2017年09月29日

やさしさに触れる瞬間

やさしさに触れる瞬間
追悼礼拝が終わり帰り道の時のことです。
午後にも予定が入っていたので急いで教会を後にしました。
駅でトイレに行くつもりでしたが電車の出発時間が迫り
やっと乗り換えの駅に着いたので急いでトイレに駆け込みました。

しかし、トイレにはすでに大勢の人々が列を作っていました。
数年前にトイレをきれいに改装しました。
おかげで設備はきれいになりましたがトイレの数が減り
いつも人々の列が出来ています。

10人近くの人々が順番を待つ中一番後ろに立ちました。
待つ人が7人ぐらいに減り順番を待っていた時です。

一番前は高校生のように見える女の子でした。
その後ろには30代前半に見えるお母さんと4,5歳ぐらいの男の子でした。
少ないトイレの中で親子が一緒に入れるところが空きました。
すると自分の順番になっていた女の子が後ろの親子に順番を譲ったのです。

ありがとうと何度も挨拶をして親子はトイレの中に入っていきました。
一番後ろでその様子を見ていた私は思わず笑みを浮かべました。
その思いやりとやさしさに私の心が温かくなりました。

自分がその親切の対象になってなくても、ただその瞬間を見ているだけでも
幸せな気持ちになるのですね。
ちょっとした思いやりの言葉と行動で、とてもうれしい気分になる時があります。
やさしさに触れる瞬間、人々は生きることへの意欲さえ湧き上がったりします。

学校でひどいいじめに会い自殺をしようと思っていた高校生がいました。
休みに入る学期の最終日、つらかった日々に終わりをつげるつもりで
彼はその日、自殺を決心しました。
ロッカーに入っていた自分の用品を取り出して廊下を曲がるとき、
彼は手に持っていた物を床に落としてしまいました。
その時、通りかかった一人の学生が、床にばらばらに落ちたものを
一緒に拾ってあげながら彼に声をかけたのです。

それから二人の会話は進み、二人は仲良しになり
彼は新しい出発をすることになったのです。
一人の命を助けることになったのは小さな親切でした。

トイレの中で順番を譲ることはそこまでの大袈裟な話には発展しないかもしれません。
しかし、そのような小さな親切や思いやりがその社会を幸せなところに変えると思います。

思いやりのない社会、人に無関心な社会はどれほど住みにくい世界でしょう。
そこで暮らす人々は心に余裕のない日々を過ごすことになります。
小さな親切、それを見ただけでも幸せな一日でした。
  

Posted by 青い鳥 at 21:12Comments(0)

2017年09月26日

追悼礼拝

追悼礼拝
毎週日曜日、電車を乗り換えて1時間以上かかる教会に行きます。
教会の牧師が神学校の先輩で少しでも力になりたいだめです。
9月の最後の日曜日には天国礼拝として死者への追悼礼拝が行われました。
亡くなった家族や友人を偲ぶ礼拝です。

家族が持ってきた6人の写真が講壇の前のテーブルに置かれました。
映し出されている人々はみんなとても幸せそうな笑顔です。
写真の中の人々は時が止まったまま残された人々を眺めています。
しかし、残念ながらその素敵な笑顔にまた会うことはできません。

狭い礼拝室に19人もの人々が集まり礼拝を捧げました。
信者さん以外の関係者は全部未信者です。
教会に始めてきた人もいました。

説教の内容は先に天国に行った人々との再会への希望に関するものでした。

礼拝が終わってから信者一人一品として持ってきた食べ物を囲んで
軽い食事を取りました。
子どもたちのためのお菓子や飲み物をはじめ、海苔巻き、唐揚げ、デザート、
ナシやブドウなどの果物までありました。

食事が一段落してからは紅茶を飲みながら参加者全員が自己紹介を兼ねて
亡くなった方との思い出話をしました。
故人の家族の中に高校3年生になる男の子もいました。
愛するお母さんを2年生の時、胃癌で亡くしています。

日々、私たちはだれかとの別れを経験しています。
毎朝、学校や職場に出かける時の家族との別れ、
一日の仕事が終わり職場での同僚や上司、部下との別れ、
学校の帰りの友達との別れ、
寝る前の自分との別れ、
そのすべての別れには常に明日への見えない不安が
潜んでいることを私たちは忘れています。
”また、明日”といつものように別れたのに二度と会えなかった
人々もいるのです。

中には長い病院生活で心の中で別れを準備できた人もいるでしょう。
しかし、たいていの死は予告なしに訪れるものです。

愛する人の死をまだ認められず今でもなかなか受け入れられない人もいました。
牧師は、どきどき耳元で親友の声を聴いたりしていると言いました。
中には耐えられなかった寂しさが時の流れとともに徐々に癒された人もいました。

命をもってこの世に生まれた者はいつかこの世を去る時が来ます。
そして、その別れにはいつも残された人々の悲しみが伴います。
二度と彼らに会えない寂しさが、残された人々を苦しめるのです。
声を聴くことも、笑顔を見ることも、話をすることもできない日々の中で
徐々にその別れを受け入れるように努めるのですが、容易いなことではありません。

この世の命は長くて100年です。
その人生の中で、私たちは誰かと出会い関係を結び、また別れたりします。
親子、恋人、夫婦あるいは親友などといった関係で
幸せな時間を共にした人との別れはいくつになっても悲しいものです。

しかし、イエス様を信じ天国への望みを持っているクリスチャンには
この世の別れはただ悲しみだけで終わるものではありません。
死も涙も病気や苦しみ、別れさえない喜びだけの永遠の国、
天国での再会が待っているからです。
この世では二度と会うことのできなかった
先に召された愛する人々とともに、永遠に生きることができるのです。
喜びの再会が私たちを待っているのです。

イエス様は、私たち一人一人を天国への道へと招かれています。
肉体の死の後で行く天国、しかし、イエス様を信じた瞬間から
私たちはもうイエス様の国、天国で生きることが許されるのです。
どうか、イエス様の愛を受け入れその招待に応える私たちでありますように。
  

Posted by 青い鳥 at 14:24Comments(0)