2014年09月30日

JKビジネスの闇

JKビジネスの闇
クローズアップ現代というテレビ番組があります。
今現在日本に広がる色々な問題や社会現象を一つ選び
集中的に取り扱う番組です。

インターネットでタイドラマを見ている日々の中で
久しぶりに録画したテレビを見ました。
JKビジネスという初めて聞く単語は女子高生の英語単語の頭文字でした。

援助交際という言葉で薄められた売春があります。
それの延長線上の新たなビジネスです。
JKビジネスは女子高生を性的な対象に求める人達に
色々な細かく別れたサービスでお金を稼ぐシステムになっています。

添い寝、散歩、ハーグなど分単位で決められた価格を見て
本当に今社会に定着された時給とは確実に高いので驚きました。

学校の授業が終わり店の制服を着て街角で客引きをしている
女子高生達の姿は衝撃でした。
学校や家庭に居場所がない、苦しい家系を助けたい、お金がほしいなど
色々な理由で彼女たちは危険性の妊む事をやっています。

高いアルバイトという言う甘い言葉で足を踏み入れた
日本の女子高生達の姿を見て驚きとともに
未成年者の売春に繋がることを告発したアメリカで
創りだした言葉がJKビジネスです。

お金を払っても女子高生と過ごす時間を求める人達
そしてそれはいつでもエスカレーターしていく危険性があります。
実際にすでにそんな事件や問題は発生しているのです。

お金のためなら法律の抜け道を探ってどんなことでもやる人たちがいます。
判断力のまだ未熟な時期に軽い気持ちでそんな人達の罠にはまる
少女たちがいます。
また、それを見て見ぬふりをしている人たちがいます。

海の向こうで騒がれてからその問題を公にしている国日本
未来の世代の母親になる少女たちが歩むその道が
後々どれほどの傷を残すかと心配になります。

疎遠になっている人間関係や壊れた家庭環境で生み出される心のすきが
このような実態を招くのではないかと思ったりします。
娘を持っている一人の母親として顔も知らない彼女たちのことが
本当に気になります。

  

Posted by 青い鳥 at 07:21Comments(0)

2014年09月26日

映画-蝉しぐれ

映画-蝉しぐれ
タイドラマにはまっていた時に偶然見たものが日本映画蝉しぐれです。
いくら葛藤が続いても結局は幸せに終わるタイドラマに馴染んでいた目に
悲恋の物語はやはり後味がよくありません。
とにかくハッピーエンドの方が気分がよく鬱になりません。

長編時代小説から映画にするため監督が15年掛けた撮ったという事を
検索で知りました。
時代劇は上品で優雅な着物を見る楽しみはあるけれど
どうしても男の髪方が好きになれません。
いくら男前でもこの髪方には勝つことが出来ないような気がします。

映画では20年の年月の流れの中で書かれる少年の成長物語と
二人の淡い恋物語が切なく描かれています。
季節の替わりを感じさせる美しい日本の風景がきれいなカメラ操作で
とても見事に撮られています。

良い作品に仕上げられた映画でしたが一つだけ血の乱舞する場面には
顔を画面から避けました。
鋭い日本刀を見るたびぞっとします。
知り合いの日本人の家に飾られていた日本刀を間近で見た時
あまりにも鋭い刃に体に戦慄が走りました。

医者に殺されない47の心得という本の中でも
外科医が切りたがっている心理について書いていました。
似たような気持ちで切れ味を試すために暗い夜道で通行人を
切っていたサムライたちの様子が目に浮かびます。

ドラマでよく描かれるのが初恋です。
一番純粋な心で利害関係など思わず自分の感情に忠実な時だから
初恋を皆忘れることが出来ないのかもしれません。
そして、結ばれなかった恋ほどもっと長く覚えられるでしょう。

20年の季節を迎えても忘れることの出来なかった思いは
どれほどの物でしょうか。

人生の中の色々な辛い経験の中で多くの思い出が消えていきました。
その中では本当に記憶に残したかった思い出もあります。
しかし、望まないけれど人生は過ぎていき懐かしい思いも過ぎていきます。
忘れられない思いが多くあるだけその人は過去に縛られているのかもしれません。

美しい日本の風景と共に描かれた素敵な映画で
とても良い時間を過ごしました。
でも、やはり私は幸せな結末がほしいな。
  

Posted by 青い鳥 at 06:21Comments(0)

2014年09月25日

教会に向かう道で

教会に向かう道で
毎週日曜日にはアラムを設定しています。
礼拝が始まる時間まで送れないため教会までかかる時間を計算して
電車の時間に合わせるためです。

朝に済ます色々な用事を終え駅に向かう道のりで見かける風景には
時には季節の替わりを感じたりします。
肌に感じる涼しい風が気持ちよくさわやかな季節になりました。

駅に向かう道でゴミを拾っているボランティアの人を見かけました。
誰かが捨てた空き缶やゴミを一つ一つ丁寧に拾っていました。
誰かはボランティアでゴミを型付けるのに誰かは汚します。
せっかく掃除して綺麗になっているのに汚す行動が気になります。

すれ違う人々はみんないそいそと歩いていきます。
のんびりと歩きながら彼らを観察したりします。

朝の開店の前の準備で忙しい人もいます。
デパートの前を一生懸命に掃除している人です。
道にくっついて黒く変色したガームを取ることに夢中になっています。
掃除道具を載せた荷車にはビニール袋や掃除に使う色々な備品が
綺麗に並んでいます。

駅に向かう人々にチラシを配ったり店の宣伝をしている人々を見ます。
熱心に自分の役目を果たしている彼らを見るたび
人々は本当に熱心に生きているんだなと思います。

覚めた感情で見物しているように観察している私の目には
見える世界で人々はあまりにも熱心に真剣に生きています。
彼らを動かす力は果たしてなんだろうとついつい思います。


生活のためにお金のためにある人はやりがいを求めて
彼らは自分の与えられた仕事を忠実にこなしているんですネ。
長い間悩みと無力さに負けて落ち込んでいた自分を振り返っています。

よくやった忠実な下僕よと神様に褒められるほどの仕事も生き方もできずに
生きている自分を反省して教会に向かいました。
季節は巡り収穫の季節、残りあと3ヶ月と数日間を
もっと頑張って行きたいですね。
  

Posted by 青い鳥 at 06:18Comments(0)

2014年09月08日

神学校の入学式

神学校の入学式
神学校の夏休みが終わり2学期が始まりました。
始業式と入学式を兼ねて行われた神学校の行事に参加しました。

神学校へ向かう道を久しぶりに通りました。
肌に触れる風が爽やかでとてもいい気持ちです。
住宅街の真ん中に育つ稲がいつの間にか実を結んでいます。
風に揺れている稲が青々しく田んぼを埋め尽くしています。

小学校の運動場には半袖と半ズボンの赤と黄色い帽子をかぶった
小学生たちが集まって何か熱心にやっています。
もしかして運動会の練習かもしれません。

額や顔に流れる汗をハンカチで拭きながら歩いていきます。
神学校の前の空き地にはいつの間にか新築の家が完成に向かって
工事が進んでいます。

青々と広がっている空が見える駐車場を通って礼拝室に向かいました。
新しくリフォームした礼拝堂にはスーツ姿の学生たちが座っています。
式に参加したお客さんらしい人々も見えました。

2学期には姉妹一人と2人の兄弟が入りました。
新入生の挨拶が終わり在学生たちの決意表明の時間には
色々とハプニングがあり笑いを誘いました。

聖書の御言葉が思い出さず困っている学生たちや
薄くなった髪の毛の事に触れたり伝道や聖書の勉強や
2時間の祈りや聖書百問の成績や様々な目標と立って
新しい学期のスタートに向かう神学生達の姿に
聞いている人々も刺激と挑戦を受ける瞬間です。

否定的な言葉やできないという思考にバイバイしようと足で蹴り
大げさに別れも告げる院長先生の説教には参加者たちもみんな
熱心に応対していました。

できないという思考はゼロと同じく
いくら掛けてもゼロで終わってしまうけれど
一番小さい1と数でも無限なる神様の力を掛けると驚くほどの
力を発揮できるという主張には共感して聞きました。

3年間聴き続けた前向きで肯定的な言葉使いと伝道に対する
院長先生の情熱にはいつ聞いても真似できないと感じています。

いろいろな事情や悩みの中でも神様のための働きのために
勇気を出して新たなる出発を切った入学生や在学生たちに
神様の恵みと導きをお祈りします。

素晴らしい神学校の時間の中で神様をもっと親しく感じ
神様に寄り頼むことができることを心から望みます。
  

Posted by 青い鳥 at 16:37Comments(0)

2014年09月06日

映画ー指輪をはめたい

映画ー指輪をはめたい
長くても3時間以上かからない映画に比べドラマは20時間以上がザラです。
見始めてしまうと結構な時間を費やしてしまいます。

数ヶ月中国ドラマにはまっていました。
次から次へと似たような内容と葛藤の物語に少し飽きてきたのて
久しぶりに映画を見ました。

指輪をはめたいという日本映画は見終えてから胸の中に
切なさや寂しさに似た感情が残ります。
別れた恋人を忘れずにいた男の復讐に似た気持ちで始めた
恋愛ごっこで彼が悟ったのは去っていった彼女への思いでした。

曜日事に3人の女性と交際をしても満たされてない男の姿は
心の中で終わらない愛に苦しむ哀れな姿でした。

男と女が出会い恋に落ちます。
ある人は分かれている時間を惜しんで同棲したりします。
しかし、ともに過ごす時間の中でいつの間にか燃えるような
情熱な愛の感情が薄れていったり冷めてしまう時もあります。

同時に愛に落ち同時に愛が覚めたら別れも簡単です。
しかし、愛の感情が人の思い通りにはいかないから厄介になります。
それである人は愛した人が別れを告げるとき
冷めてしまった愛を諦めず苦しんだり悩んだりします。
ある人はその苦しさに耐え切れず自ら命を断つ人もいるのです。

永遠に続くと思った愛もいつかは終わりが来ます。
そして、それを直面した時の痛みと喪失感は計り知れません。
愛した分だけ其の愛が終わった時その現実を受け入れるのは
もっと大変です。

人は移ろいやすく人の感情も移ろいやすい現実が寂しいです。
人々は永遠に変わらない愛を夢見ます。
しかし、永遠の愛はこの世では望むことに偲びません。
それは永遠の世界、天の国と神様だけに限られているからです。

全ては過ぎ去っていきます。
変わらないものは一つもありません。
愛も名誉と富や権力などこの世の全ては虚しいと伝道者は歌いました。
私達は限られた時間の中で許された事に最善を尽くすしかないのです。

変わらない愛は唯神様だけの特権なのかもしれません。
そして、私達は其の愛を求めいつまでも満たされない乾きを感じているのです。
其の乾きは神様に出会った時だけに満たされるのです。
  

Posted by 青い鳥 at 19:33Comments(0)

2014年09月05日

レスリー・チャンのコンサートを見て

レスリー・チャンのコンサートを見て
久しくアクセスしたユーチューブで音楽を聞いています。
古き時代の心に響く歌の中を聞きながら幸せな時間です。

時代に送れないために最近の歌を聞いたりしますが
どうしても好きになれないので思い出の音楽で満足しています。

ユーチューブのお勧めの音楽の中でクリックして聞いているのが
レスリー・チャンの1997年度のコンサートの模様です。
ライトを受けて光る衣装で舞台の上をいきいきとした足取りで
歩きながら歌っている姿が写されています。

いろいろな理由で自殺した多くの芸能人達がいます。
その中でも私が個人的にとても其の死を悲しんだのは
2003年4月1日に自殺したレスリー・チャンと冬のソナタの朴ヨンハです。

中国語で歌われるチャイニーズゴーストストーリーの映画の歌が好きで
よく聞いた記憶があります。
太くて聞きなれてないレスリー・チャンの中国語の響きが
映画の映像と重なってきます。

美形の顔を持ったレスリー・チャンはなぜか
其の笑顔にいつも寂しい影がありました。
映画では演技で歌で多くの人々を魅了した彼を
投身自殺という酷い死に方に追い込まれたのは何だったでしょうか。

何年も前に灰になってしまった人が今でも生きているように
歌って話しかけるコンサートの映像を見ながら色々と思いが交差します。
残された人々の悲しさと彼を忍び懐かしむ多くのファンの事を思います。
今でも彼の墓には誰からの花や思いが届いているでしょう。

彼を死まで追い込んだ思いは果たして何だったでしょう。
どんな苦しみが在るとしても取り返しの付かない彼の選択に
心が痛くなります。
永遠に比べれば限られた人生の中のつかの間の悩みと苦しみに
自分を投げ捨てた彼の行動が残念でなりません。

今も誰かは答えの見つからない人生の難題に苦しみ
自ら死を選んでいるかもしれません。
どうか、遅くならないうちに彼らの所に救いの手が届くよう
心から祈ります。
彼らの心に神様の恵みと哀れみや守りがありますように。
彼の亡骸を抱いて涙する人々がこれ以上現れませんように。
  

Posted by 青い鳥 at 19:52Comments(0)

2014年09月04日

信仰が試される環境で

信仰を試される環境で
毎日朝の日課として習慣的にノートパソコンの電源ボタンを押して
インターネットを覗いています。
味気ない案内や宣伝用のメールの多い中個人的なメールは
1通も届かないけれど期待を持ってメールサイトのページを開きます。
ついでにメールサイトやブログを更新したりします。

実名で加入し知り合いで繋がれているフェイスブックでは
日々の生活や伝道に励む人々の様子が写真や文章で伝わってきます。
一つ一つ読みながら真似できない彼らの素晴らしい話や活動に
羨ましい気持ちで眺めたりしています。

頻繁にアクセスしていたユーチューブを久しぶりに訪問しました。
時間にある時見ようと取っておいた動画の一つをクリックしました。
許しや回復などイスラエルをテーマにした
ドキュメンタリー映画を撮った韓国人監督の証です。

イエス様の誕生の地で生きるユダヤ人の中の少ない数の
メシアニック・ジューのあまりにも悲惨で苦しい信仰の話は
伝わってくる内容を聞くだけでも心が痛くなります。

日本という国でもイエス様を信じるという理由だけで命を奪われた
歴史がありました。
もしかして日本は世界一殉教者の国かもしれないと主張した先生がいました。
30万人以上の人が迫害のもとに死んだと言いました。

明るく素直に感情を表していた元々の日本の国民性が長い弾圧の末
本音と建前の絶対に自分の思いや感情を正直に表現できないように
してしまったといいます。

そんな環境で生き残ったクリスチャンの子孫が今の日本を支えています。
幸いにも今は目に見える弾圧はありません。
しかし、安定した信仰の日々にクリスチャンたちは
あまりにも伝道に対する情熱や信仰が弱まっているようで悲しいです。

そんな私達とは裏腹にはるか彼方イスラエルでは唯イエスを信じているという
理由一つで暴力やいじめまたは命まで奪われる人々がいます。
イエス様を信じるあるユダヤ人家族を襲った悲しい出来ことを聞きながら
本当に胸が苦しくなりました。

13歳の息子とその父親が信仰の故に巻き込まれた悲劇は
同じ立場に私が立たされた時と想像するだけでても恐ろしかったのです。

よる10時にもなった遅い時間に玄関をトアを激しく叩く音が聞こえました。
ちょうどその時リビングにいた13歳の男の子がドアを開けました。
するとユダヤ人の男4人がその少年を手を引っ張って外に連れ出しました。

叫び声を聞いた父親がその人々を止めようとしましたが
結局彼らに捕まえられ2台に車に暗い夜道を2時間ぐらい
どこかに連れて行かれました。
辿り着いたのはイスラエルの国境線でした。

鉄の柵が張られているそこにはいつも高圧電流が流れていました。
車から降ろされた父親が砂利道で膝つかれて見たのは
右手に爆弾が仕掛けられテープでしっかり縛れれている息子の姿でした。

後ろを振り向かず真っ直ぐに歩きなさいと言われ息子は歩き出しました。
親子を連れてきたユダヤ人達はその父親に聞きました。
”イエスを否認せよ。新約聖書は偽りだと言え。”

もう1分後には高圧電流が流れている鉄のさくです。
そして、その父親は声高く叫んだのです。
”私が間違っていました。イエスを信じません。
新約聖書は偽りです。”

しかし、その父親の叫び声が終わらない内に
13歳の少年が前を向いたまま夜空に叫んたのです。
”お父さん、今までお父さんがベットで聞かせてくれた
新約聖書が偽りだったんですか。
食卓で聞かせてくれたイエス様の話は偽りだったのですか。

お父さんが今私のために偽りを言っていることを知っています。
私を見捨ててもいいです。どうか、イエス様を捨てないでください。”

生きている内に聖書の地を一度でも実際に自分の目で確かめたい気持ちで
今もイスラエルの地を訪れるクリスチャンたちがいます。
しかし、彼らはイエス・キリストを信じるという理由で
特に自分の同族によって迫害され殺されているユダヤ人達の事を
覚えているでしょうか。

異邦の民族がイエスを信じる事はどうでも良いけれど
国の無かった長い期間クリスチャン達にまたクリスチャンの国で受けた
あまりにも悲惨な迫害を覚えているユダヤ人達は同じユダヤ人が
イエス様を信じることを絶対に許そうとはしないのです。

そんな環境で信仰を守るために今日も息を潜めて生きている
メシアニック・ジューを思い心が痛くなります。
彼らの上にイエス様の平安と守りを祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 19:29Comments(0)

2014年09月02日

カレンダーを捲りながら

カレンダーを捲りながら
慌ただしかった日々が過ぎ少し体も気持ちも落ち着くようになりました。
まだまだ日照りは暑いのですが朝、晩肌に感じる風は涼しくなりました。

用事で出かけた時悠々に飛んでいるトンボを見かけました。
厳しい自然の中でも季節を知らせるために私達を訪れたトンボが嬉しかったのです。

今年もニュースを騒がした異常気象と災害が続きました。
年々気温が高くなり高温に適した果物や野菜の栽培や品種の改良に
頭を悩ましている農民たちの話を聞きました。

暑さで死者も出る中で豪雨のせいかスーパーや市場では
白菜や青菜が高い値段で売られています。
消費税が上がりその影響が肌に感じるくらいになっています。
その上に食卓に欠かせない野菜が高くなり主婦たちの顔を曇らせています。

旧暦で過ごすお盆が近づいている韓国では果物を届けたり
ボーナスの話が聞こえてきます。
野菜が高くなっている日本とは違い韓国は幸いにも野菜が豊作のようです。

9月を迎えてカレンダーを1枚契りました。
新年を迎え色々と計画を立て進んいた記憶も薄れていく中
いつの間にか今年も8ヶ月が過ぎました。

1枚1枚カレンダーを契るたび過ぎ去った時間の重さを思い出します。
そして、もしかして無駄にしたかもしれない時間の重さに心が重くなります。
あと4枚が残っているカレンダーを前にして始まったばかりの9月を
どうか有益に過ごすことができるように祈っています。
  

Posted by 青い鳥 at 11:25Comments(0)

2014年09月01日

ある牧師の証

ある牧師の証
聖書の学びで訪れた教会でとても感動的な話を聞きました。
アルコール中毒の博打好きな父親の元に生まれた
貧しい家庭の一人の少年の話です。

友達が皆学生服を来て自転車に乗って学校に行く姿を眺めながら
彼は山に働きに出かける日々でした。
そんな彼が18歳の時イエス様に出会いました。

教会にいるだけでも幸せな日々でイエス様を知らない人々に
イエス様を伝いたいという思いに駆られました。
神学を勉強したこともなかったけれど燃えるような情熱を抑えきれず
彼はイエス様の話を聞いたこともないはずの人々にイエス様を伝えるために
ある山村に向かい早速教会学校を始めたのです。

隣の家が離れている山村の家を1軒1軒回りながらイエス様を伝えました。
ある時村から結構離れている1件の家を訪れることになりました。
道を案内した少年があの家は入らないでと彼を止めました。
そこにはハンセン病の人が住んでいたのです。

草がぼうぼうと茂っている庭を通って彼は家に入り声を掛けました。
人の声を聞いて迎えに出たのは病気で顔と手が醜く変わった
一人のみず簿らしい老人でした。
そして、その老人の部屋に入り彼は天国の希望とイエス様を伝えたのです。

尿瓶の中にだまっているおしっこと汚れに
そして体の患部の膿をふき取った汚れた屑にハエが群がり
お祈りを捧げる彼の唇にもハエが飛んできました。
あまりにも悲惨な状況で彼はその老人を抱いて祈りました。

それから数回その老人の家を訪問しました。
ある時彼は新しい肌着1着を教会の信者さんから貰いました。
彼の世話をしていた教会の信者さんがくれた物でした。

1着の肌着しかなかった彼は毎日それを洗って乾かして着ていたのです。
肌着が乾いてない時はノーパンのままで説教をしたこともあったと
彼は笑顔を浮かべながら話していました。

ラベルも剥がしてない肌着をいただき丁寧にラベルを剥がし
試着しました。心地よい肌触りでした。
しかし、次の瞬間彼はあまりにも汚い格好のそのハンセン病の
老人を思い浮かびました。
そして、剥がしたラベルを綺麗にまたビニルにはり
それを持ってその老人の家を訪れたのです。

折角もらった新しい肌着を老人に渡して帰る
田んぼが並ぶ田舎の道で彼は素晴らしい幻を見たのです。
草の生えた農地の道が急に羊雲が広がっているように見えました。
その雲の上を歩く彼にこのような声が聞こえました。
”私の下僕よ、よくやった。ありがとう。”
あまりにも嬉しく踊るような気持ちで彼は家に帰ったのです。

それから数日後教会の朝チャペに知らない顔の口の聞けない
年老いた婦人が出席して一生懸命に賛美をしていました。
言葉にならない悲鳴のような声でした。

挨拶に行った彼に周りの人がそのハンセン病の老人の奥さんだと
教えてくれました。
その夫人は挨拶に行った彼に何か自分の服を指で指しながら
熱心に頭を下げて何かと伝えようとしています。
多分自分がプレゼントした肌着を感謝していると推測しました。

それから毎日その奥さんは朝チャペに来て自分なりに
熱心に賛美を捧げていました。
そして彼女が教会の朝チャペに参加した10日目に
驚くような奇跡が起きたのです。
それは今まで悲鳴のように聞こえた彼女の口から
素晴らしい賛美が流れてきたのです。

神学校の入学などでその山村の教会から離れ20数年が過ぎ
教会の牧師になり色々な集会にも招かれるようになりました。
そして、あの奇跡の日から25年目ほどたってからのことです。

彼は地方のある教会のリバイバル集会に招かれました。
自分が出会ったイエス様の話やハンセン病の老人との出会いなどを話しました。
集会が終わり主任牧師の部屋でお茶を飲んで話していると
誰かがその部屋の戸をノックして入りました。

若い男の人が部屋に入るなり彼の前にふかふかとお辞儀をしたのです。
そして、自分を紹介しました。
”先生、私がそのハンセン病の老人と口の聞けないその女の息子です。
本当にありがとうございました。”

誰も相手にしないハンセン病の老人を一人の若者が憐れみを持って
愛しイエス様を伝えました。
彼が見せたその愛は20数年後そのハンセン病の老人の家族を救い
その息子は教会で柱のような素晴らしい働き人になっていたのです。

誰も相手にしなかった見捨てられた一人のハンセン病の老人に
見せた愛と救いの手が多くの奇跡の始まりになったことに感動しました。
まだイエス様を知らない多くの人びとが神様に出会い
素晴らしい人生を歩むように心から祈ります。


  

Posted by 青い鳥 at 12:31Comments(0)