2016年04月22日

乞食イエス


乞食イエス
2千年前にこの世を訪れたイエス様の姿は今のように写真や動画
また肖像画が残ってないので全く知ることが出来ません。
西洋人に見える美しくかっこいいイエス様の聖画をよく目にするのですが
それは画家が想像したイメージにすぎないのです。
50歳以上に見えたと記されている聖書の記録などから
イエス様は自分の年よりだいぶ老けて見え人々が褒め称えるほどの
かっこいい感じではなかったと思われます。

誕生も育ちも成長過程も人々を魅了させるものはあまりありません。
しかし、長い間に、神の子として救いの主として来られたイエス様を
人々はどんどん美化したのではないでしょうか。

見たこともないイエス様を自分なりに思い巡らし描いた画家がいます。
その画家のように今私達もそれぞれ自分の中に
イエス様のイメージを持っているでしょう。
あなたのイエス様はどんな姿でどんな表情をしていますか。

飛蚊症で悩みまた両目の痛みで読書もテレビやパソコン作業も
ほとんど出来ないのでユーチューブで動画を聞いている日々です。
知り合いから勧められて、聖書講座の初心者コースを聞いていたところ
あまりにも感動的な話がありましたのでご紹介します。

数十年前のまだ韓国全体が貧しかった頃のお話です。
7歳の少年が母親を亡くしました。
それから数年間の継母の虐待に耐えられず家を出ました。
物乞いをして生活をしていた12歳の時です。
不幸にも彼はスリ集団に目をつけられ
強制的にその巣窟に連れて行かれました。
20日あまりの時間監視のもとにスリを教えこまれました。

そして、腕試しの日が来ました。
昔のソウル駅がスリの実験場で狙われた標的は
田舎から上京した一人のおばあさんでした。
チームの一人がそのおばあさんの注意を引くために声をかけました。
もう一人がその間におばあさんが持っているかばんをナイフで切り裂きました。
普段は切り裂いた人が財布を盗んで去っていくのですが
その日は12歳の少年に財布を盗む役目が与えられました。

スリの集団が監視しているなか少年は言われた通り
財布を盗むために近づきました。
まさに、その時です。
少年の耳元に7歳まで通っていた教会学校の女の先生の声が響きました。
”神様を信じる人は人の物を盗みません。”
7歳以来行ったことも無かった教会です。
しかし、不思議とその声が聞こえた瞬間彼は
盗みを働くことが出来ませんでした。

おばあさんの耳に小さい声で彼は囁きました。
”私はスリです。スリだと叫んで”
あいにくおばあさんはその声が聞き取れませんでした。
戸惑い、もたもたしているうちにそれに気づいたスリ集団に
連れ戻され彼はその業界用語で死刑執行というリンチに遭いました。

頑丈な大人たちから無差別の暴力く受け気を失った彼を
2階の窓から下のゴミ捨て場に投げ落としました。
そんな仕打ちを2度受けた彼は気を失いました。
ゴミ捨て場には米軍基地から捨てられたビール瓶が積まれていました。
その上に2回も投げ落とされた少年の体はガラスの破片で
無残な姿になりました。

夜中に目が覚めた彼はそんな体で倉庫から逃げました。
夢中で逃げ走り、辿り着いた駅で彼は崩れ落ちました。
カラスの破片が刺されて血まみれで死体のような
少年に目を留める人は誰一人いませんでした。
独裁政治の元厳しい状況で似たような人々が多かったせいでしょう。

一刻一刻死に近づいていく少年に目を留めた人がいました。
一人の汚い身なりの乞食でした。
今にも消えそうな弱い脈だけれど生きていることを確認した乞食は
その瀕死の状態の少年を自分の住処に運んでいきました。
体の至る所に刺さったガラスの破片を全部取り
粉になったものは自分の舌で吸って取りました。
鋭いガラスで舌は切れ血が流れたけれど乞食は治療と看病を続けました。

数日後、目が覚めた少年がはじめて目にしたのは
深い哀れみと慈しみの表情で眺めている
一人の知らない汚い格好の乞食でした。
彼から一部始終を聞いた時、少年は思ったのです。
”もしイエス様がこの世にいるとしたら、多分この乞食おじさんではないか?”

血まみれになって駅に倒れていた彼を救ってくれた人は一人の乞食でした。
その日駅を行き交う人々はどれほどいたでしょう。
多くの人々の中で死にゆく一人の少年に命を与え、愛を示した人は
自分も人の同情と哀れみで生きる乞食でした。

色々な素晴らしい出会いの後にその少年は牧師になりました。
そして、彼が祈りの中で出会うイエス様はいつも自分を救ってくれた
その乞食おじさんの姿だといいます。

もう一人の少女は、イエス様は警察官の姿と重なるといいます。
結婚するお坊さんが多い日本ですが、韓国ではお坊さんは
ほとんど結婚しないままブッタに仕えます。
そんな環境で修養中のお坊さんが過ちを犯して父親になりました。
母親は幼い娘を父親であるお坊さんにあずけて出て行きました。
人目を気にした父親は娘を物置部屋に隠して育てました。

一日でただ1回の食事は真夜中に差し入れる冷たいご飯でした。
10代になるまでそんな生活が続きました。
ある日その少女はこのままでは行けないと思いそこを逃げ出しました。
汚い姿でさまよっている少女を住民が警察に連絡して
取り調べを受けることになりました。

担当になった警察官は名前や住所など状況を把握するために
少女に幾つか質問をしました。
しかし、返事をする少女の声があまりにも変だったので
警察官は”朝ごはんは食べたの”と聞きました。
”いいえ”と応える彼女に”昨日は?”と聞きました。
”いいえ”という答えが帰ってきました。
”いつご飯を食べたの?”と質問しました。
彼女は答えました。”覚えていません。”

この少女のような年頃の妹を持っていた警察官は、
あまりにも心が痛く取り調べを中止してラーメンを一袋買ってきました。
熱いラーメンを彼女の前に差し出しました。
いつ食事をしたのかさえも覚えていないほど食べ物に飢えていた彼女です。
しかし、目の前にあるラーメンを彼女は食べることが出来ませんでした。

生まれて初めて自分が目にする温かい食べ物、
そこに込められた愛が彼女を感激させました。
彼女の目から溢れ流れる涙で食事が喉を通らないほどでした。

カトリック教会に引き取られ、信仰を持ち平和な生活を送るようになった
彼女の祈りの中では慈愛深きイエス様はいつも自分に熱いラーメンを
食べさせた警察官の姿と重なると言います。

愛に飢えた人に、死にゆく人に命を与える人がいます。
生きる希望を与える人がいます。
思い出すたびその愛で心が暖かくなる人がいます。
その人が加わるだけで雰囲気が明るくなる人がいます。
そんな人は命を与える人です。
そして、そんな人こそイエス様の弟子に相応しい人でしょう。

イエス様はある人には汚い乞食の姿で現れるのかもしれません。
また熱いラーメンを差し出す警察官のような人かもしれません。
愛を差し出し、哀れみを示すときそこにはもうすでに
イエス様の国が到来しているのかもしれません。

愛が冷めていく世の中です。
それでこそ誰かの記憶の中でイエス様のように思い浮かべる人々が
もっと沢山現れるように願っています。
そして、私達一人ひとりがそのような人になることを
イエス様は切に望んでいるでしょう。

イエス様、
どうか、私達がそのような人になりますように。
  

Posted by 青い鳥 at 22:34Comments(0)

2016年04月04日

地震の知らせ


地震の知らせ
数日前から左目の前に黒い斑点が現れるようになっています。
目を開けても目を閉じても現れるのです。
気になっていましたがそのうち消えるだろうとのんきにしていましたが
時間が経っても消える気配がありません。
仕方なく眼科に行きました。

受付を済ましてから名前が呼ばれるのを待っていました。
診療室を始め検査室や待合室には十数人の人々が
仕事をしながらまた診療を待っていました。

私の前で順番を待っている人々も3,4人ぐらいいたので
ソファに座ってスマホをいじっていました。
すると急に私のスマホから大きな音声で”地震です、地震です。”という
警告の知らせが静かな病院に鳴り響きました。

びっくりしている私の隣で少し遅れて同じような
地震をしらせる警告の音声が聞こえました。
私の携帯には届いてないと訝しくしている年配の女性も
カラケーを取り出して確認して届いているとひと安心している様子です。

一瞬病院を緊張させた地震の知らせでみんなテレビの前に集まり
速報で流れる地震のニュースを確認しました。
病院の床が少し揺れてるような気がしたのですが
すぐ納まりました。

日本に長い間住んでいましたが地震に対する怖い経験は
ただ1回だけです。
アパート全体が揺れてる体験をして本当に地震て怖いと感じました。

日本では地震、雷、親父が怖いという笑い話があるようですが
制御できる範囲を超えた自然災害の前で
人間はどれほど無力な存在なのでしょうか。

宇宙に向かってロケットを発射し宇宙旅行が可能になったと
自慢している科学の世界ですが人間の成し遂げた成果は
創造主の作った世界の本の一部を垣間見た水準でしょう。

自分の存在をもう一度振り返る自然災害の前で
特に地震を経験しながら私達はどこに目を向けるべきでしょうか。
それは有限な人間の命と私達が見る能力を失ってしまった神様の存在です。

忙しなく動きまわる生活の中で自分が向かっている終着駅を知らず
心の虚しさを埋めるために木や石で自分たち人間が作った偶像に
拝んでいる多くの日本人がいます。
毎日熱心に彼らが拝んでいる神々は地震の中で
彼らを救うことができるでしょうか。

今も日本の色々な所でまた世界で地震が発生しています。
そして、”地震です、地震です”と警告の知らせが届くでしょう。
体をこわばらせるその不気味な音の中で
私達は何を思い何に頼るべきでしょうか。

それこそ、人間たちが忘れてしまった失ってしまった本物の神様、
人間を救うためにこの世に来られたイエス様を探す
大事な時間への招待なのかもしれません。

怖いという思いで忘れてしまう地震はもしかして
人間をはじめ広大に広がる宇宙まで創造し
この世をさる瞬間入る永遠の世界を治めている
神様の存在を知らせる印なのかもしれません。
どうか、その知らせに気づく私達でありますように。  

Posted by 青い鳥 at 18:59Comments(0)