2013年09月30日

刈り入れの時

刈り入れの時
2か月以上の夏休みの後神学校の2学期が始まりました。
朝チャペが休みになり楽な日々を過ごしていました。
学期が始まりまた朝チャペに参加するための葛藤と悩みの日々です。

怠けた気持ちを抑えて朝チャペに参加するのですが
帰る道はいつも爽やかな気持ちで帰ります。
伸びないピアノ実力に呆れながらまた練習をしています。

久しぶりに通った道端で黄色く色ついていく稲を見てとても嬉しくなりました。
苗が育ちこのように実りのために成長したのを思うと
収穫を待つ農夫の気持ちになります。

神学校に行き来のコースが違うので朝チャペを終え違う道を通った時です。
昨日まで黄色くたんぼを満たしていた稲がきれいに刈り取られ空き地になっていました。
綺麗に片つけて何も残ってない空き地を見て嬉しい気持ちでいっぱいでした。
この田んぼでどれほどの収穫が取れたのだろう。

聖書にはこのような言葉があります。
収穫は多いが働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために
働き手を送ってくださるように祈りなさい。

収穫の季節になりました。
しかし、もし収穫する稲が多いけれど働き手が少ないとしたらその稲はどうなるでしょうか。
農村のことはわからないけれどすべての営みに合う時期があるらしいので
収穫の時期に間に合わなかった稲は駄目になるかもしれません。

イエス様の再臨が近づいたと全世界的に言われている今、
日本ではイエス様を迎えるための収穫されるために待っている稲を刈る
働き手が極端に少ないのが事実です。

色づいた畑を見て働き手を送るように主に祈らなければいけません。
神様、日本に収穫のための働き手を送ってください。
  

Posted by 青い鳥 at 07:33Comments(0)

2013年09月25日

就活自殺

就活自殺
本格的に就職活動が始まってから相談と面接そして
不採用のサイクルが出来上がっています。
送られてくる郵便を受け取る度落ち込む日々です。

W市で1年間過ごした時も同じ経験をしました。
不採用の知らせを受け取る度果たして私は生きる意味があるんだろうと落胆しました。
誰にもどこにも必要とされないという気持ちは本当に憂鬱なものでした。

全世界的に自然災害が起きている今、ますます景気は悪くなっています。
中度採用ではなく青年失業が問題になっている今就活で絶望して
自殺する若者が増えていると聞きました。

若者たちの中で定着しているお祈りメールやサイレントメールの意味を知ったとき
本当に悲しくなりました。
お祈りのイメージは相手への祝福や幸せを願う素晴らしい意味が含まれています。
しかし、不採用を知らせるメールにほぼ書かれているご活躍やご健勝をお祈りしますとの
文面で名づけられたお祈りのメールは祝福ではなく悲しい不幸の祈りになっています。

また、結果待ちの人々にそんな不幸のメールさえ送られてこない
サイレントメールの会社も大勢あると言います。
年に3万人以上の自殺者を出していた日本がやっと3万人以内に自殺者がとどまったと言う
嬉しいような悲しい話を聞きました。

戦争が起きている国では武器で人々が殺しあっています。
しかし、長い間平和な国の日本では見えない武器でお互いを殺しています。
人々はいじめや就活などを理由に自分の命を自ら断っています。

自殺という楽な道に走りたいと言う同じ思いをしたわたしは
彼らの気持ちを少しは共感できます。
しかし、今の苦しみから逃れる為に永遠の苦しみの中に自分を投げ捨ててはなりません。
神様からいただいた大事な命を疎かにしてはなりません。
私たち一人一人の命は自分のものではないからです。

この世の法律でも殺人を犯した人はそれに相当する罰を受けます。
まして、自分の命を自ら断ってしまった時そこには永遠に逃れることのできない
苦しみの世界が待っているだけです。

耐えられない苦しみと絶望の中で挫けそうになったときは
どうか、神様に助けを求めてください。
神様は必ずあなたの声に答えてくださいます。
  

Posted by 青い鳥 at 08:05Comments(0)

2013年09月24日

吹奏楽部の演奏会の風景

吹奏楽部の演奏会の風景
市民会館で開かれた吹奏楽部の演奏会に行ってきました。
教会の信者さんが演奏会の日が決まってからわざわざ電話で知らせてくれ
当日には12時開演の前から並んでいい席を確保してくれました。

3時間以上かかった演奏会は83人の吹奏楽部の中学生たちが参加しました。
観客を飽きさせないために色々な工夫がされてとてもたのしい時間でした。
ほぼ吹奏楽部の関係者や家族または友達や知り合いの様です。

娘の様子をアップで撮ろうか全体的に取ろうかと私に聞くYさんのカメラ裁きは
本格的でプロ並みです。
二人の娘の保育園や学校の行事ごとに熱心に参加して記録を残したお母さんらしいです。

最近大人気らしいあまちゃんの音楽が流れたりあたりまえ体操という吹奏楽部の
様子を面白く表現した歌にはみんな爆笑しました。
阪神タイガースが負けると機嫌が悪くなるらしい吹奏楽部の先生のことや
演奏の後の重い楽器の搬送など学生たちのことが目に浮かぶとても楽しい歌でした。

演奏の間の休憩を兼ねたイントロ曲名当て問題も面白かったです。
短い伴奏を聞き曲名を当てる質問には商品も有ったので
参加する観客も熱く燃え上がりました。

5,60代の観客のための懐かしい思い出の演奏もありました。
そして、3年間吹奏楽部で一緒に過ごした3年生の先輩たちの引退を惜しむ
お別れの時間には涙で送り言葉が読めない後輩たちの様子も見えました。

夏休みや冬休みものんびりできず練習に励んできたなかで深くなっていた友情と
信頼は素直で純粋なかれらには掛け替えのない素晴らしい宝の時間になると思います。
汗と苦労の涙の時間を通して彼らは大きく成長していきました。

朝から結構遅い時間まで吹奏楽部の練習が続いていると聞きました。
しかし、嫌がらず娘は部活の時間を楽しく過ごしているようです。
自分に与えられた楽器のパートを一生懸命にこなしている娘のことを見て嬉しかったです。
遠くで見守ることしかできない娘ですが今まで導いてくださった神様に感謝します。
  

Posted by 青い鳥 at 11:32Comments(0)

2013年09月23日

命を掛けた告白

命を掛けた告白
私たちが今手にしている聖書は近くても2千年前に書かれたものです。
文化や言葉、風習も違う土壌で書かれた聖書は長い年月を通して
それぞれの国の言語で翻訳されました。

多くの苦難と犠牲を払った名も知らぬ信仰の先輩により
今私たちは神の言葉である聖書を手にしています。
しかし、数千前の時代を背景に書かれた聖書を正しく理解することはとても難しいです。

日本語でまたは韓国語や英語で書かれている聖書の言葉を
今の時代の背景で理解するとなかなか見えない物があります。
それだからこそ聖霊の助けと教えが必要です。

イスラム圏の国ではなく共産主義国家でもない日本に住んでいるクリスチャンに誰かが
イエスを信じているかと聞かれた時、何の悩みも無く”はい”と答えられると思います。
しかし、2千年前のイスラエルという国でその答えが
どれほど恐ろしいことだったかを聞いた時体中に戦慄が走りました。

マタイの福音書10章32節と33節にはこのように書かれています。
「ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも天におられるわたしの父の前で
その人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら
わたしも天におられるわたしの父の前でそんな者は知らないと言います。」

福音を伝える為に12弟子たちを町々に派遣しながらイエス様はこの言葉を語りました。
オオカミの中に羊を送るように弟子たちを送りながら人々の前で自分の名を
イエスを否認しないように厳しく伝えた内容です。
しかし、この言葉を守ることがどれほど大変なことかを弟子たちは知らなかったでしょう。

イエス様を十字架にかけて殺した後も弟子たちが増えていくことに危機を感じた
ユダヤ人たちとローマ人たちから本格的に迫害を始めました。
イエスを信じる人々を選び出すために行われたことが有ります。

安息日に礼拝を捧げる為に会堂に来るユダヤの人々に聞いた言葉があります。
それはイエスを信じているかの質問です。
大人は勿論幼い子供が来て同じ質問をしても本当にイエス様を信じた生徒達は
絶対イエス様を否認しませんでした。
そして、その答えによって彼らは獄に連れていかれ苦しみに会いまた殺されました。

何気なく読み過ごしていた聖書には命を掛けてイエス様の名前を呼び
自分の信仰を告白した多くの信仰の先輩たちのすがたが隠されていたことに
気づいた瞬間自分の生ぬるい信仰に心を痛めています。
神様、信仰の薄い私をどうか強めてください。
  

Posted by 青い鳥 at 07:14Comments(0)

2013年09月21日

満月の朝

満月の朝
今は新暦を使っている日本ではなかなか意識できないのが旧暦のお盆です。
日本のカレンダーでは表示さえできてないのできれいに忘れていた
旧暦のお盆が9月19日でした。
まだ韓国では旧暦のお盆を過ごしています。

お盆の前日に実家に電話を掛けました。
電話の向こうには久しぶりに集まった家族の声で賑やかでした。
お盆を過ごすために集まった家族は肉や果物など美味しいごちそうを食べで
楽しい時間を過ごして帰ってそうです。
成長した甥や姪たちはそれぞれ就職やバイトで忙しかったり
結婚問題で悩んでいる人など多様な話を聞くことが出来ました。

日本の暦のお盆も忘れていた韓国の旧暦のお盆も私には変わらない時間でした。
記念日や暦の祝日が私にはただ寂しい時間として過ぎていきます。

金曜日の早朝、朝チャペに参加するために家を出ました。
玄関の戸を閉めて出てみるとまだうす暗い空には大きい満月の月が浮いていました。
あまりにも大きく欠けてない丸い美しい月は本当に感動的でした。

山の上にどんどん沈みかけでいく姿を残すために携帯を取り出しました。
しかし、なかなかきれいに取れず諦めました。
カメラに収められなかったその風景は私の心の中に収めました。
神様が造ったすべてものはどれほど素晴らしいか
しかし、それを表現することにはどれほど限界があるだろう。
  

Posted by 青い鳥 at 07:46Comments(0)

2013年09月20日

北朝鮮の信仰者の死

北朝鮮の信仰者の死
ユーチューブという驚くべきサイトを通して多くの情報を得ています。
全世界の誰かがアップロードした動画は多様でまだ多彩です。
映画やドラマまた歌、牧師や宣教師の説教など種類も数々です。
ネットで繋がっている限り退屈する時間はありません。

最近はまっている一人の宣教師がいます。ダニエルキムという30代の宣教師です。
韓国語を始め日本語、英語今は中国語まで話せる国際的な人材です。
韓国で生まれ日本ではインタナショナル学校で学びアメリカの士官学校と
神学大学を出たとても変わった経歴の所有者です。

ネットで繋がっているときは彼の説教をよく見ています。
彼が伝えるメッセージはとても熱くそして鋭く心の底まで響く内容です。
世界宣教を目指して働く中でイエス様の再臨を待ち望むために持つべき
真実な信仰の姿を訴える彼のメッセージはあまりにも真っ直ぐです。

またどんどん迫ってきている終わりの時、クリスチャンが直面しなげればならない
恐ろしい艱難の話は体を震わせます。
しかし、今も全世界の85パセントの人が生きているあまりにもむごい状況を
解決するためにイエス様が早く再臨しなければならないと彼は言います。
永遠の平和の神がきて不法を除き真の平和な神の国を建てることで
私たちが真の平安を得ることが出来ると言います。

自由な国で日々の些細なことで悩んでいる私には聞いた内容を想像するだけでも
恐ろしいことが北朝鮮では起きています。

生きる為に命を掛けて北朝鮮を脱出した一人の若者の話です。
食べ物を得る為に彼は中国に入るための国境の川を渡たりました。
幸い無事に辿り着いた中国で彼はイエス様の福音を聞きました。
そして、彼は北朝鮮でイエス様を知らず死んで行く同胞を思いました。

聖書を持っていて見つかると殺される北朝鮮に入る前
彼は中国で貰った聖書の各部分をバラバラにしたヨハネの福音書を全部暗記した後
その紙を全部飲み込みました。

命を掛けて北朝鮮を脱出しました。しかし、彼はまた命を掛けてその北朝鮮に戻りました。
今は、自分が生きるためではなくイエス様を知らず死んで行く人々を救うためでした。
そして、ついに彼のその命を掛けた働きが終わる日が来ました。

イエスを否認したら生かすという北朝鮮の軍人の前で彼は最後まで信仰を守りました。
道路の上に寝かされたまま彼の体をアスファルト舗装に使う重いローラー車が
10センチずつ足から頭まで通り過ぎて行きました。
骨が折れる苦痛の度彼にイエスを否認するように言われました。
しかし、彼は最後までイエス様を否認しませんでした。

”お腹が敗れる音を聞いたことが有りますか”とこの話を伝えた女性は聞きました。
”私はその音を目の前で聞きました。”
そして、このあまりにもむごい話を伝えた人はまさにその若者の母親だったのです。
信仰を守るために愛する息子はローラー車にひかれて苦しみながら死んで行きました。
彼のお母さんはその光景を一部始終目撃していたのです。

今も全世界では想像できない悲惨なことが起きています。
不法が蔓延り悪に満ちた世界で多くの血が流されています。
そして、その流された血は絶えずイエス様に正しい裁きを訴えています。

裁きの日、神様の前に出た時神様は私たち一人一人に聞くでしょう。
あなたはあなたに与えた多くの物を持って何をしたのか。
多く持っているものほど多くの責任を問われると聖書は言います。
そして、先救われた私たちはまだ救われてない多くの人々に対する責任が残されています。

まだ、自由に福音を伝えられる今
何時でも読める聖書がある今、
どうか、イエス様を知らず滅びの道を歩いていく多くの人々に
イエス様を伝えることが出来るように祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:31Comments(2)

2013年09月19日

地下教会の指導者の条件

地下教会の指導者の条件
聖書の学びで忙しく久しぶりにユーチューブにアクセスしました。
そして偶然見ることになったダニエルキムという韓国人宣教師の動画が
とても感動できした。
30代の若い世代の彼が伝える力のある説教や証は私の魂の底まで届く感じです。

韓国で10年、日本で10年、アメリカで10年そして今は中国で住んでいる
彼の人生はイエス様に喜ばれるために苦労も多くとても変化に富んでいます。

今全世界的に同じく語られているメッセージがあると彼は話を切り出します。
それはイエス様の再臨が近づいているから備えなさいのことです。

限られた時間にもっと多くの話を伝えたくて気が焦り早口になっていると言う
力強く語る彼のメッセージはまだまだ薄い私の信仰を気づかせてくれます。
信仰を保つことがますます難しくなっている時代に本当に目を覚まして
再び来られる花婿であるイエス様に出会えるように訴えます。

再臨が近づいたこの世に全世界の国々の霊的な時間帯を彼はたとえを用いて話します。
そして、今熱く湧き上がっている中国のクリスチャンの話を聞きました。
地下教会の指導者になるための条件は凄まじいものでした。

ただ三つの条件は聞くだけでも私にはどうしても実践できないほど恐ろしいものです。
一つ目は中国で家庭教会を開拓した経験がある人です。
二つ目はイエス様を信じ人々に伝えたことで刑務所に入ったことが有る人です。
三つ目は聖書の創世記からヨハネの黙示録までを100読以上した人です。

驚くことに聖書を全部暗唱できる一人の地下教会の指導者の話も聞きました。
17年間の刑務所の中で彼は聖書をずっと読んでいたので自然に覚えられたのです。

共産主義国家で今も公安という警察の目を避けて礼拝している中国で
クリスチャンたちはイエス様を伝えるために彼らの命を掛けています。
彼らに要求されている厳しい信仰の実情が地下教会の指導者の三つの条件から伝わります。

3年間の神学校の学びを終えて今は開拓教会で宣教師の留守の間に頼まれて
仕方なく説教を語ったりします。
しかし、その度いつも自分の聖書知識の足りなさにいつも呆れます。
命を掛けなくてもいい状況で自由に伝道できる環境で私は果たして
神様を喜ばす日々を送っているんだろう、、、
  

Posted by 青い鳥 at 09:50Comments(0)

2013年09月18日

あなたはできる

あなたはできる
1か月近くのスランプのような悩みと葛藤の日々がやっと終わろうとしたとき
ブログに乗せた内容を読んで心配した神学校の同級生が花束を持って私を訪ねてきました。
また、在学中とても親しくしていた神学校の後輩からいい本があるから
送りますというメールが届きました。

日曜日の礼拝が終わり家に帰ると郵便ポストに不在連絡票が入っていました。
不在連絡票に書かれている通りに配達日を登録しました。
しかし、励ましの電話を掛けてきたK兄弟と夢中になって話している内に
配達が来ることをきれいに忘れていたのです。

私の住んでいるマンションは午後6時以後は自動ロックされます。
マンションの入り口でいくら掛けてもずっと話し中の電話に諦めて
配達人はまた不在連絡票を残したまま帰りました。

3度目の不在連絡票を見て電話を掛けてまた配達日を登録しました。
しかし、あいにくその日も配達の本を受け取ることが出来ませんでした。
聖書の学び会の帰り何故か間違って電車に乗り宣教師の家で泊まったからです。
次の日、家に戻ってまた不在連絡票を手にした瞬間本当に不思議な気持ちでした。
どうして、こんなに手間を取ることになっているのかしら、、、

3回目の配達日には指定した時間中ずっと家で配達を待っていました。
アマゾンから注文して配達された1、500円の本がやっと私の手に届きました。
しかし、その時私は本の題名に隠された秘密には全然気づいていませんでした。

6月から宣教師は3か月に1回K市で開かれる集会に行っています。
9月の末にまた行くことになっています。
その集会に一緒に行こうと誘われていたのですが断っていました。
しかし、私の分まで切符を取っていたのです。

そして、集会の2週間前になって急に宣教師から集会のピアノ伴奏を頼まれたのです。
何故か電車を間違って乗り宣教師の家を訪問した日のことです。
もう無理ですと極力断る私に宣教師はやればできると言って楽譜を渡しました。

神学校の後輩で宣教師の知り合いに特別レッスンを頼みました。
3年間の空白で頭の中でも残ってない手の動きもきれいに忘れたピアノ伴奏の
特訓を受けながら何度もどうしようとか、いやだ逃げたいと呟きました。

つぶやきと嘆きのピアノ特訓を受けて帰ってきた次の日の朝のことです。
目を覚ました瞬間頭の中をよぎった思いは配達に纏わる疑問です。
1冊の本の配達にどうして4回も無駄な動きが発生し、3人の配達人が動員されたのだろう。
この世のことで偶然という事は絶対ないと言います。

そして、稲妻のように光るある思いがありました。
それで寝床から起き上がり配達された本の題名を確認したのです。
驚くことに赤く太い文字で書かれた本の題名は「あなたはできる」でした。

「あなたはできる運命が変わる7つのステップ」という本の題名の中で
すぐ目に着いたあなたはできるを確認した瞬間どうしてこの本が
私の手に届くのにあんなに手間取った理由を悟ったのです。

2回の朝チャペのピアノ伴奏は無伴奏の悲惨な結果で終わりました。
不思議な経路で届いた一冊の本の中であなたはできるという神様の励ましの声を聴きます。
どうか、私のピアノ伴奏のためにお祈りをお願いします。
  

Posted by 青い鳥 at 08:31Comments(0)

2013年09月17日

天国の時間11時59分

天国の時間11時59分
台風が近づいたと言われた天気予報日曜日の朝、教会に向かう道は
通り風と雨が激しくなりました。
日曜日の礼拝が終わり激しくなる風と大雨が収まるまで帰れず教会に残っていました。
しかし、何時間待ってもどうしても雨や風が弱まらないので諦めて
すごい雨の中で家へ帰りました。傘を差しても服はびしょびしょに濡れました。

遅い食事が終わりブログに乗せるための説教の原稿をキーボード入力しました。
目が痛いことを我慢しながら固くこわばるかたごりで苦しみながら
やっとワード入力が終わり眠りにつきました。
しかし、台風が直撃したその晩窓をたたく風の音がとても恐ろしく眠れませんでした。
今にも大きな窓ガラスが割れて落ちるのではないかとびくびくしました。

そして、次の朝3連休の最後の日の敬老の日は恐ろしい
台風18号のニュースと共に始まりました。
川が氾濫し店が水浸しになり土砂崩れで家や車が埋もれている光景は
東北の大震災の事と重なりました。

何度も外出のためにベランダから外の様子を窺いました。
しかし、あまりにも強い風と雨でおとなしく家にいることにしました。
暇つぶしに久しぶりに覗いたユーチューブサイトでまた怖い神様の声を聴きました。

チョウエン牧師が伝えるアメリカに対する神の警告は
今私たちが生きているこの時代がどれほど緊迫な時なのかを感じます。
彼の目の前に降りてきた天国の黄金の時計の針は11時59分を示していると言いました。
イエス様はきれいな花婿の礼服を着ていると言います。
花嫁を迎えるための用意が天国ではもうすでに終わりましたのことです。

2千年前にこの世に来られたイエス様は罪びとを救うために来られました。
あまりにも愛した私たちを救うために十字架に掛かりました。
しかし、天国の時計が11時59分を示すこの時また来られるイエス様は
罪びとを救うために来られるのではありません。

イエス様を信じその救いを生活の中で実践した人、イエス様の再臨まで
この世の光や塩のように生きたきれいな花嫁を迎えに来るのです。
反面、イエス様を知らずまたイエス様を迎え入れず罪の中で生きた人々を
永遠の火に追いやるための裁きに来るのです。

チョウエン牧師はまたイエス様が語るアメリカの多くの教会の堕落した牧師や
信者たちの姿を似せ預言者たちの間違った教えをそして全世界的に広がっている
同性愛の問題を厳しく責めています。

また日本を襲った一つの自然災害台風18号の爪痕の中で神様の切なる声を聴きます。
イエス様を知らない多くの日本の人々よ、
罪を悔い改めて生きておられる神様の所に立ち返ってください。
私たちに許された時間はあまり残されていません。
生きるチャンスが残されている今、ぜひイエス様を信じてください。

マタイの福音書24章7節と8節にはこのように書かれています。
「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こります。
しかし、そのようなことはみな、生みの苦しみの初めなのです。」

私たちを苦しめる多くの自然災害はまだ本の始まりにすぎません。
自然災害に見える神様の警告はますます厳しくひどくなっていきます。
それは、神様の所に立ち返ってくることを望んでいる神様の愛の印です。
どうか、イエス様を探し求め救いにあずかることが出来るよう心か祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 09:14Comments(0)

2013年09月16日

説教ー祈りについて

説教ー祈りについて
4週間続けて説教を語ることは初めての体験です。
悩みと葛藤の末に入った神学校でも色々なことを経験しました。
初めての路傍伝道では一枚のチラシも配ることが出来ませんでした。
人々の前に出て話をしたり知らない人に声をかけるのがとても苦手な私です。
しかし、神学校ではそんなわがままは許されませんでした。
当番で廻って来る説教や賛美リードは緊張のあまり毎回のようにお腹を壊しました。

道端で歩いている人々に教会への呼びかけをしたり十字架を背負って歩いたりと
こんなはずじゃなかったの日々でした。
そんな私がまた今人々の前で説教を語り賛美リードをしています。

未だに慣れないことですので今日でやっといつもの平安な生活に戻れることを
心から感謝しています。
それではヨハネの福音書9章31節をお読みします。
「神は罪びとのいう事はお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い
その御心を行うなら神はその人のいう事を聞いてくださると私たちは知っています。」
今日の説教の主題は祈りについてです。

神学校に入る前の2年間私は韓国で過ごしました。
その時、一人の牧師に出会いました。
その牧師の頼みで翻訳の仕事をしたことが有ります。
中国でハンセン病患者の世話をしながらイエス様を伝える韓国人宣教師の証を
日本語で翻訳したのです。

自分の家族や自分の国からでも捨てられたハンセン病患者をイエス様の愛を持って
世話するその宣教師の証はいつ聞いても感動的でした。
自分の実力不足を感じながら辞典を探しながら翻訳して行きました。
数々のエピソードは全て心を打つ話ばかりです。
その中の一つのエピソードをご紹介します。

色々な病気の中で特にハンセン病患者は人々に嫌われ隔離されたり
虐待や差別など不当な仕打ちを受けてきました。
中国の宣教に行く前にその宣教師は韓国のある村に隔離されている
ハンセン病患者の教会で牧師として働きをしていました。

ある彼は時共産主義国家の中国でも全く知られてないけれど
多くのハンセン病患者がいることを知りました。
自由国家と言われる韓国でもハンセン病患者に対する人々の偏見や
差別は耐え難いものでした。
公になっている国でさえハンセン病患者に対する接し方は酷いものでした。
まして、人々に知られないように隠されたところでの中国のハンセン病患者達は
どのような生活をしているんだろうとその牧師はとても気になりました。
そして彼らのためにできることはないかと中国を訪れたのです。

ドイツに留学した時知り合った知人を通してハンセン病患者たちが隔離され
収容されている施設を管理する人に出会いました。
そしてその施設を見学できるように頼みました。
するとその時、その施設に案内できるその管理がとても困った提案を牧師の彼に要求したのです。

それは中国のとてもきつい酒の飲み比べでした。
火をつけると燃え上がるほどきつい酒でした。
その言葉を聞いた時その牧師は心の中で祈りました。
”神様、このような提案を受けました。
本当に神様が私をその場所に送る意思があるならどうか助けてください。
彼らを助けることが出来るなら私はこの毒酒さえ飲みます。”

そして、酒の飲み比べが始まりました。
まず牧師がそのお酒を飲みほしました。
驚くことにその強い酒はただの冷たい水でした。
余裕に酒を飲みほす牧師の姿にその中国人管理はびっくりしました。
3杯の毒酒を飲み干す牧師の前に中国の管理は酒に酔い倒れました。

次の朝目を覚ました、その中国人管理はお兄様と呼びながら
牧師に丁寧なあいさつをしました。そしてその施設まで案内してくれました。
施設に入る前に手袋をはめ、マスクや帽子をかぶるように言われたのですが
牧師は普段着のまま入りました。

奥に入っていくと出入り禁止だと入らないように命じられた所がありました。
好奇心で彼はすきを見てその戸を開けました。
最初彼は豚の群れだと勘違いしたそうです。

手、足のない人々が目の見えない人々が胴体のまま
飼い葉おけで動物がエサを食べるように食べ物を食べていたのです。
あまりにも悲惨な状況で心を痛めました。
しかし、そこに入った牧師に気付いた施設の人から無理矢理つれ出されました。

その状況を後ろにして歩き出す牧師の耳に韓国語の歌声が聞こえました。
アリランの歌声に惹かれて行ってみるとそこにはもう少しましな状態の人たちがいました。
その歌は目が一つ残っていて片手のないお婆さんが歌っていました。
彼女の所に行き牧師は”あなたは韓国人ですか”と聞きました。
すると彼女は”いいえ、朝鮮人です”と答えました。

短い間に彼女から聞いた話はとても悲しい内容でした。
彼女は幼い時朝鮮だと言われていた今の韓国から親と一緒に中国に来ました。
しかし、彼女が14歳の時ハンセン病になりました。
それで親の元から無理矢理この施設に連れてこられました。
そして、40年が過ぎました。

話を聞いて牧師は彼女に聞きました。
”今、ご両親は何処にいらっしゃいますか。”
すると急に彼女が泣き叫びました。
”お母さん、お母さん、お母さんに会いたい。”
彼女はその瞬間14歳の少女に戻っていました。

40年の年月が流れて体はお婆さんになっていても
彼女の心は14歳に止まっていたのです。
慰める言葉が見つからず牧師はそのお婆さんの手を握りました。
その時です。握りしめた牧師の手に何かとても熱い物が落ちてきました。
お婆さんの目から落ちてくる涙でした。涙がそれほど熱くなることにびっくりしました。
あまりにも熱いその涙を感じながら牧師も思わず一緒に大声を出した泣きました。

暫くして落ち着いた時彼女は牧師に聞きました。
”先生は何をしている方ですか。”
牧師は自分はイエスの言葉を人々に伝える人ですと答えました。
すると彼女は”イエスは何ですか”と聞きました。
”イエス様は私たちを癒して死なせないようにする方です。”と答えました。
長い沈黙の後彼女はこのように質問しました。
”先生、私みたいな者でもその方を知ることが出来ますか。”
”もちろんです。”と素早く牧師は答えました。
しかし、”どうやって”と続いた彼女の質問に牧師はその答えに困りました。

教会のない、聖書もないところで限られた時間にどのようにして
イエス様を伝えるべきか悩みました。
暫く考えてから牧師はこのように答えました。
”お婆さん、心の中の話したいことを全部話しなさい。
そして、イエス様のお名前でお祈りしますと言うと神様が聞いて答えてくださいます。”

それでその場所を離れようとしました。
すると彼女が言いました。
”先生、いつまた来られますか。”
あまりにも酷い状況で二度とその施設に来たい気にはなりませんでした。
しかし、仕方なく”また機会があれば来ます。”と答えました。

その施設を離れる時牧師はあまりにも酷い彼らの状況を何とか助けたい気持ちで
自分が持っていたお金をすべてその施設に捧げました。
それから6か月に過ぎました。
どうしても中国のハンセン病患者たちのことが気になり
牧師はまたその施設を訪問しました。
しかし、悲しいことに牧師が来る5日前にそのお婆さんはこの世を去ったのです。

悲しさに胸を打たれて施設を出ようとする牧師に向かって
中国人の患者たちが群がってくるのです。
”イエス、イエス”と口を揃えて叫ぶ彼らの話を聞きました。
6か月前に牧師と出会ってからそのお婆さんの人生は完全に変わりました。

彼女は他のハンセン病患者に言っていたのです。
”私はハンセン病患者じゃない。私はもうイエス様を知っているから
ハンセン病患者じゃない。”
そして、彼女が死ぬ前に残した言葉はこうです。
”私は死ぬのではない。私はイエス様と共に故郷に帰る。
私をもうハンセン病患者だと呼ばないで。”

ハンセン病という病気にかかり愛する家族と無理矢理引き離された
14歳の少女を思います。
動物よりひどい扱いを受けながら毎日のようにお母さんに会いたがった
若い女の子を思います。
病気が進んで行く中で体はどんどん不便になっていきいつの間にか
年寄りになっていた女の人を思います。

彼女の心の中に積もっていた深い悲しみと切なさと怒りや嘆きを思います。
もしかして、人生に絶望してこの世を恨んで最後を迎えたかも知れない彼女の人生を、、
しかし、彼女は人生の6か月間イエス様の子供として生き本当の故郷である
神様の元へ旅立ちました。

エペソ3章12節にはこのように書かれています。
「わたしたちはこのキリストにありキリストを信じる信仰によって
大胆に確信をもって神に近づくことが出来るのです。」
教会もない所で聖書も読んだことのない一人のハンセン病患者を救ったのでは
何でしょうか。それはイエス様の名前で捧げた祈りでした。

祈りとは何でしょうか。それは神様との対話です。
父なる神様に私たちの心を捧げることです。
それは美しく飾られた詩のようなものではなくてもかまいません。
無学な人でも幼い子供でも出来るものです。
ただ自分の心に素直に従い語る言葉で十分なのです。

私たちの罪のためにイエス様は尊い血を流しました。
そのイエス様のお蔭で私たちは神様の所に自由に行くことが出来ました。
罪からくる障壁がなくなったからです。
イエス様の名によって祈るとき神様はその祈りに答えてくださいます。

ヨハネの福音書16章23節、24節にはこのように書かれています。
「その日にはあなたがたはもはや、私に何も訪ねません。
誠に、まことに、あなた方に告げます。
あなた方が父に求めることは何でも、父は私の名によってそれを
あなた方にお与えになります。あなた方は今まで、何も私の名によって
求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。
それはあなた方の喜びが満ち満ちたものとなるためです。」

イエス様は自分の名前で神様に求めなさいと言いました。
神は罪びとのいう事はお聞きになりません。
罪が私たちを神様から遮っているからです。
それを無くしてくださったのがイエス様の十字架です。

イエス様が私たちの罪の代価を払ってくださったのです。
そのおかげで私たちはイエスのその犠牲を通して神様の子になることが出来ました。
イエスを信じその御心を行う人なら誰でもその人のいう事を
聞いてくださると聖書は語っています。私たちのお父さんになってくださった神様に
子供のように素直に自分をさらけ出すこと、それが祈りです。

聖書にはイエス様によって叶えられた多くの祈りの答えや奇跡の話が書かれています。
五つのパンと二匹の魚で数千人の人々を食べさせた話や死人の蘇りまで
信じられない多くの不思議な話があります。
それは果たして聖書の中の物語で終わっているのでしょうか。
いいえ、その奇跡は今も起きています。

ヨハネの福音書16章23節でイエス様は私たちに約束しました。
「あなたがたが父に求めることは何でも父は、私の名によって
それをあなた方にお与えになります。」
イエス様の名前で求める祈りには力があります。
求めなさい、そうすれば受けるのですとイエス様ははっきりと約束しています。

今、あなたには何が必要ですか。
心から切に求めているものがありますか。
自分からはどうしても叶えられないもので絶望していますか。
どうか、神様に祈りを捧げてください。
イエスの名で求めてください。
神を敬い、その御心を行うなら神様はその祈りに答えてくださいます。
  

Posted by 青い鳥 at 08:06Comments(0)説教