2017年07月22日

本ーお話を子供に

本ーお話を子供に
講習会の課題で普段あまり手にすることのない本を読でいます。
たまたま時間があり軽い気持ちで語り手を養成する講座に申し込んだのですが
思ったよりかるく済まされない問題になっています。
4冊の本のレポートが終わり最後の課題に取り組んでいます。

講習会で渡された図書目録を参考にして図書館の本棚から借りては返す中で
興味を持って読んだのが松岡享子さんが書いた”お話を子供に”です。

ラジオやテレビが普及し、人々を楽しませた時期がありました。
今は居間で家族とともに同じ番組を楽しむ風景もあまり見られないようで
チャンネルをめぐる争いが懐かしいほどです。
一人1台のパソコンやスマホの時代になりました。
いつでもどこでも自分の好きな番組や映像、音楽などを楽しめる事ができます。

数年前までは電車の中で新聞や文庫本を手にして熱心に読んでいる人々が
結構見られたのですが今は駅のホームから電車の中まで
殆どの人々が小さいスマホや携帯電話の画面を眺めています。

スマホさえあれば退屈という言葉は私達の人生から
縁のない言葉になるのかもしれません。
しかし、面白いという一言で表現されるスマホとの時間が
果たして、私達から何を奪っているのでしょうか?

本や読書からますます離れていく今の世代、またこれからの世代が
作り上げる未来は果たしてどんな世界でしょうか?
強適になってきたスマホを相手に読書の人口を増やすために
図書館で働いている司書や職員たちが一つの対策として
熱心に取り組んでいるのが語りのようです。

文字をまだ読めない子供から文字を覚えてもまだ本を読む楽しさを知らない
子供たちに昔話を耳で聞く体験は読書へ導くとても良い経験になると
著者は説得力のある文章で語っています。

一つの話を時間と努力を掛けて覚えて自分のものにしてから
語る語りは形として何も残らないけれどその場で聞く人々の心に
忘れられない痕跡を残すようです。
語った話が載った本を紹介したらその話を楽しんでいた子供が
その話を実際に自分で読みたいと思うようになり
それがきっかけで本の世界に入ることも出来る著者は言います。

また色々な話を聞きながら子供たちは本の世界を間接的に経験することが出来ます。
時には怖い話や時には胸を打つ感動的な話し、笑いを誘う内容など
一人の語り手によって作り上げる世界は無限に広がります。

そして、それはスマホから得る端末的な楽しみとは比べられない
物を子供たちに残すでしょう。
いくら文明がデジタル化されても人間の心や感情は
アナログの状態からそれほど進歩してないからです。

スマホに子供の心が捉えられないうちにスマホの奴隷になる前に
人間の声で作り上げる素晴らしい物語の世界を体験できる機会を
もっと多くの子供達が得ることが出来ることを望んでいます。
  

Posted by 青い鳥 at 21:54Comments(0)

2017年07月19日

本ー中国語の学び方

本ー中国語の学び方
猛暑の中、ボランティア会の学び会があり、外出しました。
朝の9時に家を出て、戻ってきたのは午後1時近くなりました。
およそ、3時間半近く歩いたので服は汗で完全に濡れていました。
部屋のクーラーをかけてからシャワーを浴びました。
外出する度着替えるので洗濯機には洗濯物がすぐ溜まります。
ついでに洗濯をしました。

家にいる間はクーラーと扇風機をフール回転しています。
今は完全に文明の利器に頼っている生活です。
そんな生活で慣れてきた体は自然の暑さに耐えられなくなって
ちょっとした気温の差に適応できないでいます。
ますます体力が落ちていることを実感しているこの頃です。
まだまだ続いているこの夏を賢く過ごす方法はないのかな?

語り手講座の講習会に提出しなければならない課題も残っているけれど
それは後回しにして、この前に図書館で借りてきた本を
一気によみ終えました。
相原茂さんの”中国語の学び方”です。
中国語の学び方や日中異文化コミュニケーションについての講演を
編集して本にしたものです。

大学の教授でありNHKの中国語の講座の講師も務めた著者が
どのようにして中国語を学んだか、自分の経験を語り
また中国語の長い付き合いの中で発見した日本と中国の
言葉の後ろにあるお互いの国の違いを書いています。
文化や生活と思いの違いなどから生じる色々な誤解と
それにまつわる思い出や注意事項をわかり易く説明した本です。

英語と日本語について外国語として2013年12月から
本格的に学び始めたのが中国語です。
日本語で書かれた少女漫画を読むために始めたのが日本語です。
ひらがなを学び、日本語の会話のテープを聞きながら眠りました。
初めて覚えた歌はいしだあゆみさんの”ブルーライトヨコハマ”です。
その歌は今はカラオケの十八番になりました。

日本語との長い年月が流れました。
自分が好きなことをするために費やした長い時間を経て
今は日本語で好きな本を読み、ドラマや映画を字幕の助けなしに
楽しんでいます。
そんな日々を夢見ながらこれからは中国語を勉強しなければなりません。

だいぶ前に半年ほど中国語を勉強しました。
それから完全に忘れていた中国語を再び始めた理由は
中国語のドラマを見るだめです。
インタネットサイトで中国語を学ぶ人々が個人的に翻訳して
アップロードした中国ドラマにはまりました。
私を夢中にさせたそのドラマはなぜか2013年12月に
字幕が作られず未だに12話で未完成のままです。
ドラマがどのように展開し、結局どうなったのか知りたくて
いくらインタネットで検索しても英語字幕も無かったので
2014年からこの際、中国語を学び自分の力でドラマを見ようと決心しました。

漢字を習っている国として漢字でかかれている中国語は
他の西洋の言葉やタイ語やみヤンマ語など東南アジアの言葉より
親しみを感じやすい言葉です。
漢字を見るだけである程度推測が可能だからです。
それで、日本人が一番始めやすい言葉でもあると著者は言っています。
しかし、言葉の語順は英語に近く、四声という日本や韓国語では
馴染みの薄い発音の仕方など言葉の壁はそんなに低くはありません。

そんな事情を表しているのが中級で止まっている
中国語の学習者達の問題らしいのです。
漢字の意味をわかるのでついわかったつもりでいて
結局、中途半端に覚えて戸惑っている中国語の実力です。
漢字のまま覚えて頭のなかでは文字でしか思い浮かばない中国語は
結局実力として身についてないと著者は言います。
それは私も大いに賛成している意見です。

言葉は結局音として覚えなければなりません。
私の日本語へのアプローチも音より意味がわかれば物足りていました。
本を読む時、ほとんど声を出して読まず
文字を目で見て意味を追うだけだからです。
数百ページの日本語の本を読んでも読めない漢字はそのままでした。
その問題点を身にしみて意識したのが教会の聖書の朗読の時間です。

水曜日の祈祷会に参加した時のことです。
参加者たちが順番にその日の聖書を読んでいきます。
時には用意した教材を読みます。
しかし、漢字の意味は知っていても読み方がわかりません。
人々と一緒に聖書を読む時も中々その速度についていけません。
それで、ルビイが付いている聖書を毎日声を出して
読むようになりました。
肉の糧である食事を毎日きちんと取るように
日本語の勉強も兼ねて霊の糧を得る習慣をつけました。

一つの漢字にほとんど一つの発音が中国語の漢字です。
それに比べて日本語の漢字は幾通りも読み方がありもっと複雑です。
今からは略字になった中国語の漢字をまた覚え、
発音まで身につけなければなりません。
外国語への道はこれからも長く続くのです。

神学大学のセミナーで学んでいるヘブライ語やギリシャ語も
覚えなければならないのに記憶力は衰えていくし
眠っている脳の力をもっと活性化させなければなりません。
神様、どうか助けてください!!!
  

Posted by 青い鳥 at 21:15Comments(0)

2017年07月13日

本ーストーリーてリンク

本ーストーリーてリンク
読書が好きで図書館で本を借りて行くときはいつも幸せな気分です。
しかし、課題としての読書はあまり気が進みません。
レポートの提出日が迫ってきたので 本のリストの中から幾つかを借りて
読んでは返す日々です。

間崎ルリ子作ストーリーテリングを読みました。
ストーリーテリングの歴史の浅い日本で長いこと現場で
実際に物語を語ってきた著者が語り手の手引書になるように書いた本です。
著者はこの本の中で語りの技術だけではなく聞く人々の心に届くように
語り手の気持ちと心のあり方に目を向けて欲しいと書いています。

著者である間崎ルリ子さんが30数年間物語を語っていく
原動力になってくれた初めての体験話が印象に残りました。
”昔々あるところに”と語り始めた著者の声で物語の世界に
すんなりと入っていた一人の小学校4年生の姿は子供だけではなく
大人さえも虜にしてしまう物語の力を物語ってくれます。

十年ほど前に私も似たような忘れられない経験をしました。
語り手講座に参加して6分ぐらいの物語をひとつ覚えました。
自分の子供達にも聞かせ、何回か人々の前で語りました。
そして、ある小学校で1年生のクラスの前で語ったときのことです。
20数人ぐらいの子供たちが机と椅子を後ろに片付て
教室の床の上にみんな座りました。

2人1組で一人が語り終わってから私の番になりました。
そして、物語が進んでいく中で先までざわざわしていた
子供たちの目が真剣に私の方を見つめていました。
あまりにも静かになった教室の中で私の声だけが聞こえました。
語りが終わってからはほとんど覚えてないのですが
私は今でも私を見つめていた子供たちの眼差しと
夢中になっていた表情を忘れることが出来ません。
人生の中で私の話をあれほど真剣に聞いてくれた子供たちとの初めての出会いです。
その思い出は挫けそうになった時、私に勇気を与えてくれる力にもなっています。

この本を読みながらあの子達も 私が語っていた
物語の世界に 完全に入っていたことを知りました。
気が散るような色々な物に囲まれている私達の生活の中で
本当に”傾聴”という言葉は死語に近いものになりつづあります。

テレビやスマホなど自分の世界に夢中になっているので
周りから聞こえる色々な話や音に真剣に向き合い、聞いている人があまりいません。
自分の世界にはまり、大事な話しまで聞き流したり、むしろ聞いてない人々が増えています。
そんな傾向になっている今の時代を著者は
心が受け止められなくなっていると言っています。
言葉は本来心を表すものであり、その言葉が行動に移され
それで心が確認できると言っていいます。
しかし、言葉を交わすことで確認できるお互いの心の受け渡しが
疎かになっているのです。

人々は自分の心に留めておけないでき事や 溢れ出す感情を
人々に伝えたい衝動に駆られます。
それを感情や心を込めて言葉で表現します。
その表現の在り方で詩と呼ばれたり音楽や物語に変わっていったのです。

限られた時間や空間の中で生きる人々が経験できる事は僅かです。
それを補える方法が物語の世界を通して体験できる世界です。
時代を超え、住む世界を飛び越え、知らない世界を冒険できる物語の世界は
子供だけではなく年を取り感受性を失いつづある大人までも楽しめる
素晴らしい文化遺産ではないかと思っています。



  

Posted by 青い鳥 at 14:09Comments(0)

2017年07月12日

本ー時の旅人

本ー時の旅人
時間旅行に関する映画や本が好きです。
”夏への扉”、”オーロラの彼方”、”リプレイ”など
”時をかける少女”は原作小説も読み、アニメは5回以上見ています。
時間の制約の中で生きている私たちにとって
時間を越えて過去や未来の人々と関わる話は
いつも新鮮で憧れを感じます。

同じ地域、同じ土の上を生きた、また生きる人々の生活を
本の中ではなく実際に見て体で感じることができたら
どれほど素晴らしいことでしょう。

イギリスの作家、アリソン・アトリーの本、”時の旅人”を読みました。
実在しまた悲劇的な事件の舞台になった所で
少女のときに見た作家の夢が膨大な量の物語になっています。

スコットランドの女王であったメアリ・スチュアートとかかわり
絞首台で最後を遂げた若い領主のアンソニーバビントンと
その周りの人々との日々をあまりにも精密な描写とともに描いています。

現在の世界と320年前の時代を往復しながら主人公の少女は
すでに知っている悲劇を防ぎたくて努力します。
しかし、過去の人々には知ることも信じることのできない
未来をどうしても変えられない事に悲しみます。

映画”オペラ座の怪人”の始まりはとても印象に残ります。
埃をかぶって廃墟になっていた風景が壮大な音楽とともに
鮮やかに蘇る映像が人々の目をぐぎ付けにします。

”時の旅人”にも似たような状況を文字でつづっています。
”つたにおおわれた崩れた塀や草が生い茂る中庭、
鳥や羊の遊び場に変わり廃墟かした館を覆い隠していたつた”
時間旅行の時には生き生きしていたウイングフィールドの館の
現在の無残な姿を目にした少女の驚きはどれほどのものだったでしょう。

人類が始まった以来、今に至るまで同じ地球の上を
時間の流れに従って私たちは生きています。
人間より寿命の長い木や動物達は変わっていく風景や人間の姿を
見ているでしょう。
話方や服装そして生活が変わっても普遍的な人間の営みは
あまり変わっていません。

戻ることのできない過去への旅は夢の中や一部の人々に与えられた
驚くほどの想像力によって体験することができるのです。
そして、時代を超えていつの時代でも一生懸命に生きる人々の姿は
私たちに感動を与えるのです。  

Posted by 青い鳥 at 20:08Comments(0)

2017年07月11日

世界のむかしばなし

世界のむかしばなし
子どもに語るお話講座に参加できることになったのですが、
宿題として出さねばならないレポートに悩んでいます。
やっと1冊分のレポートが終わり、また2冊目の昔話を読んでいます。
”世界のむかしばなし”という本を読みました。
ノルウェイ、ロシア、スウェーデン、インドなど
9か国の物語が14話収録されています。
漢字が少なく、ほとんどひらがなで書かれているので
とても読みづらかったです。

14話の中で2つの話がとても印象に残りました。
それは”この世の終わり”と”いたずらおばけ”です。

”この世の終わり”は、頭に落ちてきたどんぐり一つで
”この世の終わりが来た”と森の動物たちを騒がせた
小さな雌鶏の話です。
どんぐりが空の大きな塊になり、それが
この世の終わりが来たこととして動物たちを驚かせ、どんどん膨らんでいく
過程が可笑しくまた愚かにも見えました。
しかし、物語は笑い話として終わっていません。

この世の終わりが来たと避難した動物たちがお腹を空かせ、  
雌鳥を始め豚、牝牛や犬など次から次へと食べてしまう所が
現実味がありまた残酷でもありました。

一つの事件を冷静に判断できず過剰反応する雌鳥の愚かさ、
そして、間違った情報を見抜くことのできなかった
他の動物たちの悲惨な最後が心を重くします。


仏教の教えでは世界は輪廻しますので
この世の終わりという概念はないでしょう。
しかし、聖書ではいつかこの世に終わりが来ると預言されています。
全てには始まりがあり、そして、終わりがあります。
命あるものには必ず終わりがあります。
永遠という言葉はこの世には存在しません。

”この世の終わり”はフィンランドの昔話で
多分キリスト教の影響でこのような物語が伝わってきたのでしょう。
色々な国の昔話を読んでいると、その国の宗教や文化の影響も
垣間見ることができます。
”この世の終わりが来たと騒ぎ出した動物たちが
結局その言葉どおりに命の終わりを迎える所がほろ苦いです。

もう一つはイギリスの昔話の”いたずらおばけ”です。
年をとって貧乏で一人ぼっちのおばあさんが
道端のどぶの中で大きなつぼを拾いました。
中をのぞいてみたらそこには金貨がたくさん入っていました。
その日の食べ物にさえ困っていたおばあさんが見つけた宝のつぼ。
最初は金貨がたくさん詰まっていたそのつぼが銀の塊に変わり、
つぎに鉄塊に、さらにそれは大きな石に変わり
最後は結局おばけになって消えていったという話です。

金貨のつぼを見つけ家まで運んでいく道を
お金持ちの女王様のような暮らしを夢見ながら陽気に進む
おばあさんの様子が目に浮かびます。
しかし、話は残念な結果で終わります。

小さな小屋に住みその日暮らしの貧乏なおばあさん、
近所の人の使い走りをしてこちらで一口、あちらで一のみの食べ物をもらって
生きていた彼女がつかの間の幸せを手にしたように見えます。
昔話には幸せな結末の話が多いのですが
なぜかこの話は変わらない現実のままで終わります。

私が注目したのは、彼女の前向きな生き方です。
その日暮らしの生活でも、おばあさんはいつも元気で陽気で何もほしいものがないと
お話の最初に書かれていました。

そして、その性格はどんな事が起きても変わりませんでした。
金貨のつぼがどんどん価値の無いものに変わっていても
彼女の反応はがっかりなどせずに、常によいところを見つけることでした。

女王の暮らしが出来たはずの金貨のつぼ
それがいたずらおばけに変わり逃げていっても
彼女は自分を近所で一番運のいい人、
幸せものとして捉えているのです。

たくさんの物を持っても満足しない人がいます。
何も無くても自分の生活に満足して生きる人がいます。
果たして、どちらが本当に豊かな人でしょう。


さて、次はどんな本が私を待っているだろう。
あと、まだ4冊の宿題が残っています。











  

Posted by 青い鳥 at 16:35Comments(0)