2018年03月28日

やくざになる人

やくざになる人
インターネットの調子が悪く、3日連続インターネット会社の職員が家を訪問しました。
マンションに設置した機器の不具合らしく思いもよらなかった訪問客のせいで大慌てしました。
部屋中にチラがっていたものを移動したり隠したりとパニック状態でした。

機器の取り外しと設置など根本的な処置が必要なのでマンションの管理会社に連絡したり
入居者への案内など時間がかかりそうです。
インターネット速度が早くなると言って数年前から利用しているインターネット会社です。
最近動画を見ていると急にぐるぐる回る円が出てきてイライラしていたのですが
全くネットが使えない状態になり本当にネットにどっぷりハマっていた自分に気づきました。

何度もスマホを覗いたりインターネット電話を確認したりして自分が情けなくなりました。
それでネットを使うのは諦めて久しぶりにテレビの録画番組を見ました。
NHKテレビの”アナザーストーリーズ運命の分岐点”です。
神戸のヤクザ組織山口組の闘争劇を扱った内容です。

個人的にヤクザから牧師になった人を3人知っています。
ヤクザについての知識はヤクザを辞めるときには小指を落とされるとか
入れ墨のことぐらいしか知りません。
口が汚い人もいましたが穏やかで紳士的な態度など
全くヤクザに見えない人もいて驚きました。

山口組の4代組長まで登り上がった竹中という人の射殺事件や
2つの組に別れたヤクザ組織の暴力事件に関わることになった
人々の話と内容は興味深かったのです。
そして、山口組の顧問弁護士になってヤクザを身近で見て接していた
山ノ内弁護士の話は考えさせられるものがありました。

6法を知り尽くしながらも最後まで暴力という手段で生きた人、
男の仕事の中で命がかかってしまうのはヤクザしかないと
それが面白いと言ってヤクザの日々を生き結局殺された人、
人生のかけっぷちで極端な選択をしてしまった人々や
覚醒剤にハマり年を取ってやっと平凡な日々を生きる人など
ヤクザという道を選んだ人々の話は心を重苦しくしました。

言われなげれば絶対ヤクザだったとわからなかった人々、
彼らはどうしてやくざになったでしょうか?

番組の中では”ヤクザと日本人という本の””ヤクザ集団の構成層は
いつの時代においても社会から疎外された被差別階層であった”という文が紹介されています。
やくざになって犯罪に手を染め、時には薬物に手を出す組員たちは
国籍や土地のことで差別を受けたり貧乏人の子で学校に給食を持っていくことのできない子供で
みんなわけがあってワケありの人間がやくざになってくる、
ヤクザにならざるを得なかった生い立ちにある意味同情すると山ノ内弁護士は言います。

彼もやくざになった人々に似た生い立ちの中でただ一つだけ違うことがありました。
苦労しながらも息子を信じ応援し続けた母親がいたのです。

生涯警察官として生き退職した伯父は生涯忘れられない言葉を残しました。
”問題児はいない、問題家庭があるだけだ。”
現役時代、様々な犯罪者たちに出会い取り調べていく中で悟ったことだと思います。

そして、山ノ内弁護士も似たような言葉を語ります。
親がそもそも子供に愛情が全然ない、うまんといたら良かったいうような
生んで迷惑してる親の愛情の欠落、親の愛情がなかった子供がやくざになっていくと。

最初からヤクザになりたくてなった人はいないでしょう。
それそれなにか自分なりの理由や言い訳があるでしょう。
望まれてない親のもとに生まれた事や様々な理由で受けた差別や
傷などが一人の少年を光の世界から暗闇の世界に導く原因になっていくのかもしれません。
もし、一人でも彼を愛し、支え、信じる人がいたらそんな道への誘惑から勝てたかもしれません。
どうか、私達一人ひとりが誰かの道を光の世界に導く存在でありますように!!!!

  

Posted by 青い鳥 at 22:51Comments(0)

2018年03月20日

本ー7つのステップでスマホを手放す(退屈すれば脳はひらめく)

本ー7つのステップでスマホを手放す(退屈すれば脳はひらめく)
4年前に初めてスマホを手にしました。あっという間にスマホの魔力に陥りました。
次から次へとアプリをインストールして試す日々が始まりました。
毎日ユーチューブにはまり、寝る時間まで惜しんで動画を見たり聞いたりしました。
フェィスブックの”いいね”を確認し、写真をアップロードするために
きれいな風景や外食の度、習慣のようにスマホで写真を取りました。

そんな毎日が続き、酷使されたせいか寿命になったせいかとうとうスマホの調子が悪くなりました。
買い替えを真剣に考えましたが膨らんできたバッテリーを交換して、まだかろうじて
動くスマホを今は電話機能だけに留めて大事に使っています。
調子が悪くなり仕方なくスマホから離れるようになっていますが
いっときスマホの虜になっていた私が心から頷きながら読んだ本があります。
”7つのステップでスマホを手放す(退屈すれば脳はひらめく)”です。

「本の中からの引用」
2015年2月、ニューヨークのラジオ局が配信するポッドキャスト番組が
1週間に続く7つのプロジェクトを企画し、2万人以上のリスナーが参加しました。
毎日ひとつずつレッスンをこなしてスマホを手放し、創造性を取り戻そうという取り組みは
大きな反響を呼び、大勢の参加者がありました。
インターネット、 ゲーム、スマホやソーシャルメディアへの依存や中毒に薄々気づきながらも
自分を制御できない人々がそんな状況から脱出するために参加し、自分を顧みる経験をしました。

ニューヨークのラジオ局のディレクターでホストを務める著者マヌーシュ・ゾロモディ
が出産後子育てに入り気ままにスマホやネット端末装置にアクセスできない
退屈な日々の中で前よりもっと創造力豊かに動く自分の脳を発見しました。
そして、スマホから離れてもっと創造的な時間を過ごすために
企画したラジオ局のポッドキャスト番組からこの本が生まれました。

まず、退屈な時間がマインドワンダリングへの入り口であると言います。
マインドワンダリングは私達が退屈するときや何もしてないときに脳が行う活動で
そのおかげでシナプスとシナプスがつながりだし、夕食の献立や地球温暖化への革新的な対策や
その他あらゆる難問を解決できるようになるようです。

私達はインターネットによって様々な人や場所、考え方にかつてないほど
自由にアクセスできるようになりました。
距離や文化、言葉の障壁を取りはらうインターネットの威力は大いに賞賛されてきました。
インターネットは視野を広げたいと願う人々の要望に答えます。
しかし、一方で大多数の人々の視野を狭める原因にもなっています。

テクノロジーのおかげでいつでもどこでも仕事ができるようになったけれど
同時にそのせいで集中力が絶えず途切れる羽目になりました。
インスタントメッセージやメールの着信通知でしょっちゅう仕事が中断されるのです。
情報は国際規模で飛び交っていますが、実のところ我々の関心は
極めて局所的で仲間内に限られたものになっています。

また、注意力の低下、記憶力の低下等が挙げられています。
スマホで写真ばかり撮っていると脳は記憶することを怠けてしまうと言います。
そして、文章の読み方そのものが変わっています。
リンクやスクロールに慣れると長い文章や難しい文章をじっくり考えながら読み通す力が衰えます。
それは、結局テクノロジー産業の食い物にされることにつながると警告しています。

著者が指摘するテクノロジーの問題点は人と人のつながりが希薄になり、
スマホが見えるところにあるだけで、目の前にいる相手に共感しにくくなるので
そんな人々が作り上げている社会は真剣な交流のない人間関係を作ってしまうのです。

2014年に発表された”iphonenの影響、そしてスマホが存在する状況での対面による社会的交流”
という研究の中でヴァージニア工科大学の研究者たちはスマホがあるだけで
二人の間に共感が生まれにくくなると報告しています。
フィールド実験で100組のペアが10分間会話をしているのを離れたところで観察しました。
年齢、性別、人種、民族、その場の雰囲気にかかわらず、スマホがない時の会話は、
あるときに比べて遥かに上質だったと発表しています。
スマホがあるだけで会話の質が下がるし、誰かといるのにスマホに気を取られてしまう
今の現状を伝えています。

実際に著者は自分の弟との会話の様子を書いています。
弟がスタップとメールしながらでもちゃんと会話をしていると言われると
頭にくると著者は言います。
“ああそうだね、もちろん”といい加減に相槌をうつ弟がやっとスマホを置き、
“待って、なんだって、聞きそびれちゃった”聞くとき著者は
“何度も言わせないでよ、私も忙しいんだから”とつぶやくのです。

大人同士でもスマホをいじりながらの会話は人々を傷つけますが
子供にはもっと大きな影響を残します。

1970年代、エドワード・トロニックという発達心理学者が幼児と母親を向き合わせて
観察した”無表情実験”はとても気になります。
実験は普段通りの接し型をしていた幼児と母親が無表情の時間帯になると
母親は3分間淡々とした表情で赤ちゃんに反応せずその後
またいつもどおりの母と子の関係に戻ります。

ある母親が無表情を保った3分間に赤ちゃんはどんな様子を見せたでしょうか?
赤ちゃんはたちまち真顔になりそれから用心するような表情になりました。
そして、いつもの双方向のやり取りをしようと母親に何度も働きかけました。
それでもどうにもならないと、今度は諦め、絶望的な表情になって内にこもり、
母親から体ごと顔を背けたのです。

赤ちゃんのこの反応は類似する実験で80回以上も再現され
幼児期に接する大人が無表情だとその子の将来の行動や愛情の深さなどに
影響があると警告しています。

MIT教授の社会学者で臨床心理学者のシェーリー・タークルは本”つながっていても孤独”、”
一緒にいてもスマホ”で直接あって話すより、バーチャルな心理カウンセリングやメールが
好まれるのは人間的な感受性や会話をあまり大切にしない社会の流れのせいだと言っています。
会話というのは前の会話を覚えている相手とするもの、過去の流れと共感があるからこそ
会話が成り立つと言います。

そして、タークルはこのように警告しています。
”他人と顔を突き合わせながら無視されるのが子どもたちにとって有害なのは
大人にとっても同じです。関わろうとしている相手がほとんど共感を示さず、、
まるで関わりたくないとでもいうように文字通り顔を背け、何か他のことに
気を取られているとしたら耐えられないでしょう。
実際、私達は、今互いにずっとそうしているんです。
それが社会の新たな風潮になっています。
私達はこうした人間関係についてよく考え、デバイスではなく、
絆を結びたいと願う相手へと再び心を向けるべきです。”

テクノロジーは注意散漫をひき起こす史上最大の原因になりました。
それをどう使うか意識を高め、ふさわしい選択をする能力を養わなければならない、
優先順位をつけて、自分にとって何が大切かを探す時間とゆとりを自分に与えること
それぞれの目標に向かって着実に前進しているかどうか、きちんとチェックすることを
著者は助言します。

よほど気をつけていないとユーザーの時間をできる限り奪おうとする
優秀な頭脳集団の思う壺になり、そして、一日のスキマ時間をすべて奪われ、
退屈する時間がなくなり、独創性もなくなると言います。
ネットにダラダラと時間を費やすことはジャンクフード並の情報を貪り続けることで
大切なのは意志を持ってテクノロジーを利用すること、
テクノロジーを優秀な召し使いにしなければならないと著者は主張します。

さらに、一番大きな代償は忍耐を失ったことだと著者は書いています。
相手の話を最後まで聞く忍耐、難しい文章の複雑な論点を理解するために
一、二度ではなく三度読む忍耐を失いつつあります。

24時間繋がっていてどこでも人々が夢中になっているインターネットは
結局薬物とギャンブル、ショッピング、ポルノを一つにしたようなものと厳しく表現した人がいます。
しかし、人々はそのネットに繋がっているスマホを手放すことができません。

そして、この本の中には実際に生活で支障をきたしている人々を面白く掲げています。
ゲームにハマりすぎてちょっと情けない著者,せっかく娘の遠足に参加したのに
フェイスブックをアップするのに夢中で1時間も口を利かなかったお父さん、
何年も夜な夜なゲームをし続けてゾンビのようになってしまったハーバード大出身のお父さん、
そして、ネットの世界に繋がれているスマホから離れられない自分にもどかしさを感じて
ラジオ局の企画に参加した2万人もの人々や中毒予備軍の私達がいるのです。

人々の人生をますます占領してくるスマホを制御するために著者は幾つかの助言をしています。
頭痛の種、使いすぎてるアプリ、逃避のために使っている,
大切な何かを犠牲にしているなにか、後ろめたさを感じている何か
例のアプリやアカウントを削除せよと言います。
ゲームだけではなくソーシャルメディア、天気予報、ウィキペディアなどなど
それぞれが問題だと思っている何かを思いっきり削除するように著者は言います。

これからの世代は黙読と流し読みの両方の能力を身につけるべきであり
情報の記録には手書きのメモが勧めでビデオゲームをするときはタイマーをセットするように
時間をきっちり区切ってプレイすればゲームのしすぎや現実逃避を防げるし、
脳に良い影響を与えると著者は助言します。

ゲームは20分がベストでゲームをするにも適度な時間を知らなければならないので
タイマーかなにかを使ってゲームの時間を自分でコントロールできないと、
やがて依存症になり解決しようとしていていた問題をむしろ悪化させてしまうと言います。
そして、望ましくない行動を取ってしまうものへのアクセスを少しだけ面倒にするなど
スマホから離れるように環境を変えバランスの取れたテクノロジーの使い方をして
本当に大切なものとデジタル機器が折り合うようにできるだけ工夫することを言っています。

グレッグ・マキューンという人が顧客に教える時間の使い方はとても参考になります。
自分にとって何が一番大切かを見極め、それを中心に人生を設計することを目指す。
第一段階本当に重要なことが何かを見極める時間を作る
第二段階大事ではないことをすべて削除する
第三段階自由になった資源を再分配し、もっと重要と判断したことを追求することにそれを用いる。

墓石に”メールをチェックしていた男”として書かれる人生、
”リンクをクリックして、あとで読もうとたくさんの記事を保存した女”
だが実際に読むことはなかった人生にならないために
今、私達はスマホとの付き合い方を本当に真剣に振り返る必要があるのかもしれません。
  

Posted by 青い鳥 at 17:15Comments(0)

2018年03月07日

本ーもリー先生との火曜日

本ーモリー先生との火曜日
英語で書かれた”モリー先生との火曜日”を古本屋で見つけて買ってきたのは数年前のことです。
しかし、その本はいまだに読まれず本棚にあるままです。
中国語とヘブライ語、古代ギリシア語の勉強で過ぎていくこの年末、
そんな毎日にも少し飽きて借りてきたのがこの本です。

著者はスポーツコラムニストとして活躍しているミッチ・アルボムです。
彼が難病ALSに侵されているかつての大学の恩師、モリー先生と16年ぶりに再会し、
病で徐々に弱っていく老教授と人生の様々な主題について語りあった内容をまとめたのがこの本です。

毎週火曜日に行った一人の学生に向けての老教授の最後の授業、
二人だけの講義録を最後の論文と呼んでいました。
徐々に体の機能を失っていく中でそんな自分の状態に苛立ち、不平や不満を言って
過ごすよりは、人々に愛を注ぎ自分の死にも真剣に向き合った先生の姿と生き方に
何度も涙しました。

一人、二人と周りの人がこの世を去っていく中で私も死について真剣に
考えるようになっています。
そんな日々の中でこの本は死と人生についてとても参考になりました。
いずれは死ぬということを認めていつ死んでもいいように準備すること。
そうすればより真実に人生に取り込むことができる、
今日がその日か?用意はいいか?するべきことをすべてやっているか
なりたい人になっているかを毎日自分に問うことによって死ぬ準備をしていると
答えたモリーの話は心に響きます。

搾取することなく人に貢献できる場として選んだ道が研究の世界だという
彼の選択も何だか悲しいものがあります。
50年代はじめテェスナットーロッチー精神病院で精神病患者を観察し、
記録する仕事を通して知り、悟った人間に対する愛と深い洞察力は
彼の人柄をよく表しています。

テェスナットーロッチー精神病院には一日中金切り声を上げる患者、一晩中泣き叫ぶ患者、
下着を汚す患者、頑として食べようとしない患者などがいました。
そして、毎日自分の部屋から出て通路のタイルの床にうつ伏せて
何時間も寝ている中年の女性患者もいました。
医者も看護師もその患者に気づきながら、避けて通っていました。
夕方までそのままの格好で誰にも話しかけず、みんなからも無視されている
彼女のことがあまりにも不憫でモリーは彼女が寝ている床に座り、寄り添って
なんとか惨めな状態から引き出そうとこころみました。
そして、彼女を座らせ、部屋に戻らせることができたのです。

研究を続けた5年の間に彼は患者と仲良くなりました。
この病院にいられて幸せだといった女性患者もいました。
誰かれ構わず唾を吐けかける人が彼を”私の友達”とまで呼んでくれました。
二人は毎日話し合っていました。
しかし、ある時、その女性患者が脱走して近所の店の奥に隠れたので
病院の職員から彼女を連れ戻すのに手を貸してくれと頼まれました。

駆けつけた彼を見た時、彼女はモリーにこう言い放ったのです。
”やっぱりあんたも仲間なのか?”
”仲間って誰の?”
”看守たち”

テェスナットーロッチー精神病院にいる患者の多くは裕福な家庭に生まれ経済的に恵まれていました。
しかし、ほとんどみな毎日の生活で拒否され、無視され、存在しない者同然の気持ちを味わい、
周囲の思いやりも欠けていました。
そして、モリーは金では幸福や満足は買えないという教訓を得たのです。

毎週火曜日にモリーを尋ねる著者に対しても他の誰かと一緒にいるときも
モリーはまっすぐ相手の目を見て、その相手がこの世で
ただ一人の人間であるかのように耳を傾けました。
恐ろしい話をするとモリーの目はうるみ、馬鹿なダジャレには面白そうに目元にシワを寄せて
いつも感情を素直に表しました。
そして、モリーは言います。
”誰かと一緒にいるときはまさにいっしょでなければならない、
二人の間に進行していることだけに気持ちを集中している、
君に向かって話をし、君のことだけを考えている”

スマホに夢中になり生半可な答えや返事をしている人々が増えてる
今の世の中で、モリーの言葉には考えさせられます。

モリーの生き方を決めた父の死の話にも悲しいものがあります。
小言をいい、育ててくれた人、働くことを教わった人、話をしてほしかったのに黙っていた人、
母の思い出をみんなと分かち合いたいのに黙っていろといった人が彼の父でした。
その父は強盗に襲われ心臓麻痺で死にました。
身元確認のために駆けつけた死体保管所の硝子窓越しにお父さんの亡骸を見ながら
自分は父とは違う人生をいきたい、違う死を迎えようと彼は心に決めたのです。
”たくさん抱いて、キスして、喋って、笑って、みんなにサヨナラを全部忘れずに言うと。”
そして、モリーはまさにその約束を実践していきました。

毎日が忙しく過ぎていく中で人々はますます急ぐようになっています。
そして、心の余裕をなくしていきます。
車の運転にまつわるモリーの話はそんな人々に笑顔を与えています。
誰かが追い越そうとするとモリーは手を上げていかにもだめのゼスチャーをします。
指を立ててばかにするような仕草をして手を振って先にいかせてニッコリ笑うのです。
すると向こうからも笑いが帰ってくるといいます。
”私は車に乗っている時、そんなに急ぐ必要を感じない、エネルギーは人間同士で使いたい”
とモリーは言います。

そんなモリーの人生でも一つ悲しい思い出がありました。
モリーの部屋の端にある高い棚の上に載せた胸像は40代のモリーのブロンズの像でした。
30年前に友達ノーマンがケンブリッジの家に招待され地下室で何週間もかけて作ってくれたのです。
しかし、親しくしていた二人の友情は壊れました。
モリーの妻のシャーロットが大変な手術をしたのに、
親友のノーマンも奥さんも連絡してこなかったのです。
手術のことは知っていたのに電話で経過がとうなったかも聞いてこなかった事で縁が切れました

それから、2,3回ノーマンと顔を合わせる機会がありました。
ノーマンはそのたびに仲直りしようとしましたが結局モリーは許しませんでした。
その弁解に満足できなかったのです。許すにはあまりにもプライドが高かったのです。
モリーは自分が死の病にかかりノーマンがガンで死んだときも会いに行かず
許さなかった事を悔やみ、それががどんなに辛いかを語ります。

そして、死ぬ前に人を許せ、自分を許せと著者に言います。
他人と自分を許すことを語ります。
”やらなかった全てについて、やるべきなのにやらなかったこと
すべてについて自分もゆるさなければならないといいます。
過ぎたことをいつまでくよくよ悔やんでも始まらない。
仲直りすること、自分とそれから周囲の全てと仲直りしなければいけない
自分を許せ、人を許せ、待ってはいられない。”

人は生きている間に色々な過ちを犯します。
自分が犯した過ちも他人から受けた過ちも許さなければなりません。
人生はあまりにも短かく、いつまでも時間は待ってはくれないので。

結びの言葉でミッチが書き残したものがあります。
”もっと心を開くこと、マスメディアなどを通して流される価値観にとらわれないこと、
愛する人が話をしているときにはこれが最後のつもりで注意を払うこと
いずれではなくすぐにでも飛行機に乗ってマサチューセッツ州ウエスト
老紳士モリー・シュワルツ教授が病気にかかって踊れなくなる前に会いに行くこと”

人生はもっと大事にしなければならないことがどれほどあるでしょうか。
私達がそれに気づくのはあまりにも遅いのです。
けれどもモリーは私たちに生き方を振りがえる機会を与えています。
彼は人生に手遅れというものはないと、最後のサヨナラを言うまで変わり続けたのです。

死は私達が必ず迎える問題です。
死で人生は終わります。
しかし、モリーは言います。
”死で人生は終わる、しかし、つながりは終わらない。
人間はお互いに愛し合える限り、またその愛し合った気持ちを覚えている限り、
死んでも本当に行ってしまうことはない、またその愛し合った気持ちを覚えている限り、
死んでも本当にいってしまうことはない、作り出した愛は全てそのまま残っている、
思い出は全てそのまま残っている、死んでも生きつづけるんだ、
この世にいる間に触れた人、育てたすべての心のなかに。”

週に一度火曜日にモリーの自宅で行われた最後の授業
人生の意味と経験を元に綴られた講義はモリーが死んだ今も
彼の生き方と彼が残した言葉は人々の生き方に影響を与えているのです。
  

Posted by 青い鳥 at 23:07Comments(0)