2015年04月30日

命を掛けた十分の一献金

命を掛けた十分の一献金
少ないクリスチャン人口の日本でもクリスチャン文化が定着している韓国でも
教会での十分の一献金を正しく捧げている人々はそんなに多くないという
話を聞いています。

礼拝の中でメッセージで献金を促す内容は信者さん達の試みに合うことを
心配して努めて言わないようにしている牧師たちもいるようです。
息ができる空気を植物を育てる雨を季節によって必要な風や雪さえ
災害として見ている自然現象さえ私達の知らない神様の計画の中で
動いていることを私達は知りません。

朝、目が覚めて一日を始められることに何の感謝もなく生きています。
健康でいられることに愛する人々の安全が当たり前のように
そして生活するためのお金が唯自分の働きで得ているものと
私達は勘違いしています。

しかし、毎日造られては消えていく癌細胞から私達の健康を守る
体の仕組みを調整している方がいることを知っているでしょうか。
数分もの間息ができないだけで死ぬのが私達人間を始め生き物の定めです。

空気を始め生きるために欠かせないものは全て
生まれた時から備えられていたことを当たり前のように生きています。
産業を起こし生活するために使っている資源は誰が造ったのでしょうか。
地球に埋まっている今は底をつき始めている資源を人類はただ
消費しているだけの長い歴史を歩んでいます。

誰から小さいものを貰ってもその人に感謝を表すように教育しています。
しかし、命を与えられ生きるために必要な全てを自由に使っているけれど
多くの人々はその持ち主に対して感謝を忘れて生きています。

この世を造り治めている創造主である神様を知っていますか。
与えられた全てに感謝していますか。
神様を信じている人々に祝福を与える為に神様の捧げる感謝の印として
守らせている十分の一の献金をちゃんと捧げていますか?

インターノットを利用している中で一番良く利用しているのがユーチューブです。
そこにアップロードされていた動画の中に北朝鮮のおばあさんの話が
あまりにも切なく悲しかったのです。

自由のない北朝鮮の人々の解放を求める運動をしている人から
伝え聞いた命をかけた献金の話を聞きながら
自由に賛美をし礼拝そして感謝の献金できる私達の環境に
どれほど感謝するべきかを知りそんな環境に整えられず苦しんでいる人々に
どれほど申し訳ない気持ちになったか計り知れません。

世界で唯一の分断国家が韓国です。
38度線で北朝鮮と韓国という2つの名前で呼ばれている国です。
同じ文化と歴史そして言語を使っていた人々がある日突然
越えることの出来ない境界線に区切られ50年以上の年月が流れました。

すぐ会えると思い別れた夫婦が家族や恋人が息子や娘が兄弟が
再会を夢見ながら愛する人の名前を呼びながらこの世を去って行きました。
一時世界で一番貧しかった国から立ち上がった南の国と
権力者の貪欲と傲慢のゆえに餓死者が300万人以上に登る北の国
その国が一つになり涙と喜びの日はいつ訪れるのでしょうか。

北朝鮮と中国の境界線では今も食べ物を求めて命をかける人々がいると聞きます。
両側の監視の目を通って死線を越える人々がいます。
それは北朝鮮からの脱走者達です。

ある時その国境線の近くの中国の教会を訪れた
一人の年寄りのおばあさんがいました。
豆滿江を渡ってきたそのおばあさんは朝鮮族教会の牧師に
50年以上貯めていた十分の一の献金を渡しました。

”先生、私は韓国が2つに別れてから今まで十分の一の献金を貯めていました。
統一されて故郷に教会が出来る日を待ち続けましたが
もうその日まで生きられるか自信がありません。
それでその献金を捧げるために来ました。”

彼女は長い年月貯めたお金を牧師の手に渡してから
再び命の危険を承知でまた豆滿江を渡っていったそうです。
この話は北朝鮮の住民の自由と開放の為に祈り断食する運動をしている
人がたまたまその教会を訪問した時に牧師から聞いた話です。
彼が来られる一週間前の出来ことだと牧師は涙ぐんで語ったそうです。

神様を礼拝する教会が、み言葉を語る牧師が、読む聖書が
自由に歌える賛美が許されない所で今も死を覚悟して
信仰を守っている人々がいます。
統一を夢見ながら死んでいく人々がいます。
献金を捧げたくても捧げられる教会がないことに心を痛めている人々がいます。

政治犯収容所と呼ばれる地獄のような施設で
神様に目を向けることも許されず空を見上げることが出来ないように
下の地面ばかり見て生涯を終える人々がいます。

彼らが唯一空を見上げる瞬間は死の瞬間だけです。
”死刑囚、頭を上げろ”という声で顔を上げると一発の銃声の音が鳴り響きます。
それと同時に”主よ”という言葉で人生を終える人々がいます。

自由に賛美できるこの時間に
いつでも自由に捧げられる献金に
いくらでも読める聖書がある環境に感謝して生きる私達でありますように。
自由に神様を呼び求められる今神様に出会い
永遠の世界に蓄えられる今もっと多くの献金が出来る私達でありますように。

  

Posted by 青い鳥 at 10:35Comments(0)

2015年04月29日

ヨベル聖会

ヨベル聖会
昭和の日の祝日に開かれる集会に参加しました。
同級生と一緒に行くつもりでしたが行けないという知らせが届いたので
食事を済ませてから出かけました。

少し曇りの天気がどうしても気になり閉めたトアをまた開けて
玄関の折りたたみ式傘をバックに入れました。
風が吹いているけれど春の温かい感じです。
鮮明な色合いで咲いているツツジがとても綺麗です。

去年から殆ど通ってない道を歩いていく内に汗が出てきました。
庭先に綺麗に咲いている花が春の景色を感じさせます。
神学校の校庭には集会に参加した人々の車が駐車していて
神学生達がお客さんを案内していました。

集会の時間より少し早めに着いたので少チャペで久しぶりに
本物のピアノで好きな曲を弾きました。
素敵な音色にやはり楽器によってこんなに音が違う事に驚きました。

工事してから綺麗になった礼拝堂には集会に参加した人々が
長椅子にほぼ満席の状態です。
入口近くには書籍ブースが用意され席に案内している神学生や
華やかな春色の服を着たM先生の姿も見えました。

耳に慣れている明るく元気な賛美と共に集会は始まりました。
一緒に入学していたM兄弟が献金の勧めで証を交えた順番もありました。
在学生達の特別賛美が特に良かったのでしばらく拍手が止みませんでした。

3度の脳内出血から元気を取り戻した院長先生の話もあり
回復してから相変わらず一万歩の日課を実践していると聞き
真似できないなと感心しています。

病は気からだと言って口から病からの開放を感謝しているうちに
癒やされた証もあり元気でいるだけでどれほど神様に感謝するべきかを
悟る日でした。

久しぶりに話ができたY兄弟やNさん夫婦に会えて
離れていた空白を埋める時間になりました。

入学した人々また卒業した神学生達など神様に召命を受けて
神様の国の拡大に参加した人々が日本のまた世界のイエス様を知らず
滅びていく人々にイエス様を伝える素晴らしい働きが出来るように
5月連休に開かれる色々な聖会にも多くの人びとが参加し
イエス様を知り永遠の命を得る素晴らしい時間になるよう
心から祈ります。
  

Posted by 青い鳥 at 20:28Comments(0)

2015年04月28日

本ーインターネットは永遠にリアル社会を超えられない

本ーインターネットは永遠にリアル社会を超えられない
インターネットが普及していく中で次から次へと色々なサイトが
構築され便利な使い方が出来るようになりました。
携帯パソコンのようなスマホから携帯端末の常時携帯する人々が増えていて
高速になったインターネット環境のお陰でSNSを利用する人も
増加しているようです。

気軽くアクセスしてイイねをクリックしたり簡単なコメントを
書く人々がいます。
動画サイトを覗いたり常に四角い画面から目が離せない人々が
道や駅のホームに電車の中に溢れるような時代です。

中毒になっていたドラマからしばらく離れて予約してやっと
手に入った本に夢中になっています。
”インターネットは永遠にリアル社会を超えられない”という本です。

インターネットの動画サイトの再生回数が世論を反映したものとして
判断する危険性や実社会の反映に過ぎないインターネットの世界は
結局実社会のの反映したメディアに過ぎないという
少し過激な表現にも一理あると感じています。

インターネットの世界に騒がす話題が全国民や大勢の思い出もなく
単に亀の甲羅の一つの甲羅の意見にすぎない時が多いことを
いろいろな事例を取り上げて論理正しく展開しています。

700件のクレームが結局4人の人が書きまくったコメントに過ぎなかったことや
島宇宙の一部の人間達の声があまりにもクローズアップされていく中で
物言わぬ大勢の沈黙の民の存在がいることを少し辛口で語った内容です。

スターウォーズの日本上映に関するエピーソードから見えるように
日本の圧倒的大多数は物言わぬ沈黙の民であると著者は言っています。
あまり自分の意見や感情を表に出したがらない国民性のゆうに
一部の熱心な人が繰り広げる意見がネット上を飛び舞う現実に
躍らされるのではなく沈黙を通してノーを言っている
大勢の人々の存在を指摘しています。

しかし、間違った主張や内容に対して何も言わなければ
選挙の一票一票が結局自分の世界を揺るがす政策につながったりするように
自分から使える権利の放棄にもなりかねません。

結局いくらインターネットの世界が発達していっても
それを動かす土台になるのは現実のメティアや
生きる人間であることに違いはありません。

インターネットには電源が消えれば後形もなく消えていく
仮想の社会が永遠に広がっています。
そこに夢中になったり熱狂している人はもしかして現実の世界に根を下ろしてない
疎外されている寂しい人々かもしれません。

目の前にいる生身の人間に集中できないで常に携帯の着信音を気にしたり
画面をいじっている我らの社会はますます仮想空間に支配されて行くでしょう。
インターネット空間が現実の世界を超えることは出来ないかもしれないが
その存在は人間同士の繋がりや関係をますます弱らせているようで寂び限りです。  

Posted by 青い鳥 at 10:44Comments(0)

2015年04月27日

本ーネット風評被害


本ーネット風評被害
ドラマに嵌っているのて好きだった読書が疎かになっています。
図書館で借りてきた本を期間内に読みきれず延長の手続きをしています。
自分でコントロール出来ない状態が中毒者の症候だとしたら
完全に当てはまっています。

インタネットという優れたもののお陰で知らない世界を
とても近くに感じまた中々手に入らなかった情報も
知るようになりました。

海の向こうにいる人の様子をSNSを通して連絡を取り合い
インタネットを通して画像を見てお互いの顔を見ながら
話ができる時代を生きています。

人の生活を便利にした多くの利点もある反面
文明が発達しいく中で必ず付きまとう新しい犯罪や逆機能などもあります。
ネット風評被害という知らなかった単語がいまは定着しているようです。

図書館に届いた新着図書の中で興味があるので借りた本が
ネット風評被害という本です。
ネット上に悪気なくまたは悪意を持って書かれた文や画像で店が潰れたり
会社まで危うくなる事例を読んでいきながらいつか忘れられる噂より
削除しない限り永遠に残りまた広がるネット風評の実態を知るいい機会でした。

インタネットで時々自分の名前や店または会社を検索して
どのような書き込みがあるか確認する必要があるのですね。
早い段階で処置を取らなければ命取りになる可能性が
潜んでいることに驚いています。

実際に悪意のある事実でもない事を書かれ苦しんでいた知人がいたので
人のことのようには思えなかったのです。
一つの事業が成り立ているので
どれほど被害が起きているのかが想像できます。

店や会社でも被害に合いますが有名人相手の個人に対する言葉の暴力で
命を断つ人が続出しているのが韓国の悲しい現実です。
口から出て消えていく言葉にも全宇宙がそれを成し遂げる為に
動き出すという話を思い出しています。

いつまで痕跡が残り増えていく可能性が高いネット上での悪いうわさや
書き込みはどれほど人の心を左右し悪影響を与えるのか恐ろしくなります。
人間の悪も病気のように伝染しやすいので
言葉や書き込みなどにももっと注意する必要が有るのかもしれません。
  

Posted by 青い鳥 at 09:28Comments(0)

2015年04月25日

本ー人に聞けない大人の言葉づかい


本ー人に聞けない大人の言葉づかい
文は人なりという表現があります。
それぞれ違う顔や指紋を持つように文の中ににじみ出る
個性や隠れていた性格や価値観などが一人ひとり
独特な世界を形成しているようです。

だいぶ前に通っていたパソコン教室でパソコンの基礎知識から
ワードやエクセルそしてパワポイントを学びました。
パソコンを使う時速度に一番影響するブラインドタッチの練習の
ついでに日本語の作文を始めました。

最初は韓国語ブログを翻訳した日本語文章の打ち込みでしたが
翻譯ではなく最初から日本語に書いた文章のほうが自然で
読みやすいという話を聞いてからは書きたい内容を整理して
頭に浮かぶ思いをそのまま日本語にしています。

微妙な感じを上手く表現できない時のもどかしさや
似たような言葉や表現がずっと並んでいる文を読んで
嫌になる時もあります。
時々私の前に立ちはだかる言葉の壁に限界を感じたりします。

日本に戻って3年目になっていくのですが今はもっと
日本語に接する機会が少ないのでますます日本語が下手になっています。
韓国のドラマに嵌っていて両方の言葉が中途半端になっている感じです。
1ヶ月に1回程度で宣教会の集まりの通訳をしているのですが
どんどん落ちていく実力に危機感を抱いているこの頃です。

外山滋比古さんの本”人に聞けない大人の言葉づかい”を
とても共感して読みました。
1923年生の90代の人が書いた内容は敬語を始め大人の人間としての
生き方までも学べる貴重な時間になりました。

言葉が乱れるほど心まで遊んでいきます。
家庭の中で常識や正しい美しい日本語を身につけなかった人は
社会に出ても努めて努力しない限りいつまでもそのままの状態です。
ローマが一日に出来上がらなかったように荒っぽい言葉や間違った
敬語を使っていた若者が子供の親になって急に正しい日本語を
使えるようにはなりません。

挨拶ができない若者が増え昔からのよい日本の作法を忘れていく
今の日本の状態を心痛い思い出で表現した内容に大いに共感しました。
それはパソコンやスマホなどが普及している韓国でも
同じ悩みであり問題になっているからです。

略された言葉がいつの間にか社会に定着していき
美しかった言葉が段々汚い一部の人間達が使っていた隠語や
過激な表現に退けられている現実を目にしながら
また一つ美しい言葉が死んでいく事に悲しみを感じています。

カタカナや変な英語が増えている日本のように
わざと英語を混じって使う品のない韓国語を耳にする度
嫌気が差します。
母国語を粗末にする国民からは優れた知性や素晴らしい文化は
育たちにくいでしょう。

感性あふれる翻訳文や言葉が追いつけないせいで見えてくる
カタカナの羅列は結局知性の衰退を表しているのかもしれません。

マニュアル作りは罪作りという表現には思わず笑いました。
社員たちを短い時間内に早く教育するために作られた
立派なマニュアルが有ります。
しかし、丸暗記した接客の対応のままちょっとした状況の変化にも
全く対応できない店員さんの姿に苦笑いしたことがあります。
時にはロボットのような感情の入ってない挨拶や行動が
憂鬱な気分にさせる時もあります。

間違った敬語をマニュアルで広めている今の状況に
著者のいかりや訴えに賛同しています。
言葉の乱れが酷くなっていく中で人々の心も
ますますぎすぎすして粗末な世の中に変わっていくでしょう。

今も私の記憶に残っているテレビ番組があります。
90代の女性の年寄りが話すあまりにも上品で美しい日本語が
今も耳に聞こえてくる気がします。
とても優雅で彼女が語る日本語に聞き惚れていました。

現実の私とはあまりにもかけ離れているので
羨ましさともどかしさの交えた気持ちです。
中々身につかない敬語の世界をどのようにして征服していくべきだろう。
  

Posted by 青い鳥 at 15:35Comments(0)

2015年04月21日

腹痛に悩まされ

腹痛に悩まされ
楽しい夕食が終わり喫茶店での甘いプリンのデザートの時間を過ごし
帰る電車の中でどんどんお腹が痛くなりました。
神学生時代にあんなにも私を悩ましていた持病である
お腹の調子が悪くなってきたのです。

お腹に手を当てたまま途中の駅に降りてお手洗いによるべきか
悩み続けましたが我慢することにしました。
やっと無事に家についてお手洗いに直行です。

お腹の痛みが激しくなっていく中で私の口からは知らぬ間に
神様、助けてと呻き声を上げていました。
赤ちゃんの出産の時も呼ばなかった神様を
お腹の激痛の度死にたい気持ちで叫んでいる私です。

人はどれほどの痛みで死ねるのでしょう。
あまりにも耐えられない痛みで生きる意欲を失い
自ら自分の命を断つ人たちがいます。
重病で悩まされていたという新聞やテレビの内容を聞く時
彼らの思いつめた事に共感できなかったのですが
狭い浴室でこのまま死ぬかもしれないという気持ちで
神様を呼び求める時”あ、あ、楽になりたい”と
彼らの気持ちを心底知るようになりました。

前の発作からは5ヶ月そして2回めの時からは8ヶ月の
お腹の激痛です。
ものすごく長く感じた痛みが過ぎ去り浴室の鏡に写る顔は
青白く汗まで滲しみ出ていました。
部屋で横になっていても気持ちが収まらず
民間療法で習った鍼療法で10本の指と足の指の先を
針で指して血を流しました。

ティッシュに広がる真っ赤な血を眺めながら
長生きより元気な体で生きることがどれほど幸せなものかを
身にしみて感じる瞬間です。

100年足らずのこの世の私達です。
其の中のほんの一瞬の出来ことであんなにも苦しく
それに耐え切れず逃れたい私がいます。
もし、それが永遠に続く苦しみでありそれから決して逃れることが出来ないなら
それこそどれほどの恐怖と呪いでしょうか。

いつかこの世を去り肉身の空から私達の魂が永遠の世界に入る時
そこで待っている永遠の幸せな世界と絶対逃れる事の出来ない呪いの世界が
私達を待っています。
あなたは2つの世界のどちらに入りたいのですか。

生きている間だけに選択できる一番大事な選択を
誤らない私達でありますように。
イエス・キリストを信じた罪のないものだけが入る
永遠なる素晴らしい天国での神の子としての人生を
生きる私達でありますように。

今も重病で悩まされ其の苦しみから逃れたい気持ちで今を生きる
全ての人々がどうか、イエス様を信じいつかその苦しみから開放される時
病や悲しみの無い世界で会えることが出来ますように。
  

Posted by 青い鳥 at 08:49Comments(0)

2015年04月20日

茶筅で点てるコーヒ


茶筅で点てるコーヒ
駅の近くに新しく図書館がオープンしてもうすぐ(?)1年になります。
それを記念するために色々な行事が行われています。
本を返しに行った時”茶筅で点てるコーヒ”という企画があり
参加することにしました。

日曜日の日で午後には礼拝があるので午前中に参加しました。
集合時間に合わせて家を出ました。
ついでに借りてきた本を返してから開催される
図書館の野外のテラスに向かいました。

受付を済ましてから好きな席に座りました。
4つの丸いテーブルにはそれぞれ4つの椅子が置かれていました。
大きな日陰用の傘まで用意されていて
強くなっていく日差しを遮断しています。

普段緑茶を味わうときに使う茶筅を使い変わったコーヒの飲み方を学びました。
泡を点てたコーヒと普段慣れているコーヒを飲み比べて
その違いを体験して見ました。
普段お茶を楽しむ機会がないので面白い挑戦でした。

各自好きなマグカップを選び主催側がお盆に持ってきた茶筅を使い
講師の説明を聞いて熱心に泡を立たせました。
しかし,要領の悪い私は結局できず見かねた講師の先生が
代わりにしてくださいました。

普通に入れたコーヒと茶筅で点てたコーヒは明らかに味が違っていました。
泡を点てただけでまろやかな感じの美味しいコーヒになるのが不思議です。
一緒に座っていた親子連れの小学生のように見える女の子は
熱心に茶筅を動かし上手に泡を立てていました。
あまりにも出来ない私の分までやってくれましたが
私が続けてやっていく内に段々泡が無くなっていました。

一杯目のコーヒを一口のみあまりにも苦くで咳しました。
甘党の私は2杯めのチャレンジの時は結局参加者の中の子供たちのために
用意されていたココアを注文しました。

2,3年目の竹の木を使い5年近くの時間を掛けて作っているという
茶筅で味わうお茶の時間は自然を生活に取り入れた余裕が感じられます。
茶筅という全く知らない世界は数年前に韓国に茶筅を購入するために
来られた人の通訳の時に初めて知りました。

竹の木を使った茶筅でお茶を楽しむ文化に触れたいい時間でした。
好きなカップの中に竹の木の味を感じなからいっぱいのお茶を楽しむ
生活の余裕がもっと素敵です。
  

Posted by 青い鳥 at 11:22Comments(0)

2015年04月18日

春、大好き

春、大好き
デスクトップの画面には緑色の野原に黄色い菜の花がいっぱい広がっています。
濃いブルーの空には白い雲が其の色合いをもっと鮮明しています。
運動不足の続く生活の中、散歩に出かけました。

買い物や図書館などでよく歩いて慣れている道から外れて
知らない住宅街を歩きました。
数日続いた雨と風で殆ど花びらが散ってしまった桜の代わりに
違う春の花が綺麗な色を誇っています。

住宅街の中の空き地に広がるダンポポの花が緑色の草とあまりにも
克明でしばらく眺めていました。
紫色の小さい草花がまた可愛い姿を自慢しています。

雨の後大気中の埃が雨と共に流され空はもっと其の美しさをまし
遠くの山がもっと近くに見える春の風景です。
住宅街に広がるそれぞれの家や庭の景色を目で追いながら
少し早い足で歩きました。

乳母車に赤ちゃんをのせたお母さんが小さい女の子を連れて
私の横を通り過ぎていきます。
買い物に行くらしい年配の女性がその足を早めたり
手をつないだ男女がのんびりと歩いたりします。

似たような住宅が立ち並ぶ中で庭やベランダにあるプランターで
自分の領域を表す人々の姿があります。
犬が縄張りを示すために行く所におしっこをかけるように
人も家の玄関や飾り物で無意識的に自分の領域を示すという
面白い内容の心理学の本を読んでいます。

それぞれの趣味で選んだ木や花が咲いている中で
人々の姿は殆ど見られず静かな時間が流れています。
鋭い鉄のドゲの塀のある場所を通り過ぎながら
あまりにも冷たく脅威を与える其の塀が悲しくなります。
たまにガラスの破片を埋め込んだ塀の側を歩きながら感じた
表現できない悲しみと絶望を思い出します。

鉄のドゲやガラスの破片で囲んだ塀の中で暮らす人はどんな人でしょうか。
彼らがそこまでして守りたいものは何でしょうか。
見ただけでも気持ちが悪くなる塀の中で彼らはどれほど幸せでしょうか。

テレビ画面やパソコンばかり見ていた目が久しぶりに緑色と
美しい自然に接して聖化されていく気がします。
四季のある国で迎える春はいつも生命力に溢れ
野原を庭を飾る美しい花で心まで豊かにまた幸せにします。
大好きな春を迎えその美しさに浸る時間です。

こんなに好きな春を私はどれほど楽しむ事が許されるのだろうか。
  

Posted by 青い鳥 at 17:01Comments(0)

2015年04月15日

賛美歌アプリ


賛美歌アプリ
スマートフォンで困った時の解決方法を書いた本を図書館で借りてきました。
無料でダウンロードできるアプリの数々や検索機能で
興味ある幾つかをインストールしました。

去年の末頃から使い始めたスマートフォンの使い方が未だにわからず
カラケーを使っていた時より携帯しなくなりました。
外出する時よく忘れて出かけたりします。
反面7年以上使っていた前の携帯電話はアラム機能で
今も有益に使っています。

人々を夢中にさせるスマートフォンを持っていても
あまりに有用に使ってないのかもしれません。
一時ユーチューブをスマートフォンで見ていましたが
最近一番使っているのはダウンロードした賛美歌のアプリです。

肉体を持っている私が生きるために息をするように
私達は霊の息であると祈りが必要だと言われています。
神学校の時から今まで苦手な事が祈りと伝道です。
ほぼクリスチャンとして資格が無いのかもしれません。

しかし、最低でも毎日1時間の祈りが必要だという牧師先生や
信仰熱心な人々の勧めや話を聞いています。
ドラマに嵌り全く其の気さえ失っていた中で
ヨハネの黙示録のセミナを聞き自分の状態を振り返っています。

この世の歌にドラマに多い時間を割いている割に
霊的な糧を殆ど取らずに生活していました。
それを反省して生活の中に歌で表現した祈りであると言われる
賛美の時間を持つように努力しています。

賛美歌のアプリの伴奏に合わせて賛美歌を歌っています。
好きな曲を何回も繰り返して歌っているとこみ上げる物があり
涙したりするのでまともに賛美を歌えない時があります。

一般の歌を聞いてこれほど心に迫る迫力や感動
また自分の意志とは違う感情を味わうことが中々無いので
やはり神様の恵みと愛に触れた先人たちが書いた賛美歌は
乾いていた私の心に潤う雨を降らしたようです。

苦手だったスマートフォンの一つの良い使い方を習得して
ちょっと喜んでいます。
ついでに賛美歌も上手くなって欲しいです。
あ、あ、歌がうまくなりたい!!!  

Posted by 青い鳥 at 09:56Comments(0)

2015年04月14日

カラオケ競争

カラオケ競争
聖書の学び会があり朝から3日間出かけました。
長い時間椅子に座って講座を聞き用意された弁当を食べ
夕方まで難しい預言書の内容を頭に詰め込みました。

そんな時歌好きな知り合いからカラオケに誘われました。
時々溜まった物を吐き出すように歌いたい気持ちになります。
それで時間と場所を決めて電話を切りました。

約束の日待ち時間に合わせて出かけました。
ちょうど約束の時間に到着してみると前遅刻して
私に注意されていた事を気にしていたらしく
15分前に着いたと私を待っていました。

一緒にお昼を食べてから色々話をしました。
食事が終わってから早速カラオケの時間です。
4時間以上のフリタイムで受付を済ましてから
歌の競い合いが始まりました。

前もって好きな曲を書きためていたノートを持ってきたので
それを参考にして好きな曲から歌い出しました。
いつ歌っても私を幸せにする歌を一曲一曲歌いながら
歌唱力の無い私にもどかしさを感じたり低い音域で
声が全く出なかったりするので実力の無さに呆れたりします。
仕方なく途中からは椅子から立って本格的に歌いました。

早々と歌いたい曲を忘れない内に予約したいたので
一緒に行った知り合いが割り込みの曲が予約できず
大型スクリーンに警告の知らせを見ながら笑い出しました。
18曲しか予約できない事を知らずそれを全部私一人が
予約してしまったのです。
結局予約リストの中の幾つかを取り消しました。

演歌はあまり好きではないけれど歌いやすい曲は
演歌らしくテレビでよく耳にした曲を試しに歌ってみました。
デュエット曲が結構声が出たので酒場の男女の風景が思い出される
歌を幾つか歌いました。

一時期とても歌に嵌っていた時の歌が殆どです。
フォークソングが好きでしかも男性のボーカルを好んで歌うけれど
音域が違うので苦労します。

外のフロアに用意されている飲み物で時々喉を潤し
アイスクリームのシロップを変えながら歌を楽しむ幸せな時間です。
歌い終えてから声が良く出たか出来が悪かったかなどを
ノートに記録したのて後の参考にするつもりです。

カラオケボックスに入って6時間を休まなく歌い続けました。
30曲近い曲を歌い終えたノートを見てみると
殆ど一人の歌手で一曲の歌です。

久しぶりのストレス発散が終わり遅くならない内に帰ることにしました。
楽しい時間の後の帰り道に神様のための賛美には1時間さえ捧げてない
自分の生活を反省しました。
1ヶ月に2,3回教会で伴奏の無い賛美リードをしています。
広がらない唄声や息切れで苦労しているので
毎日出来る限り神様を賛美する時間を持ちたいですね。

歌や音楽は神様が私達に与えた本当に素晴らしい贈り物である事を
感謝しています。
大好きな歌がうまくなる方法は無いかしら。
  

Posted by 青い鳥 at 11:18Comments(0)