2016年01月28日

本-森の生活


本-森の生活
だいぶ前から読みたかった本のなかにはアメリカの作家
ヘンリ`デイビットソーロの”森の生活”もありました。
いつか読みたいなと思いつつ多くの時間を映画やドラマに費やしていたので
なかなk読むことができませんでした。
そして、正月の休み期間に読もうと決心して図書館の書庫に眠っていた本を
リクエストして借りてきました。
結構古く翻訳文体もあまり馴染めない表現が多くて
なかなか進めません。

質素で単純な生活を試み実践した彼の話はとても説得力があります。
鋭い指摘や本質を見抜いている観察力が内容の隅々に現れています。
物を持つほどそのものに縛られ自由を無くしていく人々の様子を
痛烈に書き記した内容には大いに共感しています。

教会の亡くなった執事が残した家財道具を競売にかけました。
その時の様子をソーロは胸がいたいほど鋭い表現で書き記しています。
人々は薪の代わりになりそうな古い家財道具や収取した物を買い
自分の屋根裏部屋に運びます。その様子を表したソーロの言葉を翻訳者は
”人が死ぬとゴミをけとばす”という日本語にしていて
”人々のなす悪は彼らの死後まで生き残る”の文章が頭に響きます。

神学校では学期が変わる度寮の部屋換えがありました。
そのたびに持ち物を移動するのが大変でした。
しかし、そのお陰で極力物を増やさないように努力しました。
強制的な部屋換えからも開放され一人暮らしの今
引っ越しして年数が立つにつれ部屋の中の物が
どんどん溜まっています。

必要だから仕方なく買ったものが多いのですが
変化を求める気持ちで買い揃えた服もあります。
クローゼットに服が入りきらなくなり
狭い下駄箱におさめきれず履き物が玄関の面積を取りつつあります。
すんなり入らなくなったクローゼットに服を掛けるのも面倒になり
部屋に積んでいたりして時々そんな状態が無性に嫌になります。
それでもなかなか思い切って捨てられない自分に腹をたてたりしているのです。

親が亡くなった後一番困る事がゴミにしかならない残された物の処分だと聞きました。
物が溢れている日本でいくら親が使っていたとしても
それはほとんど片付けなければならない重い荷物に過ぎません。
亡くなった人が生前どれほど大事に使っていた物でも
残された人にとってそれは果たしてどれほどの重みがあるでしょうか。

どんどん溜まっていく物に囲まれ身動きできずにいる自分を振り返り
ソーロの生活や生き方を真似る必要性を感じています。
単純な生活の中で本当に大事なものを探すために
残された人生や時間を生きる必要があります。

余分の脂肪や肉が命を縮ませるように生活の中で溜まっていく
荷物-ゴミ(?)が私達の人生を本当に自由な生活から
遠ざけているのかもしれません。
あまりにも内容が濃く遅々として進まないこの本を
いつ返せたらいいだろうか。  

Posted by 青い鳥 at 11:05Comments(0)

2016年01月23日

怒りとうまく付き合う講座


怒りとうまく付き合う講座
妹は職場でお昼の時間になると早めの食事を終えてから
運動も兼ねて近くの山を登るようです。
歩きながらスマートフォンを片手に実家の母や私に電話を掛けます。
家にいる時は電話に出て色々と妹と他愛ない話を交わす楽しい時間です。

新しい職場に移ってから1年近くなっている妹は
職場での人間関係で悩んでいる日々を過ごしています。
妹の話を聞きながら怒りがこみ上げてきて
私が夢中になって怒り出す時があります。
職場でのあまりにも理不尽で冷たく自己中心的なやり方に
無我夢中で興奮して声が高くなるのです。

自分のことではないことにも何故か自分を忘れて
興奮する私を見て普段なんでも冷めているような性格なのに
何故か似合わない一面を感じています。

広報誌に案内されていた”怒りについて学ぶ講座”の1日目に参加しました。
休憩を挟んで2時間の時間を有意義に過ごしました。
ストレスと聞くと私たちはつい良くない感情を思い浮かびます。
しかし、ストレスはただ色々な感情を表す刺激であると
講師は言いました。
喜怒哀楽という言葉で私達の感情を表現します。
そして、私たちは喜びや楽しい感情だけをいい事のように思いやすいのですが
全ての感情はただ私達の思いに対する刺激で過ぎないといいます。

中庸という本がありその思想が勧めているように
人々に与えられる全ての刺激に対する感情表現は過度になればなるほど
もしかして人を傷つけるのかもしれません。
全ての感情に良い悪いものはなくただ自分自身を守るための
表現であるので極端に抑えるのも体に悪いと聞きました。

公の場や人々の前でおもむろに自分の感情を表すことを嫌う風潮が
日本にはあるようです。
派手に泣いたり感情を露わにする韓国の葬式や事故の現場とは
裏腹に日本の葬式場や悲しい別れの場面にはあまり涙している
人の姿が見られません。
感情を表すことを極端に嫌う社会的雰囲気がもしかして日本でのうつ病や
自殺者または無差別殺人などの事件を引き起こす原因ではないでしょうか。

感情的になって怒ったり興奮したり大声を出して怒鳴ったり
激しく泣き狂ったりすることは見ていてあまり美しくありません。
周りを巻き込み不快にさせるほどの感情表現も問題があるのですが
ある程度理性的になって自分の感情を上手に出す事も必要でしょう。

そして、全ての感情表現の中で一番気をつけて
自分を抑え感情的にならないで
理性的に対処しなければならないのが怒りの感情です。
自分の感情をぶちまけた無節制な態度が一瞬にして
今まで自分が培っていた全ての物を壊すからです。

運動競技などにあまり興味のない私は全然知らなかった事ですが
自分の人生のとても大事な競技であるはずの
2006年度のワールドカップの決勝戦を台無しにしてしまった
一人の選手の話を聞きました。
競技を有利に進めるようわざと仕掛けた相手の口喧嘩に
我を忘れて突進して一瞬にして全てを失ってしまったのですね。

怒りで失うものには人間関係をはじめお金や事業や
健康まで含まれていることに驚きました。
怒りの感情を思い出すだけで体が強張り力が入ります。
目に見える外面がそのように反応するとき目に見えない
私達の体の奥底も力が入ると言いました。
怒りとどのようにして上手に付き合うべきでしょうか。

宣教会の一人のメンバにもとても穏やかで怒った表情を
一度も見たことのない牧師がいます。
人と喧嘩したことのない人生を送ってきたと聞きました。
しょっちゅう怒っている私には本当に羨ましい限りです。

怒った後の後味の悪さや惨めさを思い出します。
抑えることの出来なかった自分の人格の未成熟にも呆れる日々です。
腸の調子が悪いとよく怒ると講師は言いました。
生まれた時から腸の調子が悪く未だに苦労している私は
少し言い訳が出来てその話に少しは安心しました。

身近にいる家族や人そして接する頻度によって
ぶつかる可能性や怒る数も高くなります。
表面だけの付き合いやお互い気をつける間柄には
怒りの感情まで発展する機会は少なくなるでしょう。
しかし、特に家族はお互いが期待して気を許す分
もっとぶつかる可能性が高くなるのです。

表面的に見える醜い感情の表れである怒りの内面に隠された
色々な感情の話を聞いた時ただ非難したり嫌がってばかりいた
怒りの向こうに隠されたもしかして不安や寂しさ辛いまたは
悲しいという訴えたい彼らの本音を聞き取る努力が必要なことを悟りました。

寂しいという自分の感情を素直に表現的なくて
それを怒りという表現で表したり不安に気付かずに
怒りで表したりしていたのですね。

いらいらしたりむかついたり時には爆発しそうな気持ちを
何か明確な言葉で表現することによって感情が整理されたり
自分を客観的に見ることができることを学びました。

全く同じ状況でも怒ることなく穏やかに対処している人がいます。
しかし、それほどでもない事にも自分を節制できず人生を台ないし
してしまう哀れな人がいます。
どんな状況にも賢く対処する知恵が必要です。

熱情が周りに伝染していくように怒りという感情も知らぬ間に
周りに広がっているといいます。
時には怒りが引き起こす力によって何かを成し遂げることも
あるといいますがそれは短い期間の負の反応を伴う物になる
可能性が高いと言います。

1周間を振り返りすごく頭にきたことやまあまあ腹が立つ事や
軽くイラッとしたことなどをお互いに話す時間もありました。
子育て中の我が子に対する怒りなどがありました。
ただ抑えるだけでは絶対に解決できない怒りの感情をどのように
うまく賢く表現して解消して行くか次の講座を期待しています。  

Posted by 青い鳥 at 12:52Comments(0)

2016年01月20日

映画ーそのときは彼によろしく


映画ーそのときは彼によろしく
数日間強い風が吹いています。
夜厚いカーテンが降ろされて何も見えない窓の向こうで聞こえてくる
轟音が怖いほど強い風です。
マンドリン演奏会を見るために外出した際には軽くない私の体が
風のせいで後ろに押されていく感じでした。
時々テレビで自然災害の恐ろしさを見るのですが
肌を切るような冷たく鋭い風の威容はやはり怖いものがあります。

しばらく見ていなかったドラマにハマっていたのですが
それも飽きてきて何か違う物を見たくてインターネットを検索して
見た日本映画があります。

”そのときは彼によろしく”という恋物語の映画です。
長澤まさみが眠ると起きられない病気の持ち主として出演します。
運動不足や不規則な生活で夜目が覚めるとなかなか眠れねくなっていた
時期がありました。
いくら寝ようと努力しても寝られず結局起きて本を読んだりしました。

睡眠障害で睡眠薬を服用し時には死に至る人々の話を聞いた事はありますが
眠ると夢を見て現実の世界に戻れない病気があるとは知りませんでした。
今も医療で解決できない難病が沢山発見されていると聞きます。
しかし、本当にこんな病気があるのかまたは原作小説があるというから
もしかしてその作者が創りだした想像の病気でしょうか分かりません。

とにかく水草を売る店の店長になった人と有名モデルに成ったひと
そして、画家になって再会した3人の友だちの思い出話と
不思議な病気そして、幻想的な奇跡の話です。

日々私たちは体を休ませるためまたは何となく習慣的に
夜になると眠りに入ります。
しかし、この映画の主人公のように目覚めることが出来なかったら
それこそ死につながります。

私も一回そのような経験をしたことがあります。
麻酔を要する手術をした後なかなか麻酔から目を覚まさない私を心配して
私の隣で看護師が熱心に名前を呼んでいました。
あの時もしかして目が覚めなかったら私はもう死んでいたでしょう。

当たり前のように私たちは日々の生活を送っています。
しかし、その一つ一つは決して当たり前のように過ごすことではないのです。
体に病気を持っている人には私達が普通にこなす何気ない事が出来ずに
病院のベットで苦しんでいるのです。

横になるとすぐ寝入る人がいます。
しかし、ある人は薬やお酒の力を借りなければ寝ることも出来ません。
元気に階段の上を登っていく若者がいます。
一方、膝の痛みでその階段があまりにもきつい年寄りがいます。

当たり前のようにできていた行動が年を重ねていく中で
ますます出来にくくなったり出来なくなっていきます。
そして、私たちは当たり前のように出来たことに対して
感謝せずにはいられません。
ある人は眠れないことに苦しみ、ある人は眠りに入ることを苦しみます。
平安に眠り平安に起きることがどれほど素晴らしい奇跡の日々でしょうか。

死を予感しながらまた夢のなかで愛する人を守る人たちの話が
心に残るいい映画でした。
少しリアリティが不足しているのではないかという思いがありましたが
暴力やあまりにも露出の多い映画が乱むしている中で
それでも安心して見た映画でした。
  

Posted by 青い鳥 at 14:18Comments(0)

2016年01月18日

ドラマーナンバーズ天才数学者の事件ファイル


ドラマーナンバーズ天才数学者の事件ファイル
3年間学んだ神学校には色々な人が入学して一緒に勉強しました。
すごく頭が切れて多分天才で数学が得意なオタクみたいな人もいました。
彼は聖書を数字で表したいという変わった発言をしていました。
未だにその言葉の印象が記憶に強く残っています。

指紋がみんな違うように人それぞれ興味を持っているものも違います。
数字を扱うのが好きで楽しい人もいます。
数字を扱うのに苦手な私ですが高校の同級生は
私が数学が得意だと覚えていました。

進路問題とか気になりどんな科目が好きかと聞いた私に
娘は数学が好きだと言っていたので意外で驚きました。
小さい時から頭がいいと薄々感じていたのですが
数学が好きだという事は想像しなかった答えです。

久しく見ていなかったアメリカドラマを最近録画してみています。
”ナンバーズ天才数学者の事件ファイル”です。
弟である天才数学がFBI勤務の兄を助けて事件を解決していくドラマです。
アルゴリズムや公式や科学的な法則など見慣れない言葉が飛び出ています。

アメリカで実際に発生している事件を扱い数字や公式を当てはめて
推論したり探求していく様子に大いに興味をそそられます。
全てを数字で表すことができるまで言い切る事には疑問を感じますが
殆ど知らない法則や公式などを引用し語る話には
説得力がありとても面白いです。

黒板にいっぱい書いていく公式が本当に正しいのか判断できませんが
専門家たちは多分分かるでしょう。

事件を解決するために思いを巡らし集中していたら
生活のひょんな時に色んな場でヒントが与えられるのですね。
その時の人々の反応や興奮が見ている私にまで伝わって来ます。
今日この瞬間にも世界のいろいろな場所で犯罪は起こり
事件に巻き込まれた人々の中には命を失っているでしょう。
そして、事件を解決するために苦心する人々もいるでしょう。

事故が人を選ぶのではなく襲ってくるように
事件に会ったり犯罪の被害者になることも予想できません。
愛する人を守ることはただ神様の守りだけが頼りです。
犯罪から人々を守りまた不幸にも事件に会った人々の無念を晴らすために
苦労している警察官や刑事など関係者たちに
心から感謝を捧げたいのです。

時には危険を顧みず行動する彼らをどうか、見守りください。
彼らの帰りをまっている家族の元に安全にお返しください。
不幸にも愛する家族や愛する人々を失った人々を慰めてください。
この世が平和で平安でありますように。
  

Posted by 青い鳥 at 10:44Comments(0)

2016年01月10日

心の余裕のない人々

心の余裕のない人々
車が日常になっている現代でも電車が発達している日本では
地域によって人々の無くてはならない足になっています。
けれども交通料金は高く会社毎に乗り換えるたび料金がかさみます。
しかし、渋滞に巻き込まれる可能性があまりないので
交通便としてよく利用されています。

部屋を借りる時も広さよりは交通便のいいところに決めました。
歩いていける範囲ですので電車を利用するたび
時刻表の時間に合わせて家を出ます。
急ぐ事や時間に追われる事が嫌で乗る電車の時間より
1,2分早めにつくように家を出ます。

神学校の時もレポートや説教の当番に来ると
いつも早めに終わらせてのんびり過ごしました。
やらなければならないことはいくら後回しにしても
結局はしなければならないからです。
しかし、世の中には期限きりぎりまで
やることをしないで過ごすひともいるようです。
そんな人は私から見れば大胆な性格に見えます。

レポートの提出時間に校庭を走っていた同級生の
女の子のことを思い出します。
呑気な性格で後々大変な目に遭うのは自分自身や
周りの数人に迷惑を掛けるだけです。
しかし宿題やレポートとは違ってもしかして人命に関わる
大きな事に発展しかねない問題が駆け込み乗車です。

時々駅のホームに流れる案内放送が
余裕を持ってない人々の行動を警告する物なのです。
この前まさにそのような一人に危うく階段で突き落とされそうになりました。

駅に着いた電車から降りて階段を数段登った時です。
ホームについた電車の案内放送で急ぎ足でかけ降りた20代の若者が
私の体に強く当たり人混みの中を駆けわけて電車に突進して走り去りました。
ひやっとしてやっと体の中心を保ちました。
後ろ向きで転げ落ちそうになりとても怖い思いをしました。

また都心の込み合う横断歩道に危ない様子で自転車に乗って
人の前で急ブレーキを掛ける若者がいます。
駆け込み乗客の若者も自転車の女の子も
謝りの一言もなくそのまま走り去りました。

思いやりの気持ちや謝りの言葉がどんどん無くなる社会は
どのように変わって行くでしょう。
ますます便利になつていく社会で人々は心に余裕がなくなっています。
電車に乗るために少し余裕を持って出かけるなり
人混みの中では人々の安全のために少しの不便を被るとか
思いやりと優しさが欲しいですね。

  

Posted by 青い鳥 at 23:12Comments(0)

2016年01月08日

家族で選ぶ日本の歌


家族で選ぶ日本の歌
加藤登紀子の時代遅れの酒場を聞いています。
居酒屋譲治という映画で渋い高倉健さんの声で聴いてから
久しぶりに聞きたいなと思ったからです。

新年に始まりテレビでは色々と特別番組を流していました。
番組表を見て好きな番組を選び視聴しました。
3日間ずっと歌番組組を見て過ごしました。
その中にはケーブルテレビ局で放送された昔の歌番組
”家族で選ぶ日本の歌”もあります。

ラジオの時代からテレビが普及されていく中で
世代を超えた歌が沢山ありました。
しかし、スマートフォンが普及しインターネットで
個人個人の趣味や好みに合わせて見る番組や歌も分かれていきました。
今は世代を超えて一緒に歌える曲や楽しむ歌があまりありません。

カラオケに行っても古い歌ばかり歌っているので
新しい歌や若い世代の歌を仕入れるために努めて
最近の歌番組を見ているのですがいくら粘っても
好きになる歌を見つけることが出来ません。

歌詞もなかなか理解できないし曲も好きになれない曲ばかりで
ため息とともに時間の無駄だと諦める日々です。
色々な質問で選んだ曲で構成されたこの番組を見て
家族が共感できた歌があるいい時代があったなど思っています。

日本に来て一番初めて覚えた曲はかぐや姫の”神田川”です。
カラオケに行くたび歌う曲ですが未だにうまく歌えません。
愛するゆえに不安に思う愛への気持ちがよく表現された
美しい歌詞と寂しい曲が聞くたびこころが切なくなります。

最近の歌の歌詞にはカタカナが増え意味もない繰り返しが増えています。
なかなかついていけない早いテンポの曲が多くなり
歌いにくい曲ばかりで世代を超えた曲さえあまりない気がします。
ましてや家族が共に歌える曲はなかなか見つかりません。

歌のレパトリを増えたい気持ちで色々歌番組をチェックしているのですが
無理なようなので少ない持ち歌をうまく歌えるように練習するだけに
するよう自分を慰めています。
しかし、何時か歌の大好きな私の家族が共に声を合わせて歌える
曲や時間が与えられたらいいですね。
  

Posted by 青い鳥 at 11:54Comments(0)

2016年01月04日

本ーぼくたちが聖書について知りたかったこと

本ーぼくたちが聖書について知りたかったこと
悩みと葛藤の末に入学した神学校で聖書について勉強すればするほど
疑問が湧いてきた記憶があります。
翻訳で伝わる数千年前の物語は地域と文化そして風土の違いで
いくら想像しても限界がありました。
聖書を理解するためにも何時かイスラエルに行ってみたいなと思っています。

1年に1回聖書を通読していても知らないところはいつまでも
疑問記号のついたままになっています。
そんな時図書館のコーナでこの本を見つけて借りてきました。
年暮れから新年に掛けて読みました。

聖書学に詳しい大学の教授と小説家であり翻訳家でもある著者が
聖書について交わした質問と答えや思いを本にしたものです。
知らなかった話が沢山書いていてとても参考になりました。

ヘブライ語で書かれているという旧約聖書を原語で読みたいなという
夢を持って昨年から本格的にヘブライ語を勉強しているのですが
やっと文字を習い少し読めるようになっているのですが
全てのものに女性型や男性型があるらしく早々とつまづいています。

暗唱で口伝された聖書には元々母音がついてなかったことや
数千年前からの文書の写本がほぼ完璧な形で伝わっていること
そして、全世界に離散して言葉として忘れ去られていた
ヘブライ語の復活など信じられないイスラエル人の執念深さや
聖書の話を知るいい時間でした。

聖書を読んでいてどんな意味かと思っていた
一点一角の意味がヘブライ語の文字を覚えながら分かりました。
そして、聖書の翻訳本の元になったギリシャ語で書かれた聖書には
過去のことや未来のことがわかりやすく書かれていて
なんの疑いもなく読んでいますが聖書の原本では全てが
現在型で書かれていることも初めて知りました。

今のヘブライ語はどうなっているのかまだ分かりませんが
聖書が全て現在形で書かれているという事に恐れを感じます。
知れば知るほど驚くことの多い聖書についてわかるいい機会でした。

  

Posted by 青い鳥 at 18:23Comments(0)

2016年01月03日

元旦の朝

元旦の朝
新しい年が始まり新しいカレンダーを壁にかかげました。
日程の書かれてないカレンダーはまっさらで
果たして今年はどんな日々で満たされるだろうと期待しています。

変わらない日々が退屈で何か今までやったことのない事に
チャレンジでいる1年でありたいなと思っています。
新しいこと、新しい出会い、新しい学びなど
頭のなかでは色々と思いが広がります。

元旦の新年のあいさつのために掛けた電話では義理の姉が出て
久しぶりに声を聞きながらお互いの近況を聞くことが出来ました。
新年の初日、母は相変わらず教会の行事で留守でした。

朝日の眩しく照らす窓を見て歩きも兼ねて出かけることにしました。
去年の最後の市の広報紙に参加者募集の企画がありました。

健康な市民を増やす企画でしょうか、ある公共機関で実施する
1年間の54何歩以上歩く行事に参加するようにとのことでした。
病院の先生から体重を減らすようにと注意されているし
一日30分以上歩くように言われていたので市広報を読んで申請しました。

職員の親切な案内と共に色々案内書の入った封筒を貰いました。
そこに入っていた200日位の区切られた表に一日の歩数を記録します。
目標達成したら細やかな商品もあるそうです。

元旦、いよいよ54万歩歩きの始まりです。
いつもよく利用する近場の商店街を一人で歩きました。
正月休みでほぼ全ての店はシャッターが降ろされ
休みの案内のチラシが貼っていました。
時には正月の飾りがある店もありました。

普段人気の多い商店会は静まり返っていて閑散としています。
その道をのんびり歩いて見ました。
時々すれ違う人々は普段着姿で年々着物姿の人々も少なくなり
ますます味気ない正月になっている気がします。
経済的にも厳しくなり精神的にも余裕がなくなっているんですね。

馴染みの商店街を通りぬけ知らない住宅街を一瞬して家に戻りました。
30分ほどの散歩でやっと3,700歩位しかなっていません。
54万歩の道のりは少し努力が必要な気がします。
さて、年末にはもっと健康で若くてスリームになっているのかしら。^0^




  

Posted by 青い鳥 at 11:44Comments(0)