2013年06月26日

許す愛

許す愛
教会の礼拝の中でよく捧げる祈りがあります。
それはイエス様が弟子たちに教えた祈りで主の祈りと言います。

短い祈りの中であまりにも恐ろしい内容の文句があります。
それは次のような内容です。
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ。

イエス様はどうしてこの様にわざわざ我らに罪を犯す者を我らが赦す如く
という言葉をつけているのでしょうか。
なぜ、ただ我らの罪を赦したまえと言わなかったのでしょう。

いつも気になっていたその疑問に対してある牧師の説教で少しわかりました。
それは私たちが自分たちに犯した人の罪を許すことがなければ
神様も私たちの罪を許してくださらないという事でした。

聖書には莫大な借金を抱えたしもべの話が出ています。
自分は返すことのできない借金から自由になり罪を許されたのに
他人の罪を許さなかった結果結局彼は自分の罪も許されず悲惨な状態に陥ります。

愛をくださいというドラマを見て許す愛について考えています。
親から捨てられ保育施設で成長した女主人公は世界を憎みます。
施設で受けた虐待で自分の人生を呪い、そのようにさせた社会に復讐するという
歪んだ考えを持って生きています。

憎しみに満ちた彼女の人生はいつも幸せに見える人々を羨み
またそれをねたみ憎む相反する気持ちです。
保育士として働きながら彼女はただ社会に復讐する目的で
意味のない不倫を重ねたりします。

しかし、彼女の心は平安も幸せも得ることはできませんでした。
愛をくださいと叫ぶ彼女の日々でただ唯一の支えになったのは
基次郎という男性との文通でした。

自殺しようとする彼女の命を救った謎の男性が基次郎です。
彼は彼女に文通を申し出ます。
そして、真実な人生を生きるための助言と励ましや愛に満ちた手紙を送るのでした。

自分を捨てたお父さんに会うことが出来たとき
彼女は謝るお父さんに死んで償えと叫びます。

そんな状況の彼女に許すことを切に頼み許す愛を伝えた基次郎は
小さいときに 別れた実のお兄さんでした。

歪んだ性格の主人公や不倫など内容的に暗い感じだったのですが
ドラマが進んでいく中で何度なくキリスト教のにおいがしてきました。
そして難病でこの世を去った基次郎の墓石の十字架を見た瞬間
やはり納得しました。

いまでも理不尽な自分の人生や許せない人々への憎しみや
人間関係で悩でいる人々に伝えたいのです。
許すことができない心は憎しみは自分自身を蝕みます。
そして、あなたの心に平安が訪れることはありません。
もっと大事なことは許さない限りあなたの罪も神様に許されないことです。

私にもなかなか許すことができなかった人がいました。
しかし、自分のためにもその人を許しました。
いつまでも訪れない平安を神様の許しを得るためです。

いまでも誰か許すことが出来ずに悩んでいる人々がいるなら
どうか、許すことができ心の平安を得ることが出来ますように心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 10:23Comments(0)

2013年06月25日

礼拝の意味

礼拝の意味
学院も6月末から夏休みに入るので私の 朝チャペも休みになります。
今年の4月に入ってから神学校の朝のチャペルに参加しています。
弱3か月間の朝チャペの時間を過ごしました。

春から夏に向かう季節の変わり目を日々変わっていく自然の中で感じました。
朝の賛美や礼拝も素敵ですが、柔らかい苗や草や花の若葉が
どんどん成長していく様子を見るのがもう一つの楽しみです。

神学校の1学期の最終の火曜日の朝チャペの説教はY先生でした。
礼拝についての説教を聞きながら色々考える時間になりました。

本当に私は神様が喜んで受け入れてくださる礼拝をしているんだろうか。
ただ決まったスケジュールをこなすような形式的な礼拝になっていないか
自分の心に問いかけて反省しています。

恵みを得るために、祝福や耳に甘い言葉を聞くための礼拝ではなく
本当に日々の生活を見守ってくださる神様に感謝を捧げるために
霊と誠を持って礼拝しているだろうか。

今の礼拝が本当にこの世の最後の礼拝なのかもしれないという
覚悟と気持ちで望んでいるだろうか。
捧げる献金を心から感謝と喜びをもってしているだろうか。
曜日ごとの奉仕には喜びをもって臨んでいるか。

聞いた御言葉を実践するために努力しているだろうか。
自分の一番大事なものを喜びをもって捧げるほどの気持ちと心構えをもっているか。
色々な問いが自分の心の中でありました。

心と誠を尽くした礼拝者を神様は探し求めていると聖書には書かれています。
ただ自己満足の礼拝ではなく本当に神様に感謝して捧げる礼拝者になりたいのです。
  

Posted by 青い鳥 at 10:31Comments(0)

2013年06月20日

苗の生長を見守る日々

苗の生長を見守る日々
朝チャペの行き来の道には3箇所水田があります。
なかなか降らなかった雨で苗があまり成長しながったのですが
恵みの雨で目に見えて成長しました。

柔らかい苗が今は色も濃くしっかり地に根を下ろしました。
毎朝、体を乗り越えて橋の下を覗いてみるのが楽しみです。
迷子の鶏が自由を楽しめた畑が今は水田になっています。
綺麗に並んでいた苗が日に日に確実に大きくなりました。

収穫を夢見て成長を見守る農夫の気持ちを少しはわかる気がします。
今はただ草のように見えるものがおいしいお米になるのですね。

聖書には30倍、60倍、100倍の実を結ぶという表現があります。
秋にはそれぞれの水田からどれほどの収穫の実が取れるか楽しみです。
収穫を秘めて苗は日照りの中で雨の中で自分の役割をしっかり勤めています。

水田に植えられた種から実を結ぶために成長して行く様子を見ながら
朽ちない種を秘めていると言われているクリスチャンである私は
果たして日々確実に成長して行っているのか振り返っています。

  

Posted by 青い鳥 at 11:22Comments(0)

2013年06月18日

三組の親子

三組の親子
朝チャペが終わり帰る道によく出会う人々がいます。
ちょうど小学校と幼稚園にいく時間帯で
幼稚園や小学校に子供を連れて行くお母さんたちに会うのです。

この前のことです。
小学校や幼稚園に子供を連れて行く違うタイプの三組の親子たちを見ました。

一組の親子は乳母車に子供を乗せたお母さんでした。
そして何歩後ろで泣き声を上げながらついて行く小学生がいました。
行きたくない、行きたくないとずっと言いながらついて行くのです。
しかし、前を歩くお母さんは何の反応もなく進んで行きました。

その次の親子はお母さんが前を歩いて行きます。
そして、数歩後ろをついていく男の幼稚園児は
お母さんに何か楽しくずっとお喋りしていました。

最後の親子は幼稚園服を着た子供とお母さんが手をつないで
歩きながら楽しそうに会話をしました。
通り過ぎながら微笑を浮かびました。

三組の親子の姿を見ながら愛で繋がれている親子関係でも
各自全然違うということを感じました。

心や言葉が通じてない関係があり
一緒にいる時間が楽しい関係があります。
同じ方向、同じ目標に向かう人々の中でも
お互いの距離や親しさにより全然違う形で現れるのですね。

育児に疲れているお母さんたちにお願いしたいです。
どうか、掛け替えのないその大事な時間を喜びを持って
すごすことができるように心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:30Comments(0)

2013年06月12日

終わりの時代を準備するために

終わりの時代を準備するために
毎日のようにテレビでは全世界で起きている想像できない自然災害の話を
ニュースで伝えています。

目を疑い耳を疑いあまりにも恐ろしくて自分の目を閉じたくなる
映像の数々に接するたびどうしてこんなことが起きるのだろうか、
神様は私たちに何を警告するだろうと問いかけます。

宣教師に進められデイビットチャという人の動画をユーチューブで見ました。
彼のメッセージは終わりの時代が近ずいているから目を覚まして
イエス様の再臨を準備するようにと切に訴えています。

まことによる礼拝が御言葉と祈りだけが方法だと彼は言います。
そして、彼が一番主張することがメディア断食です。

日々私たちが接するものを通して私たちは影響されると言います。
この世の支配者はサタンです。そして私たちは毎日のように
文化という名前で綺麗に包装されたサタンのメッセージを知らぬ間に摂取します。

テレビを通してインターネットやスマートフォンや流行ってる音楽や読む本を通して
サタンは絶えず私たちの霊に攻撃してくると言います。

リズムが好きで聴いている音楽を通して男前に魅了して見ているドラマや映画を通して
私たちはサタンが送る悪いメッセージを毎日のように受け入れているのです。
そして、それで満たされたものが自分の人生を支配し生活に現れるのです。

再臨を準備しなければならない時代にサタンは絶えず世のものに心を奪われるように
人々特にクリスチャンを攻撃してくるといいます。

ドラマや映画を見るのが好きで本を読むのが大好きな私は
動画を見ながら心から反省しました。

テレビを捨てなさいまでと過激発言をする彼の話を聞きながら
これからどのように行動するべきか真剣に悩んでいます。
神様の助けと哀れみが切実に必要な私です。
  

Posted by 青い鳥 at 08:50Comments(0)

2013年06月11日

賛美で満たす世界

賛美で満たす世界
折りたたみ式の傘を携帯して外出するように天気予報では言っていましたが
大丈夫だと思いそのまま家を出ました。

ユーチューブの動画で終わりの時代には、祈りと御言葉で武装して
目を覚ましてイエス様の再臨を準備するようにと切に求めていました。
それで今週からは祈りの時間をもう少し増やすように早めに出発しました。

久しぶりに時間を過ぎるのを意識しないで異言で祈ることができました。
火曜日の当番の賛美リーダはS兄弟でした。
すべてを生きがえらせる福音の喜びを声高く賛美しました。
楽しいテンポの賛美は歌っている人まで喜びに満たす力を持っています。

今の世の中は神様に立ち向かっている暗闇の力に支配されています。
毎日テレビやインターネットを通して流れる音楽のほとんどは
神様とは何のかかわりの無いばかりかサタンを崇拝する内容まであります。

日々愛する子供たちが家族が文化という名で包装され浸透してくる
霊的な攻撃に対置できることは賛美で満たすことだと言っていました。

世の中の音楽曰く悪魔の歌を長いこと親しんでいた私は
動画の警告を聞きながら反省しました。
これからはもっと賛美を捧げ賛美で満たす時間を増やしたいです。
賛美で満たす世界は想像するだけでもわくわくします。

賛美リードに合わせて伴奏する兄弟は鍵盤の上を飛ぶような勢いで
弾くピアノ裁きは素晴らしいものでした。
私もいつかあのような演奏ができるのかしら?

3年生のS兄弟の説教は2回目ですがいつもユーモア溢れる楽しい説教です。
信仰の友であり愛する友達の死を語る中でこみ上げる涙をこらえる
姿は見ていてその深い愛と悲しみが伝わってきました。

早く亡くなったその友の夢をかなうためにまた神様の召しに従うために
入った学院生活でますます信仰は深まっている様子です。
同じ痛みや苦しみを経験した人々にイエス様を伝える
素晴らしい器になることを心から祈ります。

礼拝が終わり大チャペ出たら雨が降っていました。
M兄弟に傘を貸してくださいと無理言って傘を借りてきましたが
もしかして1個しかない傘を私に貸してえらいことになっているのではないかと
心配になりました。
M兄弟、ごめん、ありがとう。明日借りてきた傘返します。
  

Posted by 青い鳥 at 09:32Comments(0)

2013年06月10日

手話説教の感動

手話説教の感動
平日の火曜日から金曜日までの4日間だけ神学校の朝チャペに参加しています。
毎日日程によって決められた人たち、学院生や先生の説教をします。
それぞれの個性が現れる説教は毎回楽しい時間です。

この前の木曜日には手話で説教が行われました。
生涯始めて聞く手話説教です。

今、学院で勉強している聴覚障害を持っている学院生の説教でした。
隣には神学生も一緒に立って進んで行く手話を見ながら原稿用紙を読みました。

一目ぼれした今の奥さんとの結婚を認めてもらうために
奥さんの両親に会ったときのことや結婚式の話などに聞き入りました。
キリスト教式の結婚式が終わり彼の親戚たちはとても素晴らしい式だったと
喜びをもって伝えてくれたそうです。

イエス様の話や教会について聞いたことの無い人々が結婚式や葬式を通して
始めてクリスチャンの世界を体験することができます。

核家族が進む中で兄弟さえもなかなか会えないのが現在の実情です。
そんな厳しい現実の中で行事を通してだけ親戚同士が顔を合わせることができます。
短くは何年長くては何十年ぶりの再会もあります。

そして、親戚が集まる行事こそクリスチャンにとっては
素晴らしい伝道のチャンスになります。
特に教会での葬式や結婚式はすべてがイエス様に接する二度とない機会なのです。

耳が聞こえない音の無い世界に住んでいるけれど両手を使って
一生懸命に語る彼の説教は本当に感動的でした。

情熱を持って忙しなく動き回る両手の手話を見ながら
見ている私までその情熱が伝わりました。
彼を通して多くの人々が希望を得、イエス様に出会うよう心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 06:47Comments(0)

2013年06月08日

ある神の人の悲劇

ある神の人の悲劇
1年に少なくとも1回は聖書を通読する目標を立てて10年間守っています。
刑務所の中で1年に6回も聖書を読んだという話をある人に聞きました。
しかし、私はまだあまりにも色々な世の中の物に興味を持っているので
なかなか聖書だけには専念できずにいます。

反省してこれからは世の本よりはもっと神様の言葉である聖書を読むように
努力して行くつもりです。
神様の霊感を受けたという人々によって書かれた聖書はあまりにも
不可解な内容が多くいつも解けない問題に悩まされる日々です。

実際の著者である聖霊様に聞いたほうが一番分かりやすいといわれていますが
なかなか悟りが得られず同じ疑問が数年心に溜まっています。

列王記上の13章には神様の言葉を語るために来た一人の神の人が悲劇が書かれています。
同じ同業者である預言者によって騙され神様の命令に背き
哀れにも獅子によって殺されました。

彼の死について読むたび、いつも騙した預言者の行動に怒りを覚えたものです。
そして、ついにその疑問をもっと深く調べるためにWの教会の先生に頂いた
聖書注解で調べてみました。

そして、納得のいく解説に出会いました。
背信の時代には二重、三重の警戒が必要であることでした。
神様を信じ神の働きをするという同業者であるということで油断して預言者の言葉を信じ
自分が神様から直接聞いた命令に背いた結果彼は命を失ってしまったのです。

あまりにも人の話をそのまま信じてしまう私を見て開拓教会の宣教師は
いつも私に注意をしています。
はとのように素直で蛇のように賢くいきなさいと
人の話を鵜呑みにする危険性についていつも警告しています。

小遣い稼ぎになるとある仕事を進めてくれた人がいました。
それを知り合いに相談したところ不法だからと厳しく注意されました。
悪が満ちている今の世の中では本当に神様に守られなければ
神様の声だけに従わなければどれほど危険であるかを身にしみて感じています。

あまりにも世の中に疎く愚かな私が日々無事に過ごしていること自体が
奇跡のような神様の守りがあってのことだと感謝しています。

  

Posted by 青い鳥 at 08:34Comments(0)

2013年06月07日

どんぐりこの親子

どんぐりこの親子
朝チャペが終わり家に帰る道には色々な人々に出会います。
ランドセルを背負った小学生たちが群れを成して歩いています。

旗を持って小学生たちに一々挨拶を交わす先生がいます。
エプロンを前にして幼稚園の周りをほうきで掃除している保母さんがいます。

登園時間に合わせて幼稚園児を幼稚園に連れて行く親子にも会います。
ある朝、馴染みの親子連れに会いました。
手と手をとってどんぐりの歌を楽しく歌っていました。

池にはまって大変になったどんぐりの歌はあまりにも幸せそうで平和に見え
その親子の様子をしばらく見ていました。

私の人生の育児の時期にあのような瞬間が果たしてあっただろうかと
振り返っていました。
子供たちと公園でブランコに乗っていた時、ビデオショップの帰り、
移動図書館の帰りが少しは幸せだったような気がします。

大体いつもいらいらして怒鳴りばかりしていたような記憶しかありません。
異国での寂しさと慣れない育児のストレスで笑顔のない生活でした。

どんぐりの歌を楽しそうに歌いながら歩いている親子の姿を見ながら
遠い昔のことを思いました。

子供たちと共に過ごして過ぎ去った日々は二度と戻れません。
もしかして自分の努力しだいで幸せにすごしたはずの日々があります。
しかし、私はその宝のような日々を無駄にしていたのです。
後悔はいつも既に遅いものです。

どうか、今そのような育児の日々を送るお母さんたちが
どんぐりこの親子のような幸せな日々を送りますように心から祈ります。

かわいい我が子との時間はあっという間に過ぎてしまうので
その大事な時間を楽しく過ごせることができますように。
  

Posted by 青い鳥 at 09:28Comments(0)

2013年06月06日

田植えの季節

田植えの季節
日本に来ていまだに慣れない風景があります。
いつも新鮮な驚きを感じることは町の中にある水田のことです。
所々注宅街の1箇所に水田があります。

空気の綺麗な町、所々水田があり鳥たちのさえずりが聞こえるこの町は
本当にのどかで気持ちが安らぎます。

昨日まで苗床が置いていたのに今日の朝、通り過ぎていたら
綺麗に田植えが終わっていました。
行列をなしている苗がいつの間にか稲になって行くのですね。

都会育ちで蓬さえ知らず大きくなった私は水田で稲が田んぼで色々な野菜や
庭で色々な花が大きくなって行く姿がとても新鮮で興味深深です。
お米は米の木から取れると返事をした都会の子供を思い出します。

朝チャペのM先生の説教の中では稲が育つことについて学びました。
昼の暑い日照りの中で稲は育ち、夜はしっかり眠むるそうです。
そして、気温の差が多ければ大きいほどおいしいお米になると聞きました。

田舎で半年も耐えられなかった私には本当に農作業している
人々が素晴らしく見えます。
草取りや虫の駆除などそして農産物を育てるために手間のかかることを見てからは
市場やスパーで並ぶ野菜や果物の値段に文句を言うのを慎むようになりました。

人々が実りを夢見て日々色々な手入れをして苗や野菜は成長していくのですね。
目には感じられないその作業をもくもくしていく人々に答えるように
収穫の季節になると自然は素晴らしい実を結びます。

収穫の喜びのために今も日本の宣教のために伝道のチラシを配り、
人々にイエス様を伝える宣教師たちがいます。
目に見えない収穫を信じて配る、語るそのすべての奉仕や献身が
一つの無駄なく実を結ぶように心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 08:39Comments(0)