2013年03月24日

北朝鮮の殉教者たち

北朝鮮の殉教者たち
フェイスブックというSNSが始まり今はブームを起こしています。
今まで色々なサービスが始まり消えていきました。
果たしてこれはどれほど長持ちするのでしょう。

フェイスブックを通して繋がれている姪のタイムラインに
乗っていた北朝鮮の宣教師の話はあまりにも悲しくて
何度読んでも涙を堪える事ができませんでした。

韓国と北朝鮮同じ民族だったけれど今は二つの国に分かれ
一番遠い国になっています。
驚くことに3代目に続き独裁政権を維持している北朝鮮では
今でも食べるものがなくて死んで行く人々が後を絶ちません。

そのような人々を助けるために北朝鮮の人々を中国に
脱出させていた宣教師の証はあまりにも切なく心の痛い話でした。

60代後半の年寄り3人と79歳の年寄りを食事会に誘い
脱出の話をききました。

そして、なぜ脱出をしたいのか聞いた宣教師に
79歳の年寄りの答えは驚くものでした。
”一度でも良いから自由に賛美をしたいから、、、”

栄養失調で体は病気になり衰え果てていた79歳のお爺さん
彼が求めていたのは食べるものでも病気を治す薬でもありませんでした。

しかし、彼が自由を得て北朝鮮を離れることはできませんでした。
脱出を手伝うと申し出た宣教師に彼は決定する前に
神様に聞いてみますと席を離れました。

10分ほど立って帰ってきた彼の顔は涙が滲み出ていました。
強く握っているこぶしで姿勢をまっすぐにして彼はこう伝えたのです。

”私は神様にお尋ねしました。
アメリカから来たあの宣教師が私たちを助けて脱出させてくれると
申し込んでいますがどうしたら良いでしょうか。
すると神様が仰いました。
わたしが力がなくてあなたたちを北朝鮮に残していると思うのか”

そのように伝えながら老人は肩を震えながら泣いたのです。
”先生、叩かれるのも神様の目的だそうです。
もしチャンスがあれば韓国へ行って賛美歌でも思う存分歌って
神様の国に行こうとしたのに。この地に残るのも神様の御胸だと。。。”

警察が来るから早く逃げなさいとせかす老人に
宣教師は何度も脱出を促しました。
しかし、老人はこう付け加えただけでした。
”私も知っています。自由が何なのかを。
教会の鐘を鳴らしたこともあり
聖歌隊も教会学校の教師もしたことあります。

しかし、この地に留まることも神様の望みだというので。
自由より神様の声に従うべきではないですか。
知っています。私も知っています。
自由がどれほど素晴らしい物かを

自由に聖書が読め、賛美ができ、そうてんの祈り会に出られ、
献金をささげることもできます。”

あまりにも悲しく老人の履物に唇を当て泣いていた
宣教師がさようならと挨拶をしました。
すると年寄りは”天国で会いましょう。”と答えました。

涙でにじむ目を堪えてその場を逃げる宣教師たち一行の耳に
”誰が私たちをキリストの愛から遠ざけるだろう”
と小さく遠くなっていく老人の声が聞こえました。

そこを離れながら宣教師は絶えきれず涙を流しました。
車を運転していたイエスを信じ間もない朝鮮族も泣いていました。

数年後その年寄りたちの様子が知りたくて
宣教師は車を借りてその村を訪ねました。

当時運転をしてくれた朝鮮族の人を探し出して
彼らのその後のことを聞きました。

朝鮮族の運転手はきつい声で答えました。
”何しに来たのか。あのおじいさんも年寄りたちも
その家族もみんな死んだのさ”
収容所につれで行かれた家族もみんな死んだそうだ。
6人の若者は連れ去られる警察に反抗して
その場で殺されたそうだ。”

その話を宣教師に伝えながらあまりにも悲しみと怒りを耐え切れず
彼は苦しみの涙を流していました。
誰かを非難するつもりで発する声でもありませんでした。

自由に一回でも賛美をしたいと願っていた彼らは
その望みをかなえることもできませんでした。
飢えと病気と自由のない苦しみの国で自由を夢見ていた彼ら
しかし、その自由に手が届くような瞬間さえも
彼らは神様の厳しい要求に従いました。

今も北朝鮮には厳しい状況のなかで信仰を守っている
クリスチャンがいます。
自由に聖書を読むことも賛美を歌うことも
礼拝を捧げることも献金を捧げることもできません。

しかし、彼らは自由の国への脱出さえも
神様の望みではないときはそれを諦めるほど
神様の声に従い歩んでいます。

自由に礼拝、賛美、献金や伝道ができる環境でいながら
私たちはそのことにどれほど感謝しているのだろう。

世界で唯一つ統一されてない民族、韓国と北朝鮮が一日も早く
統一されて神様に自由に礼拝できるようにお祈りしてください。

今も飢えと病気と圧制の中で息を潜めながら神様を捜し求めている
北朝鮮のクリスチャンたちのためにお祈りください。
  

Posted by 青い鳥 at 07:29Comments(0)

2013年03月23日

驚くべきマイナスの力

驚くべきマイナスの力
風邪気味で一日中鼻をかんでいたので鼻が痛いです。
春のような天気が続いていたのにまた急に寒くなりました。

引越しが終わり無理をしたせいで体の調子が悪くなっている
母が心配で、毎日のように母に電話を掛けています。

引越しの後の色々な作業や手続きが終わらず
まだ家の電話も繋がっていません。

携帯に電話を入れると母は体の調子が悪く死にたいと嘆いています。
忙しい生活の中訪ねてくる人もいないので
一人で大変な日々を過ごしているようです。

短い話をして電話を切りましたがそれから一日中
気分が優れず憂鬱な時間を過ごしました。

驚くほど人の元気を奪うマイナスパワーを実感しました。
妹が母と電話で話したらいつも落ち込んでしまうから
あまり関わりたくないと呟いていたのを思い出しました。

乙女の時はあまりにもよく笑いひんしゅくを買っていたという母は
辛い人生を歩んできたせいか今はとても頑固な性格になっています。

自分の意見を曲げず自尊心が強い分もっと悪い面が出ています。
年を取ると丸くなると言われていますが母は体の調子がよくないせいか
もっと尖った性格になりつつあります。

数年前も祈祷院に来た一人の呟きと不満の言葉で一瞬にして
部屋全体の雰囲気が陰気に変わるのを目撃しました。

人を生かす気があるように人を殺す気もあります。
ある人が来ると回りが明るくなり幸せになる人がいます。
反対にある人が現れてまもなく雰囲気がとても険悪になるときがあります。

母は人が大好きでいつも美味しい料理で家に来る人たちを
喜んで持て成していました。
しかし、自分の体の調子が悪くなるにつれ
精神的に余裕を無くしているようです。

どうか、母のためにお祈りをお願いします。
早く元気になり生まれつきのプラスの力を発散できる
ニコニコばあさんになりますように。
  

Posted by 青い鳥 at 07:50Comments(0)

2013年03月22日

最後の使命

最後の使命
神学校の時世話になった教会の信者さんが亡くなりました。
共に過ごした懐かしい思い出を浮かびながらとても寂しくなりました。

いつでも会えると思っていた人たちが一人二人
私の傍から見えなくなります。

その笑顔や声を二度と見ることも聞くことも出来なくなります。
この世に生まれてくる全ての人が必ず迎える死
愛する人々の死の知らせを聞くたび
いつか私も迎えるその死について考えます。

さまざまな形で人々は最後の使命である死を迎えます。
加藤タキさんの本の中でホスピスで死に向かって日々を
過ごしている女性の話が書かれていました。
「人間と言うのは生きてきたようにしか死ねないんですよ。
だから今、生を受けているときに私は精一杯生きたいと思っています。」

彼女の話のようにそれぞれ迎える死は結局その人の生き方が
現れているような気がします。

テレビで見た逃亡者の国の住処として放送されたフィリピンでの
韓国人犯罪者の話しは見ているうちにどんどん気分が悪くなるものでした。

韓国で犯罪を犯して外国に逃げた人たちの生き方は
相変わらず酷いものでした。

同じ国の人々を獲物として拉致、詐欺などを繰り返す
彼らの末路は生き方と同じく悲惨な死に方でした。

人生の中で彼らにも色々な選択の時があったはずです。
しかし、誤った選択の積み重ねが招いた人生の果ては
平安な死とは程遠いものでした。

犯罪者として逃げ回った挙句悲惨な姿でこの世を去る人がいます。
家族や教会の人々に囲まれこの世を去る人がいます。

対照的な二人の死に方を見ながら結局その人の生き方は
最後までその人の人生に影響されることを身にしみて感じています。

誰でも迎える死という最後の使命を私はどのように迎えるべきか。
悔いの残らないよう今この瞬間を大事にそして充実に生きているだろうか。
自分を戒め日々の生活を振り返っています。

優しかったKさん、ご冥福を祈ります。
あなたの笑顔を二度と見ることが出来ないので寂しいです。
私たちの出会いを心から感謝します。さようなら。
  

Posted by 青い鳥 at 07:02Comments(0)

2013年03月21日

自分を生かすこと

自分を生かすこと
ラジオでは春よ来いが流れています。
新しい音楽が聞きたい、、、

あまりにも寒く遠く感じていたのですが
春は確実に近づいているようです。
外は季節を急かすように雨が降っています。

図書館で除籍された本の中で気になる本を持ち帰って読んでいます。
期限を気にしないで読めるので気楽です。

加藤タキという人の本「40歳からをどう愉しんで生きるか」です。
とても共感しながら読みました。

海外留学や環境の影響ではないかと思われますが
はっきりした自分の思いを持って実際行動で移している姿が
本からとてもよく伝わります。

その中で子育てが終わり余裕が出来た中年女性が生きがいや趣味のために
始めた色々なカルチャセンタ通いの色々な学びが生かせず
学びで終わってしまうことを残念がっていました。

自分に投資して学んでことを社会に還元するように求める
彼女の文を読みながら自分を振り返っています。

小学校の書道から始め最近資格に挑戦したウェブデザインの学びまで
本当に色々なことを学んできました。

しかし、その中で今生かしている学びは何かと聞かれたら
自信を持って答えることが出来ないのが現状です。

時間とお金など多くの物を投資しましたが
今、私はその中でどれほどの物を社会に還元しているのだろう。
方々学びだけで終わり時間と共に記憶から綺麗に消えていったのです。

機会が無かった、環境が整えてなかったなど多くの弁明があります。
しかし、結局は積極的にそれを生かそうとしなかった自分の責任です。

学んだだけで終わるのではなく次へのつなげることを考えて
生きましょうと彼女は提案しています。

次のステップに進むためにはさびれている頭の中をもう一度
整理して学びなおす必要があります。

そして、無意識の世界に深く沈んでいた記憶を取り戻す
大掛かりな作業が必要です。

さて、私の学びはどこで誰のために生かすことが出来るのだろう。
まずそれを探ることから始めなければなりません。
  

Posted by 青い鳥 at 07:44Comments(0)

2013年03月13日

期待とギャップの狭間で

期待とギャップの狭間で
神様は人間の中心を見られるのですが
それができない人間は見た目や肩書き、職業、言葉使いを見て
人を判断しがちです。

その判断には自分の生涯や文化、生活環境で身についた
物差しや秤が基準になっています。
そしてその期待値とキャップが大きいとき人々は
相手に失望したりまた自分の愚かさを責めたりします。

結婚の幻想を見ていた乙女が現実に幻滅するように
人々は自分が描いていた期待値に合わないときいらいらしたり
それを埋めてくれるよう要求します。

期待した分裏切られた時の傷や失望は大きいようです。
神学校卒業、短期宣教の経験や宣教訓練など
クリスチャンの中でも特別に信仰熱心な人々が進む道を
誰かに押されたような感じで歩んできました。

元々暗い性格で内気だった私がいやいやながら歩んできた
神学の道は人格や信仰が整えることができないまま
あまりにも早い速度で進んできたのでそれを知らない人たちは
そのギャップに失望して色々な誤解を招いています。

いつも自分の気持ちを正直に話しているのですが
私の背景を知らない人々は自分の思いとかけ離れた
私の行動や態度などにとても失望しているようです。

神学校に入学した1年生の時もあまりにも神学生として
ふさわしくない態度や言葉使いで先輩に指摘されました。

それは今でもあまり変わらずまた教会観や信仰のありがたなども
お互い思いが違うので色々食い違いが発生しています。

基本だと思い要求される事さえもなかなか納得いかない
理解できないでいるので悩んでいます。
従順はどこまで納得してするべきだろう。
  

Posted by 青い鳥 at 07:57Comments(0)

2013年03月12日

ハッピな卒業生たち

ハッピな卒業生たち
3月8日には神学校の卒業式が有りました。
1年間一緒に勉強した後輩たちの卒業式を見るために
参加することにしました。

N市からわざわざ卒業式に参加するために遠出をしたA姉妹は
私の部屋で一晩とまり一緒に卒業式に参加しました。

朝9時から始まる卒業式にやっと間に合いました。
12人の入学生の中で卒業式を迎えたのは5人だけでした。

いつものように順番に進む式の中で一番面白かったのは
卒業生たちの賛美でした。

ガウンを羽織った卒業生たち5人が踊りと共に賛美を披露してくれました。
しかし、あまりにも動きがばらばらで途中で歌の歌詞を忘れたらしく
なんだかとてもおかしく爆笑の嵐でした。

1年間の生活の中であまり纏まらない学年だと感じていましたが
最後までその期待を裏切ることはありませんでした。

5人の表情があまりにもニコニコで幸せそうなので
祝辞を述べる先生からこんなにも卒業するのを喜ぶ
卒業生たちは珍しいと言う感じの驚きの言葉も出てまた笑えました。

そんなに卒業することが幸せだったのかしら。
私の学年ではみんなと別れるのが寂しく
しんみりしてたような気がしますけど。

色々な悩みや苦しみも有ったと思われますが
3年間の学びを無事に終え素敵な卒業式を迎え
また新しい出発をすることになった
5人の卒業生たちに拍手を送ります。

言葉の壁や学費の問題などを乗り越えたT兄弟おめでとう。
睡眠不足や人間関係の問題を耐え忍んだK兄弟おめでとう。

開拓のための新しい一歩を踏み出すS姉妹おめでとう。
もう一段の学びのために大学院に進むK姉妹おめでとう。
あまり話しする機会は無かったけれど素晴らしい通訳や
ピアノ実力の持ち主N姉妹おめでとう。

3年間お疲れ様でした。
これからのあなたたちの歩みの中にも
神様の祝福と導きがいつもありますように。
  

Posted by 青い鳥 at 07:32Comments(0)

2013年03月11日

菊の花のサラダ

菊の花のサラダ
神学校の卒業式が3月8日に有りました。
1年間共に学んだ後輩たちの卒業式です。
水、金曜日の通訳の奉仕に行っている教会の宣教師の旦那さんも
卒業することになりました。

N市から卒業式に参加するためA姉妹が訪問しました。
朝9時から卒業式が始まるので前日に来て私の部屋で泊まり
卒業式に参加するようになりました。

久しぶりにお客さんを迎えるので朝から部屋を掃除しました。
布団を干したり溜まっている埃を吹いたり忙しい一日でした。

夕ご飯と朝食を一緒に食べるようになったので
デパートの食料品売り場で必要なものを買いました。

未だに料理は苦手ですので前と同じ献立です。
カレー用の肉とサラダ用のキャベツやきゅうり
そしてあまりにも色が綺麗だったので食用の菊の花を買いました。

娘の友達からカレーは料理ではないと言う失礼な言葉を聴いたけれど
一番ましなのはそれしかできないのでまたカレーになりました。

買ってきたコロッケや漬物などを並べました。
せっかく買ってきた菊の花びらを全部取ってサラダを作りました。

あまり綺麗に盛り付けができず悩んでいると
とにかくお腹に入ったら同じだと言うA姉妹に励まされ
適当に盛り付けしていただきました。

菊の香りがかすかにするとA姉妹が言います。
自分のためにこんなに用意してくれてありがとうと大げさに感謝する
A姉妹の言葉に笑いながら楽しい一時でした。

お陰で菊の花のサラダも食べられて粋な食卓でした。
しかし、菊の花をサラダにして食べるのは正しい食べ方かしら。

とにかく綺麗な菊の花をたべるって贅沢ですね。
A姉妹、ありがとう。楽しかったよ。
  

Posted by 青い鳥 at 07:42Comments(0)

2013年03月07日

霊的高慢と霊的病

霊的高慢と霊的病
水曜日の礼拝を捧げるために教会に向かう車の中で
久しぶりに楽しく話が盛り上がりました。

80代資産家の脱税の話が出て神様の国にいく日も近づいているのに
まだ金に執着していると言って寄付したらいいのにとか
色々意見が交わされました。

毎週水曜日の礼拝ではレビ記を続けて説教しています。
礼拝が始まり説教の中の内容が教会に来る前に車の中で交わされた
話しと合致していたのでびっくりしました。

ヨルダンの水の中に7回身を浸してらい病を癒された
アラムの将軍ナアマンの話でした。

自分の国が支配していた国の預言者の話に彼は最初不従順しました。
しかし、彼が謙遜な気持ちで従ったとき奇跡は起きたのです。

聖書で語っているらい病患者の話の霊的意味は
人間の霊的高慢を表していると宣教師は語りました。

人々が持っている才能や財産、権力や名誉など全ては自分のために
使うために与えられたものではありません。
それは神様のためにこの世の人々のために使うために与えられたと言いました。

しかし、それを自分のものとして自分のためにしか使わない高慢が
つまり霊的病、霊的らい病だといいました。

120歳を生きるようになったと言われているのですが
聖書では人生は70歳長くても80歳だと書かれています。

自分の歩んできた人生を振り返りもっと悔いのないように
身の回りのことや人間関係を整理する80代になっても
人は満たされない欲望を追って走っているのですね。

神の前に立つとき私たちは神様と計算をしなければならないと聞きました。
生きているうちに自分が人々のために使った時間、施しや犠牲
行った全ての善行だけが結局自分の報いとして記録されるのです。

どんなに癒されても二度と回復できないらい病の患部のように
恐ろしい霊的病、霊的高慢の怖さを心に刻んでいます。

人間の心はこの世のどんな物でも満たすことができない存在として
神様が造られました。
幾らお金や名誉、権力があっても人々は永遠に満足することができません。
その心を満たすものは神様を向かえることだけです。

神様によって満たされ平安を持った人はどんなところでも
どんな環境でも満足できるのです。
  

Posted by 青い鳥 at 06:00Comments(0)

2013年03月06日

映画ー陽はまた昇る

映画ー陽はまた昇る
パソコンの発達と共に多くのものが開発されたりまた姿を消しました。
長い間とても愛用していたVTRも完全に市場から姿を消しています。
慣れ親しんでいたVTRは今は作るところも無いようです。

実家にあったビヂオデッキが壊れ沢山持っている
ビデオテープの再生にも困っています。

妹からは今はもうVTRの時代ではないから諦めなさいと言われています。
しかし、わざわざ取っておいたものが見られないのがとても残念でなりません。
何かいい方法は無いのかしら。

月曜日の祈祷会で疲れて帰った次の日、夢中になってみた映画があります。
”陽はまた昇る”と言う日本映画です。
とても感動的で涙を流しながら見ました。

主に好きなドラマや歌番組映画などを録画するためによく利用していた
家庭用ビデオの開発に関わった男たちの話は実話をもとにしていて
彼らの夢や仕事に対する情熱また固い絆で結ばれていた人間関係まで
心を打つものがありました。

人員削減のために移動になったひとりの技術屋が生活を抱えている
部下たちと共に生き残るために始めた家庭用ビデオの開発は
多くの試練や苦難の末ついに成功しました。

家庭を顧みず捧げた彼らの苦労が有ってこそ私たちは素晴らしい時間を
過ごすことができたのですね。

世界で一緒の統一された規格を作るために自分たちの汗水流した
発明の成果を共有した彼の決断によって日本ビックターは
大きく成長したのではないでしょうか。

今も携帯電話を始め電気製品やインターネットやパソコン関連の
物は常にお互いに共有できる設備や規格を求めています。

携帯電話の充電器の規格がいつからか会社事に変わっていたのには
消費者の便利よりは会社の利益ための処置のように思われ
時代の流れに逆らっているような気もします。

しかし、そんなことをまだ知らなかった時代にもっと大きなスケールで
考えた一人の男の物語はその人間性に惚れた部下や下町工場の人々
会社のトップまで説得でき結局ソニーの優れたベター方式に
勝つことができたのです。

一人の情熱が周りの人々を巻き込み大きな事をなり遂げるのを見ます。
情熱は人々を感動させ影響力を与え感染させます。

長い不景気で苦しんでいる今の日本には夢や情熱を持った人々が
切実に必要されている気がします。

今も新しい商品の開発のために眠りを忘れ没頭している産業戦士たちに
大きな拍手を送りたいです。

私たちの知らない所で苦労している多くの人々により
私たちの生活はもっと便利で豊かなものになっているかもしれません。

とても素晴らしい映画を通して彼らのことを少しでも知ることができ
感謝しています。まだ見たことの無い方にぜひ勧めたいとても感動的な映画です。
  

Posted by 青い鳥 at 07:55Comments(0)

2013年03月05日

有るを見つける人生

有るを見つける人生
この世に生まれこの世を去るときまで私たちは
どれほどの出会いを経験するのでしょうか。

愛する人や友人、忘れられない本や映画
命をかけても守りたい思想や価値観まで、、、
多くの素敵な物に出会います。

人によってそれぞれ違う価値観の中でその対象は
みんな違うかもしれません。
しかし、それら一つ一つはそれぞれの人生を豊かに
またすばらしくしたことは確かだと思います。

時と共に薄れ行く記憶の中でその感動も薄れていきますが
それらは私たちの人生に掛け替えのない思い出を残しているのです。

i-MOTセミナーに参加してもしかして人生を変えるかもしれない
あるを見つける思考についてもう一度考える時間になりました。

罪によって堕落した人間を支配するようになったサタンは
常に私たちの思いを通して私たちを支配しているようです。

サタンが与える悲観的で否定的な思考を受け入れてしまうとき
私たちは感謝や喜びを忘れてしまうのです。

自分に与えられた素晴らしいものに目がいくのではなく
常に自分に無いもので環境や親、自分や神様まで恨む事になります。

あるものを見つけて感謝するのではなく
ないもので悩み苦しみ嘆いているのです。

中国の奥地でらい病患者のために奉仕して宣教している
韓国人宣教師がいます。
彼が韓国のらい病患者の村で働いていたときの話しです。

畑で仕事をしていた老婆が大騒ぎしながら宣教師を呼びました。
それでその宣教師がどうしたのかと聞きました。
”先生、私の7本目の指が取れました。”
宣教師は”それでどうしろといいですか”と聞いたのです。

するとその老婆はこう答えたのです。
”あ、でもどれほど感謝すべきことでしょう。
まだ三本残っています。この三本の指で先生のために掃除や食事ができます。”

10本の指の中で7本が腐って落ちました。
残しりの3本の指に彼女は感謝していたのです。

数十年前までらい病患者は人々から隔離され差別され
人間扱いされず生きていました。

しかし、彼らがイエス様を信じて感謝を持って生きていったとき
彼らは自分の惨めな病気や環境よりは自分に残されたもの、
自分にあるわずかなものに目を向けました。

無いものに嘆く人生から残されたものに自分が持っているものに
目を向け感謝する人生を選んだのです。

今も自分にあるものよりは無いもので自分を苦しめている人々が
有るを見つける人生、感謝を見つける人生、イエス様に出会う
素晴らしい人生を選ぶよう心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 07:50Comments(0)