2013年05月31日

使命の歌と未来の殉教者たち

使命の歌と未来の殉教者たち
2年ぶりにピアノレッスンを再開しました。
私は5年前神学校に入ってからピアノを習い始めました。
2年の時はレッスンを受ける人々に朝チャペの伴奏の奉仕まで言われました。

伴奏の日が決まるとどれほど一生懸命に練習に励んだことか!!
しかし、今は頭の中でも指の動きさえも記憶から綺麗に忘れ去られています。

記憶の中でかすかに残っているのが大好きな曲のグリンースリーブスだけです。
最近ピアノ練習曲として使命という曲を弾いています。
シャープが沢山ついていて黒鍵を使うことが多いのです。

ピアノの先生からはもっと優しく編曲された曲を進められましたが
曲の雰囲気がだいぶ変わるのでそのまま練習しています。

1ヶ月以上を同じ曲を練習していると色々なことが起こります。
朝チャペが終わり神学生の掃除の時間と食事の時間を
練習に当てています。

毎週掃除当番が変わるたび、大チャピの掃除当番は嫌でも
私のピアノ練習につきあわされます。

この前はずっと間違っていたコードを直してくれた
親切な神学生もいました。
ありがとう、名も知らない後輩よ。

また、私が弾く使命という曲に興味を示して練習をする神学生も
現れていることを他の神学生から聞きました。

その話を聞きながら私が1年のことを思い出しました。
1学期の間好きになりはまり女子寮でずっと流した
加藤登紀子の美しい5月のパリという歌がありました。

ストレス発散のために学院を自転車で回りながらも
ずっとその歌のさびを歌いました。

そして、ついにその曲を女子寮のほぼすべての神学生たちが
口ずさむようになったのです。

私は好きで夢中になると飽きずに何ヶ月も繰り返して
音楽を流したり聞く性格です。
それで意図してはないけれど周りの人まで
巻き込んでしまっているようです。

使命という曲はイエス様の十字架の道を歩むという
熱い信仰の殉教までもしますという信仰者の歌です。

私は殉教するほどの信仰はないけれど唯、その曲が好きで弾いているのですが
後輩の神学生たちの中では殉教するほどの素晴らしい器が
沢山現れることを心から祈ります。

毎日のように下手なピアノ練習に巻き込まれている
神学生たちに心からごめんなさい。
  

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2013年05月29日

毛虫の季節

毛虫の季節
あまりにも寒がりやの私は四季の中では春が一番好きです。
枯れ気味の痩せた木々が毎日肉がつき緑色がますます濃くなっています。

住宅街の花壇には綺麗な花が鮮やかな色を自慢しています。
名前の知らない美しい花を眺めながらいつも心は幸せいっぱいです。

50坪以上の住宅に住んでいたときは立派な庭がありました。
青々の芝生と植えられた木が結構心を豊かにしてくれました。
しかし、手入れのできない家主たちのせいであっという間に
私の家の庭は殺伐なところに早変わりしました。

毎日のように芝生に水をやる隣の家の庭はずっと立派なものでした。
花が大好きだけれど手入れができないのでいつも買ってきた花を
枯らしてしまうので今はまったく花は買いません。

畑の野菜や家の花などいつも綺麗に育てる友達に
その秘訣を聞いたことがあります。
すると彼女は花や植物や子供など生き物は
愛を注いで育てなければならないと言いました。

植物に悪い虫を見つけると彼女は素手で取り殺していました。
私にはどうしても真似できないことです。

花の美しい季節、春を喜んでいる日々ですが
蜘蛛の糸でブランコを乗っている毛虫にはとても困っています。
歩く道に急に現れる彼らの姿に恐れる日々が続いています。

美しい花の季節に毛虫とは
ああ、この世には完璧な幸せは無いのだろうか。
  

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2013年05月22日

幸せとは?

幸せとは?
映画やドラマが好きでついつい夢中になってしまうので
一日1話という自分と約束していました。
しかし、興味を持って見ていた日本のドラマがどうしても気になり
結局その約束を破りました。

37歳で医者になった僕というドラマです。
あまりにも愛らしい性格の女主人公が不憫で心が痛かったです。
11話のドラマでずっと手話を披露していましたが
練習であれほど上手くなるのですかね?

昔私も手話を3ヶ月間習いに行ったけれど普段全然使わなかったので
今は綺麗に忘れています。
唯、道を歩くときも練習していた文字を表す手話だけは
今も覚えています。

びっくりしたことは弟が私の手話の本を見て一人で練習して
文字を表す手話を覚えたことを聞いた時です。
意図したことはないけれど音楽を始め、知らぬ間に
私の周りの人々を巻き込んでいるのですね。

幸せとは平凡なものですかと歌った歌手がいます。
なぜかその歌詞がとても心に響き忘れずにいます。
このドラマを見ながらまたその歌詞を思い出しました。

普段何気なく行う日常の生活が病院の患者さんには
どれほど羨ましくしてみたい大事なことであるかを
身にしみて感じました。

面倒くさいことのように思われた掃除、洗濯、アイロンなど
平凡な生活を愛する人と送りたいと女主人公は望みます。
病気持ちの彼女にはそれが幸せだったからです。

恋人のために弁当や料理を作り、借りてきたDVDを一緒に見る、
いつでもできる日常の生活が病気になるといくら望んでも出来ない
ことになってしまうのです。

私の尊敬する宣教師は説教の中でこう語っていました。
離婚しないで、事業に失敗しないで、交通事故にあわず、
癌など重い病気にならず元気な体でイエス様を信じたことが
どれほどの恵みであるかを悟ってくださいと切に訴えていました。

ある人は癌になり、ある人は事業に失敗して、ある人は大型交通事故に会い
ある人は泥沼の離婚の痛みを味わってイエス様を信じました。

しかし、そんな痛みを体験しないまま健康な体でイエス様に出会った人々は
どれほど幸せな人々でしょうか。

心が強情になるだけ私たち神様に選ばれた人々は救われるべき人々は
もっと大変な試練の日々をとおる事になるからです。

神様は私たちがすべてイエス様を信じ救われることを望んでいます。
そして、そのイエス様との出会いを素直な気持ちで
平凡な日々の中で経験できるように心から祈ります。
大きな試練や苦難の後で出会うイエス様はあまりにも痛みが伴うので。。。。
  

Posted by 青い鳥 at 09:11Comments(1)

2013年05月21日

見えない壁を越えて

見えない壁を越えて
日々やるべき項目のリストを作って実践しているのですが
ついつい好きなことに流されている自分に呆れています。

インターネットを繋げてメールを確認したりブログを更新してから
よくアクセスするサイトがあります。
ドラマを見るサイトです。

最近は「37歳に医者になった僕」という日本のドラマを見ています。
毎回感動的な内容が展開されています。
1日1回分だけ見てコメントを書いています。

病気により声を失った恋人を持つ主人公の生き方に感心しています。
7話では障碍者との愛と見えない偏見や壁についての話でした。

生まれつきの障害もありますがほとんどの障碍者は
事故や病気で障害者になります。
自分が好んで求めて障碍者になる人は一人もいないと思います。
私たちは健常者という世界の一員からある日一瞬にして障害者という
なれない世界の一員になる可能性もあるのです。

しかし、そんな危険性を秘めて生きていながら私たちは
どうしてそこまで障碍者に対する偏見と見えない線を引いて
生きているのでしょうか。

親の立場ならやはり障害を持って不自由な日々をすごしている人より
自由に生きている人の方を求めるだろうとその気持ちもわかります。

私の周りには二人の視覚障害者がいます。
二人とも中途失明者です。
彼らと行動をするたび障害を持って生きるのがどれほど色々と
大変なことかを身にしみて感じます。

普段意識しなくてもいいことまで気を使わなければなりません。
視覚障害者の友達と食事に行った時のことです。

座敷に案内されおいしい昼食をとりました。
話も進み楽しい時間をすごしました。
お昼に来た客が増え店を出るため席を離れました。

店の座敷の土間には來客の靴でいっぱいでした。
そして、ここで問題発生です。
友達の靴を意識してみてなかったのでどれかわかりません。

置いてある靴の中から色々探してやっと見つかりました。
これからは店に行くときは彼女の靴も気を使って
記憶に収めなければならないと悟りました。

点訳という学びの時間に体験した目の見えない人の生活は
本当に大変なものでした。

それだから今の自分の生活に感謝しています。
事故や病気から神様の守りがあって今の自分がいるからです。
そして、その感謝をすこしでも周りの助けを必要な人々に
分かち合いたいと思っています。
  

Posted by 青い鳥 at 09:10Comments(0)

2013年05月20日

映画ー阪急電車

映画ー阪急電車
電車が発達している日本という国柄でこそ作れそうな映画を見ました。
阪急電車片道15分の奇跡という題名の映画です。

片道15分の阪急電車の駅を舞台にその電車を利用することになった
人々の出会いと人生の出来事を面白く描いています。

同じ時間帯で同じ電車を利用する人々がいます。
挨拶さえなければ永遠に何も知らない他人で終わってします人々です。
しかし、何かのきっかけで挨拶を交わし会話を交わすうちに
いつの間にかその関係は他人から友たちもしくは恋人にも発展していきます。

もしかして阪急電車の広告のために作られたかもしれない
この映画を見ながら私がよく利用している社鉄を思い出しました。
たぶん社鉄の中では一番料金が高いのではないかと思われる電車です。

神学校の在学中は本当に週末毎によく人身事故で遅れた電車です。
時にはアナウンスの声に惚れて駅員の顔をのぞいて見たりしました。
駅ごとに一々案内する仕事がもしかして退屈で大変だと感じたり
車両に出入りするたび丁寧におじぎをする姿に感心したりしました。

この前は悪ふざけで友達が線路に落としたかばんを拾いに線路に下りた
高校生に注意する駅員さんの姿も見かけました。

小学生が落とした帽子を長いさおみたいなもので取ってくれた
駅員さんの様子など数年間電車を利用して色々なことがありました。

あまりにも魂が抜けたように疲れた様子で電車の席に座っていた
3人連れの小学生らしい少年たちも忘れられない記憶です。

電車を利用するたび仕事でもしくは色々な用事で出かける人々と出会います。
誰かのお父さんやお母さん、息子や娘たちです。

黙々と座り新聞を読んだり携帯をいじってる人々
目的地に着いたら何の未練もなく電車を降りる人々
交わることのない他人たちが通り過ぎて行きます。

しかし、少しでも関心を見せたら笑顔を見せたら声をかけたら
その他人はもしかしてとても大事な人になるかもしれません。
15分という短い時間の中でも奇跡は起こるからです。
心温まるいい映画でした。
  

Posted by 青い鳥 at 08:43Comments(0)

2013年05月17日

鶏の行方

鶏の行方
朝チャペの帰り道にはランドセルを背負った子供たちをよく見かけます。
二人三人時には一人、ランドセルに袋をぶら下げた
小学生たちが歩いています。

自分の体の半分はありそうなランドセルを背負った1年生が
今はあまりにも窮屈に感じるランドセルを背負った上級生の姿もあります。

正門の前には旗を持って元気よく子供たちに挨拶をする
たぶん先生もしくは親である大人の姿もあります。

ますます緑が濃くなっていく山には今はアカシヤの花が咲き
いい香りを放っています。
木から高いブランコに乗っている毛虫たちもいます。

通り道にある畑には一羽の鶏が自由に草や土をつついていました。
のんきな姿でいつも目をやっていたのですが
今日の朝は見つかりませんでした。
さて、あの白い鶏はどこに行ったのだろう。

坂と迷路の町で迎える朝はいつもきれいな空と新鮮な空気が
私を幸せにします。
季節と共に変わり行く自然の中ではいつも私たちを愛し
見守ってくださる神様を感じずには入られません。

また神様を知らない多くの日本の人々がそんな素敵な神様の存在を知り
神様のところに帰ってくることを心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:11Comments(0)

2013年05月13日

ピアノを弾く男たち

ピアノを弾く男たち
ずっと引き伸ばしていた朝チャペにがっばって参加しています。
アラムを設定しているのですがなぜか1時間前には目が覚めるので
今まで一度もアラムの助けを借りていません。

同じ時刻にいつも通る道を歩いていると数人の人々とすれ違います。
イヤホンで何かを聞きながら歩いているお兄さんや
エプロン姿の女性や年老いたおじいさんが
駅のほうに向かって歩いていきます。

早い時間それぞれ目的地に向かって足を運んでいる姿を見るたび
早い朝を生きる人々の姿に感心します。

雨上がりの日には子鳥たちの合唱が聞こえたりします。
そのさえずりが「私は生きている、幸せ」というように聞こえます。
日に日に満開しているつつじを眺めながら歩く
朝の道はいつも新鮮です。

1時間の祈りがあまりにも退屈に感じてきたので
今は30分だけ祈り礼拝をささげて帰ります。
最近の学院の様子で変わってきているのは男子学院生が
多く賛美のピアノの伴奏に加わっていることです。

年の幅も広く20代から50代まであります。
頭が薄くなっているおじさんがグランドピアノで立派に
演奏している姿はとてもかっこいいです。

一大決心をしてまたピアノレッスンを再開したので
早く2年の空白を埋めなければと焦っています。

礼拝を一生懸命に手話で通訳していS先生の姿を見ながら
また違う言語の世界を感じたりします。

一つの言語をマスターするたび一つの世界が広がると言います。
ピアノを弾き音楽の世界を知り手話を通して音のない世界を覗き見、
外国語を学びながらまた違う世界を体験できます。

周りを取り巻くさまざまな世界を覗き見ながら
目に見えない霊の世界をいつ体験できるのか期待しています。
あ、あ、ピアノが早くうまくなる方法はないのかしら。
  

Posted by 青い鳥 at 06:22Comments(0)

2013年05月11日

よい知らせを伝える足音

こんにちは。
私のブログを訪問してくださったあなたに心から感謝します。
あなたはクリスチャンですか。
もし、イエス様を知らないければ
ぜひ、あなたもイエス様を信じすくわれますよう心から祈ります。

日々の生活の中で出会う神様への思いを書いたブログです。
今回は自分が出会ったイエス様のことを語りました。
興味のある方ぜひお読みください。

よい知らせを伝える足音
毎回毎回説教を用意するたび御言葉を探すのに苦労しています。
神学校での学びで一生懸命に覚えた御言葉も
今はきれいに忘れかけています。

今も毎日聖書を読んでいますがこれからは御言葉を自分の頭の中に
しっかり刻み込みすらすらと口から出るようにしなければなりません。

私は2008年に神学校に入学しました。
奈良県生駒市にある神学校です。
その神学校に入学する1年前のことです。
W市でやっと就職が決まり働き出していた頃でした。
一人の韓国人宣教師から神学校に入学するように勧められました。

それまで5人の人々からそのような話を聞いていたのですがいつも断りました。
その時も話を聞いてすく断る私にその宣教師は言いました。
「祈りもしないで決めてはいけません。」
あまりにも厳しく言われたのでしぶしぶながら
1週間の間毎日夜9時から1時間自分の部屋で祈りました。

祈り始めて5日目のことです。
国際電話がかかってきました。
学費を出すから神学校に入学しなさいという知らせでした。
その知らせを聞き本当に驚きました。

祈りが答えられびっくりしたのもつかの間、
それから本格的に悩みの日が始まりました。
正直に神学校にあまり入りたくなかったからです。
入学の準備をしながら心の中ではずっと葛藤が続きました。

神学校に入りたくない、やはりやめようと思うたび
私の周りにはいろいろなことが起きました。
人生で初めて経験した引ったくりや火災や交通事故までありました。
最後に止めを刺したのは交通事故でした。

その日も仕事に出る仕度をしながら神学校に入りたくない、やめたいと
思いました。同時に心の中では神様はたぶん喜ばないだろうと思いました。

いつもの道を通って自転車を漕いでいました。
職場の見える大通りを走っていたときです。
横道から急に車が現れました。
びっくりして自転車のブレイクをかけましたが間に合いませんでした。

幸い、車のタイヤに軽く当たっただけで何もなかったのですが
とても怖かったのです。ヒヤッとしました。
びっくりして固まっていた私はこれ以上神様に不従順したら
命が危ないかもしれないと悟りました。
その瞬間、神学校に入りますと神様に約束したのです。

そんな悩みと葛藤の末入った神学校の生活は本当に厳しかったです。
1年の時から何十回辞めたいとつぶやいたか知れません。
そのたび色々な人々から励ましの電話、励ましのメールをいただきました。

多くの人々の祈りや励ましのお陰で私は神学校を無事に卒業できました。
今は過ぎ去った3年間の神学校での生活が懐かしい思い出になっています。
沢山の出会いもあり素敵な仲間ができました。
K兄弟の出会いから今日このように説教を語ることもできたのです。

沢山の出会いの中から一番感謝していることがあります。
それこそ神様との出会いです。
神学校の学びと生活の中で私は神様と深く関係を結ぶことができました。
神学校に入るまで神様は私にとってとても遠い存在でした。
唯聖書の中でしか感じることができない方でした。

しかし、神学校の3年間私はすばらしい神様に出会いました。
お父さんと親しく呼べる方になりました。
そして神様はノートパソコンを始め私の呟きさえも聞いてくださる
やさしく愛情溢れる素敵な方でした。

今私はその神様のことを、素晴らしいよい知らせを
人々に伝える働きをしています。
それでは今日の聖書箇所に移ります。
ローマ書10章9節から15節までをお読みします。

「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、
あなたの心で神はイエスを死者の中からよみかえらせてくださったと
信じるならあなたは救われるからです。
人は心に信じて儀と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書はこう言っています。
彼に信頼する者は、失望させられることが無い。
ユダヤ人とギリシャ人との区別はありません。
同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求める
すべての人に対して恵み深くあられるからです。

主のみなを呼び求める者は、誰でも救われるのです。
しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。
聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。
述べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくでは、どうして述べ伝えることができるでしょう。
次のように書かれているとおりです。 
よいことの知らせを伝える人々の足は、なんど立派でしょう。」

今日の説教題はよい知らせを伝える足音です。
今のように携帯電話やインターネットなどが無かった時は
人々は郵便を通して連絡しました。
急ぎの時は電報を使いました。
急に届く電報により人々は極端の知らせを受けることになります。
時には愛する家族の死や事故の悲しい知らせだったり
時には都会に出ていた息子や娘が帰って来るうれしい知らせです。

愛する人の死や危篤の知らせは人々を悲しくさせます。
しかし、都会に出ていた子供が帰ってくるので迎えを頼むというような
知らせは人々を喜ばせます。

悲しい知らせで泣き声が聞こえたり嬉しい知らせを受け取った
人々の笑顔で嬉しい知らせを伝える喜びを学んだ少年がいました。
届いた嬉しい知らせで人々は喜び幸せな気持ちになります。
そしてそれを届けた人までその喜びを見て嬉しくなります。
よい知らせを伝える喜びのためその少年は今も伝道に励んでいます。

ローマ書10章15節でパウロは語っています。
良い事の知らせを伝える人々の足はなんど立派でしょう。
よい知らせを伝える人々はどこでも歓迎されるのです。

昔は人々に嬉しい知らせを、今は救いの知らせを届けている少年こそ
私が3年間学んだ神学校の院長のS先生です。
イエス様の救いの知らせを自分の体験を通して語られた時とても感動しました。

交通便の悪い田舎、山村や奥地の人々に郵便や電報を届ける仕事は
楽ではありません。時には命を失う危険もあります。
しかし、自分に任された仕事だから時には人々の嬉しい反応のために
忠実に働きます。人々を悲しませたり喜ばす知らせは
伝える人がいなければ伝わりません。

いくらよい知らせを悲しい知らせを電報に書き記しても
送っても、それを伝える人がいなければそれは届きません。
かわいい孫が生まれても難しい試験に合格しても
家族に会いに行きますという知らせもそれを届けてくれた人がいたからこそ
人々はその喜びを味わうことができたのです。

リンカーン大統領によりアメリカの黒人たちは奴隷の身分から解放されました。
ルーツという本の中でアメイジング・グレイスという歌の中で
悲惨で悲しい黒人たちの当時を垣間見ることができます。

平和な日々を送っていたアフリカの黒人たちがある日突然
奴隷船に拉致され奴隷として生きるようになりました。
彼らは見知らぬ土地に連れて行かれ奴隷として
人間以下の扱いを受けました。
彼らはどれほど自由人として生きることを望んでいたでしょう。

そして遂に奴隷から自由人になる日が来ました。
リンカーン大統領によって黒人たちは自由になったのです。
その嬉しい知らせを黒人たちに伝えた人々がいます。

しかし、その知らせを聞いた人々の中には色々な反応がありました。
その知らせを聞いた瞬間自由人になったことを信じ
自由人として生きた人がいます。
一方、そのことを信じられずずっと奴隷として生きた人がいます。
最後にその喜びの知らせを聞くことができず
奴隷のまま死んでいった人々がいます。

その中で一番切なく哀れな人々は喜びの知らせを聞くことができず
死んでいった人々のことです。

自由人として生きるか奴隷として生きるか選択できた人々がいます。
一方、その選択さえできなかった人々がいたのです。
それこそ、その知らせを届けてくれる人がいなかったからです。

聖書は神様が私たち人間に送ったラブレターです。
そしてそのラブレターにはあまりにも嬉しい知らせが収められています。
それこそ人間誰一人逃れることのできない罪の許しについて、
死からの開放について、永遠の命への招待状が入っています。

しかし、そのラブレターを届けてくれる人がいなければ
そのラブレターは届きません。
そして、もしラブレターを受け取っても読まなければ
その内容を知ることはできません。
招待状を受け取らなければ永遠の世界に入ることはできません。
信じなければ自由人になることはできません。

ここに集まっている皆さんはイエス様を信じていますか。
永遠の世界を信じていますか。
罪に対する神様の裁きを信じていますか。
自分が自由人になったことを信じていますか。

もし、信じているならその喜びの知らせを人々に伝えていますか。
知っているなら愛する家族や恋人、友達に伝えていますか。
奴隷から自由人になった素晴らしい知らせを伝えていますか。

届かなかった一通の手紙のせいで命を失った人がいます。
人間の条件という小説の中の主人公の話です。
大事な知らせを受け取ることができず彼は雪の中で死んでいきました。

届かなかった知らせのために今この瞬間にも奴隷のまま
死んでいく人々がいます。
どうか、皆さんはよい知らせを伝える祝福された人々になりますように
心から祈ります。

それでは最後に一人の牧師の証で終わります。
まだ韓国が今のように電車の設備が整えなかった時のことです。
時々列車の出入り口や繋ぎ口から人が転落する事故がありました。
そして偶々その事故の目撃者になった一人の若い伝道師がいました。

その日、彼は用事で地方線の列車に乗っていました。
普通列車の地方線には色々な人々で混雑していました。
そんな列車の中で彼は聖書を読んでいました。

すると前の席に座っていたおじさんがお酒の瓶を取り出し飲み始めました。
そして彼にもお酒を勧めるのでした。
断ってもあまりしつこくうるさいので彼はその席を離れ違う席に移りました。
しばらく聖書を読んでいる彼の心に響く声がありました。
「あの酔っ払いにイエスを伝えなさい。」

何度も聞こえるその声に彼は仕方なく席から立ちました。
そして、その酔っ払いの席に行きました。
もうすでにお酒によいろれつの回らないおじさんの姿を見て
彼は呆れて何も語らず席に戻りました。

そして、まもなく事故は起こりました。
酒の酔いで熱くなったその酔っ払いが出口のほうで
風に当たっているうちに線路に堕ちて亡くなったのです。

大騒ぎの中でその酔っ払いの最後を確認した瞬間
彼は膝をかがめて大声で泣きました。
神様の声に聞き従わなかった自分の愚かさに嗚咽しました。
救われるべき一人の魂はそのチャンスを得ることが二度とできなくなったのです。

イエス様を伝えるように伝道するように言われる時があります。
そのような思いが自分を責める時があります。
しかし、私たちはそのことを後回しにしたりします。
今は忙しいから、疲れているから、面倒くさいから、他の誰がするだろう。
私たちには多くの言い訳があります。
いつか私たちは自分の怠惰の結果を見て涙することになるかもしれません。

一通の電報を届けるために暗い夜道を急ぐ少年がいました。
心の中では嬉しい知らせを届けることを願っていたでしょう。
自分が届けた嬉しい知らせを受け取り喜ぶ人々を見て
自分までも幸せになった少年がいました。
悲しい知らせを届けて帰る道、人々の悲しみに心を痛めた少年がいました。
そして、今その少年は人々に喜びの知らせを伝える牧師になりました。
アーメンというなら救われるということを信じよい知らせを伝え続けています。

皆さんはイエス様を信じ救われていますか。
奴隷から自由人になっていますか。
許された喜びを毎日噛み締めていますか。

それならあなたの喜びを素晴らしいよい知らせを
どうぞあなたの愛する人々に伝えてください。
よい事を知らせてくれた人々の足音は
どれほど人々を幸せにさせるでしょう。

一人の魂が救われる度天国では喜びの宴会が開かれと聖書には書かれています。
どうか、救いの知らせを伝える喜びの人になりますよう心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:29Comments(0)説教

2013年05月03日

健康診断書の思い出

健康診断書の思い出
4月29日緑の日に開かれた生駒聖書学院のクート聖会に参加しました。
新しくなった礼拝堂での始めての集会です。
およそ350人ぐらいが参加したのではないかと
院長先生はフェイスブックに書いていました。

クリスチャン新聞には特別企画としてクート宣教師の歩みと
信仰について詳しく書いていました。
学院に入学して不可能への挑戦という先生の自伝を読んで
素晴らしい先生が残してくれた神学校で学べることに感謝しました。

大きな事から小さいことまで全ての歩みに常に神様を頼りお祈りを持って
自分の信仰を全うしたクート宣教師の姿には本当に感動しました。

参加者全員に配られた封筒にはクリスチャン新聞と
3冊の小冊子が入っていました。
そして入学案内の記事を読みながら記憶の中で消えていた
一通の健康診断書のことを思い出しました。

神学校に入るために教会の牧師の推薦状や色々なものと
一通の健康診断書を出すように書かれていました。

せっかく就職できて働いていた仕事を辞めて
入学書類の健康診断書を取るためにかかりつけの内科に行きました。
検査が終わり診断書の提出用度について病院の医者に質問されました。
そして私は神学校に入ることを伝えました。

出来上がった診断書を受け取りに受け付けに行くと
病院の担当の先生から無料で発行するようにと言われましたと
ナースが健康診断書を渡してくれました。
クリスチャンではないと思われた先生からそのような好意を受けて
とてもびっくりしまた感謝しました。

数年前の出来ことで綺麗に忘れていたことでした。
それが入学手続きの案内文を読みながら記憶がよみがえり
また日本の人に借りが出来ていたことに胸が熱くなりました。

私が日本に来てから今まで多くの人々から受けた愛と親切と関心を思います。
まだ返してないその愛に私はどのように返したらいいだろう。

A姉妹は日本の人々の救いのために働いてくださいと言っていましたが
愛の借金を返すことが出来るように心から祈っています。
  

Posted by 青い鳥 at 06:52Comments(0)

2013年05月01日

プチ同窓会

プチ同窓会
祝日である4月29日に生駒聖書学院で
クート師來日100周年記念聖会が開かれました。
なかなか会えなかった同級生も参加すると言う話を聞いて
期待の日々でした。

名古屋から来たA姉妹と大阪で開拓したS姉妹と3人でお昼を一緒に取りました。
集会に参加する前に一緒に食事しましょうと誘いました。
電話向こうでは菊のサラダはいらないと言うA姉妹の声が聞こえます。
わがままなお客さんだねと電話口で一言言いました。

料理は苦手なので外食したほうが楽だなと思いましたが
持て成す気持ちでいつものカレーライスを作りました。
今回はカレールうを入れすぎたせいか味が濃すぎて失敗でした。

多分3回目になるカレーにA姉妹もいい加減飽きたらしく
何か違うメニューを欲しがっている様子です。
食事が終わり午後1時の集会に合わせて家から出発しました。

3人で色々話をしながら歩いていると後ろから誰か声をかけます。
今年卒業生のK姉妹です。
自然と二人ずつ分かれて話しながら学院へ向かう坂を上りました。
相変わらず二人の姉妹はスタイルがいいですね。
うらやましい!!

学院には車がいっぱいでした。
幸いいい天気に恵まれ素敵な集会でした。
新しくなった学院で始めて開かれる行事でみんな祝いに来てくれたようです。
参加した人が多くて学院の椅子を全部運んでくる騒ぎでした。

Y先生の賛美に合わせて歌った賛美の歌詞がとても心に響きました。
全ての良きものを主イエスに捧げ主エスをたたえる人生は
本当に素晴らしい人生になると信じます。

学院生たちの賛美はとても良かったのです。
指揮を担当したおじさん(失礼)もとてもかっこよかったのです。
大先輩である卒業生永井先生の説教途中に
またお腹を壊してトイレに走りました。
神様、どうか私の腸を治してください。

長い集会がついに終わりかえりを急ぐ人々の中で
同級生たちは久しぶりの再開にみんな大喜びでした。
片付けている学院生たちを顧みず講壇の前でみんな集まり
記念撮影の最中です。

次から次へと出されるカメラや携帯で写真を撮るために
無理やり頼まれた学院生のN兄弟は冷や汗です。
なかなか作動しないカメラに戸惑うN兄弟を哀れみ
他の兄弟にカメラメンの役割をバトンタッチしました。

16人入学して10人卒業した私の学年は2年ぶりの集まりで
卒業生9人が集まりました。
残念ながら神戸に住んでいる一人の兄弟は参加できませんでした。
I兄弟、元気に過ごしていますか。
みんな会いたがっています。

同級生たちは全然変わらずもっと輝くように見えました。
もっとスリムになりお洒落になっています。
恋話は無いのとせがむ私に満足のいく返事はありません。

卒業して3年目に開かれるようにと約束した同窓会宝の民会では
宿題として恋話を持ってくるように念を押しました。
こんなに可愛く素敵な乙女たちにどうして恋話は無いのだろう不思議です。

首をかしげる私に2年後輩のS姉妹は言いました。
私に知らせたら全ての人に伝えられてしまうから秘密にしてるのではないかと
鋭い分析の言葉です。
そんなに私って口が軽いのかしら=0=

3年間共に過ごした素敵な日々を一緒に過ごし
いつ会っても嬉しい仲間たちに囲まれとても幸せな集会でした。
来年の同窓会にはもっと楽しい話題が聞かれることを期待します。

集会のために苦労なさった学院生や先生たちお疲れ様でした。
とても楽しい一時を過ごしました。ありがとうございます。
  

Posted by 青い鳥 at 06:52Comments(0)