2013年04月29日

大阪中央教会24周年創立記念礼拝に参加して

大阪中央教会24周年創立記念礼拝に参加して
神学校の後輩のK兄弟に進められ日本橋駅の近くの韓国教会の
創立記念礼拝に参加しました。

毎年神学校にも神学生たちを送ってくれている教会です。
特別集会として韓国から牧師を招いて
4月27日から29日まで3日間開かれます。

金曜日の祈祷会で集会があることを知らされ参加すべきか迷いました。
土曜日になりテレビでは面白い映画が次から次へと放送される予定です。

自分の好きそうな映画だから家でテレビを見てゆっくりしたい気持ちです。
肉の思いでは家でごろごろするのを望んでいましたが
霊的なことではやはり行くのがいいだろうと思い出発しました。

神学校の1年のとき一回だけ集会に行ったことがある教会です。
しかし、どこの駅か出口などが思い出さず
その教会で奉仕している神学校の後輩のJ兄弟にメールを送りました。

最寄り駅と出口を教えてくださいとメールを打ちました。
電車を待つ間に返事が来ました。
6番と言う簡単な内容です。
しかし、一番肝心な駅名がありません。

礼拝の時間が近くなっていたので電話をするのが悪いなと思い
他の神学生の後輩に電話をしてやっと最寄り駅を知ることが出来ました。
電車に乗っているともう一度メールが来ました。
日本橋駅という一言です。

2回ぐらい行った記憶を頼りに十字架を探しながら
急ぎ足で教会に向かいました。幸いあまり迷わず教会に辿り付きました。

もう既に講師の先生の説教は始まっていました。
そっとドアを開けて近くの席に座りました。
招かれた講師の先生は驚くことに妹が7年間勤めた
教会の牧師の義理の弟さんでした。

妹から送ってもらった沢山の説教や証のテープで聞いたことがある声でした。
馴染みの声ですがこんなに近くで顔を見るのは初めてです。

ユーモアのある話と訛りが混じった話はとても分かりやすく
自分の体験を交えた説教は退屈する時間が無く
私はずっと流れてくる涙を拭くのに忙しかったです。

生活の中で出会った神様の愛とやさしさの話を通して
愛する私たちにどれほど満ち溢れるような祝福を与えたくても
不従順のゆえに逃してしまった私たちの不信仰を悟らせてくれました。

1日に午前11時と午後2時に開かれる集会でした。
午前の集会が終わり教会から用意されたそばをいただきました。
そして午後2時の集会にも参加して帰ってきました。
怠けて家でのんびりしていたら絶対味会うことの出来ない
素晴らしい恵みの時間でした。

不従順のせいで逃してしまった数々の祝福を思うと
とても残念で悔しい気持ちです。
これからはもっと素直に神様の声に聞き従うことの出来る私でありたいです。

追伸;もどかしいメールの件でJ兄弟にしっかり注意しました。
気悪くしないよね。いつも笑顔のJ兄弟。
  

Posted by 青い鳥 at 06:18Comments(0)

2013年04月27日

あなたはどこにいるのか?

あなたはどこにいるのか?
方向音痴の祖母に似たせいか私はとても方向に疎いのです。
母国の韓国でもよく道に迷ったりしました。
いつも思うのですがもし文字を読めなかったら
私の人生は本当に大変だろうと思います。

外国である日本でも事情はあまり変わらず
道しるべや案内図に書かれた日本語や英語を読み
自分の目的地にたどりつけることに感謝する日々です。

重い決断と共に始めた朝チャぺに休まず参加しています。
一番時間の掛かりそうも無い楽なコースを選んでいます。
毎日いつも同じ道を通っていたのです。

しかし、図書館で借りて読んでいた本の中で
脳を活性化するために特に右脳には変化をもたらすのがとてもよいから
普段と違う道や行動を取るように進められました。

早速実験の始まりです。
坂と迷路の町で新しい近道を探す一人旅が始まりました。
くねくね曲がっている細い道や険しい道、きつい坂を上りました。

そして、近くに見えていた神学校の建物と十字架が
いつの間にか消えて見えなくなっていました。
迷子のなっていたのです。

来た道をまた戻ってみたり高いところで方向を探ってみたり
くるくる回り道をしたり早朝道探しで汗びっしょりになりました。
もう今日はこのまま帰ろうかと思いましたが
最後まで頑張りました。

やっと礼拝の時間には間に合いました。
神学生の説教を聴きながら朝の回り道を思い出しました。
あなたはいまどこにいるのか?という説教題こそ私のことだったのです。
自分の思いで間違った道に進み身を滅ぼしてしまった
イスラエルの初代王であるサウルの話です。

学院の十字架を目指しながらも自分の思いのまま方向を決めて
進んでいて結局迷ってしまった自分のことが重なりました。

神様にお祈りしてやっと無事にたどり着いた朝チャぺで
神様に頼らず自分の思いのままに生きる人生について
厳しく言われた気がします。

神様が導く人生って絶対迷子にはならないでしょう。
方向音痴の私には本当によい知らせです。
さて、方向音痴の直る薬は無いのかしら。
  

Posted by 青い鳥 at 07:50Comments(0)

2013年04月26日

ヤベツの祈りから聞こえる神様の声

ヤベツの祈りから聞こえる神様の声
引越ししてから8ヶ月あまりののんびりした生活がついに終わりました。
あまりにも色々な人々から祈りの時間を持つように
しつこく言われたのでついに決断しました。

朝チャぺが開かれる平日朝早く神学校に向かっています。
馴染みの賛美を歌っていると神学生にまた戻ったような気がします。

元気の出る賛美の中でまた毎日色々な説教を通して
神様の声を聞いています。

前の晩ハローワークによって貰ってきた就職のための紹介状を見ながら
本当に私はこれでいいのかしらと悩みました。

派遣の仕事に行く度発生した不思議な出来事を思いながら
自分の働きは使命は何だろうと考えました。

朝チャぺに出てまず始めに祈ったことがその日の面接の件でした。
自分がどのような道に進むべきか未だに決心が尽かず
神様にどうしたらよいかその答えを求めました。

祈りが終わり賛美と礼拝が始まりました。
神学生の兄弟の説教はヤベツの祈りから紐解いていく内容でした。
場慣れした様子で大きな身振りを加えはっきりした声で力強く語りました。

礼拝に参加した学生からは笑い声が度々聞こえました。
そして、その説教の中で私は私の祈りに答えて下さる
神様の声をはっきりと聞くことが出来ました。

地堺の話から広がったタラントの話で私は思わず笑いました。
それぞれの人々に与えてくださった賜物すなわちタラントを自覚し
感謝し磨きをかけて主の働きのために主の栄光のために
用いるように言われました。

自分に聞かせるために語っているような説教でした。
そして、その日就職先から掛かってきた電話に
私は辞退の意思を伝えたのです。

このように早く祈りの答えが与えられるときもあるのに
どうして他の祈りの答えはなかなか届かないだろう。
  

Posted by 青い鳥 at 09:17Comments(0)

2013年04月25日

早朝の街角で出会う人々

早朝の街角で出会う人々
日々の生活に満足し後回しにしていた朝チャぺに参加しています。
朝5時半から始まる神学校の祈りと礼拝です。

3年間寮で生活しながら仕方なくやっていたことですが
今も逃げたい気持ちと戦いながら出かけています。

アラームをセットしていたのですが不思議とその時間より
大分早い時間に目がさめるので間に合っています。

今までは夜の遅い時間まで本を読んだりドラマを見たりしていましたが
朝チャぺに参加するため遅くても夜の10時には寝るようにしています。

外出の用意をして出かける道角では早い朝を迎える人々がいます。
新聞の配達のオートバイが道路を走っていきます。
ある人々は行き先は分からないけれど
駅のほうに急ぎ足で通り過ぎます。

ビニル袋を出にしている女の人が犬と散歩したり
運動服姿で走っている人もいます。

最近こんなに早い時間帯に起きて外の景色を眺めたことが無いので
久しぶりに見かける街角の様子に驚いています。

まだ早い時間住宅街も静まり返っている時間
早い朝を迎える人々がいたのですね。

一日の始まりの時間を神様に捧げなさいと宣教師に言われました。
決断から間もない朝チャぺがずっと守られるよう祈ってください。
街角で出会う人々も素晴らしい一日になるよう祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:18Comments(0)

2013年04月24日

説教ー赦された時間の中で

このブログを訪問してくださる方々に心から感謝します。
日々の生活から感じたことを書いています。

イエス様を信じているクリスチャンの一人として皆さんがぜひ
イエスキリストに出会い幸せな日々を過ごしますよう心から祈ります。
先週語った説教を載せました。
興味のある方ぜひお読みください。

許された時間の中で
まず始めに第二テモテの4章2節から5節をお読みします。
み言葉を述べ伝えなさい。
時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
慣用を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また進めなさい。

と言うのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず
自分につごうの良いことを言ってもらうために
気ままな願いをもって次々に教師たちを
自分たちのために寄せ集め

真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような
時代になるからです。
しかし、あなたはどのような場合にも慎み
困難に耐え、伝道者として働き自分の務めを十分に果たしなさい。

特に厳しかった冬がいつ終わるのか心の中で思っていました。
しかし、待ち遠しかった春はもう既に来ています。
梅の花が咲き、華やかだった桜の花も散り今はつつじの季節です。
何かしらと控えめだった桜よりははっきりと
自分を主張しているのがつつじの花です。
濃いピンク色や赤や白い花びらまでつつじの花の華麗な美しさは
みていて飽きないほどです。

毎日同じく見える時間の流れの中で
自然は確実に自分の役目を果たしています。

桜がまだその美しさを綻びていたころ
教会に向かう電車の中で花見に行かなくちゃと思いました。
しかし、もう桜は散ってしまいました。
つい最近まで今流行のフェイスブックには
桜の花や花見の写真でいっぱいでした。

みなさんも今年の花見には行ってきたのでしょうか。

桜の花は毎年欠かさず自分の季節を私たちに知らせています。
つぼみが一つ二つ綺麗なピンク色で染まるとき
人々は家族や友人または恋人同士でその美しさと華やかさに
酔いどれる瞬間を過ごします。

忙しい日々の生活の中で誰かを誘いもしくは一人でその時を味わっています。
同じように見える風景と顔ぶれそして変わらない日常がそこにはあります。
しかし、その一時はすべて神様の許しの中に存在します。
赦された環境と条件が揃ってこそ私たちはその瞬間を味わうことが出来るのです。

桜の花がピークを迎えた先週の金曜日
私はいつものようにある信者さんの自宅で開かれる祈祷会に参加しました。
その信者さんは病気の合併症で失明された方です。
数年前まだ働き盛りの時に視力を失い今は殆ど家の中の生活を強いられています。
その試練を通して信仰が深まり今は殆どの時間を聖書を聞いたり
祈りの時間として過ごしています。

祈祷会では賛美から始まり祈りの課題を挙げて次から次へと
声を出して祈ります。
日本の教会や宣教師たちへの祈りから祈祷かいに参加した
個人個人の祈りまであります。
祈祷会が終わると用意されたお茶やお菓子または果物を食べて
しばらくおしゃべりをしてから別れます。

ちょうど花見の季節でその信者さんに花見には行ってきましたかと
質問したところ行ってませんと言う答えが返ってきました。
気まずい瞬間が過ぎその信者さんが最近自分が見た
素敵な夢の話を聞かせてくれました。

毎週金曜日の祈祷会では欠かさず失われた視力を取り戻してくださるよう
神様に祈っています。
そして、夢の中で本当に目が見えるようになったといいました。
あまりにも眩しいので電気を消してくれと叫んだそうです。
目が見える喜びに浸っていた瞬間もつかの間
その信者さんは仕事に行かなくちゃと焦りながら目が覚めたそうです。

目が見えなくなってからその信者さんは
心の中でとても後悔したことがあると言いました。
それは仕事で忙しく何度もあった神様の声と掲示に従わなかったことです。

祈祷会のたびにいつももし神様が目を癒してくださるのなら
本当に神様を伝える働きをしたいと切に祈っていました。
しかし、夢の中では相変わらず仕事のことで焦っていた自分に
苦笑いしていました。

祈祷会が終わり帰りの車の中で外に写る桜の花びらを見てふと思いました。
仕事で忙しく働き回っていたころその信者さんはいつでも花見は出来ると
思っていたかもしれません。そして、神様を伝えることも。

毎年のように必ず訪れる桜の季節、花見はいつでも出来ると
後回しにしていたかもしれません。
しかし、今は二度と見られない風景になってしまったのです。

私は自分の怠惰のせいで今年の花見を逃してしまいました。
来年の春を期待しています。
しかし、もしそれが赦されてないとしたらどうなりますか。
明日のこともましては来年の春のことなど私には分かりません。
来年の花見は希望に過ぎません。
それはすべて神様の許しの中のことだからです。

私たちが確実に生きているのは今、この瞬間だけです。
教会に来て説教をきき神様に捧げる礼拝の時間、今、この瞬間だけが
確実に私たちに赦された誰も奪うことが出来ない自分の時間だからです。

後回しにした約束、後回しにした礼拝、後回しにした伝道、
後回しにした祈りや賛美、もしくは花見まで。
その事が誰かには今はしたくても出来ないことになっているかもしれません。

宣教師の留守の間に私に任された説教のことで色々悩みました。
神学校を卒業してますます聖書から離れているので
試験のために頭の片隅に覚えておいた聖書箇所もなかなか
思い出すことが出来なくなりました。

今度はどんな本文を使うのかさえもなかなか決まりませんでした。
どんどん日は迫ってくる中ずっと響くみ言葉があり
聖書を探してやっと見つけました。
それが第二テモテ4章2節の前半の言葉です。
み言葉をのべ伝えなさい。
時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。
第二テモテは使徒パウロがテモテという人に当てた手紙です。

私たちが今使っているこの聖書は二つに分けられています。
古い契約と言う意味の旧約聖書と新しい契約と言う新約聖書です。
旧約の始まりの書は創世記で新約の最後の書は黙示録です。
旧約聖書には39巻の書物が新約聖書には27巻の書物が収められています。

そして、聖書の各書物は千年以上の時間の流れの中で30人以上の
人々により書かれました。
聖書の著者は預言者だと呼ばれた神様の霊感を受けた人々です。
その著者たちは王様から農夫や羊飼いに至るまで様々の職業の人々です。
それぞれ違う職業と個性を持った人々により書かれた本の集まりが聖書です。
しかし、そんなことにも関わらず聖書の全体の流れは
驚くほど一貫していて統一性が保たれていると言われています。

今は殆どの国の言葉で訳され世界一ベストセラーだと言われる聖書は
私たちに何を伝えているでしょうか。
それこそイエスキリスト、神様の愛です。

旧約聖書は来るべきイエスキリストのことを
新約聖書は人間の姿で現れたイエスキリストについて書かれた本です。
イエスキリストは約2千年前にイスラエルのベツレヘムという
小さな町で生まれました。
大工の息子として生まれ33年間の生涯をこの世で生きた人物です。
貧しい家系の息子として生きた短い生涯の最後は十字架刑という
あまりにも過酷で悲惨な死に方でした。

そんな一人の人物を聖書はどうしてこれほど大事に扱って書き記し
今も人々に伝えているでしょうか。
それこそ、殆どの人々が求めている永遠の世界、永遠の命に関する
ことにイエスキリストは深く関わっているからです。

私たちはこの世に生まれたとき裸でした。
そして、私たちがこの世を去るときも私たちは裸です。
生きているうちにそれぞれが作り上げたどんな成功の証も
持っていくことが出来ません。

人間の体は塵で造られたように塵で戻るのです。
しかし、人間には永遠にいき続ける魂があります。
その魂は元々神様から来たもので滅びることが出来ません。

人間の魂は二つの世界の中で永遠に生きることになります。
それこそ天国と地獄のことです。
ある人は天国にある人は地獄に入り永遠に行き続きます。
あまりにも掛け離れた行き来できない二つの世界が私たちを待っています。

そしてその天国へ入る切符はこの世に生きているうちに
私たちの選択によって手に入るものです。

第一テモテ2章4節にはこのように書かれています。
神はすべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
神の望みは全ての人が救われることです。
白人だけ強い国や学歴の高い人や成功した人だけという決まりはありません。
この地上の全ての人が救われることを意味しているのです。

そして、全ての人はどうして救われなければならないでしょうか。
救うと言う言葉は殆ど命に関する危機から助け出すことを意味します。
実際内戦や拉致、誘拐または事故や災害に会っている人々は
この救いと言う言葉が身にしみて分かると思います。

死の状況から助けられ救われた喜びは計り知れないものでしょう。
しかし、平凡な日々を送っている私たちにはこの言葉の重みは
あまり深く伝わってきません。
けれども私たちがいつか迎える死の瞬間私たちはこの言葉の意味を
身にしみて分かるようになるのです。

テモテへの手紙に書かれているこのみ言葉は
長くて100年余りに肉体の期間ではなく終わりの無い世界に関する内容です。
罪のある人が決して入れない天国のことです。
私たちは産声を上げてこの世に生まれた瞬間から
自分はどうしても清算できない罪を背負って生きることになります。
それは人類の先祖であるアダムの神への背きから始まりました。

命の源である血を通して私たちは自分の遺伝子を子供に残します。
そして私たちは罪人の子孫から逃れることは出来ません。
それは人間の能力を超えた領域だからです。
その故に神様は罪の贖いのために御霊によって宿したイエスキリストを
この世に送ってくださったのです。

テモテへの第一の手紙の第2章6節にはこのように書かれています。
キリストは全ての人の贖いの代価としてご自身をお与えになりました。
これが時至ってなされた証なのです。

罪人が罪人を贖うことはできません。
人間誰一人自分を始め人々を罪の中から助け出す、救い出すことは出来ません。
全て罪人だからです。

そんな私たちを罪の中から救うために神様は
イエスキリストを送ってくださいました。
十字架による死により私たちの罪は綺麗に許されました。

罪を持っていた私たちはイエスキリストと共に死にました。
そして、三日後私たち一人ひとりはイエスキリストの復活と共に
生き返りました。

これからは罪人ではなく新しい自由人として生きることが出来ます。
いつでも永遠の世界で生きることが出来るのです。
イエスキリストが自分の罪のために来られその罪を贖ってくださった
神であることを信じ告白した瞬間私たちには新しい人生が始まるのです。

それこそ嬉しい知らせ幸いなる良い知らせです。
しかし、クリスチャンが人口の1パーセントも満たないと
言われている日本ではそのことを知らない人々があまりにも多いのです。

自分がどこから来てどこに行くのか。
自分のために命をかけた神様の愛を知らない人々がいます。
そしてもっと大事なことは自由人として生けるその選択は
唯私たちが生きている間だけだということです。

限られた、神様に赦された時間の間イエスを信じ救われるか
イエスを知らず永遠の死の道に進むのかが決まるのです。

いつでも見られる花見だと後回しにしていた人がいます。
しかし、今はそれを楽しむことが出来なくなりました。
花見は諦めることの出来る一つの選択事項に過ぎないかもしれません。

しかし、もし後回しにしていたあることで誰かが
永遠の死の苦しみを味わうことになったらどうしますか。

どれほど後悔することでしょう。
それはあまりにも過酷で悲しいことになるでしょう。

目が見え仕事で忙しかったとき人々に家族や親戚にイエスキリストを
伝えるように神様に言われたとき彼はそのことを後回しにしました。
それはいつでも出来ると思ったかもしれません。
しかし、目が見えなくなり誰かの助けなしでは
自由に身動きが出来なくなったとき彼はそのことをどれほど悔いたでしょうか。

前に説教を語ったときその信者さんは大粒の涙を流しながら
後回しにしていた伝道のことで神様に悔い改めました。

私たちは永遠に生きるように時間を過ごします。
しかし、それは神様に赦された時間だけです。
自分に与えられた環境で自分で出来ることで
神様のための働きを、救いの良い知らせを伝えられますように。

伝道したくても出来ない日が来るかもしれません。
限られた時間の中で伝道の思いが来たとき怠けないように。
あなたが語った一声で助かる命があるのです。
救われる人がいるのです。

それでは最後に一人の牧師の証で終わります。
まだ韓国が今のように電車の設備が整えなかったときの事です。
列車の出入り口から車両のつなぎ口から人々が誤って落ちたりしていた
時代の話です。

今は大教会の牧師になりましたがその先生が神学校を卒業して
間もない時のことです。
ある時田舎に行く用事で列車に乗りました。
普通列車の地方線には色々な人々で混雑していました。

席について聖書を読んでいると前に座っていた客の年寄りが
お酒のビンを出して飲み始めました。



そして、彼にも声をかけてしきりにお酒を勧めるのでした。
断ってもあまりしつこくうるさいのでその席を離れて違う席に移りました。
続けて聖書を読んでいると心の中で響く声がありました。
「あの酔っ払いにイエスを伝えなさい。」

何度も聞こえるその声に仕方なく彼は席から立ち上がりました。
そしてその酔っ払いのところに行きました。
とっくに酔っていてろれつの回らない彼の姿を見てあきれた彼は
自分の席に戻りました。
そしてまもなく事故は起こりました。
酒の酔いで熱くなったその酔っ払いが出口のほうで風に当たっているうちに
線路に落ちてなくなったのです。

大騒ぎになり彼の最後を確認した瞬間その伝道師は膝をかがめて
大声で泣きました。
神様の声に聞き従わなかった自分の愚かさに嗚咽しました。

救われるべき一人の魂はそのチャンスを得ることが
二度と出来なくなったのです。

今は忙しいから疲れているから私たちには多くの言い訳があります。
しかし、その怠惰がある人には取り戻すことの出来ない
恐ろしい結果を招くことになるかもしれません。

一人の魂を失ってしまったその苦い悲しい経験から
その伝道師は二度と救いの知らせを後回しにすることを
神様の声を愚かにすることはしなくなったと言います。

今、あなたは救われていますか。
イエスキリストを信じていますか。
罪の許しを確信していますか。
永遠の命を信じていますか。


どうか、その救いのよい知らせを愛する人々に伝えてください。
遅れた知らせ、とどかなった救いの知らせで二度と涙することが
ないよう心から祈ります。

自由に歩ける今、自由に伝えられる環境の中で、自由に聖書を読み
自由に賛美できる今、イエスキリストの愛を救いのよい知らせを
人々に伝えるように切に願います。

いつか、その時間がそのチャンスが赦されない日が来るかもしれません。
限られた時間の中で、赦された環境の中で
どうか、イエスキリストの愛を十字架の血の意味を
伝えられますように心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:19Comments(0)説教

2013年04月23日

朝チャぺを始めるまで

朝チャぺを始めるまで
4月18日から学院の朝チャぺに参加しています。
去年生駒に引っ越して住むようになってから
早速3年生の兄弟から朝チャぺに参加して祈るように言われました。

朝に弱く怠け者の私は卒業して韓国で暮らした2年間
一回も朝チャぺに出たことはありません。
母もそんな私の信仰生活に呆れていました。

ペンテコステ大会の時も神学生たちは朝チャぺに出るために
早い時間起きて用意して参加しました。
一緒にエレベータに乗ったアメリカン人先生が首にタオル巻いて
温泉に行く姿がどれほどうらやましかったか分かりません。

礼拝に行っている開拓教会も距離上遠いので
朝天の祈りに行かなくてもいいことを喜んでいたので
3年生の兄弟に言われてもいやだと断りました。

そして8ヶ月が穏やかに過ぎました。
しかし、常に誰かと話す中でまた電話で
祈りについて朝天の祈り会のことで促され言われ続けました。

そして4月2週間に渡り説教をすることになりました。
急に1週間前に頼まれた説教原稿が全然進まず色んな人に祈りを頼んだりしました。
そのたび言われるのは朝天の祈りのことです。

4月に入り用事でよく電話を掛けてくる宣教師からも
またあまりにも厳しく朝天の祈りを勧められました。

偶像礼拝が盛んな日本で霊的に目を覚ます生活をするためには
朝天の祈りを欠かせたらためと言われました。
進まない説教のことを悩みながらついに朝天の祈りを始めますと
神様に約束しました。

いつまで続くか分からないけれど
参加できる日まで参加したい気持ちです。

朝天の祈り会の無い人生ってどれほど楽だろう!!!
  

Posted by 青い鳥 at 10:08Comments(0)

2013年04月16日

映画ーハナミズキ

映画ーハナミズキ
説教の原稿も終わり気持ちの落ち着く金曜日の午後
祈祷会から帰ってきてゆっくりと一遍の映画を見ました。

ハナミズキという日本映画です。
綺麗に撮影された日本の風景と美男美女が演じる愛の世界は
とてむ美しく魅了されました。

私は相変わらず美人が好きなんですね。
この映画は前見て涙していた涙そうそうという映画の同じ監督でした。

冬のソナタを始め綺麗な映像で美しい愛のドラマを取る
韓国のユン監督のようにもしかしてこの映画の監督も
ロマンチストかもしれません。

出会いから始まる全てのドラマや映画のように私たちの
人生も全て誰かの出会いから物語は始まります。

時間と共に時には状況が変わりそれぞれの感情は変わりますが
人生のある時彼らが感じた喜びやどきめきに嘘はありません。

特に一番純粋でこの世に染まってない青春時代の愛は
誰にも忘れられない思い出になっているかもしれません。

女の人は変わらない愛を夢見ると言う調査結果を
ある神学生に聞きました。
神学校の落ち葉拾いの掃除の時のことです。

同級生の中に未婚の女性が6人もいた神学校での生活で
恋の話のような肉的な話は殆ど私が持ち出していました。
退屈な作業の中でその話で盛り上がった記憶があります。

卒業して2年も過ぎあの乙女たちは恋をしているだろうか。
あまりにも忙しく出会いの時間も無いのではないだろうか。
独りで植物園でも出かけているのではないかしら。

神様、どうか愛らしい6人の乙女たちに素敵な出会いと
素晴らしい恋をプレゼントしてください。
宝の民会のメンバーたち元気にしていますか。
  

Posted by 青い鳥 at 08:39Comments(0)

2013年04月15日

死を願い求める人々

死を願い求める人々
毎日のように更新していたブログさえする意欲を失わせた
一通の電話の威力から大分回復しました。

人々はどんな時死を願い求めるでしょうか。
死を追い求めるほどの痛みはどんな物でしょうか。

こんなに痛くて苦しいなら死にたい。
電話口で母はそのように呟いていました。

あまりにも耐えられない痛みで弱音を吐いている
母の声を聞きながら私の気持ちも深く沈んでいきました。

腰の手術を3度もして骨が弱くよく骨折する母です。
雪が多く降っていた数年前の冬では2度も雪ですべり骨折しました。

体は確実に年を取っていっても気持ちはいつも若く
プライドの高い母はついつい無理してしまう性格です。

引越しのことで無理をしたせいか母の体は
一向に回復する気配が見られず日に日に痛みが増しているようです。

海を隔てている親子は電話口の中で聞こえる嘆きに
解決できないもどかしさに沈黙するだけです。

電話を切り沈んでいる気持ちで同じ言葉を吐いていた
前の教会の信者さんを思い出しました。

いつも笑顔で元気そうにしていた信者さんが
数年前から難病の苦しみで何度も死を願っていたと
いう意外な告白を学び会でしました。

初耳のその告白に胸が痛みいつの間にか
私の両目からは涙が落ちていました。

聖書の黙示録には私の母のようにあまりにも苦しく
死を願い求めている人々の様子が描かれています。
しかし、その終わりの時代に彼らには死さえも許されないのです。

黙示録9章6節
その期間には人々は死を求めるが、どうしても見い出せず
死を願うが死が彼らから逃げていくのである。

どうか、母のために覚えてお祈りください。
今も難病の苦しみで苦しんでいる多くの病人たちが早く癒されますように。
神よ、彼らを哀れみください。
癒しのみ手を伸べてください。
  

Posted by 青い鳥 at 08:51Comments(0)

2013年04月13日

ごみの日に思うこと

ごみの日に思うこと
坂の町に引越ししてから複雑になっているごみの出し方に
大分悩まされました。

今は物を買うときもごみに出すとき面倒ではないかを
考えたりします。

今私が住んでいる地域では毎週月曜日と木曜日の朝に
ごみを集める車がきます。

前の晩に出したり朝すっぴんを見られるのが嫌で
人に会うのを気にしながらごみを出したりします。

ごみを出す日になり遅く出す日には入りきれないかごに
無理やり自分のごみ袋を入れて部屋に戻りたりします。

前に住んでいた地域ではごみを取る車が来るときは
いつも赤とんぼという歌をならしていました。

近くなるその音楽を聴きながら急いでごみを持って
走った時も何回かありました。

一人の人間が生きているうちに出すごみはどれほどの量になるでしょうか。
あまり買い物をしないし料理らしい料理を作ってない私ですが
いつの間にか溜まっていくごみには驚きます。

たまになかなか現れないごみの車が気になる時があります。
もしあんなに沢山溜まっているごみを取りに来なければ
どうなるのだろうと心配になるのです。

やっと現れて作業を追え遠くなっていくごみの車の音を
聞きながら安心するのです。

そして何回かそんなことがあってからごみの車のことを始め
私たちの生活を支えている顔も知らない多くの人々に感謝しました。

日々何気なく使って出しているごみ一つでも
誰かが決まった時間に取りに来て処理してくれるから
安心して出すことが出来るのです。

お金を払っているから税金や使用料を払っているからと
当たり前のように思っていたことが私たちの生活を安全に
快適にするために日々働いている人々がいることを思いだし
心から感謝しました。

あの赤とんぼの車は今も元気に走り回っているだろうか。
  

Posted by 青い鳥 at 07:27Comments(0)

2013年04月12日

本ー勉強のチカラ

本ー勉強のチカラ
現実逃避していたしばらくの間殆ど読んでいなかった
本を久しぶりに手にしました。

多分前に読んだ事のある本です。
しかし再読しても相変わらず素敵な本です。

斉藤孝さんの勉強の力という本です。
今受験勉強している中高校生のための本のようですが
一般人が読んでも読み答えのある本です。

自由と言うキーワードで解き明かす勉強の必要性には
大いに共感しました。

学生時代楽をするために喜んでいた勉強の選択肢が
結局将来の自由を奪うことになるのです。

勉強しなかった多くの科目で生きている中で
いつも不自由さに遭遇するのです。

私は世界史や人文学を高校時学べなかったです。
そのことでどれほど後々後悔することになったことか言い尽くせません。

一番頭が冴え記憶力のよい時に勉強できなかったことを
どれほど悔しく思ったか知りません。

情報社会でますます世界は近くなっています。
そしてこれからは世界を相手にして競争しなければなりません。
そのためには自分のことや自分の国のことを始め
競争する世界のことについても勉強しなければなりません。

確実に勉強は学生時代の限られたものではなく
生涯学習として必要になってきました。

あまりにもその利用価値のサイクルが短くなっていく
知識や情報に追いつくためには常に勉強することが必要です。

その流れの速さに嘆いていても自分で努力して
勉強してその流れに乗れるようにするしかありません。

長編の小説を難しい本を諦めるたび永遠に続くように思われた
学生時代にもっと沢山の本を読むべきだと思います。

視力でよく回らない頭に悩みながらもっと若いとき
賢く生きられなかった自分を後悔します。

まだまだ若い学生たちが若者が自分の時間をもっと
大事に使えることが出来るように心から祈ります。
素晴らしい勉強の喜びを見つけることが出来ますように。
  

Posted by 青い鳥 at 09:14Comments(0)