2017年05月29日

また会う日まで

また会う日まで
久しぶりに知り合いの教会で礼拝を捧げました。
聖書の学び会に何回か参加したことがあり親しくなった人が
嬉しそうに迎えてくれたのでとても気分が良かったです。
ほとんど馴染みのない賛美歌で歌うことが出来なかったのですが
大学の講義にも出ている牧師の説教で授業に出ている学生たちの
質問や感想を聞きながら笑ったりしました。

礼拝が終わり普段はそのまま家にかえるのですが
たまたま教会員の送別会の食事会があり参加することになりました。
牧師の手料理のカレーライスや信者さんたちが準備した
美味しいおかずやスイカ、キーウイ、コーヒプリンなど
デザートもあり楽しい時間でした。

思い出に残るためにサプライズとして牧師の手料理を頼んでいたのですが
そのことを知らないでいた牧師が説教の中で暴露したため
サプライズが出来なかったと残念がっていましたが
食事当番だったことを忘れていた牧師がやっと思い出して
夜の12時まで作ったというカレーライスは美味しかったのです。

送別会の人は結婚してから故郷を離れ移り住んだ街の
この教会に30年以上通った人でした。
ご主人をなくし一人暮らしを始めていた先に故郷のお姉さんに
”一緒にすまないか?”と声をかけられ重い決心をしたのです。
長い年月を過ごし第二の故郷になった町や教会を離れる気持ちは
どれほど寂しいでしょうか。

食事が終わり亡くなったご主人が好きでよく歌っていた賛美歌を
リクエストして一緒に歌いました。
奥さんが家で歌っていた賛美歌を聞いていたご主人がその曲が気に入り
よく歌っていたらしいのです。

どうしてこんなにも涙が出るんだろうと言いながらずっとハンカチで
涙を拭きながらみんなと一緒に賛美歌を歌いました。
隣りに座っている私までもらい泣きしました。
最後の曲が送別の歌で繰り返される”また会う日まで”が
別れの悲しみをもっと増し加えました。

今年、父方のおばが亡くなりました。
私達の生活の中では常につきまとうのが別れです。
出会いがあるといつか必ず別れがあります。
出会いと別れが繰り返されるのが人生です。
そして、一緒に過ごした時間や深く愛した記憶や思い出が
有ればあるほど別れはもっと深い悲しみを残します。

家族でもみんな忙しく、バラバラの時間帯を過ごすと
中々会話を交わす時間もありません。
その分、一週間の殆どを過ごす職場の人やまた教会の人々が
もっと人生の中を一緒に過ごす時間が長いのかもしれません。
ある意味、家族よりもっと深い縁で結ばれた関係かもしれません。

また、一つの別れがありました。
そして、人々はまた会う日まで神様の守りを願い、歌いました。
しかし、今までのように会えることは難しくなるでしょう。
ただ、今までともに過ごした時間や思い出を感謝して生きるだけです。

別れは突然私達を訪れたりします。
今、あなたは愛すべき人々にあなたの愛を、あなたの時間を注いでいますか?
  

Posted by 青い鳥 at 19:59Comments(0)

2017年05月27日

腰の痛みで

腰の痛みで
やっとバイト先が見つかり2ヶ月目を迎えた時から
腰の痛みが始まりました。
仕事の量が多くて無理したのか、5月10日から腰痛で苦しんでいます。
休めばその内、痛みは収まるだろうと高をくくっていましたが
日に日に痛みが増加するばかりです。

せっかく見つかった仕事だから頑張るべきか、また一から
他の仕事を見つけるべきか悩みが続いています。
仕事をしたら出ていた痛みが今は仕事をしない休みの日にも出ています。
あまりにも痛みが酷くて夜寝られない日もありました。

病院が嫌で延ばし延ばしにしていたのですが仕方なく整形外科を訪れました。
検査をして腰の変形だと言われ薬を処方してもらい毎日飲んでいます。
リハビリも行っているのですがなかなか腰の痛みは無くなりません。

内科の薬も加わり6,7錠の薬を食事の後に飲んでいます。
少しでも痛みを和らげるために時間を見つけては体を伸ばしたり
無意識に手で腰を叩いています。

薬を飲みながら痛みに耐えて仕事を続けていますが
この前は思わずこんな言葉が口から漏れました。
”生きるのは辛い、早く天国に行きたい。”

赤ちゃんの時もあまり笑わなかったらしく悲観的で憂鬱な性格の私は
イエス様を信じ少しは明るくなっていると思いますが
悩みがあり、体の調子が悪くなるとすぐ不眠症が始まります。
すると、食欲が無くなり急激に痩せたりします。

まだ食べてる分、ましかなと思いますが体の調子が悪くなると
色んなことにも意欲が無くなりただテレビの画面をボッと眺めています。
専業主婦だった頃も家事をして腰が痛くなるとしばらくソファーに横になりました。
しかし、仕事ではそんな事は許されないので無理は続いています。

人はどんな時、死を望むのでしょうか?
それはもしかして耐えられない痛みや苦しみから逃れるために
自殺という極端な選択をするのかもしれません。

難病で苦しんでいたある有名人が自殺した話を聞きました。
今も世界の色々な所で病気で苦しんでいる人々が大勢いるでしょう。
そして、患者である本人以外にもそんな彼らを見て
悲しんでいる周りの人々もいるでしょう。

自分の愛する子供や人が病気で苦しむ姿を見て人は時々
出来るのなら自分がその苦しみを代わってあげたいと願ったりします。
しかし、人の痛みはそれぞれ自分が耐えなければなりません。
誰もその苦しみを代わってあげることが出来ないからです。

それで、ある人はその苦しみから開放されたくて自ら命を絶ちます。
しかし、その先に、彼らを待っているのは何でしょうか。
それこそ、永遠に終わらない苦しみと苦痛の時間です。

肉体を持っている人間にとって肉体を脱ぐ死は
ある意味、すべての苦しみから解放される素晴らしい機会です。
ただ、それは自分に与えられたすべての寿命をどんな悲惨な時や
耐えられない状況の中でも全うしたときだけです。

健康な人は絶対にわからない彼らの気持ちを私は何度か経験しているので
彼らを責めることはしません。
ただ、あまりにも短いこの世の苦しみから逃れるために
絶対に逃げることの出来ない永遠の苦しみの世界に
彼らが引き込まれたことへの深い悲しみが残るだけです。

命は神様が私達一人ひとりに与えた尊いものです。
自分の命の主人は自分ではなく神様です。
どんな理由があってもその生命を粗末にしないように。

どうか、天の父なる神様
色々な病気や心の悩みで苦しんでいる人々を哀れんでください。
彼らの心に平安を与えてください。
慰めを与え、癒やしてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
  

Posted by 青い鳥 at 09:02Comments(0)

2017年05月06日

ヨハネの黙示録の講座

ヨハネの黙示録の講座
ツツジの花が綺麗な季節になりました。
5月の連休が始まり色々なところに出かける人々が増えている中
私は3,4,5日の3日間聖書講座に参加しました。
ヨハネの黙示録の講座です。
仕事先には無理を言って休みを取りました。

朝9時から夜の9時までずっと椅子に座って講義を聞くので
食事の後は眠気に襲われたり、あまりにも難しい内容では
あくびを懲らしめるのに必死でした。
8回に及ぶ聖書講座の中、ほとんど参加しているので
講師の牧師からは”皆勤賞を挙げなくちゃ”と言われました。

神学校に入りあまりにも聖書の知識に乏しい自分に気がづき
もっと深く聖書の学ぶ機会を探していました。
そして、知り合いの牧師から聞いたのがこの講座でした。
経済的にも厳しく一度は諦めていたのですが日本で学ぶ機会が与えられ
時間を見つけては参加して聖書を学んでいます。

韓国語と日本語の2つの言葉で講義が進んでいくので時間は倍以上かかります。
話す速度も早いし、また内容も聖書だけではなく多方面の言葉や
聞き慣れてない神学用語が飛び交うので通訳者たちも大変苦労していると
思われます。

聖書は神様のラブレターであり、罪のゆえに滅びていく人類を見て
嘆いている神様の悲しい心を講師の口を通して聞いた時
胸が熱くなった事が何回もありました。
今回は聖書の中でヨハネの黙示録を学びました。
2千年前に人間の姿でこの世に生まれたイエス様は
十字架の上で私達人類の罪の第化を払い贖いをしました。
そのことを信じ告白する人は神様の裁きから開放され
永遠の命を得ます。それが良い知らせである福音です。

しかし、そのことを信じず罪の中で生きる人々をさばくために
イエス様は近い未来に裁き主として再び来られます。
人類の最後、この世の終末を幻として見た使徒ヨハネが書いた
手紙が”ヨハネの黙示録”です。

2千年前のヨハネが未来に起こる事を見てその当時の思いと言葉で書き記した
黙示録は理解するにはとても難しい文書です。
宗教改革をしたマルチン・ルターやカルヴァンも
そのヨハネの黙示録の謎を解くことが出来なかったといいます。

そのヨハネの黙示録が書かれて今まで大勢の牧師や神父たちが
その内容を解読するために挑戦しましたが未だに納得の行く内容には
あまりないのではないでしょう。
みんなそれぞれ自分なりに解釈を持って聖書を読み解いているだけです。
今回の講座を通してもう少し未来に起こる神様の裁きについて
知る機会になりました。

イスラム教が広がり同性愛に関する事などますますキリスト教の立地は
狭くなりつつあります。
テロなど様々ん理由でどんどん私達の社会は監視され管理さ
身動きの取れない社会に変わっています。
そんな日々の中、様々な困難や迫害が起こる時
本当に命を掛けてもイエス様から離れないそんな信仰が必要とされます。
どうか、神様!
身の危険や命の危機の前であなたを裏切ることのないように
信仰の薄い私を憐れみ、助けてください。


  

Posted by 青い鳥 at 19:47Comments(0)

2017年05月01日

本ー英語に飽きたら多言語を!

本ー英語に飽きたら多言語を!
ハンガリー人のお父さんとイタリア人のお母さんのもとに生まれ
アメリカで暮らしながら英語を母語のように使っていた外国人が
日本語で書いた語学に関する体験談のような本を読みました。
いつも会話の中にユーモアを織り込まれるように勤めている
彼らの文化がこの本にも反映され面白かったです。
奥さんである日本人の漫画家の漫画で話の内容がリアルに伝わってきます。

英語やイタリア語などアルファベットを用いる人が
漢字を扱う言葉である日本語をここまで上達させたことに感心しています。
文字や文法など完全に構造の違う言語を学び使っていた人が
正反対の位置にある言葉を身につけるのは容易いことではありません。
それを見事に成し遂げ成功しているのですね。

今でも英語の必要性を感じて嘆いている私には羨ましい限りです。
新しい言葉に挑戦する事にワクワクしていた時期がありました。
小学校の卒業を前にして知り合いの人に英語を習いに行ったことがあります。
アルファベットを習い簡単な文章を読みながら全く知らなかった
外国語の世界に興奮していました。
けれども、中学校に入り文法の学びでつまづき早々と
英語は苦手な科目に変わりました。

ただ、一つだけ記憶に残ることは物語が好きで
英語で書かれた面白い内容は辞典を探しながら
内容を知るために熱心に読んだことです。
ジェイン・オースティンの小説が好きで簡単な単語でリライトされた
ペーパブックやトーマス・ハーディの本を読みました。
大好きな恋愛小説を英語で読めたらいいなと思いましたが
未だにそれは叶えられていません。

そんな私にはハリーポッターを幾つかの言葉で読み比べるために
悩んでいる著者の世界は夢の様な話です。

字幕のない中国のドラマを見たいために中国語を勉強し
英語の字幕を必死に読んでいると言った私に知り合いの日本人は
語学に才能があると言っていました。
しかし、言葉が好きで色々な言葉に挑戦している著者とは裏腹に
私はただ好きな本やドラマを見るために仕方なく学んでいるのに過ぎません。

世界全体では7,000近くの言語が使われていると著者は言っています。
その中で文字を持つ言葉はどれぐらいあるでしょうか。
名前も知らない言葉がまだまだ沢山有るんですね。
さて、私は人生の中で幾つかの言葉をかじってきたでしょう。
思い出してみると母国語である韓国語を始め日本語、英語、エスペラント語、
中国語、ドイツ語、イタリア語、タイ語、アラビア語、ヘブライ語、
ベトナム語があります。

教材や辞書を買って始めた色々な言葉の中で物になったのは
だった一つ、少女漫画を読むために始めた日本語のようです。
ドイツ語は学校で学んだだけで全く記憶に残っていません。
イタリア映画と歌が好きで始めたイタリア語も長続きせず
コーランを読みたいなと思い始めたアラビア語もすぐ辞めたし
タイ人の友達が出来、変わった文字に惹かれ始めたタイ語は
タイドラマを見るためにまだ勉強の必要性を感じながら
まだまだ勉強に励むことが出来ずにいます。

母国語と第2外国語としてエスペラント語を主張する話に惹かれ
始めたエスペラント語はまだ憧れが残っているだけでしばらく休んでいます。
最近、一番力を入れているのは中国語とヘブライ語です。
経済的にも豊かになり世界的に力を得た中国語の需要が高まり
図書館には沢山の中国語の教材があります。
それで図書館で借りてきた教材やスマホでインストールしたアプリで
時間を見つけては熱心に勉強しています。

知り合いの台湾の人にあった時実力を試そうとしたのですが
中々文章が思い浮かばずもどかしい思いをしました。
翻訳ではない元々の言葉で聖書を読みたいなと始めたヘブライ語は
中々22文字を覚える事ができず苦労しています。

韓国は日本の支配下の中で自分の国の言葉と文字を奪われた
辛い歴史を持っています。
言葉にはそれを使ってきた人たちが生きてきた歴史の中に
受けづがれた文化と魂が宿っています。
言葉を奪われる時、アイデンティティまで失われていきます。
韓国語も日本語も荒れていくこの頃です。
色々な必要で新しい言葉に挑戦し習得していることはとても大事ですが
自分の国の言葉を一番大事にし磨く必要性を感じます。

一つの言葉を学ぶことは全く新しい世界を覗き見る事ができます。
言葉の中で知らない人々の世界を見て視野が広がり
違う生き方の中で起こる誤解の余地がなくなります。

色々な必要性や目標を持って始めた語学ですがその道程は楽ではありません。
”継続は力なり”という言葉通り諦めず続けることで
いつか自分の思いを叶う日が来るでしょう。
あ、、、、いつヘブライ語の聖書を読めるだろうか?  

Posted by 青い鳥 at 11:32Comments(0)