2015年09月29日

映画ーキタキツネ物語


映画ーキタキツネ物語
インターネットを使う時間が長くなりそのせいで
録画したテレビ番組を見る時間がなくなっています。
時々気になるテレビ番組を録画したり予約した番組が重なってきたので
パソコンの電源を切り夜の時間に録画した映画を見ました。

キタキツネという動物を主人公とした映画です。
匂いにとても敏感なので動物園よりは植物園のほうが好きな私です。
ペットとして犬や猫を飼っている人たちの様子を見る時
いつもペットの毛がつばが気になります。
平気で動物とくちづけしたりしている様子を見て驚いています。
あまり動物を扱った番組は見てないのですが美しい風景につられて
最後まで見ました。

”キタキツネ物語”という北海道を背景に撮ったドキュメント形式の映画です。
テレビや映画では見たことがある北海道ですが私は未だに
一度も行ったことがありません。
広大に広がる平野が美しいと聞きました。
開発にならないで昔の自然のままの風景を目の前にする時
人々はどれほど圧倒されるのでしょう。

北海道の美しい自然を時にはとても近くで時には広く撮った
カメラワークに感心します。
季節のかわりを感じさせる川や木々の花や草木などがあまりにも
美しく見とれてしまいました。

都会では絶対味わうことのできない素晴らしい神様の創造の世界を
テレビよりもっと大きな映画の大画面で見られたらその感動が
増したかもしれません。
美しい日の出や日の入りを実際に目にする機会は殆どありません。
画面いっぱいに広がる赤色や黄色い色の神々しい姿で
太陽を崇拝する人々の気持ちがわかる気がします。

主人公として出ているキタキツネたちの名前はどこの言葉だろうと
疑問に思っていたのですが検索してみtわかりました。
アイヌ語だったのですね。
”赤い獣”という意味のアイヌ語で呼ばれたフレップと物語は
どれほど彼らの本性や姿に近いかはしれませんが
子孫を残しそれを育てるための彼らの姿を見て
人間の親とあまり変わらないことに気づきました。

妻と5匹の子を育てるために厳しい環境の中で労苦するお父さんの姿が
時には痛々しかったのです。
どこの世界でも育児や家族を養っていくのは大変ですね。

時々獣が現れ人間の畑を荒らして困っているというニュースを
目にしたことがあります。
生活するために収入にもつながるので農家の人々には
切実な問題かもしれません。
しかし、映画を見て、もしかして動物が人間の領域を侵すのではなく
人間が動物の領域や彼らの物を獲っているのではないかという思いをしました。

若肉老食の世界として表現される動物の世界でも
お腹がいっぱいなった獅子は近くで平和に戯れている動物を
遊びのために殺すことはないと聞きました。
彼らは生きるためにだけ狩りをしているからです。

今日も何処かでは名前も知らない種類の動物や昆虫など生き物が
絶滅してるでしょう。
餌を求めて人間の世界に足を踏み入れた生き物が命を落としているでしょう。
便利さと満たすことの出来ない人間の欲が神様が造った創造の世界を
次から次へと破壊していきます。
そして、いつかその横暴な姿に喘ぐ生き物のように
人間たちが自分たちが蒔いた欲の種が産んだもので喘ぐ日が来るでしょう。

神様が創造し人間たちに任せたこの世のすべてのものに対して
私たちはいつか必ず神様の前で厳しくその責任について問われるでしょう。
美しい映画を見た鑑賞が何故か憂鬱なムードになってしまったのですね。
久しぶりに美しい景色で心まで綺麗になった気がします。
この映画をとるためにどれほど苦労しただろう!
  

Posted by 青い鳥 at 11:38Comments(0)

2015年09月19日

商店街の無法者達


商店街の無法者達
聖書の学び会があり毎日外出しています。
朝の9時から午後6時まで授業があるので
ずっと椅子に座っている生活です。
長い時間椅子に座っているだけでほとんど体を動かしていません。
ただ耳と目そして頭をつかうだけの日々です。

授業では講師が引用する聖書箇所を見つけようと
久しぶりに聖書と格闘しています。
毎日読む聖書はずっと続けで読むだけなので急いで探す必要がありません。
聖書の順番も知らず授業についていくために
熱心にポストイットを聖書につけていた神学校時代を思い出しています。

聖書の知識や聖書を見つけるのが早い神学生たちの中で
講師がいう聖書箇所を早めに見つけるために必死でした。
卒業してからはその必要性が無くなり未だに聖書の順番を覚えていません。

そのことがもどかしくてこの前から聖書の順番を覚えるために
ユーチューブで聖書の歌をダウンロードして聞いています。
旧約と新約聖書の66巻の順番を覚えるのがこんなにも出来ないのは
結局切羽詰まってないから未だに覚えられずにいます。

神学大学の学長の夫人が毎日食事を用意してくださっています。
料理が上手い人で毎日の昼食は楽しい時間です。
しかし、お腹いっぱい美味しい料理を食べてから受ける
授業は眠りとの戦いでもあります。
襲ってくる睡魔との戦いは耐えられない苦しみです。

聖書の学び会に行くたび自分の実力の無さに絶望しています。
勉強すればするほど知らない物がまだまだ
たくさんあることに気付かされます。

一日の授業が終わり駅に向かう商店街ではまた違う体験が待っています。
結構細長い商店街を通って駅に向かいます。
歩行者専用道路ですというチラシが所々張ってあるのですが
殆どの自転車に乗ったままそれを無視して走っていきます。

歩行者専用道路だと知らなかった時知り合いの宣教師と
二人で話をしながらのんびり商店街を歩いた時がありました。
後ろから近づいた自転車の人があまりにも苛ついた様子で
急いで私達の横を走って去って行きました。
その様子を見ていた宣教師が自転車は降りて歩いて行く道なのに
それを守らない人があんな態度だと気を立てていました。

通り過ぎる殆どの自転車が少しのためらいもなく
速度を落とす気配もなく荒ぽく狭い商店街を走っていました。
”赤信号皆、みんなで渡れば怖くない”という話をテレビで見たことがあります。
そんな恥ずかしい言葉で表現される地域がある事を初めて知りました。

商店街のあちらこちらで張っている自転車利用者に対する
張り紙がなんの役割を果たしてないその商店街の様子を見ながら
とても心の痛い思いをしました。

小さい子供を自転車に乗せた若い母親が張り紙を無視して走っていきます。
小学生の男の子が若者が壮年のおじさんや年寄りのおばあさんが
張り紙の文句を全く気にしないまま自転車に乗って通り過ぎます。
道を開けるように急き立てる自転車急いで道を譲る歩行者がいます。
そこにはもうすでに秩序は警告は機能しない世界が広がっています。

幸いにも今まで3人のおばあさんが自転車を降りて商店街を
歩いている姿を見ました。
当たり前の行動がとても尊く見えた瞬間です。
周りの人々がみんな規則を守らない時自分だけ規則を守る時も
もしかして勇気がいるのかもしれません。

自分の不便を耐えられない人々が自分の楽を優先するせいで
秩序を乱し思いやりが消えていきます。
そして、それが当たり前になっていくとき
果たしてどんな結果に繋がるでしょうか。
小さい規則さえ守らない大人を見て大きくなった子どもたちは
どんな大人になっていくだろう。  

Posted by 青い鳥 at 19:35Comments(0)

2015年09月09日

映画ーギフト


映画ーギフト
”闇の子供たち”という映画を神学生の時見たことがあります。
この映画を見終えてから長い期間あまりにも憂鬱で
気持ちが晴れず苦い思いが残っています。
児童買春と臓器移植という重い主題を扱った暗い映画でした。

医療技術が進んでいる中で昔なら死んでいく人が
生きるようになりました。
その中では臓器移植もあります。
善意を持つ人々の臓器移植があまり広がらず
愛する人を失うかもしれないという危機感から間に合わない焦りから
今は全世界に不法的な臓器売買の闇ルートが作られているようです。

この前の記事では貧しいネパールのある村の人々の臓器売買や
知らぬ間に臓器が抜き取られた犯罪の悲惨な様子を伝えていました。

聖書では一人ひとりの命が宇宙より尊いと記されています。
それで神様は自分の命と取り替えてその愛を示しました。
しかし、私達が住んでいる今の時代に命には値段が付いているのです。
金で取引されていく臓器でそれが現実の悲劇を露わにしています。

高利貸やヤミ金に追われる人は返せない借金代わりに自分の命や
臓器で払わされたりするようです。
ある日愛する人が犯罪に巻き込まれ誰かの命を救うために
犠牲になったりします。

命はそれを与えた神様によって終わりの時が決まっています。
しかし、医療の発達はそれさえも伸ばすことが可能にしたのです。
金で時間を買い、今は命まで買うようになっているのです。

愛する人との別れは悲しいものです。
特に二度と会えない永遠の別れはもっと悲しいです。
出来るものならその別れを延ばしたいと思います。
そして、何か方法があるならそれを防ぐように努力します。

”ギフト”という日本映画を見ました。
そこに描かれる愛のゆえに自分の命を犠牲にする
一人のお父さんの姿を見て涙しました。

愛する人を救うためなら死ぬことも心よく受け入れられる
愛を見てイエス様を思い浮かべています。
元気な姿で人生を楽しんでいる一人の少女の影には
愛しい人の幸せを夢見てこの世を去った一人の老人がいます。
果たして彼女はそれを知っているでしょうか。

十字架の上で苦しみながら死んでいったイエス様の愛によって
私達は永遠の命を得る素晴らしいチャンスを得ました。
人間誰一人解決できない罪の問題から解放されました。
しかし、私達はそれを心に刻んで日々を歩んでいるでしょうか。
その報いることの出来ない愛に感謝しているでしょうか。
  

Posted by 青い鳥 at 21:35Comments(0)

2015年09月04日

アニメーももへの手紙


アニメーももへの手紙
インターネットに接続して色々見ているとつい時間が経つのを忘れてしまいます。
次から次へと気になる動画が目につきクリックしているうちに
やりだそうとした事をすっかり忘れている自分がいます。

読み終わった本や映画またはドラマなどを記憶が薄れないうちに
記録に残すように努めていますがついついインターネットの誘惑に
負けてしまうのです。
ネットサーフィンという魔力に勝てないのですね。

久しぶりに”マイマイ新子と千年の魔法”というアニメを目にしてから
また一つ面白いアニメを見ることが出来ました。
”ももへの手紙”というアニメです。

お父さんの事故がきっかけで東京から田舎の島へ移り住むようになった
小学校6年生の女の子”もも”と彼女が出会った妖怪3人組の物語です。
2時間以上の結構長い時間をあまり退屈しないまま楽しく見たアニメです。

自分の子供を奪われたイノシシたちとの追撃場面や
妖怪たちの踊りの場面など最高に面白かったです。
妖怪の3人組があまりにも個性豊かで可笑しくて笑ってしまいました。
お化けや妖怪などあまり好きでも興味もありませんが
想像豊かな発想が素敵だと思います。

しかし、果たして死者からの手紙やメッセージは生きている私たちに
届くことが出来るのでしょうか。
ももへ”という言葉だけ書かれた便箋の文字で亡き父の心の思いを
知りたい少女の切ない思いが創りだした世界なのかもしれません。

私たちは不意の事故で亡くなった人や取り戻すことの出来ない
悲しい別れをした人に自分の心を伝えたい時があります。
二度と会えないので謝ることも出来ないもどかしさの故に
それが多くの映画のモチーフになったりします。

怒りの果てに人々は絶対吐き出してはならない言葉で
愛する人々を傷つけることがあります。
”帰ってこなくていい””顔も見たくない””生まれてこなければよかった”
”これが最後”などなど、何気なく発した言葉や時には口癖のように
使っていた言葉が現実になった時人々はそれが悪夢に変わります。

いくら謝りたくても自分が発した言葉を取り消したくても
自分には二度と許されない事になった時人々は絶望します。
吐き捨てた痛々しい言葉とその時の状況や傷づいた人の顔を
思いでの中に死ぬまで背負っていかなければなりません。

自分の気持ちを素直に伝えられず感情をむき出しにして
お互いに気まずくまたは喧嘩して別れたその時が
もしかして愛する人を見る最後になるかもしれません。

20数年前に兄は船の事故で行方不明になりました。
とくに死亡処理されたその別れは家族に忘れることの出来ない哀しみを残しました。
兄から最後の電話を受け取ることの出来なかった母の心の痛みを聞いています。
もうすぐ会えると楽しそうに喋っていた兄の声を覚えています。
しかし、それが最後の電話になりました。

今はもう会えることの出来ない兄を思う時
彼の最後はどんな様子だったのかいつも気になります。
船と共にどこかの海の底で沈んでしまったかもしれない兄の最後
時々その兄に無性に会いたくなるのです。

あなたは今、愛する人に自分の気持ちを素直に伝えていますか?
あなたの愛を感謝を口で行動で表現していますか。
明日が当たり前のように来るように愛する人がいつまでそばにいるように
今を生きていますか?

平凡な日々の一日である今日の別れがもしかして
永遠の別れになるのかもしれません。
別れにはいつも再会の喜びは未知数であることを覚えてください。
どんな時でもいつでもともに過ごすことの出来るその瞬間に感謝し
愛する人と共にいられることに感謝できる私達でありますように。
  

Posted by 青い鳥 at 08:22Comments(0)

2015年09月01日

”哀しみの歌”を聞きながら

”哀しみの歌”を聞きながら
図書館で借りてきたCDの中に告別と葬送の曲がありました。
大好きなチャイコフスキーのCDと一緒に借りた5本のCDの中の一つです。
収録されている3曲の中で一番気に入った曲です。

低くて重たい厳粛な雰囲気が周りを包みます。
この世に生まれた生き物が必ず通らなければならないのが死です。
還暦を祝うほど短い生涯を生きた先祖たちに比べれば
8,90歳を生きるヘタしたら100歳までも生きる事が可能になりました。
しかし、いくら医学が進歩してもこの世で永遠に生きることは出来ません。

必ず訪れるその死の訪問を誰かは喜びを持って
ある人は哀しみで迎えるだけです。
親子の縁から兄弟や友達そして夫婦の縁で繋がれた人々が
いつか永遠の別れを告げる日が来ます。

数年から数十年の年月を共に築いた多くの思いでとともに
一つの世界が消えていきます。
会えない哀しみと薄れていく記憶が一緒になって
哀しみをもっと増加させます。

生まれた順序で去っていくのではないので
時には理不尽に思える死を経験している人も大勢いるでしょう。
今は土に帰った愛する人々を思い出します。
父や祖母そして兄や従兄弟たちまた知り合いの人々の面影が
年月とともに頭のなかから色あせていき消えていきます。

時に思い出す彼らとのひと時はいつも会えない哀しみと共に
懐かしさだけを残します。
本”青い鳥”では誰かの記憶に残っている限りその人は
いつまで生きているような内容が書かれていました。
それで人々は色々な形で彼らを偲ぶのでしょう。

しかし、私達クリスチャンには素晴らしい約束があります。
有限なこの世の別れが永遠の世界で再会の祝福が
約束されているとしたらそれはただの哀しみで終わる事で
終わるのではないのです。
イエス様を信じ天国に先に行った人々は喜びの再会を期待して
今も私達が神様を信じ真実に生きることを願っているでしょう。

私の人生で出会いそして去っていった人々を偲びます。
彼らと共に過ごしたすばらしい日々を思い出します。
そして、もっと愛せなかったことを励ますことの出来なかった事を
もっと愛を表現することの出来なかったことを悲しんでいます。

神様、どうか今許された時間の中で出会う人々に
もっと愛を持って接することが出来るように私を成熟させてください。


  

Posted by 青い鳥 at 14:12Comments(0)