、教会に出てくるねずみの事で散々悩んだ話をしてくれました。
色々な方法でねずみ退治に励んだけれどまったく効果がなかったそうです。
それが賛美の力という本を読んで感謝する生活をし始めてから
いつの間にか鼠が出なくなっていることに気づいたそうです。

日々生活していく中で本当に理不尽で
納得のいかないことが沢山おきています。
その一つ一つの理解できないことに対して感謝するのは
本当に難しいです。
しかし、無理して口に出して告白するときすべてが本当に
感謝に変る体験をK兄弟は沢山聞かせてくれました。

来年は牧師として新たに出発するK兄弟に
神様の豊かな聖霊の油注ぎと祝福を祈ります。

K兄弟、あなたはきっとすばらしい牧師になると思います。
日本の人々にイエス様を伝える大いなる働きを期待しています。
哀れみの電話ありがとう。とても励まされました。^0^
  

Posted by 青い鳥 at 20:17Comments(0)

2012年11月09日

私の霊性の色


神学校の後輩から本を借りて読んでいます。
その中の1冊は霊性に関する本でした。

人々が神様を身近に感じ探す方法を9つの種類に分類しています。
神様が造った人々はこの世の自然のように豊かでユニークだといいます。
それだから人々も色々な形で神様を求め出会えると著者は言っています。

自然の中で神様を見つける人がいます。
自分の五感を使ってまたは知性、ある人は祈りを通して
神様を求め、神様と交流をする人がいます。

神様から与えられたそれぞれの気質を生かして自分なりのやり方で
自分が一番やりやすい方法で人々は神様に近づいています。

それだから人は自分と違う形で神様を賛美し近づく人を裁いたり
批判してはいけないと著者は主張しています。

9つの霊性について詳しく説明し、またどんな霊性に一番適合しているのか
問題の答えの数字を計算して自分自身の霊性を見つけるコナーもあります。

私の霊性の色は同じ点数で共同一位の自然主義、感覚主義
2位は知性主義そして3位は行動主義でした。

ほかの5つはまったく一緒で低い点数でした。
それぞれに合う神様への愛し方を読みながら
それだから私はこのような形で生きるのが好きだったんだなと納得しました。
もともとそのように神様から与えられた自分の霊性だったのです。

私は綺麗な自然を見るとき、特に神様を感じます。
小さい草花の中で露の光の中で雨の雫や水玉の中で私は
神様の創造力と豊かさ、偉大さを感じるのです。

また素敵な芸術作品を見るとき畏敬に似た感動を受けます。
綺麗な絵や写真、作品は私の心を幸せにします。
それは私が感覚主義霊性を持っていたからだと初めて知りました。

私は定期的に展示会に行って芸術作品を見るのが好きです。
それが久しくなり何か心のかなで無性に綺麗な写真や絵が見たくなるときは
本棚にある画集を出して眺めたりします。

賜物の中でも一番高かったのは芸術性でした。
そして、知性主義霊性のせいであんなにも本を読んだり色々と
次から次へと疑問が沸いたりするのですね。

最後の行動主義霊性まで今まで自分が好んでしたことすべてが
神様に与えられた自分の気質でそれに会う方法で神様にもっと
近づくためにこれからも努力していきたいと思っています。

J兄弟、素敵な本を貸してくれてありがとう。
とてもよかったです。
  

Posted by 青い鳥 at 07:02Comments(0)

2012年11月08日

賛美の力

賛美の力
11月5日には礼拝に行っている開拓教会で初めての祈祷会がありました。
関西地域の3つの教会が集まり順番で開催する祈祷会です。

近くでは大阪から遠くからは神戸から参加しました。
11時祈祷会が始まり賛美を捧げメッセージを聞き
そして祈りの課題を挙げて祈りました。

普段の礼拝の時はあまり賛美を知らない人々ですので
なかなか味わったことの無いすばらしい賛美の時間でした。

男と女の違う声帯から出される美しいハーモニは
聞いていて賛美の力はこんなにも人の心を幸せにするんだなと
前もって知らせられました。

各自の声が合わせられて素敵な響きになり
賛美ってこんなにもいいものだなとつくつく感じました。

天国を体験した人の話の中でも、どんなに優れた楽器より
人間の声のほうがもっと美しく神様を賛美できると聞きました。

この世の歌を悪魔の歌と表現した人もいましたが
やっぱり神様から与えられたすばらしい楽器である私たちの体を
神様を賛美するために使うとき幸せな気持ちになるのですね。

きれいな賛美を聞き心も幸せで祈祷会が終わってからは
宣教師が用意したおいしい韓国料理を食べておなかも幸せでした。
とても楽しい時間をすごしました。
  

Posted by 青い鳥 at 05:37Comments(0)